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36 伯爵と伯爵夫人

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 あれから。アナリーズは弁当を持参する際、アミティエ伯爵の分も用意するようになった。相変わらずあまり食欲が無いようで、何か買ってこようかと提案したこともあるのだが断られてしまう。

 けれど、幸いアナリーズの作った物は彼の口に合うようなので、毎回少し多めに作るようにしているのだ。


「毎回、すまないね。不思議と君の作る物は食べられるんだ。何かお礼をしないとな」

「気になさらないでください。一緒に食べる相手がいることで私も助けられているんです。その、一人で食べているとつい、余計なことを考えて手が止まってしまって」

「分かるよ」


 どうして伯爵がアナリーズの作る料理を気に入ったのかは分からない。

 アナリーズ自身、あれこれと思い悩み食欲がまったく無い状態なので、そんな自分が食べやすい物を作っているにすぎないのだが。


 もしかしたらそれが良かったのだろうか?
 そう、思っていたのだが。


「……懐かしいな。昔はティアラもよく手料理を作ってくれていたんだよ」

「え。伯爵夫人がですか?」


 サッパリとした味付けの煮物を食べた後。どこか遠くを見るような目をして、伯爵がふわりと笑う。


「ああ。妻は市井の出身だからね。当時、私は最初の妻を亡くしたばかりで落ち込んでいて――」



 伯爵は長年の婚約者でもあった最初の妻を事故で亡くし、妻が可愛がっていた愛猫までもが死んでしまって、失意のどん底にいたらしい。

 そして、領地の仕事をしながら静養をしているときに、たまたま入った食堂で伯爵夫人と出会った。伯爵夫人は妻の愛猫によく似ていて、伯爵は不思議な縁を感じたそうだ。

 当時、まだ平民だった彼女は食堂で毎日遅くまで働いていた。

 伯爵は領地での仕事の合間に食堂に通い、元気に働く彼女を目で追っているうちに、いつの間にか好きになっていたのだとか。

 伯爵夫人は食が細いアミティエ伯爵の為に、市井で人気の美味しい料理を作って毎日のように差し入れをしてくれた。伯爵はそのお陰でしっかりと食事を摂れるようになり、心身共に立ち直ることが出来たのだそうだ。

 そうして、二人は身分差を越えて結ばれた――。


「伯爵家ではあまり食べた事がない料理ばかりだったが、私の為に作ってくれるそれが美味しくて……嬉しくて。気付けば元気を取り戻していたんだ。……思い出したよ」

 そう言って、伯爵はぱくりと残りの煮物を口にする。


 なるほど。消化に良いからとか食べやすい物だからという理由よりも、おそらく伯爵は伯爵夫人に作ってもらった思い出の料理だからこそ、食べることが出来たのだろう。


 だとしたら、アナリーズが作るよりも――。


「ふふふ、そうだったんですね。そうだ、思い切って伯爵夫人にお願いして、懐かしの手料理を作ってもらったらどうですか? きっと、もっと食欲が出ると思います。伯爵夫人だって、伯爵様からリクエストされたら喜ぶと思います」

「……どうだろうな。今の妻は料理よりも、爪のお手入れに夢中になっているようだから。それに、もっと夢中な――ああ、いや……そうだ、な。頼んでみるか……」


 どことなく。寂しそうに笑う伯爵の姿が気にはなったが、きっとそれは夫婦で解決をすべき問題なのだ。
 アナリーズもそれ以上は言わなかった。


『番持ちの獣人の伴侶』という共通点があるからか、アナリーズと伯爵はそれなりに打ち解けてお互いの話をすることも増えたが、伯爵夫人との関係は相変わらずだった。

 伯爵夫人はとにかくアナリーズの事が気に入らないらしく、あれこれきつく当たってくる。最近では伯爵もアナリーズを庇うようになったせいか、伯爵夫人の機嫌は悪くなる一方だった。


 そして。


「アナリーズ、君がアミティエ伯爵に色目を使っていると聞いたのだが本当だろうか」




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