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1章 錬金術と親子

14話目 時速60㎞

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 ──井戸水の確認を終えた私は村から出て、走りながら来た道を戻っている。
 案の定というべきか、井戸水は赤蚯蚓の糞が溶け込んでおり汚染されていた。
 私たちが村へ訪れる前に、村人たちに注意を促してくれた旅商人とやらに感謝しなければなるまい。それがなければ汚染された井戸水を飲み続けて、病状が悪化していた恐れもある。
 赤蚯蚓は寒さに弱くこの辺りでは生きていけないそうなので、この辺りの地中に潜んでいるということはないはずだ。井戸から水を汲み出し続けていれば、そのうち綺麗な水がまた汲み出せるようになるだろう。特効薬を作ったら、今度は汚水を汲み出す作業をしなければ。
 ベリムはメルリーさんの家に引っ込む前に、『件の商人が赤蚯蚓の糞を井戸に投げたのかもしれぬの』と呟いていたが……。
 あの娘には猜疑心に塗れて欲しくはないのだが、かといって"人を疑うことの大切さ"を否定する訳にもいかない。人を疑うことを教えない親は、優しい親だが悪い親だ。
 逆に疑うことを教える親は、良い親だが酷い親になることが多いだろう。子供のほとんどは、親に守って貰えなかった約束から人を疑うことを覚えるものなのだから。──ベリムは疑うことを既に知っているので、あの娘との約束は破らないようにしよう。
 疑うことの匙加減に関しては、苦い経験を積んでもらって学ぶしかないか……。
 
 「難しい問題だな……」
 
 そう呟いた私の声は、風に流されて掻き消えてしまった。
 スーツ姿で鞄片手に時速60㎞で走っているおっさん。それが今の私だ。
 駆け足で月夜の森を抜けて川沿いに戻り、そこから上流へ向かって更に駆け足。
 流石にこの段階になると、自分の身体が明らかに異常だと気が付いてしまう。足が速すぎるのだ。そしてまだ速く走れるという確信がある。微塵も疲労感が溜まらないということも付け加えておこう。
 幼稚園、保育園、あるいは小学校の父兄参加種目にリレーがあったら、今の私は一躍ヒーローになれてしまうだろう。ベリムも鼻高々じゃないか。
 
 「小学校……、ベリムの学校はどうしたものか」
 
 ベリムは賢い娘だから将来は学者とかになるかもしれないので、しっかりとした教育機関に通わせてやりたいな。この辺りは本人と要相談か。──そうして色々と考えながら疾走する最中、森の中に青いキノコが生えているのを発見した。どうやら視力まで良くなっているみたいだ。 
 ブルブルーマッシュルームは摂取しなければ毒に掛かったりはしないようだが、念のためにハンカチでキノコを覆って地面から引っこ抜く。
 そのまま厳重にハンカチで包み、鞄に入れて回収完了だ。
 後はワルムフラワーだが……、と森の中で周囲に目を凝らすと、すぐに見つかった。案外そこかしこに生えているので、希少性のある物ではないらしい。
 私は地面に生えたままの、小さな蕾をつけている茎に指先でそっと触れて、刻進術を使用した。
 
 「おお……、これは……」
 
 茎が次第に太くなって、蕾がゆっくりと開いていく。──そして蕾が完全に開くと、中に詰まっていた幾つもの小さな種が地面にポロポロと落ち始めた。
 蕾が開いても花は咲かず、種と一緒にもう一つの蕾が出てくる。種を落とすのが秋に行われる工程なので、次はいよいよ花を咲かせるのだろう。
 魔力を流しながら固唾を飲んで見守っていると、蕾が緩やかに開いてゆき──その中から、暖かな橙色の光が漏れ出し始める。漏れ出す光とその暖かさは瞬く間に増して、最終的には橙色の淡い光を放つ、六枚の花弁をつけた小倫の花が咲いた。
 
