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錯誤 三
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そして、事態が俺の望む方向へと最終決着したのは翌日のことだった。
横川が電話で母親に直接姉との交際を断ってきたらしい。
その理由として奴は、「千津流さんは僕にはもったいない」と言ったようだ。
「『お付き合いしてみて分かりました。僕は千津流さんには相応しくない』なんておっしゃるのよ。失礼しちゃうわ」
家族がそろった夕食の席で、母親は心底憤慨したというように息巻いていた。
「僕はあなたに相応しくない」という言い方は一見すると自分を卑下しているようだが、そう口にする本人の本音は全く逆のところにあるのが普通だ。
つまり、「千津流さんは僕には相応しくない」と言っているのと同じことだ。
それが分かって母親は怒り心頭というところらしい。
いつものように母親を宥める父とまるで自分が怒られてでもいるかのように肩を落とす姉を横目にしながら、俺は心の中で快哉を叫んだ。
妻子ある男と不倫関係に陥るような女は自分にはふさわしくないと思ったのか、それとも付き合っている相手がいることを両親にも知らせていないという姉の事情を尊重して自分が憎まれ役になってみせたのか。
どちらにしろ以前姉さんに好きな奴がいるならキッパリ諦めると言っていたのは奴自身だし、「よくやった」と横川のことを褒めてやりたい。
これであいつを完全に排除することができたし、これ以上姉の周りをうろつく虫の心配をしないですむ。
ここしばらくの不安からやっと解放され、姉を失わないですんだことに心が浮き立っていた俺は、その週の土曜日学校から帰るなり姉の部屋へと直行した。
もちろん、姉の在宅と両親の不在は確認済みだ。
制服を着替えもせず姉を抱きしめてその存在が自分の手元を離れていかなかったことを安堵と共に確認していると、姉はいつものように力なく抵抗してみせる。
そんな形ばかりの抵抗さえ彼女が他の男のものになることを心配せずにすむ証のような気がして、俺は気がついたら深く考えることもなく思ったままを口にしていた。
「横川が、姉さんに近づく可能性がなくなってホッとしたよ」
すると、それを耳にした姉はピタリと動きを止める。
「前から思ってたけど、和くん……どうしてそんなに横川さんのこと気にするの?」
何かを探るような口調でそう問われた俺は、少し虚を衝かれたような気分になった。
「あいつに姉さんをとられたくなかったから」
「それって、どういう意味?」
「意味?」
言葉通りで、それ以外の意味なんてないのに、解説を求めてくる姉に俺はいささか戸惑った。
何で今日に限って彼女がそんなことを聞きたがるのかも分からない。
それでも一応別の言葉で言い換えることができるかどうか考えてから口を開く。
「だから……姉さんが、あいつに抱かれなくてよかったなって……」
「それだけ?」
「他に何があんの?」
横川のことなんか何とも思ってないって、ハッキリ言ったのは姉さん自身だろ?
彼女を見ていてもその言葉に疑いの余地はないように思えた。
だから、姉の心を横川に奪われるのではないかという心配は、俺は最初から一つも抱いていなかった。
ただ、姉が俺から逃れるために、横川に抱かれることで自分を結婚へと追い込もうとするんじゃないかと、それだけが気がかりだった。
それを、俺は最も恐れていた。
姉の性格を知っているからこそ、余計に。
ところが、その言葉を聞いた瞬間、俺の腕の中でジッとしていた姉の雰囲気が変化したのに気づいた。
後ろから抱きしめていても分かるくらいに。
とっさに自分の言葉を反芻し、それが失敗だったことを悟る。
だけど、その時にはもう遅かった。
「そう……やっぱりそうだったんだ」
ゆらりと見えない怒りの炎を立ち上らせながら、いつになく低い声音で姉はそう口にする。
ヤバイ、とは思ったが即座には言葉が出てこない。
「前に言ってた『俺のもの』って、そういうことだったんだね、和くん」
「あの……っ、姉さん何かごか……」
「もういいよ」
俺の言葉を途中でさえぎり、姉は自分に回された俺の腕をやんわりとほどきにかかる。
いつものようにそこには大した力がこめられているわけでもないのに、俺は逆らえず姉の成すがままになっていた。
「何にも言わなくていいよ。もう分かったから」
腕の中から抜け出し、俺と正面から対峙した姉にはいつもの優しい声と顔は欠片もない。
「待ってよ、俺の話も……」
「聞きたくない」
