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アレン
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イールとウィオラの件は片付いたが、まだペトラの件も残っているし仕事が山積みだ...
しばらくミツルのために時間を割くことが出来ないので、とりあえずしばらくは座学はお預けだな...
ミツルはルイに預けておけば鍛えてくれるだろう。
彼も忙しい身だが、何だかんだミツルのことを気にしてくれている。
おかげで私は自分の仕事に専念できる。
城の中の隠し通路を通り、薄暗い石造りの階段を降りた。
気味の悪い反響音と、時折靴底に噛む砂の音が松明だけの廊下に響いた。
地下の隠し通路の先にはミツルの目に触れさせられないものが隠してあった。
隠された狭い通路を抜けると、少し広い空間に行き着く。
空間に満ちた空気は、不愉快な腐臭と汚物の臭いで汚染されていた。
この臭いは服に付くとなかなか取れない。
不快を詰め込んだ空間で私を出迎えたのは、私が獄卒長として任命したズゥエという小鬼の男だ。
ギョロギョロした目玉に顔に深く刻まれた皺、ボサボサの白髪と長い爪といった出で立ちは、見るものを驚かせる演出だ。
彼の仕事上、恐ろしげな鬼の姿の方が都合が良い。
「陛下がこのような場所に足をお運びになるなど…」
「よい、気にするな。
先日リザードマン達が捕らえた人間は何か情報を持っていたか?」
「一人だけ魔法使いがおりましたので尋問中です」
「殺すなよ。必ず目的を聞き出せ」
「心得ております。
必ずやご期待にそう結果をお出し致します」
獄卒長は自信ありげにそう答えた。
「ところで、魔法使いの持ち物から気になるものを見つけました」
ズゥエはそう報告して、部下に荷物を持ってくるように指示を出した。
「何やらメモと測量道具のようです。
何かの調査をしていたのでしょうが、我々が見てもさっぱり分かりませぬ」
「ふぅむ…」確認しようと箱の中を覗き込んだ。
確かに測量に使う分度器や単眼鏡、方位磁石などが入っている。
携帯用のペン壺と牛皮の本には魔法がかかっていて開かない。
こんな魔法をかけるのは見られては困るものだけだ。中を検めたいところだが、無理に魔法を解除すれば、中身がダメになってしまう仕組みかもしれない。
「…その魔法使いとやらに会わせろ」と注文すると、ズゥエは「こちらです」と先を歩き出した。
ランプの灯りを頼りに、暗く狭い回廊を進むと、人間の呻く声が聞こえてくる。
暗い空間には啜り泣くような声と、力なく助けを求める声が不気味なほどよく反響した。
「何人居るんだ?」
「全員で6名預かりましたが、2名は傷が深くすぐに死にました、申し訳ございませぬ」
「死んでしまったものは仕方ない。
生きてる者の言質を取れ」
「御意」
ズゥエは獄卒であり、拷問官であり医者だ。
彼は私のためによく働いてくれている。
厳重に管理されている鉄製の頑丈な扉の前で立ち止まり鍵を取り出した。
鉄扉の内側には、鉄の棒を溶接して作られた檻が入っている。
中には獣のような呻き声を上げる男が一人鎖に繋がれていた。
ズゥエが彼を指さして言った。
「五体満足とは言えませんが、まだ尋問には耐えれるでしょう」
檻の中で相手の身じろぐ気配と鎖の擦れ合う音がした。
ランプの灯りを向けると囚人は眩しそうに顔を顰めた。
彼にとって、久しぶりの灯りだったようだ。
「これはお前の持ち物だな…」
本を取り出して男の前に掲げた。
彼は驚いた顔をして本に向かって手を伸ばした。
もちろん渡す気は無い。
「《施錠》を解除しろ。
場合によってはお前を見逃してやってもいい」
「…そんな…」
「嘘かと思うかね?
