36 / 94
36 伯爵と伯爵夫人
しおりを挟むあれから。アナリーズは弁当を持参する際、アミティエ伯爵の分も用意するようになった。相変わらずあまり食欲が無いようで、何か買ってこようかと提案したこともあるのだが断られてしまう。
けれど、幸いアナリーズの作った物は彼の口に合うようなので、毎回少し多めに作るようにしているのだ。
「毎回、すまないね。不思議と君の作る物は食べられるんだ。何かお礼をしないとな」
「気になさらないでください。一緒に食べる相手がいることで私も助けられているんです。その、一人で食べているとつい、余計なことを考えて手が止まってしまって」
「分かるよ」
どうして伯爵がアナリーズの作る料理を気に入ったのかは分からない。
アナリーズ自身、あれこれと思い悩み食欲がまったく無い状態なので、そんな自分が食べやすい物を作っているにすぎないのだが。
もしかしたらそれが良かったのだろうか?
そう、思っていたのだが。
「……懐かしいな。昔はティアラもよく手料理を作ってくれていたんだよ」
「え。伯爵夫人がですか?」
サッパリとした味付けの煮物を食べた後。どこか遠くを見るような目をして、伯爵がふわりと笑う。
「ああ。妻は市井の出身だからね。当時、私は最初の妻を亡くしたばかりで落ち込んでいて――」
伯爵は長年の婚約者でもあった最初の妻を事故で亡くし、妻が可愛がっていた愛猫までもが死んでしまって、失意のどん底にいたらしい。
そして、領地の仕事をしながら静養をしているときに、たまたま入った食堂で伯爵夫人と出会った。伯爵夫人は妻の愛猫によく似ていて、伯爵は不思議な縁を感じたそうだ。
当時、まだ平民だった彼女は食堂で毎日遅くまで働いていた。
伯爵は領地での仕事の合間に食堂に通い、元気に働く彼女を目で追っているうちに、いつの間にか好きになっていたのだとか。
伯爵夫人は食が細いアミティエ伯爵の為に、市井で人気の美味しい料理を作って毎日のように差し入れをしてくれた。伯爵はそのお陰でしっかりと食事を摂れるようになり、心身共に立ち直ることが出来たのだそうだ。
そうして、二人は身分差を越えて結ばれた――。
「伯爵家ではあまり食べた事がない料理ばかりだったが、私の為に作ってくれるそれが美味しくて……嬉しくて。気付けば元気を取り戻していたんだ。……思い出したよ」
そう言って、伯爵はぱくりと残りの煮物を口にする。
なるほど。消化に良いからとか食べやすい物だからという理由よりも、おそらく伯爵は伯爵夫人に作ってもらった思い出の料理だからこそ、食べることが出来たのだろう。
だとしたら、アナリーズが作るよりも――。
「ふふふ、そうだったんですね。そうだ、思い切って伯爵夫人にお願いして、懐かしの手料理を作ってもらったらどうですか? きっと、もっと食欲が出ると思います。伯爵夫人だって、伯爵様からリクエストされたら喜ぶと思います」
「……どうだろうな。今の妻は料理よりも、爪のお手入れに夢中になっているようだから。それに、もっと夢中な――ああ、いや……そうだ、な。頼んでみるか……」
どことなく。寂しそうに笑う伯爵の姿が気にはなったが、きっとそれは夫婦で解決をすべき問題なのだ。
アナリーズもそれ以上は言わなかった。
『番持ちの獣人の伴侶』という共通点があるからか、アナリーズと伯爵はそれなりに打ち解けてお互いの話をすることも増えたが、伯爵夫人との関係は相変わらずだった。
伯爵夫人はとにかくアナリーズの事が気に入らないらしく、あれこれきつく当たってくる。最近では伯爵もアナリーズを庇うようになったせいか、伯爵夫人の機嫌は悪くなる一方だった。
そして。
「アナリーズ、君がアミティエ伯爵に色目を使っていると聞いたのだが本当だろうか」
2,653
お気に入りに追加
5,939
あなたにおすすめの小説
私も貴方を愛さない〜今更愛していたと言われても困ります
せいめ
恋愛
『小説年間アクセスランキング2023』で10位をいただきました。
読んでくださった方々に心から感謝しております。ありがとうございました。
「私は君を愛することはないだろう。
しかし、この結婚は王命だ。不本意だが、君とは白い結婚にはできない。貴族の義務として今宵は君を抱く。
これを終えたら君は領地で好きに生活すればいい」
結婚初夜、旦那様は私に冷たく言い放つ。
この人は何を言っているのかしら?
