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23 見えない後悔の果て(ルシクラージュ視点)
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(ダメだ。私は絶対に死ぬわけにはいかない)
何かと失敗の多いルシクラージュの暮らしは常に毒杯と隣り合わせだ。日々その恐怖と闘いながらも、子供のことを思えば死ぬわけにはいかない。
ルシクラージュはそう決意して剥がれ落ちそうな淑女の仮面をかぶり生活をしているが、綱渡りのような毎日の中でどうしても深く思い悩んでしまうことがある。
自分はどうなってもいい。でも、せめて子供達だけは。
もしかして――姉を残して死んだ前公爵夫人もこんな気持ちだったのだろうか。
「うぅあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ………!」
そのことに気付いて後悔に泣き叫んでも時間は巻き戻せない。死んだ姉も生き返らない。
あの両親に相談することもできない。相談したところで欲しい答えが返ってくるとも思えない。むしろ、彼らの影響を受けることで毒杯を飲む可能性が高まるような気さえする。
後でどんなに酷い目に遭おうとも、姉は、姉のクアリフィカだけは妹のルシクラージュに注意をしてくれていた。勉強を疎かにしてはいけないと。マナーが間違っていると。――姉の、婚約者に近づき過ぎてはいけないと。
あの家族の中で唯一まともなアドバイスをくれていた姉はもういない。同じように厳しい王妃教育を終えて、分かり合えるであろう唯一の人は、ルシクラージュのせいで毒杯を飲まされ命を落としてしまったのだ――。
「……様っ!? 王妃様っ! どうなさったのです。急に叫び声などあげて何かあったのですか!?」
「……ご…めんなさい。に、苦手な虫が出て驚いてしまって、私ったらつい大きな声を」
取り乱して泣き叫んでいるところに、マナー講師が飛び込んできた。今日は他国との外交を前に専門のマナー講師を呼んでいたのだ。
ルシクラージュは剥がれ落ちて粉々になった仮面をかき集めて、自らの表情と体裁を必死に取り繕う。
「まあ、そうでしたか。ですが、そういったことは不用意に発言せぬようにお願いいたしますよ? 王妃様のように身分在る者が苦手なものを知られると、それを他者に利用されることもありますので」
キラリ、とマナー講師の目が光る。
「そ……そうね。気を付けるわ」
「是非そうしてくださいませ。では時間がないので、本日の講義を始めましょう」
どうにかこの場を誤魔化すことには成功したものの、早速マナー講師からの注意を受けて、ルシクラージュの背中に冷たいものが伝う。
あの日のように。毒杯を持って足音もなく忍び寄るものが居るのではと身を震わすと、耳元でクスリと笑う声がした。
(ああ、まただわ……)
屈辱的な閨ごとの際。視界と声を奪われて鋭敏になった聴覚に、声が聞こえることがある。
思わず漏れてしまった、というような小さな笑い声。
自分の声のような気もするけれど口を塞がれている以上それはあり得ないし、そもそも笑えるような状況でもない。あの屈辱的な行為を誰かに見られているのか。それとも夫のオディオが馬鹿なルシクラージュと優秀だった姉を比べて笑っているのか。
見えないから判らないけれど、鏡に映った自分を見て思わず怯えたり、今のようにありえないような失敗をしたときに聞こえることもあるから、単に精神的な物なのかもしれない。
それくらい、ルシクラージュは追い詰められた中で日々を生きているのだ。
(ああ、いけない。マナーの講義に集中しないと)
でないと重要な外交の場で大きな失敗をしてしまうかもしれない。そして、コレが終われば次の外交日程が迫っている。
ルシクラージュは姉のように優秀ではないからその都度付け焼刃で誤魔化すしかない。ルシクラージュの綱渡りに終わりはない。
夫のことは既に諦めている。だけど、ルシクラージュは自分の子供を愛しているのだ。
自分によく似た、姉ともよく似た子供達。
自分亡き後、何が起こるか解っているから彼らを残して逝けない。絶対に毒杯を飲むわけにはいかない。失敗できない。
――くすくす。
時折聞こえてくる幻聴に気を引き締めながら。ルシクラージュはマナー講師の声に耳を傾ける。