私はお前たちが《魔王》と呼ぶ、この国の王だ。
お前をどうするか私の自由というわけだ」
これみよがしに本をヒラつかせて彼に交渉を迫った。
「私は我儘でね、思い通りにならないならそうなるようにするまでだ」と脅しを添えると、傍らでズゥエが男に近づこうとした。
「わ、分かりました…
言う通りに致しますから、どうか…どうか…」
平伏し、必死に命乞いする男の姿には鬼気迫るものがある。
ズゥエの仕事ぶりが伺い知れる。
「物分りが良くて助かる。無駄な拷問をしなくて済むからな。
お前の名を聞こうか」
「アレンと申します」
「では、アレン。
君が私に友好を示すなら私もそれに応えよう」
「《それを神が望まれる》と三回唱えます」
「なるほど、やってみよう」
アレンの言った通りにすると、本にかかっていた魔法が解け、本は簡単に開いた。
「…これは」
本にはアレンの字で事細かに座標と風景、特徴などを示したメモ書きが記載されていた。
丁寧に日付まであり、よくできた地図まで載っている。
「我が友、アレンよ。
君の記録は素晴らしいが、良すぎるな…
目的は何だ?」
「…恐れながら」と頭を垂れて彼がボソボソと話し始める。
彼の師から命じられて、転送魔法の出現場所の記録をさせられていたらしい。
何やら転送させる場所の確保のためだった。
何が転送されるのかは教えられていないが、重要な役目らしく、正確な測量が求められるため彼が選ばれたらしい。
一緒に捕まったのは全く知らない連中で、彼は自分の身に何が起こっているのかすら理解してなかった。
逃げようとしたが間に合わず、リザードマン達に見つかってしまったという。
「なるほど…略奪者とは無関係だったか」
別件で湧いて出た案件に頭を抱え込みたくなる。
ややこしく絡まった糸を、一つずつ解かなければいけないようだ。
「陛下、この者の処遇は如何なさいますか?」
「まだ聞きたいことがある。
この男は情報だけはありそうだ。
処遇だけは改善してやろう」
「仰せのままに…
普通の牢に移してよろしいでしょうか?」
「牢ではなく私が預かる。
必要があればまた牢に戻すが、その必要はないだろう?」
私の問いかけにアレンは怯えた様子で何度も頷いた。
余程この拷問部屋が恐ろしかったのだろう。
ズゥエはすぐに部下を呼んで次の行動に移ると、アレンの頭に麻袋を被せて連れて行った。
「洗って臭いを取ってからお引渡し致しますので、しばしお時間を頂戴します」
「構わん、食事もまともなものをゆっくり食べさせてやれ」
「御意」深々と拝礼してズゥエは私を拷問部屋の外に見送って仕事に戻った。
外の空気は素晴らしい。
空気を取り入れる必要のない体だが、五感は必要不可欠なため魔法で人並みに感じることが出来るように補助していた。
そのため、必要のない不快感を感じることもあるが、その他の素晴らしさも人並みに感じることが出来る。
さて、私も随分臭うな…
久しぶりに湯浴みをしなくては…
そんなことを思いながら私は城内に戻った。
✩.*˚
元々体力のない私に、あの地下牢はキツすぎた。
魔法使いの教育は受けていたが、間者のような拷問の訓練などもされていないし、魔法が使えない空間に放り込まれる事がこんなに恐ろしいこととは思ってもいなかった。
ただ、幸いなことに、命までは取られず、魔王の計らいで生き延びることが出来た。
右足の親指を切り落とされたので、走ることは出来ないが、それ以外の傷は治癒魔法をかけられて痛みを感じない程度に回復していた。
あとは何とか逃げ出さねばならない…
そのためには何としてでもあの《記録》を取り返し、何食わぬ顔で戻らねばならない。
遅れれば、私が何かに巻き込まれたと思われて切り離されるか、魔王に懐柔され裏切ったと思われて、身内を殺されることだろう。
前者であれば良いが、後者なら大変なことになる。
焦らずに隙を見つけて逃げ出さねば…
でもどうやって…
堂々巡りの問答に苛立たしさが込み上げる。
麻袋を被せられて視界を奪われた状態で、城内を無駄に歩かされた。
恐らく方向感覚を狂わせるためだ。
脱出することがさらに困難になる…
「着いたぞ、袋を取れ」
小鬼の親分の声だろう。
目の前にあった綴織の魔法陣に向かって乱暴に突き飛ばされ、よろけながら魔法陣をくぐった。
倒れ込んだ先に贅沢な絨毯が敷かれており、私はそのまま床に倒れ込んだ。
「誰?!」
部屋の中に私以外の声がする。
顔を上げると人間らしい少年が居た。
後ろに魔王もいる。
「やあ、アレン」魔王が私に向かって気さくに挨拶した。
魔王の声を聞いて全身が粟立つのを感じた。
「大丈夫?」
動けない私に、少年が心配そうな表情で手を差し伸べた。
魔王に捉えられて監禁されているのだろうか?
そうであれば、身分の高い人間なのかもしれない。
「立てる?」
「あ、ありがとうございます。大丈夫です」
彼の手を借りて立ち上がった。
目の前の少年は、間違いなく人間のようだ。
少しほっとしたのも束の間、魔王が驚くべきことを口にした。
「私の召喚した《勇者》のミツルだ。
仲良くしてやってくれ」
「…ゆ、勇者?!」驚きのあまり言葉を失った。
この少年は《勇者》なのか?!
それよりもなぜ《勇者》が《魔王》に召喚されたのだ?!
私の知ってる限りの情報を精査したが答えは見つからなかった。
動揺する私に、「アレン」と魔王が口を開いた。
不死者の姿をした魔王は赤い光で私を睨んでいる。
「彼はこの世界の事をほとんど知らない。
今必要な知識を習得しているところだ。
君から彼に人間の国について教えて欲しい」
とんでもない申し出だ。
この魔王どういうつもりなのだ?!
勇者と言われた少年は呑気に「よろしく」などと言っている。
前代未聞の状況に、私は空いた口が塞がらなかった。
「それでは、私は忙しいのでこれで失礼するよ」
魔王は親しげに勇者にそう言って、私の横をすり抜けて部屋を出ていこうとした。
「釘を刺すようで悪いがね、くれぐれも変なことは考えないように…君自身のためだよ」
ゾッとする耳打ちをして魔王は綴織の向こうに消えた。
「大丈夫?
魔王の名前はアンバーって言うんだけど、怖かっただろ?」
人懐っこく話しかけてくる少年は笑いながらそう言った。
「僕も初めて会った時はチビったよ。
でも見た目はああだけど、優しいから安心しなよ」
「…優しい…ですか?」相手は魔王だぞ…
「彼は元人間だよ。
なんかよく分からないけど、あの姿にはなる前は人間だったらしいから、そんなに怖がらなくていいよ。
400歳くらいとか言ってたかな?
