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18 重い心とお弁当

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 休日出勤をしている筈の夫の姿は商会になかった。念の為、警備の方に確認をしてもらったが、内部の明かりも消えているらしい。

 事情を察した警備員の目からある種の同情を感じ取り、いたたまれなくなったアナリーズは慌ててその場を離れた。


「どうして……」

 アナリーズは考え事をしながらフラフラと人気のない商会地区を歩き回って。気付けばジョイと初めて出会ったあの公園へと来ていた。

 夜は治安がイマイチなこの公園も、昼間は近所の家族連れが弁当を広げる穏やかな光景が広がっている。よく晴れ渡った空の下で。子供が元気に走り回り、あちこちから笑い声が響いてくる様子は平和そのもの。

 そんな中で、行き場を失った大きな弁当箱を抱えた自分だけが酷く滑稽に思われた。


 半年以上前から『休日出勤』と言っては頻繁に家を空けるようになっていた夫。

 最近は月に1回に落ち着いてきていたが。
 当初は月に2回、多い時で4回ほど仕事と言って休みの日に家を空けていたことがある。

 そして、先ほど応対してくれた警備員の様子から、そもそも『休日出勤』というものがあるのかどうかすら疑わしい。

 アナリーズに嘘をついてまで出かけている夫。


 いったいどこで何をしているのか。
 いつからアナリーズを騙していたのか。


 ……弁当を作ってまで送り出していたアナリーズをどう思っていたのか。


 考えれば考えるほど。いつかは……と夢見ていた、目の前に広がる幸せな光景から、自分だけが切り離されていく気がして仕方がなかった。




「……レーベンさん?」


 幸せそうな家族連れを見ていられず、逃げるように下を向いたアナリーズの視界が涙でぼやけてきた時に、聞き覚えのある声が降ってきた。

 アナリーズが反射的に顔をあげると、涙で滲んだ視界にジョイの姿が見えた気がした――が、よく見れば同じようなシルエットでも全く違う。

 泣いていたのを相手に悟られないように。
 慌てて涙が滲んだ目を手でこすって、アナリーズは元気に挨拶を返す。


「ぁ……、あら奇遇ね! ……ぇっと……どうしたの、こんなところで」

「ああ。実は運動不足にならないように、商会が休みの日はよくこの公園で走っているんだ。ここは誰のテリトリーでもないから、思いっきり身体が動かせるからね!」


 そう言って、タオルで汗をぬぐいつつ楽しそうに笑うのは同じ商会の同僚だ。どうやら彼も目の前の家族連れ同様に、休みの日を使って公園でのひとときを楽しんでいたらしい。

 慌てて返事をしたため声が震えてしまったが、どうやら泣いていたのには気付かれなかったらしい。
 そのことにアナリーズはホッとする。


「ああ、それで動きやすそうな格好をしているのね。ピシッとしたいつもの服装と違うから、一瞬判らなかったわ」

「そりゃあ、わざわざ休みの日まで仕事用のお堅い服は着たくないからね」


 あはは……と悪気なく笑う同僚の言葉に、身支度を完璧に整えて出勤していった夫の姿が思い出されて目がジワリと熱くなるが、アナリーズはグッと堪える。


「君こそ、そんなオシャレしてどうしたの? あ、もしかして旦那さんとデート?」

「ううん。夫が休日出勤でお弁当を忘れたから届けに来たんだけど……その……行き違いになったのか渡せなくて」

「お弁当……ああ、それでこんなにも美味しそうないいニオイがしているのか!」


 スンスン……と、鼻を鳴らしてうっとりとした表情を浮かべる同僚に、アナリーズは苦笑いを返す。


「大袈裟ね。お弁当ならあっちこっちにあるじゃない」


 いつかは……と夢見ていたような、幸せそうな子供連れの家族があちこちでお弁当をつついているというのに、蓋を開けてすらいないアナリーズの弁当だけに反応を示す理由がない。

 そもそも、この弁当はリクエストしたジョイが忘れる程度の物なのだ。それどころか、実は食べるのが嫌で、わざと忘れていった可能性だってある訳で……。


「いやいや、他の弁当とは全然違うって! だってそれ、猫獣人用に作ってあるでしょ? 臭いで分かるよ。ああ、くっそー、腹減ってきた。この辺獣人対応の飲食店が少ないからさ。いつもの店が開いている平日はともかく、休みの日は困るんだよね」

「ふふ、これで良かったら食べる?」

「え!? いやでも、それ旦那さんのお弁当じゃないの?」

「そうなのだけど、商会で会えなかったから無駄になっちゃったの。あ、でも、同じ猫獣人でもそれぞれ好みもあるから、無理に勧められたって困るわよね。ごめんなさい、忘れてちょうだい」


 料理のプロでもあるまいし、同僚とはいえ所詮は他人の素人が作った弁当を渡されても彼だって迷惑だろう。


「いやいや、そういう事ならぜひ食べたい!! 頼むよ、運動したから割と本気で空腹なんだ」


 と、やや食い気味に弁当に食いつく職場の同僚。

 どうやら同僚は本当に空腹だったらしく、大きな弁当はあっという間に彼の胃袋に収まった。


「ご馳走様。すごい……何だろう、この満足感。猫獣人の夢を叶えたような、理想の弁当じゃないか……」

「やあね、大袈裟よ! でも、ありがとう。作った物が無駄にならなくて良かったわ。自分で食べるには多すぎて」

「あ、悪い! 僕、考え無しに一人で全部食べちゃった」

「いいのよ。私はもう食べたから」


 嘘だ。けれど、夫の事で考え過ぎて食欲なんてわくはずがない。だから食べてもらって助かったのは本当だ。

 それに、たとえお世辞だとしても、同僚が美味しい美味しいと言って食べてくれたおかげで、ジョイが食べたくなくてわざと家に置いて行ったのでは……という疑念は頭の隅に追いやることが出来た。
 ……実際の所どうだったのかは分からないが。


 同僚と会話しているうちに、いつの間にかアナリーズの涙は止まっていた。


 公園で同僚と別れた後の帰り道。空になった弁当箱と共に心が少しだけ軽くなったことを感謝しながら。アナリーズは重い足取りで自宅へと戻った。




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