静かな抑揚なのに、俺にとっては身が竦むほど恐ろしく感じた。
一刀の元に切り捨てられ、続ける言葉を失ってしまう。
横川が電話で母親に直接姉との交際を断ってきたらしい。
その理由として奴は、「千津流さんは僕にはもったいない」と言ったようだ。
「『お付き合いしてみて分かりました。僕は千津流さんには相応しくない』なんておっしゃるのよ。失礼しちゃうわ」
家族がそろった夕食の席で、母親は心底憤慨したというように息巻いていた。
「僕はあなたに相応しくない」という言い方は一見すると自分を卑下しているようだが、そう口にする本人の本音は全く逆のところにあるのが普通だ。
つまり、「千津流さんは僕には相応しくない」と言っているのと同じことだ。
それが分かって母親は怒り心頭というところらしい。
いつものように母親を宥める父とまるで自分が怒られてでもいるかのように肩を落とす姉を横目にしながら、俺は心の中で快哉を叫んだ。
妻子ある男と不倫関係に陥るような女は自分にはふさわしくないと思ったのか、それとも付き合っている相手がいることを両親にも知らせていないという姉の事情を尊重して自分が憎まれ役になってみせたのか。
どちらにしろ以前姉さんに好きな奴がいるならキッパリ諦めると言っていたのは奴自身だし、「よくやった」と横川のことを褒めてやりたい。
これであいつを完全に排除することができたし、これ以上姉の周りをうろつく虫の心配をしないですむ。
ここしばらくの不安からやっと解放され、姉を失わないですんだことに心が浮き立っていた俺は、その週の土曜日学校から帰るなり姉の部屋へと直行した。
もちろん、姉の在宅と両親の不在は確認済みだ。
制服を着替えもせず姉を抱きしめてその存在が自分の手元を離れていかなかったことを安堵と共に確認していると、姉はいつものように力なく抵抗してみせる。
そんな形ばかりの抵抗さえ彼女が他の男のものになることを心配せずにすむ証のような気がして、俺は気がついたら深く考えることもなく思ったままを口にしていた。
「横川が、姉さんに近づく可能性がなくなってホッとしたよ」
すると、それを耳にした姉はピタリと動きを止める。
「前から思ってたけど、和くん……どうしてそんなに横川さんのこと気にするの?」
何かを探るような口調でそう問われた俺は、少し虚を衝かれたような気分になった。
「あいつに姉さんをとられたくなかったから」
「それって、どういう意味?」
「意味?」
言葉通りで、それ以外の意味なんてないのに、解説を求めてくる姉に俺はいささか戸惑った。
何で今日に限って彼女がそんなことを聞きたがるのかも分からない。
それでも一応別の言葉で言い換えることができるかどうか考えてから口を開く。
「だから……姉さんが、あいつに抱かれなくてよかったなって……」
「それだけ?」
「他に何があんの?」
横川のことなんか何とも思ってないって、ハッキリ言ったのは姉さん自身だろ?
彼女を見ていてもその言葉に疑いの余地はないように思えた。
だから、姉の心を横川に奪われるのではないかという心配は、俺は最初から一つも抱いていなかった。
ただ、姉が俺から逃れるために、横川に抱かれることで自分を結婚へと追い込もうとするんじゃないかと、それだけが気がかりだった。
それを、俺は最も恐れていた。
姉の性格を知っているからこそ、余計に。
ところが、その言葉を聞いた瞬間、俺の腕の中でジッとしていた姉の雰囲気が変化したのに気づいた。
後ろから抱きしめていても分かるくらいに。
とっさに自分の言葉を反芻し、それが失敗だったことを悟る。
だけど、その時にはもう遅かった。
「そう……やっぱりそうだったんだ」
ゆらりと見えない怒りの炎を立ち上らせながら、いつになく低い声音で姉はそう口にする。
ヤバイ、とは思ったが即座には言葉が出てこない。
「前に言ってた『俺のもの』って、そういうことだったんだね、和くん」
「あの……っ、姉さん何かごか……」
「もういいよ」
俺の言葉を途中でさえぎり、姉は自分に回された俺の腕をやんわりとほどきにかかる。
いつものようにそこには大した力がこめられているわけでもないのに、俺は逆らえず姉の成すがままになっていた。
「何にも言わなくていいよ。もう分かったから」
腕の中から抜け出し、俺と正面から対峙した姉にはいつもの優しい声と顔は欠片もない。
「待ってよ、俺の話も……」
「聞きたくない」
静かな抑揚なのに、俺にとっては身が竦むほど恐ろしく感じた。
一刀の元に切り捨てられ、続ける言葉を失ってしまう。
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