人間の名前はアンバー・ワイズマンっていうらしいよ」
「アンバー・ワイズマン?!」
数百年前の伝説の大賢者の名前ではないか?!
まさか本人なのか?そんな馬鹿な…
「びっくりしたな…
聞いたことのある名前なのかな?同じ名前の人でも知り合いにいた?」
「いいえ…
ただ、人間の国で彼の名前を知らないのは赤ん坊くらいのものです。
アンバー・ワイズマンはオークランド王国にとって大変な功績を持つ大賢者ですから…」
「へえ、何か本になってるとか?」
「魔法使いも錬金術師も彼の教科書から学びます。
難易度が高く、理解できない理論などもありますが、今なお実用されている技術もあります。
鉱山の採掘によって汚された川や湖を蘇らせたり、安定した転移魔法を考案した功績は今なお塗り替えられていません」
まさか、姿を変えて生きていたのか…
しかも魔王として…
これは人間にとって脅威以外の何ものでもない。
「失礼ですが…ミツル様は本当に勇者なのですか?」
「うん、らしいよ」
他人事のように答える勇者は穏やかな少年だった。
髪はやや茶色がかった黒で、瞳も同じ色。
耳も丸みを帯びた人間のそれだった。
細身で身長も高くない。
頼りない印象の少年だが、腰に帯びた二振りの剣は強力な魔法を帯びているのが見て取れた。
「勇者っぽくないだろ?」
私の考えを読み取るかのようにそう言って彼は笑った。
「でもね、僕は勇者になるって決めたんだ」
「魔王を倒すつもりなのですか?」
我ながら愚直な物言いになってしまった。
慌てて失言を取り消そうとしたが、勇者は困ったように笑って答えた。
「アンバーは友人だよ。
彼は、見た目はああだけど、尊敬出来る紳士だから倒す必要はないよ。
魔王を倒すのが勇者の役目なのかもしれないけど、僕はその気はないよ」
「なら、貴方の言う勇者になるとはどういうことですか?」
「勇気のある行動ができる人になりたいってところかな?
この世界は人間と魔族で随分仲が悪いみたいだよね?
だから少しでも仲良くなれたらと思ってる」
「そんなの無理だ!」と、思わず声を上げてしまった。
「貴方はこの世界を知らないからそんな事が言えるんだ!
そんな事言っていたら人間の生活が脅かされてしまいます!!」
絵空事を言っている!
この勇者は魔王に洗脳されているに違いない!危険だ!
「この世界は《大神・ルフトゥ》が人間に支配するように与えられたのです。
魔物たちは人間の権利を侵害する悪しき存在なのですよ」
私は教典に記された内容を、分かりやすく簡略にして彼に伝えた。
この世界の大地と人間を創りたもうた大神・ルフトゥは広く人間に信仰されている。
対して魔族たちはルフトゥの母で、人間を滅ぼそうとした大海の龍神《ヴォルガ》を信仰している。
相容れぬ存在だし、ルフトゥは人間を守るために母であるヴォルガを海から引き摺りあげて大地に封じた。
それが龍神山脈と呼ばれる巨大な山脈として大陸に残っている。
人間が魔族を降したとされている神話だ。
魔族たちは大陸の平地から追いやられ、一部を除き、ほとんどがこの山脈が連なるアーケイック・フォレストに生活しているという状況だ。
少年は私の話をじっと聞いていた。
何も口を挟まず、この国の神話に聞き入っているようだった。
「この世界の覇者は人間であり、魔族には住む権利がありません。
貴方は人間なのですから…人として生きるべきだ」
「君達は自分たちの権利を守ろうとしてるということなのかな?」
「分かっていただけたのですね!
魔王が貴方にどういったことを伝えられたのかは存じ上げませんが、勇者は人の守護者でルフトゥが与えてくださる世界の祝福です。
魔族が力をつけるのを防ぐため、魔王を討つ者です」
「なるほど、そういうことになってるのか…」
少年は妙に納得したようだった。
彼がルフトゥの遣わした勇者であれば、私を助けてくれるかもしれない…
「それで、ルフトゥは君たちに魔族を殺したり、奴隷にすることを推奨しているのかな?」
「人間を守るためには仕方の無いことです」
私の答えに、さっきまで真面目に聞いていた勇者は困ったような顔で笑った。
「いいことを聞いたよ。人の意見を聞いたのは初めてだから…
僕はこの世界の人間を好きになれそうにない…」
私は耳を疑った。
何だと?!
この勇者は人間の味方では無いのか?!
驚愕と動揺を隠しきれない。
一体何が…何か間違ったことを言ったのだろうか?
この少年は、人間の敵になるつもりなのか…
「アレン。僕は君の話を聞かなかったことにするよ。
でも、人間の考えを教えてくれてありがとう」
「何故ですか?
貴方は勇者になるのでしょう?!」
「勇者にはなるさ。
でも僕はアンバーに召喚されてよかった。
人間に召喚されてたら、僕は君たちと同じ奪う側になっていたんだろうね…」
「違います!
我々は与えられたものを享受しているのです!」
「ルフトゥを信仰している人はみんなそういう風に思ってるんだろうけど、魔族からすれば略奪者だよ。
相手の気持ち考えたことある?
アレンだって、うっすら気づいてるんじゃないかな?
君たちは別の生き物だからって自分に言い聞かせて、魔族の悲鳴を無視してたんだろう?」
勇者の口調に不快感が混ざる。
苛立たしい響きを孕んだ言葉が彼の口から溢れた。
「君は知らないだろうけど、彼らは僕と同じように食べて、飲んで、寝て、怒って、笑って、愛して、生きてる。
友達や家族を思いやって、奪われることをすごく恐れてる。
君は違うの、アレン?」
「…それは…そうですが…」
「なら分かるだろ?
自分の家族や友人が、誰かの利益のために殺されたり、奴隷にされて売られたりしたら…
君は神様が望むからって、仕方ないで片付けられる?許せるの?」
「…無理です」
考えたことすらない。
彼らは人間ではないし、信仰を別にする者達だ…
「僕も無理だ」そう言って少年は少しだけ笑顔を見せた。
「僕はこの国が好きになってきてる。
この国の人達とも少しだけ仲良くなれた。
これからも分かり合えるように努力するつもりだよ」
そう言って照れたように笑う勇者は幼く見えた。
子供のように純粋に何も知らない。
彼は無知なだけだ。絵空事を語る子供だ。
「魔族と人が分かり合えるなどと本気で思っているのですか?」
私の問いに、勇者は「少しは期待してる」と控えめな答えを返してきた。
「アレンの話を聞いて、やっぱり簡単では無さそうだなって思ったよ。
でも、できなくも無さそうだ」
「…なぜ、どこからそんな考えが…」
「君も、ちょっとだけ悪いなって気持ちが芽生えてる」
「それは…私も」
早く任務に戻らなければ、最悪家族が殺される…
その気持ちが一瞬だけ勇者の話に重なっただけだ...
口にしかけた言葉を慌てて飲み込んだ。
危ない。完全にこの少年のペースに飲み込まれている。
「何?何か思い当たることでもあるの?」
「いえ、何も」
「隠し事?」
「余計な詮索をしないで下さい」
「ごめん、ごめん。
久しぶりに人間と話したせいでおしゃべりになってるかもね」
そう言って少年は人懐っこく笑った。
この勇者は恐ろしい…
無垢な子供のように純粋に、人間に牙をむくかもしれない。
子犬のようだが、成長すれば人間に襲いかかる狼になるかもしれない…
早いうちに人間の敵にならないように、人の手で教育しなくてはならないようだ。
彼は私の考えなど知る由もなく、相変わらずヘラヘラ笑いながら取り留めもない話をしている。
人間の国の生活様式や食べ物、はたまた娯楽の話まで…
彼は私達の文化や生活に興味を示した。
このまま何とか連れて帰れないものだろうか…
そうすれば、今度こそ魔王を屠る勇者になるかもしれないのに…
色々なことご頭を過ぎるが、あまりいい考えは浮かばなかった。
「ミツル様」不意に背後で声がした。
驚いて視線を動かすと、いつの間に現れたのか、メイドが一人立っていた。
見ると手に時計を持っている。
「稽古のお時間ですよ。
遅れるとルイ様に叱られます」
「あぁ、ホントだ」大変だ、と言いながら彼は慌てて立ち上がった。
「話せて楽しかったよ、アレン。
またゆっくり君の事を聞かせて欲しいな」
「わ、私はどうなるのでしょうか?」
こんな宙ぶらりんな状態で放置されても困る。
私が慌てているとメイドは冷ややかな視線で「ズゥエ様がお迎えに来られますわ」と言った。
「お、お、お願いです!私を一緒にお供させてくださいませんか?!
また牢に戻されるのだけはご勘弁を…」
勇者の足元に這いつくばって、床に顔を擦り付けて懇願した。
あの恐ろしい獄卒達の事を思うだけで吐きそうだ。
床に這いつくばった私の視界の端に、勇者の足が見えた。
彼は私の前に膝を着いた。
「一緒に来たいなら来ていいよ。
だからそんなお願いの仕方はやめてよ。
僕が悪人みたいじゃないか」
「ミツル様!」
メイドの声が飛んだ。
責めるような響きだったが、当の彼はニコニコと笑って彼女には答えた。
「ベティ、アンバーに僕が彼を連れて行ったって伝えて」
「いけません!危険です!
その人間がミツル様を害しないと言いきれません!」
もっともな言い分のメイドに、彼は両手を合わせて「お願い」とだけ言った。
メイドがぐっと押し黙る。
勇者とメイドの視線が重なっていたが、先に折れたのはメイドの方だった。
「…私も同行します」
「ありがとう、ベティ!」
子供のように喜ぶ勇者とは対照的に、ベティと呼ばれているメイドは私に向かって、人を殺せそうな視線で睨みつけて「何か妙な真似したら私が粛清しますから」と告げた。
どうやら勇者の護衛と目付けを兼ねているメイドらしい…
私は素直に何度も頷くしか出来なかった。
「じゃあ行こうか!」
私達のやり取りをよそに、勇者は嬉しそうに告げて歩き出す。
私の背後でメイドの深いため息が聞こえた。
どうやらこの勇者は他者を引きつけるような引力のようなものを発生させてるるのかもしれない。
彼の従者になるのも大変そうだ。
不自由になった右足を庇うようにして、勇者の後を追って部屋を出た。
久々に自分の意思で歩けて、少しだけ気分が良くなるのを感じた。
しばらくミツルのために時間を割くことが出来ないので、とりあえずしばらくは座学はお預けだな...