そんなことは言われなくても分かっている。
私は誰かを愛することも、愛されることも許されないのだから。
私も貴方を愛さない……
侯爵令嬢だった私は、ある日、記憶喪失になっていた。
そんな私に冷たい家族。その中で唯一優しくしてくれる義理の妹。
記憶喪失の自分に何があったのかよく分からないまま私は王命で婚約者を決められ、強引に結婚させられることになってしまった。
この結婚に何の希望も持ってはいけないことは知っている。
それに、婚約期間から冷たかった旦那様に私は何の期待もしていない。
そんな私は初夜を迎えることになる。
その初夜の後、私の運命が大きく動き出すことも知らずに……
よくある記憶喪失の話です。
誤字脱字、申し訳ありません。
ご都合主義です。
ずっと好きだった獣人のあなたに別れを告げて
木佐木りの
恋愛
女性騎士イヴリンは、騎士団団長で黒豹の獣人アーサーに密かに想いを寄せてきた。しかし獣人には番という運命の相手がいることを知る彼女は想いを伝えることなく、自身の除隊と実家から届いた縁談の話をきっかけに、アーサーとの別れを決意する。
前半は回想多めです。恋愛っぽい話が出てくるのは後半の方です。よくある話&書きたいことだけ詰まっているので設定も話もゆるゆるです(-人-)
【完結】野垂れ死ねと言われ家を追い出されましたが幸せです
kana
恋愛
伯爵令嬢のフローラは10歳の時に母を亡くした。
悲しむ間もなく父親が連れてきたのは後妻と義姉のエリザベスだった。
その日から虐げられ続けていたフローラは12歳で父親から野垂れ死ねと言われ邸から追い出されてしまう。
さらに死亡届まで出されて⋯⋯
邸を追い出されたフローラには会ったこともない母方の叔父だけだった。
快く受け入れてくれた叔父。
その叔父が連れてきた人が⋯⋯
※毎度のことながら設定はゆるゆるのご都合主義です。
※誤字脱字が多い作者ですがよろしくお願いいたします。
※他サイトにも投稿しています。
君を愛するつもりはないと言われた私は、鬼嫁になることにした
せいめ
恋愛
美しい旦那様は結婚初夜に言いました。
「君を愛するつもりはない」と。
そんな……、私を愛してくださらないの……?
「うっ……!」
ショックを受けた私の頭に入ってきたのは、アラフォー日本人の前世の記憶だった。
ああ……、貧乏で没落寸前の伯爵様だけど、見た目だけはいいこの男に今世の私は騙されたのね。
貴方が私を妻として大切にしてくれないなら、私も好きにやらせてもらいますわ。
旦那様、短い結婚生活になりそうですが、どうぞよろしく!
誤字脱字お許しください。本当にすみません。
ご都合主義です。
あなたはその人が好きなんですね。なら離婚しましょうか。
水垣するめ
恋愛
お互い望まぬ政略結婚だった。
主人公エミリアは貴族の義務として割り切っていた。
しかし、アルバート王にはすでに想いを寄せる女性がいた。
そしてアルバートはエミリアを虐げ始めた。
無実のエミリアを虐げることを、周りの貴族はどう捉えるかは考えずに。
気づいた時にはもう手遅れだった。
アルバートは王の座から退かざるを得なくなり──。
【完結】番を監禁して早5年、愚かな獣王はようやく運命を知る
紺
恋愛
獣人国の王バレインは明日の婚儀に胸踊らせていた。相手は長年愛し合った美しい獣人の恋人、信頼する家臣たちに祝われながらある女の存在を思い出す。
父が他国より勝手に連れてきた自称"番(つがい)"である少女。
5年間、古びた離れに監禁していた彼女に最後の別れでも伝えようと出向くと、そこには誰よりも美しく成長した番が待ち構えていた。
基本ざまぁ対象目線。ほんのり恋愛。
婚約者の浮気相手が子を授かったので
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。
ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。
アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。
ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。
自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。
しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。
彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。
ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。
まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。
※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。
※完結しました
旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます
おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。
if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります)
※こちらの作品カクヨムにも掲載します
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる