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番外編

23 それから

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 記憶の波に飲まれそうだった。繋がらない過去の記憶、空っぽの時間。頭の中がバラバラになりそうで気持ちが悪い。記憶をいじられる影はこういう症状に悩まされることが多いらしい。全てを思い出すならまだいいが、結果、壊れてしまう者も多い。

 それを繋ぎとめたのは「今」手に感じる温もりだった。


 目が覚めた時。俺は天国のような場所にいた。何故か見覚えがある気がする豪華な部屋。ふわふわのベッド。

 そして俺をこちら側につなぎとめた今も感じる手の温もり……に目を向けると、彼女によく似た年配の男がいた。え、誰!?

 いや、見たことはある。知ってる。記憶云々以前に、王家の人間の顔は覚えているから。でも、それがなんで目の前にいるのか分からない。俺の手を握っているのかが分からない。
 混乱の極みだったが、結果的にそれが良かったのかもしれない。一般の人間がそんなに王族の容姿を知っている筈はないので、俺の驚きはごく自然なものに見えたようだ。

「ああ、ごめんごめん。驚かせてしまったかな。なんかさー、君が寝言で握手握手って言いながら手を伸ばしてくるものだから、つい応じてしまったよ」

 そう言って、王弟……公爵はそっと俺の手を離す。

 あれ?あの握手会夢だったのかな?あの温もりは……このオッサン?天国から地獄の絶望的な気持ちになっていたら、そこに修道女姿の彼女が飛び込んできた。

「良かった、目が覚めたのね。貴方、会場で倒れたのよ。修道院に男の人を入れるわけにもいかないから、お忍びで来ていたお父様に頼んだの」

 そう言って、公爵から離された手を握ってくれた。温もりが上書きされた。ああ、やっぱり天国だ。
 公爵はそれが面白くないのか、さっと彼女に俺の手を離させると(チッ)、

「モモリー、君は一度修道院に帰りなさい。みんなも心配しているだろう。心配しなくても倒れた人間を追い出したりはしないよ。今日はうちに泊まってもらうから安心しなさい。何、彼とは一度じっくり話してみたいと思っていたんだよ。私にとっても、近い将来義理の息子となるわけだし」

 そう言って、何かを見極めるような目でこちらを見てきた。あ、やっぱり地獄かもしれない……。


 彼女は心配そうにしながらも、父親に俺を託すと修道院へと帰って行った。そして、現在。
「あ、あの俺ならもう平気です。なので、俺も……」
「あ、本当? 良かった。じゃあ、今日は一杯付き合ってもらおうかな。握手くらいで感動して倒れちゃうくらいの熱狂的な娘のファンだからね。きっと楽しく話せるよ」
 そう言ってワインを用意した。どうやら逃げ場はないらしい。



 そして翌朝。

 俺は酷く酔っていた。飲まされはしたが酒ではない。自慢じゃないが、影は酒には強いから、滅多なことでは酔ったりしない。だから俺が酔ったのは……記憶にだ。

「やー、ホラあの子ってば歌ったり踊ったり小さい頃から酷くてさ~。もーお茶会なんか行っちゃうと紅茶で喉を潤しながらそれこそ歌ったり踊ったり。ドレスなんて衣装とか呼んで動きやすさを追求するからどうしようかと思ったよ。まあ、それで商売につながることも多いから助かってはいたんだけどやっぱり心配じゃない? そしたら王太子に目を付けられちゃってさあ。あいつ、止めるどころか一緒になって盛り上がるからどうしようかと思ったんだけど、婚約したらモモリー途端に大人しくなっちゃって。あれかね、やっぱ影に見られちゃまずいって思ったのかな。あ、ホラ影って王家に就くって言われている裏の護衛ね。でも、あの娘がそうそうアイドルごっこ? それを諦めるわけないって思ってさ。様子を伺ってたんだけど、やっぱり深夜に足音するんだよ。あれだ、絶対いつものやってるって思ったね。あれかな。何か弱みでも握って影を黙らせていたのかな。あの子がそう簡単に諦めるわけないと思ってはいたんだよね。念のため機密教育は後回しにさせてよかったよ。ほら、王家の闇とか教わっちゃうと逃げ道ふさがれちゃうし。やっぱりペラペラ喋ったりしちゃまずいこと多すぎて」

 公爵の酒癖は酷かった。ペラペラペラペラ、王家の機密を話しまくる。お陰で封印されていた記憶の一部が戻ってきた。酔いがさめると、公爵は不思議なくらい話したことを全く覚えていなかった。いや、大丈夫なのかコレ。

「え……お父様、お酒飲んだの? 変なこと言ったりしなかった?」
 彼女も父親の酒癖は知っているようで、酷く心配をしていた。どうやら、人前では飲まないように彼女が厳しく注意をしていたらしい。実際、公爵も久しぶりに人と酒を飲んで楽しかったと言っていた。また飲もうと言われたから、気に入られてしまったようだ。だから。

「あ、いや。俺は酒弱いから……何話されたか覚えていなくて」
 そういうことにしておいた。



 そして……びっくりしたことに本当に彼女は俺のもとに嫁いできた。公爵家には戻らず、普通の女の子として。

 公爵に気に入られたせいか、御家族にも特に反対はされなかった。時折、家族そろって我が家に遊びに来たりする。その際、振る舞われる料理は俺が育てた新鮮な野菜をモモリー様が調理したものだ。

 モモリー様の料理の腕は凄かった。毎日家族の為に料理をしている主婦そのものだ。嫁いできたその日から洗濯も掃除も手慣れたものだったので修道院で習ったのかとも思ったが、公爵家の人間がちっとも驚いていないのと、少しだけ頭がもやりとするのを感じるので、思い出していない記憶の中に何らかのやらかしがある気がする。

 モモリー様が俺となら酒を飲んでもいいと公爵に許可を出したので、遊びに来たついでに付き合わされている。
 そのときに記憶のかけらを取り戻すこともあるが……全てを思い出そうとは思わない。

 記憶を少しだけ取り戻して気が付いた。俺に記憶があろうがなかろうが。彼女は何も変わらなかった。いつだって彼女のままだ。だからこそ、過ぎてしまった過去よりも、今の幸せを頭に刻んでいきたい。

 まあ、ちょっとした宝物を見つけるようで楽しくはあるのでこれからも公爵の酒には付き合おうと思う。あと、あれを外でやられるのは困るから。



 農地を管理するのは俺と妻になったモモリー様。あと、孤児院から雇ったアルバイト。何人かは正式に雇用した。農作業しながら聞こえてくる歌声に、つい人差し指が動く。

 数年たって家族が増えた。男の子と女の子。固いパンを持って24時間体制で認識阻害を使ったかくれんぼをしようとしたり、「わたしも、うたっておどる」と隙あらば修道院へ入ろうとしたり大変だ。とりあえず、認識阻害を使ったかくれんぼ禁止と成人するまで修道院禁止が我が家のルール。

 普通じゃなく育った俺には普通の女の子の幸せというのがよく分からない。分からないが。子供たちの笑い声に人差し指が勝手に動く。

 トン……

 農作業の手を止めて。
 振り返る彼女は今日も笑顔だ。




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