素敵な王子様と結ばれて。
幸せになった淑女の仮面をかぶりながら――。
何かと失敗の多いルシクラージュの暮らしは常に毒杯と隣り合わせだ。日々その恐怖と闘いながらも、子供のことを思えば死ぬわけにはいかない。
ルシクラージュはそう決意して剥がれ落ちそうな淑女の仮面をかぶり生活をしているが、綱渡りのような毎日の中でどうしても深く思い悩んでしまうことがある。
自分はどうなってもいい。でも、せめて子供達だけは。
もしかして――姉を残して死んだ前公爵夫人もこんな気持ちだったのだろうか。
「うぅあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ………!」
そのことに気付いて後悔に泣き叫んでも時間は巻き戻せない。死んだ姉も生き返らない。
あの両親に相談することもできない。相談したところで欲しい答えが返ってくるとも思えない。むしろ、彼らの影響を受けることで毒杯を飲む可能性が高まるような気さえする。
後でどんなに酷い目に遭おうとも、姉は、姉のクアリフィカだけは妹のルシクラージュに注意をしてくれていた。勉強を疎かにしてはいけないと。マナーが間違っていると。――姉の、婚約者に近づき過ぎてはいけないと。
あの家族の中で唯一まともなアドバイスをくれていた姉はもういない。同じように厳しい王妃教育を終えて、分かり合えるであろう唯一の人は、ルシクラージュのせいで毒杯を飲まされ命を落としてしまったのだ――。
「……様っ!? 王妃様っ! どうなさったのです。急に叫び声などあげて何かあったのですか!?」
「……ご…めんなさい。に、苦手な虫が出て驚いてしまって、私ったらつい大きな声を」
取り乱して泣き叫んでいるところに、マナー講師が飛び込んできた。今日は他国との外交を前に専門のマナー講師を呼んでいたのだ。
ルシクラージュは剥がれ落ちて粉々になった仮面をかき集めて、自らの表情と体裁を必死に取り繕う。
「まあ、そうでしたか。ですが、そういったことは不用意に発言せぬようにお願いいたしますよ? 王妃様のように身分在る者が苦手なものを知られると、それを他者に利用されることもありますので」
キラリ、とマナー講師の目が光る。
「そ……そうね。気を付けるわ」
「是非そうしてくださいませ。では時間がないので、本日の講義を始めましょう」
どうにかこの場を誤魔化すことには成功したものの、早速マナー講師からの注意を受けて、ルシクラージュの背中に冷たいものが伝う。
あの日のように。毒杯を持って足音もなく忍び寄るものが居るのではと身を震わすと、耳元でクスリと笑う声がした。
(ああ、まただわ……)
屈辱的な閨ごとの際。視界と声を奪われて鋭敏になった聴覚に、声が聞こえることがある。
思わず漏れてしまった、というような小さな笑い声。
自分の声のような気もするけれど口を塞がれている以上それはあり得ないし、そもそも笑えるような状況でもない。あの屈辱的な行為を誰かに見られているのか。それとも夫のオディオが馬鹿なルシクラージュと優秀だった姉を比べて笑っているのか。
見えないから判らないけれど、鏡に映った自分を見て思わず怯えたり、今のようにありえないような失敗をしたときに聞こえることもあるから、単に精神的な物なのかもしれない。
それくらい、ルシクラージュは追い詰められた中で日々を生きているのだ。
(ああ、いけない。マナーの講義に集中しないと)
でないと重要な外交の場で大きな失敗をしてしまうかもしれない。そして、コレが終われば次の外交日程が迫っている。
ルシクラージュは姉のように優秀ではないからその都度付け焼刃で誤魔化すしかない。ルシクラージュの綱渡りに終わりはない。
夫のことは既に諦めている。だけど、ルシクラージュは自分の子供を愛しているのだ。
自分によく似た、姉ともよく似た子供達。
自分亡き後、何が起こるか解っているから彼らを残して逝けない。絶対に毒杯を飲むわけにはいかない。失敗できない。
――くすくす。
時折聞こえてくる幻聴に気を引き締めながら。ルシクラージュはマナー講師の声に耳を傾ける。
素敵な王子様と結ばれて。
幸せになった淑女の仮面をかぶりながら――。
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