ミツルはルイに預けておけば鍛えてくれるだろう。
彼も忙しい身だが、何だかんだミツルのことを気にしてくれている。
おかげで私は自分の仕事に専念できる。
城の中の隠し通路を通り、薄暗い石造りの階段を降りた。
気味の悪い反響音と、時折靴底に噛む砂の音が松明だけの廊下に響いた。
地下の隠し通路の先にはミツルの目に触れさせられないものが隠してあった。
隠された狭い通路を抜けると、少し広い空間に行き着く。
空間に満ちた空気は、不愉快な腐臭と汚物の臭いで汚染されていた。
この臭いは服に付くとなかなか取れない。
不快を詰め込んだ空間で私を出迎えたのは、私が獄卒長として任命したズゥエという小鬼の男だ。
ギョロギョロした目玉に顔に深く刻まれた皺、ボサボサの白髪と長い爪といった出で立ちは、見るものを驚かせる演出だ。
彼の仕事上、恐ろしげな鬼の姿の方が都合が良い。
「陛下がこのような場所に足をお運びになるなど…」
「よい、気にするな。
先日リザードマン達が捕らえた人間は何か情報を持っていたか?」
「一人だけ魔法使いがおりましたので尋問中です」
「殺すなよ。必ず目的を聞き出せ」
「心得ております。
必ずやご期待にそう結果をお出し致します」
獄卒長は自信ありげにそう答えた。
「ところで、魔法使いの持ち物から気になるものを見つけました」
ズゥエはそう報告して、部下に荷物を持ってくるように指示を出した。
「何やらメモと測量道具のようです。
何かの調査をしていたのでしょうが、我々が見てもさっぱり分かりませぬ」
「ふぅむ…」確認しようと箱の中を覗き込んだ。
確かに測量に使う分度器や単眼鏡、方位磁石などが入っている。
携帯用のペン壺と牛皮の本には魔法がかかっていて開かない。
こんな魔法をかけるのは見られては困るものだけだ。中を検めたいところだが、無理に魔法を解除すれば、中身がダメになってしまう仕組みかもしれない。
「…その魔法使いとやらに会わせろ」と注文すると、ズゥエは「こちらです」と先を歩き出した。
ランプの灯りを頼りに、暗く狭い回廊を進むと、人間の呻く声が聞こえてくる。
暗い空間には啜り泣くような声と、力なく助けを求める声が不気味なほどよく反響した。
「何人居るんだ?」
「全員で6名預かりましたが、2名は傷が深くすぐに死にました、申し訳ございませぬ」
「死んでしまったものは仕方ない。
生きてる者の言質を取れ」
「御意」
ズゥエは獄卒であり、拷問官であり医者だ。
彼は私のためによく働いてくれている。
厳重に管理されている鉄製の頑丈な扉の前で立ち止まり鍵を取り出した。
鉄扉の内側には、鉄の棒を溶接して作られた檻が入っている。
中には獣のような呻き声を上げる男が一人鎖に繋がれていた。
ズゥエが彼を指さして言った。
「五体満足とは言えませんが、まだ尋問には耐えれるでしょう」
檻の中で相手の身じろぐ気配と鎖の擦れ合う音がした。
ランプの灯りを向けると囚人は眩しそうに顔を顰めた。
彼にとって、久しぶりの灯りだったようだ。
「これはお前の持ち物だな…」
本を取り出して男の前に掲げた。
彼は驚いた顔をして本に向かって手を伸ばした。
もちろん渡す気は無い。
「《施錠》を解除しろ。
場合によってはお前を見逃してやってもいい」
「…そんな…」
「嘘かと思うかね?
私はお前たちが《魔王》と呼ぶ、この国の王だ。
お前をどうするか私の自由というわけだ」
これみよがしに本をヒラつかせて彼に交渉を迫った。
「私は我儘でね、思い通りにならないならそうなるようにするまでだ」と脅しを添えると、傍らでズゥエが男に近づこうとした。
「わ、分かりました…
言う通りに致しますから、どうか…どうか…」
平伏し、必死に命乞いする男の姿には鬼気迫るものがある。
ズゥエの仕事ぶりが伺い知れる。
「物分りが良くて助かる。無駄な拷問をしなくて済むからな。
お前の名を聞こうか」
「アレンと申します」
「では、アレン。
君が私に友好を示すなら私もそれに応えよう」
「《それを神が望まれる》と三回唱えます」
「なるほど、やってみよう」
アレンの言った通りにすると、本にかかっていた魔法が解け、本は簡単に開いた。
「…これは」
本にはアレンの字で事細かに座標と風景、特徴などを示したメモ書きが記載されていた。
丁寧に日付まであり、よくできた地図まで載っている。
「我が友、アレンよ。
君の記録は素晴らしいが、良すぎるな…
目的は何だ?」
「…恐れながら」と頭を垂れて彼がボソボソと話し始める。
彼の師から命じられて、転送魔法の出現場所の記録をさせられていたらしい。
何やら転送させる場所の確保のためだった。
何が転送されるのかは教えられていないが、重要な役目らしく、正確な測量が求められるため彼が選ばれたらしい。
一緒に捕まったのは全く知らない連中で、彼は自分の身に何が起こっているのかすら理解してなかった。
逃げようとしたが間に合わず、リザードマン達に見つかってしまったという。
「なるほど…略奪者とは無関係だったか」
別件で湧いて出た案件に頭を抱え込みたくなる。
ややこしく絡まった糸を、一つずつ解かなければいけないようだ。
「陛下、この者の処遇は如何なさいますか?」
「まだ聞きたいことがある。
この男は情報だけはありそうだ。
処遇だけは改善してやろう」
「仰せのままに…
普通の牢に移してよろしいでしょうか?」
「牢ではなく私が預かる。
必要があればまた牢に戻すが、その必要はないだろう?」
私の問いかけにアレンは怯えた様子で何度も頷いた。
余程この拷問部屋が恐ろしかったのだろう。
ズゥエはすぐに部下を呼んで次の行動に移ると、アレンの頭に麻袋を被せて連れて行った。
「洗って臭いを取ってからお引渡し致しますので、しばしお時間を頂戴します」
「構わん、食事もまともなものをゆっくり食べさせてやれ」
「御意」深々と拝礼してズゥエは私を拷問部屋の外に見送って仕事に戻った。
外の空気は素晴らしい。
空気を取り入れる必要のない体だが、五感は必要不可欠なため魔法で人並みに感じることが出来るように補助していた。
そのため、必要のない不快感を感じることもあるが、その他の素晴らしさも人並みに感じることが出来る。
さて、私も随分臭うな…
久しぶりに湯浴みをしなくては…
そんなことを思いながら私は城内に戻った。
✩.*˚
元々体力のない私に、あの地下牢はキツすぎた。
魔法使いの教育は受けていたが、間者のような拷問の訓練などもされていないし、魔法が使えない空間に放り込まれる事がこんなに恐ろしいこととは思ってもいなかった。
ただ、幸いなことに、命までは取られず、魔王の計らいで生き延びることが出来た。
右足の親指を切り落とされたので、走ることは出来ないが、それ以外の傷は治癒魔法をかけられて痛みを感じない程度に回復していた。
あとは何とか逃げ出さねばならない…
そのためには何としてでもあの《記録》を取り返し、何食わぬ顔で戻らねばならない。
遅れれば、私が何かに巻き込まれたと思われて切り離されるか、魔王に懐柔され裏切ったと思われて、身内を殺されることだろう。
前者であれば良いが、後者なら大変なことになる。
焦らずに隙を見つけて逃げ出さねば…
でもどうやって…
堂々巡りの問答に苛立たしさが込み上げる。
麻袋を被せられて視界を奪われた状態で、城内を無駄に歩かされた。
恐らく方向感覚を狂わせるためだ。
脱出することがさらに困難になる…
「着いたぞ、袋を取れ」
小鬼の親分の声だろう。
目の前にあった綴織の魔法陣に向かって乱暴に突き飛ばされ、よろけながら魔法陣をくぐった。
倒れ込んだ先に贅沢な絨毯が敷かれており、私はそのまま床に倒れ込んだ。
「誰?!」
部屋の中に私以外の声がする。
顔を上げると人間らしい少年が居た。
後ろに魔王もいる。
「やあ、アレン」魔王が私に向かって気さくに挨拶した。
魔王の声を聞いて全身が粟立つのを感じた。
「大丈夫?」
動けない私に、少年が心配そうな表情で手を差し伸べた。
魔王に捉えられて監禁されているのだろうか?
そうであれば、身分の高い人間なのかもしれない。
「立てる?」
「あ、ありがとうございます。大丈夫です」
彼の手を借りて立ち上がった。
目の前の少年は、間違いなく人間のようだ。
少しほっとしたのも束の間、魔王が驚くべきことを口にした。
「私の召喚した《勇者》のミツルだ。
仲良くしてやってくれ」
「…ゆ、勇者?!」驚きのあまり言葉を失った。
この少年は《勇者》なのか?!
それよりもなぜ《勇者》が《魔王》に召喚されたのだ?!
私の知ってる限りの情報を精査したが答えは見つからなかった。
動揺する私に、「アレン」と魔王が口を開いた。
不死者の姿をした魔王は赤い光で私を睨んでいる。
「彼はこの世界の事をほとんど知らない。
今必要な知識を習得しているところだ。
君から彼に人間の国について教えて欲しい」
とんでもない申し出だ。
この魔王どういうつもりなのだ?!
勇者と言われた少年は呑気に「よろしく」などと言っている。
前代未聞の状況に、私は空いた口が塞がらなかった。
「それでは、私は忙しいのでこれで失礼するよ」
魔王は親しげに勇者にそう言って、私の横をすり抜けて部屋を出ていこうとした。
「釘を刺すようで悪いがね、くれぐれも変なことは考えないように…君自身のためだよ」
ゾッとする耳打ちをして魔王は綴織の向こうに消えた。
「大丈夫?
魔王の名前はアンバーって言うんだけど、怖かっただろ?」
人懐っこく話しかけてくる少年は笑いながらそう言った。
「僕も初めて会った時はチビったよ。
でも見た目はああだけど、優しいから安心しなよ」
「…優しい…ですか?」相手は魔王だぞ…
「彼は元人間だよ。
なんかよく分からないけど、あの姿にはなる前は人間だったらしいから、そんなに怖がらなくていいよ。
400歳くらいとか言ってたかな?