 「──必ずベリムにも、見せてやろう」
 
 あの娘は珍しいモノや現象に興味津々だからな。きっと目の色を輝かせてくれるに違いない。
 これがワルムフラワーだということは聞いた話と照らし合わせれば間違いなさそうなのだが、完全識別で確認もしておくことにする。
 
 
 【ワルムフラワー】
 自分で蒔いた種を自分で育てる植物。
 アザール地方では冬の風物詩ともされており、"育む"ことの象徴ともされている。
 茎を手折ると半日程度で花弁の灯りは消えてしまう。
 
 
 よし、これで薬を作れるな。帰ろう。
 ブルブルーマッシュルームから液体を抽出するためには加熱しなければならないのだが、私は煙草を吸わないので火が着くものを持ち歩いてはいない。なので、素材を村に持ち帰ってから作業をしなければならないのだが、液体の抽出作業には危険が伴うので人気のない場所で行う必要がある。
 加熱したらすぐに液体を抽出できるという訳ではなく、加熱した後に出てくる気体を集めて液体にしなければならないので、そこは錬金術に頼ろう。
 私はワルムフラワーを手折って鞄の中に仕舞い込み、帰る前に一旦川辺へ立ち寄ることにした。
 イメージの中では気体を微分も散らさない精度で、容易く気体から液体に変化させることができたのだが……、一応川の水で練習しておくのだ。
 
 「──よし、問題ないな」
 
 水に触らずに液体から気体、気体から液体と五回ほど変化させて、まったく難がないことを確認してから強く頷いた。
 こうして少しでも触らないだけで魔力の消耗が跳ね上がったのだが、保有している魔力量を鑑みれば気にするようなことではない。
 
 
 
 ──私は汗一つ掻かずに疾走して、再び村へ到着した。
 家屋の中で蝋燭一つ分の灯りがともっているメルリーさんのお宅の戸を、静かに叩いてから名乗って帰還を知らせる。
 メルリーさんが直ぐに戸を開けて出迎えてくれたのだが、彼女の表情はどこか暗い。
 
 「お帰りなさい、マサヨシさん」
 「ただいま戻りました」

 お声にも元気がない。元々病を患っているので元気はなかったのだが、"より一層"といった感じだ。
 何かあったのかと尋ねてみると、メルリーさんは咳き込みながら「大丈夫です」と、力ない笑みを浮かべて仰った。これは何かあったということだな……。
 だが込み入った話をする前に、まずは特効薬を作ってしまおう。
 私がメルリーさんから火打石と薪、それから乾草を分けて貰っていると、欠伸を噛み殺しながらベリムがのそのそと家屋の奥から現れた。
 
 「親父殿、話があるのじゃ。妾もゆくぞ」
 
 こらこら、まだ寝ていなかったのか。早く寝なさい。
 パパはこれから危ない液体の抽出作業があるから、一緒に来てはいけないよ。
 気体を散らさずに作業を行う自信はある。しかし万が一ということもあるのだ。ベリムを近づける訳にはいかない。
 私がそう諭すと、ベリムは鼻で嗤って僅かに顎を上げ、少し得意げな様子で言ってのけた。
 
 「そのキノコ程度の毒でどうにかなるほど、妾の存在強度は低くないのじゃ」
 「存在強度……?」
 
 どこかで聞き覚えが──いや、見覚えだったか。
 私がオウム返しで尋ねると、ベリムは簡潔に"強さの基準値"だと説明してくれた。
 説明不足も甚だしいのだが、それが高いと毒が効かないのか。いやでも、万が一という可能性が──、

 「くどい。ゆくぞ」
 
 尚も言い募ろうとした私を一蹴して、ベリムはスタスタと歩き出してしまった。
 待ちなさい。どうしても一緒に行くというのなら、暗いから手を繋いで──えっ、夜目が利くって……? そうか……。
 ぺしっと叩かれた手を摩りながら、私はベリムの後を追って人気のない村外れへと向かう。
 
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