上 下
1 / 3

前編

しおりを挟む

「魅了の持病があるので今日の水泳の授業はお休みします……」

 水泳の授業前。体育教師である僕にそんなことを言ってきた女生徒がいた。ああ、またか――と僕はうんざりした。

 異世界で。せっかく夢だった体育教師になったのに、夏のプールの授業だけはこうしてサボりが横行するのだ。



 前世。僕は体育教師になるのが夢だった。実際その為の勉強も続けていたし、体だって鍛えていた。しかし、予期せぬ交通事故でその夢はあっけなく潰えてしまった。

 それからはリハビリと、諦めと、妥協の人生。

 それなりに充実はしていたが、やはり叶えられなかった夢を諦めることはできなかった。しかし、記憶を持ったまま転生出来たことで僕の人生は心機一転、輝きを取り戻す。

 幸運にも高位貴族へと生まれ変わった僕。将来騎士を目指す生徒はともかく、貴族社会のなかではあまり運動に重点が置かれない。そのせいかどうしても肥満になりがちだ。
 そんな、この異世界での教育制度の問題点を根気強く訴えて、教育改革を行ったのだ。

 時に前世の知識を使い。時に権力を行使して。

 多少強引であったとは思うが、健康面に不安を抱える貴族たちを見ると、このままではいけないと思った。

 今世での母もそうだったが、若いうちは行動的だし夜会や社交でダンスをしたりするからいいが、年配になってその機会が減ると一気に体調面に出てくる。

 平民ならば朝から晩まで働いてそんな心配もないのだろうが、ある程度以上の貴族は多かれ少なかれその問題を抱えているのだ。特に高位貴族にその傾向が強い。

 だから僕は決意した。この世界にも運動の重要性を幅広く認知させ、意識を根本から変えようと。そのためにはまず教育改革だ――と。


 いつかは平民にも浸透させたいが、彼らは十分体を動かしている。だから、まずは貴族から。


 そう考えた僕は苦労の末、性別を問わず「体育」の授業を貴族学園にねじ込むことに成功した。そして、色々な事例をあげて、学園にプールを作り、水泳の授業を始めることもできた。

 前世、交通事故からの回復の過程でプールでのリハビリは僕に希望を与えてくれた。手ごたえもあった。夢は諦めざるを得なかったが、日常生活は取り戻すことが出来た。

 ダンスで膝を痛める貴族も多いし、あれはコチラでも役立つはずだ。そのためにもまずは教育の過程で自然と水に慣れる機会を作るべきだろう。そんなこともあって、僕は水泳の普及に尽力した。

 まあ、コレについては本音を言えば、僕が泳ぐのが好きなだけ。海辺で育った僕からすれば、泳ぐことは当たり前の生活の一部なのだ。
 それもあって、泳ぐことの楽しさを生徒たちにも広めたかった。

 高位貴族を狙っての、川や海に突き落としての暗殺が多かった時期だから、その辺を絡めて生徒への水泳教育の必要性を訴えたのが功を奏した。

 漁業を生業とする平民ならともかく、高位貴族に泳げるものはほぼいなかったから。


 ただ、どうしてもプールの授業は貴族の女生徒には抵抗があるらしく「淑女の日なので……」などと言ってやんわりと回避をする者が多い。ソレを言われるともう認めるしかない雰囲気になってしまう。

 だが、2週間も3週間も続いている場合がほとんどだからプールを避けるための言い訳となっているのは明白だ。他にも当主からの命令だから……などと言って避ける生徒もいる。

 ただ、正直、それらを言われると無理強いすることは難しいので、水泳の授業への出席率は著しく低い。

 あちらと違いコチラはまだ肌を見せることに抵抗があるようなので水着も露出をかなり抑えたものにはしたのだが、あまり効果はないようだ。

 水泳普及に勤しむ僕の行動を、好色ゆえだと悪し様に噂する者もいるが、それは誤解だ。
 僕はただ純粋に泳ぐことの楽しさを知って欲しいだけなのに。


 しかし、今回の女生徒の言い訳は魅了の持病か。


 確かにこの世界には魔法があるし、魅了スキル持ちの生徒もいる。しかし、高位貴族はある程度の魅了耐性を持っている者が多いし、僕も魅了持ちに狙われたことはあるが、引っかかったことは一度もない。

 だから。


「そんな言い訳は通用しない。具合が悪いのでないならば、見学は認めない。」

「でも、そうすると魅了が……」

「いいから、早く水着に着替えて準備をしなさい。何かあっても責任は全て僕が取るから」



 恥ずかしい。肌を見られたくない。髪を濡らすのが嫌だ。


 彼女の必死さを、そんなよくある生徒の我が儘だと判断してしまった。僕はもっと考えるべきだったのだ。

 いくら前世と同じように水泳の重要性が国から認められても、ココは異世界。生活習慣や社会常識だけでなく、潜在する能力すら前世とは違うのだから。

 それが原因で、あんな騒動を引き起こしてしまうことになんて。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王子様に婚約破棄されましたが、ごめんなさい私知ってたので驚きません。

十条沙良
恋愛
聖女の力をみくびるなよ。

【完結】攻略を諦めたら騎士様に溺愛されました。悪役でも幸せになれますか?

うり北 うりこ
恋愛
メイリーンは、大好きな乙女ゲームに転生をした。しかも、ヒロインだ。これは、推しの王子様との恋愛も夢じゃない! そう意気込んで学園に入学してみれば、王子様は悪役令嬢のローズリンゼットに夢中。しかも、悪役令嬢はおかめのお面をつけている。 これは、巷で流行りの悪役令嬢が主人公、ヒロインが悪役展開なのでは? 命一番なので、攻略を諦めたら騎士様の溺愛が待っていた。

変な転入生が現れましたので色々ご指摘さしあげたら、悪役令嬢呼ばわりされましたわ

奏音 美都
恋愛
上流階級の貴族子息や令嬢が通うロイヤル学院に、庶民階級からの特待生が転入してきましたの。  スチュワートやロナルド、アリアにジョセフィーンといった名前が並ぶ中……ハルコだなんて、おかしな

王子の逆鱗に触れ消された女の話~執着王子が見せた異常の片鱗~

犬の下僕
恋愛
美貌の王子様に一目惚れしたとある公爵令嬢が、王子の妃の座を夢見て破滅してしまうお話です。

悪役令嬢に転生したので、推しキャラの婚約者の立場を思う存分楽しみます

下菊みこと
恋愛
タイトルまんま。 悪役令嬢に転生した女の子が推しキャラに猛烈にアタックするけど聖女候補であるヒロインが出てきて余計なことをしてくれるお話。 悪役令嬢は諦めも早かった。 ちらっとヒロインへのざまぁがありますが、そんなにそこに触れない。 ご都合主義のハッピーエンド。 小説家になろう様でも投稿しています。

【完結】転生地味悪役令嬢は婚約者と男好きヒロイン諸共無視しまくる。

なーさ
恋愛
アイドルオタクの地味女子 水上羽月はある日推しが轢かれそうになるのを助けて死んでしまう。そのことを不憫に思った女神が「あなた、可哀想だから転生!」「え?」なんの因果か異世界に転生してしまう!転生したのは地味な公爵令嬢レフカ・エミリーだった。目が覚めると私の周りを大人が囲っていた。婚約者の第一王子も男好きヒロインも無視します!今世はうーん小説にでも生きようかな〜と思ったらあれ?あの人は前世の推しでは!?地味令嬢のエミリーが知らず知らずのうちに戦ったり溺愛されたりするお話。 本当に駄文です。そんなものでも読んでお気に入り登録していただけたら嬉しいです!

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【コミカライズ】今夜中に婚約破棄してもらわナイト

待鳥園子
恋愛
気がつけば私、悪役令嬢に転生してしまったらしい。 不幸なことに記憶を取り戻したのが、なんと断罪不可避の婚約破棄される予定の、その日の朝だった! けど、後日談に書かれていた悪役令嬢の末路は珍しくぬるい。都会好きで派手好きな彼女はヒロインをいじめた罰として、都会を離れて静かな田舎で暮らすことになるだけ。 前世から筋金入りの陰キャな私は、華やかな社交界なんか興味ないし、のんびり田舎暮らしも悪くない。罰でもなく、単なるご褒美。文句など一言も言わずに、潔く婚約破棄されましょう。 ……えっ! ヒロインも探しているし、私の婚約者会場に不在なんだけど……私と婚約破棄する予定の王子様、どこに行ったのか、誰か知りませんか?! ♡コミカライズされることになりました。詳細は追って発表いたします。

処理中です...