人間の名前はアンバー・ワイズマンっていうらしいよ」
「アンバー・ワイズマン?!」
数百年前の伝説の大賢者の名前ではないか?!
まさか本人なのか?そんな馬鹿な…
「びっくりしたな…
聞いたことのある名前なのかな?同じ名前の人でも知り合いにいた?」
「いいえ…
ただ、人間の国で彼の名前を知らないのは赤ん坊くらいのものです。
アンバー・ワイズマンはオークランド王国にとって大変な功績を持つ大賢者ですから…」
「へえ、何か本になってるとか?」
「魔法使いも錬金術師も彼の教科書から学びます。
難易度が高く、理解できない理論などもありますが、今なお実用されている技術もあります。
鉱山の採掘によって汚された川や湖を蘇らせたり、安定した転移魔法を考案した功績は今なお塗り替えられていません」
まさか、姿を変えて生きていたのか…
しかも魔王として…
これは人間にとって脅威以外の何ものでもない。
「失礼ですが…ミツル様は本当に勇者なのですか?」
「うん、らしいよ」
他人事のように答える勇者は穏やかな少年だった。
髪はやや茶色がかった黒で、瞳も同じ色。
耳も丸みを帯びた人間のそれだった。
細身で身長も高くない。
頼りない印象の少年だが、腰に帯びた二振りの剣は強力な魔法を帯びているのが見て取れた。
「勇者っぽくないだろ?」
私の考えを読み取るかのようにそう言って彼は笑った。
「でもね、僕は勇者になるって決めたんだ」
「魔王を倒すつもりなのですか?」
我ながら愚直な物言いになってしまった。
慌てて失言を取り消そうとしたが、勇者は困ったように笑って答えた。
「アンバーは友人だよ。
彼は、見た目はああだけど、尊敬出来る紳士だから倒す必要はないよ。
魔王を倒すのが勇者の役目なのかもしれないけど、僕はその気はないよ」
「なら、貴方の言う勇者になるとはどういうことですか?」
「勇気のある行動ができる人になりたいってところかな?
この世界は人間と魔族で随分仲が悪いみたいだよね?
だから少しでも仲良くなれたらと思ってる」
「そんなの無理だ!」と、思わず声を上げてしまった。
「貴方はこの世界を知らないからそんな事が言えるんだ!
そんな事言っていたら人間の生活が脅かされてしまいます!!」
絵空事を言っている!
この勇者は魔王に洗脳されているに違いない!危険だ!
「この世界は《大神・ルフトゥ》が人間に支配するように与えられたのです。
魔物たちは人間の権利を侵害する悪しき存在なのですよ」
私は教典に記された内容を、分かりやすく簡略にして彼に伝えた。
この世界の大地と人間を創りたもうた大神・ルフトゥは広く人間に信仰されている。
対して魔族たちはルフトゥの母で、人間を滅ぼそうとした大海の龍神《ヴォルガ》を信仰している。
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魔族たちは大陸の平地から追いやられ、一部を除き、ほとんどがこの山脈が連なるアーケイック・フォレストに生活しているという状況だ。
少年は私の話をじっと聞いていた。
何も口を挟まず、この国の神話に聞き入っているようだった。
「この世界の覇者は人間であり、魔族には住む権利がありません。
貴方は人間なのですから…人として生きるべきだ」
「君達は自分たちの権利を守ろうとしてるということなのかな?」
「分かっていただけたのですね!
魔王が貴方にどういったことを伝えられたのかは存じ上げませんが、勇者は人の守護者でルフトゥが与えてくださる世界の祝福です。
魔族が力をつけるのを防ぐため、魔王を討つ者です」
「なるほど、そういうことになってるのか…」
少年は妙に納得したようだった。
彼がルフトゥの遣わした勇者であれば、私を助けてくれるかもしれない…
「それで、ルフトゥは君たちに魔族を殺したり、奴隷にすることを推奨しているのかな?」
「人間を守るためには仕方の無いことです」
私の答えに、さっきまで真面目に聞いていた勇者は困ったような顔で笑った。
「いいことを聞いたよ。人の意見を聞いたのは初めてだから…
僕はこの世界の人間を好きになれそうにない…」
私は耳を疑った。
何だと?!
この勇者は人間の味方では無いのか?!
驚愕と動揺を隠しきれない。
一体何が…何か間違ったことを言ったのだろうか?
この少年は、人間の敵になるつもりなのか…
「アレン。僕は君の話を聞かなかったことにするよ。
でも、人間の考えを教えてくれてありがとう」
「何故ですか?
貴方は勇者になるのでしょう?!」
「勇者にはなるさ。
でも僕はアンバーに召喚されてよかった。
人間に召喚されてたら、僕は君たちと同じ奪う側になっていたんだろうね…」
「違います!
我々は与えられたものを享受しているのです!」
「ルフトゥを信仰している人はみんなそういう風に思ってるんだろうけど、魔族からすれば略奪者だよ。
相手の気持ち考えたことある?
アレンだって、うっすら気づいてるんじゃないかな?
君たちは別の生き物だからって自分に言い聞かせて、魔族の悲鳴を無視してたんだろう?」
勇者の口調に不快感が混ざる。
苛立たしい響きを孕んだ言葉が彼の口から溢れた。
「君は知らないだろうけど、彼らは僕と同じように食べて、飲んで、寝て、怒って、笑って、愛して、生きてる。
友達や家族を思いやって、奪われることをすごく恐れてる。
君は違うの、アレン?」
「…それは…そうですが…」
「なら分かるだろ?
自分の家族や友人が、誰かの利益のために殺されたり、奴隷にされて売られたりしたら…
君は神様が望むからって、仕方ないで片付けられる?許せるの?」
「…無理です」
考えたことすらない。
彼らは人間ではないし、信仰を別にする者達だ…
「僕も無理だ」そう言って少年は少しだけ笑顔を見せた。
「僕はこの国が好きになってきてる。
この国の人達とも少しだけ仲良くなれた。
これからも分かり合えるように努力するつもりだよ」
そう言って照れたように笑う勇者は幼く見えた。
子供のように純粋に何も知らない。
彼は無知なだけだ。絵空事を語る子供だ。
「魔族と人が分かり合えるなどと本気で思っているのですか?」
私の問いに、勇者は「少しは期待してる」と控えめな答えを返してきた。
「アレンの話を聞いて、やっぱり簡単では無さそうだなって思ったよ。
でも、できなくも無さそうだ」
「…なぜ、どこからそんな考えが…」
「君も、ちょっとだけ悪いなって気持ちが芽生えてる」
「それは…私も」
早く任務に戻らなければ、最悪家族が殺される…
その気持ちが一瞬だけ勇者の話に重なっただけだ...
口にしかけた言葉を慌てて飲み込んだ。
危ない。完全にこの少年のペースに飲み込まれている。
「何?何か思い当たることでもあるの?」
「いえ、何も」
「隠し事?」
「余計な詮索をしないで下さい」
「ごめん、ごめん。
久しぶりに人間と話したせいでおしゃべりになってるかもね」
そう言って少年は人懐っこく笑った。
この勇者は恐ろしい…
無垢な子供のように純粋に、人間に牙をむくかもしれない。
子犬のようだが、成長すれば人間に襲いかかる狼になるかもしれない…
早いうちに人間の敵にならないように、人の手で教育しなくてはならないようだ。
彼は私の考えなど知る由もなく、相変わらずヘラヘラ笑いながら取り留めもない話をしている。
人間の国の生活様式や食べ物、はたまた娯楽の話まで…
彼は私達の文化や生活に興味を示した。
このまま何とか連れて帰れないものだろうか…
そうすれば、今度こそ魔王を屠る勇者になるかもしれないのに…
色々なことご頭を過ぎるが、あまりいい考えは浮かばなかった。
「ミツル様」不意に背後で声がした。
驚いて視線を動かすと、いつの間に現れたのか、メイドが一人立っていた。
見ると手に時計を持っている。
「稽古のお時間ですよ。
遅れるとルイ様に叱られます」
「あぁ、ホントだ」大変だ、と言いながら彼は慌てて立ち上がった。
「話せて楽しかったよ、アレン。
またゆっくり君の事を聞かせて欲しいな」
「わ、私はどうなるのでしょうか?」
こんな宙ぶらりんな状態で放置されても困る。
私が慌てているとメイドは冷ややかな視線で「ズゥエ様がお迎えに来られますわ」と言った。
「お、お、お願いです!私を一緒にお供させてくださいませんか?!
また牢に戻されるのだけはご勘弁を…」
勇者の足元に這いつくばって、床に顔を擦り付けて懇願した。
あの恐ろしい獄卒達の事を思うだけで吐きそうだ。
床に這いつくばった私の視界の端に、勇者の足が見えた。
彼は私の前に膝を着いた。
「一緒に来たいなら来ていいよ。
だからそんなお願いの仕方はやめてよ。
僕が悪人みたいじゃないか」
「ミツル様!」
メイドの声が飛んだ。
責めるような響きだったが、当の彼はニコニコと笑って彼女には答えた。
「ベティ、アンバーに僕が彼を連れて行ったって伝えて」
「いけません!危険です!
その人間がミツル様を害しないと言いきれません!」
もっともな言い分のメイドに、彼は両手を合わせて「お願い」とだけ言った。
メイドがぐっと押し黙る。
勇者とメイドの視線が重なっていたが、先に折れたのはメイドの方だった。
「…私も同行します」
「ありがとう、ベティ!」
子供のように喜ぶ勇者とは対照的に、ベティと呼ばれているメイドは私に向かって、人を殺せそうな視線で睨みつけて「何か妙な真似したら私が粛清しますから」と告げた。
どうやら勇者の護衛と目付けを兼ねているメイドらしい…
私は素直に何度も頷くしか出来なかった。
「じゃあ行こうか!」
私達のやり取りをよそに、勇者は嬉しそうに告げて歩き出す。
私の背後でメイドの深いため息が聞こえた。
どうやらこの勇者は他者を引きつけるような引力のようなものを発生させてるるのかもしれない。
彼の従者になるのも大変そうだ。
不自由になった右足を庇うようにして、勇者の後を追って部屋を出た。
久々に自分の意思で歩けて、少しだけ気分が良くなるのを感じた。
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