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本編

昭和アイドル好きの悪役令嬢、中途半端ぶりっこヒロインが許せないのでお手本を見せる

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「モモリー・アイドール公爵令嬢、お前との婚約は破棄させてもらうっ!」

 卒業式後のパーティーで。婚約者である私をエスコートすることもなく、お気に入りの令嬢と先に会場入りしていた殿下が言った。

 殿下の腕には共に会場入りしたプリティ男爵家のレイワー嬢が大きな目を潤ませながらしがみついている。愛らしい顔を歪ませることなく――眉だけを器用に下げて――可愛らしく整えた傷ついた顔を見せている。
 プルプルと震え、時折甘えるように腕にしがみつく様子は分かりやすく可愛いのだろう。ぶりっこと揶揄されながらも、彼女に好意を寄せる男子生徒が多いのも事実だ。

 しかし、私にだけ見えるように、勝ち誇った表情を向けてくるのを見て――私の中の何かが切れた。

 だから――。

「もうっ! 殿下ったら破棄が遅すぎますわ。プンプン!」

 頬をリスのように膨らませて。両方の人差し指で頭の上に角を作って文句を言った。

 必殺・鬼さんのポーズ!

 会場が、一瞬でドン引いた。



 私には前世の記憶がある。こことは違う――ニホンと呼ばれる世界で――高度成長期に育った。好景気。誰もが24時間戦う時代。ブラウン管に映る可愛いしぐさのアイドルたちは、みんなの憧れであり癒しだった。小学生だった私も夢中になってマネをした。

 その後私も歳を取り、たまに行く美容院で女性週刊誌をむさぼるように読むのが唯一の楽しみになっていたから、当時の彼女達が見た目ほど幸せだったわけでも、何の苦労もなかったわけでもないのも分かっている。
 分かっているけど――。

 少なくとも小学生だった頃の私は、天使のようなしぐさや微笑みが真実だと疑いもしなかったし、なんならトイレすら行かないのではないかと思っていた。私だけでなく、当時を生きた――男女を問わず、子供からお年寄りまでそうだったに違いない。
 ぶりっこだなんだと言われても――彼女達が見せてくれた世界は本物だったのだ。

 だからこそ――。

 中途半端な仕事は許せないっ!!



「な……なんだ、その態度はっ! 言い逃れしようとしているのか!? お前の悪事は分かっているんだ。この悪役令嬢め! レイワーを嫉妬するあまり、ノートや教科書に落書きをしただろう! 証拠はこのノートだ! 魔力の痕跡でお前の関与が証明されているのだぞ」

 突きつけられるノート。

 もちろん冤罪だ。しかし見覚えがある――上に心当たりがある。だから。

「ごっめーん! てへ☆」

 コツン、と片手で自分の頭を叩き。片目を閉じて舌を出して謝った。

「な……なんだバカにしているのか!? い、いやしかし今、認めたな。お前が嫌がらせをしていたのだろう」

「私が彼女のノートに書いたのはこれですわ。ほら、ここ。『いじめに負けないで! 私は味方ぴょん! このノート使ってぴょん!』この、吹き出しが出てるうさぎさんマークを描いたのも私ですわ。彼女を応援したくて……でも、名前を書かなかった、私のミスですわね」

「えっ! まさか……貴方が落書きに紛れて元気づけてくれていたうさぎさん!? 一緒に王都で売り切れ続出、プリンセスうさぎの限定版ノートが箱ごと置いてあったけど」

「ええ。我が公爵家で出している人気キャラクターグッズです。私がデザインしましたの。かわいいですわよね、ウサギさん♡」
 
 両手で頭の上に耳を作って答える。時折、片耳を可愛く折り曲げるのを忘れない。

「嘘……だろ。あの、無表情の公爵令嬢が……可愛い」

 パーティー会場のどこかから声がした。誰か分からないが、とりあえず声のした方へニコリと微笑んでおく。

「じゃ……じゃあ、教科書にうさぎさんマークでここが重要! とかテストに出ます! とかアドバイスめいた書き込みがあったのも、もしかして……?」

「もちろん私ですわ。せっかく殿下に運命の人が現れたのにお勉強が少し苦手なようでしたので、陰ながら応援しようとしたのですが……落書きしてしまい申し訳ありません。もうやめますわ」

「あ、いや、それは続けてもらえると……」

 レイワー嬢は言いづらそうにゴニョゴニョと何か言っている。

「し……しかし、お前は嫉妬していただろう! 婚約者のいる者がそんなことをしてはいけないと文句ばかりを言って……」

「あ……当り前ですわ。手なんか繋いで、子供ができたら困るのはレイワーさんですもの」

 顔を赤らめ答えておく。前世、子持ちだった私は当然知っているが、それは見せない。

「手を握ったくらいで子ができるか! 何をかわい子ぶっているっ! 王太子妃教育には閨教育だって含まれているのに小賢しいっ!」

「申し訳ありません。王太子妃教育の費用を公爵家が負担する代わりに、重要機密に当たる部分は結婚式の日取りが決まってからにすると事前に取り決めがあったので、何のことか分からなく……」

 口元に軽く握りこんだ手をやって、困ったようにコテン、と首をかしげる。ここで上目遣い登場。レイワー嬢は多用するが、こういうのはここぞというときに使うべきだ。
 殿下の顔が、あからさまに赤くなる。


「えっ、まさかアイドール公爵令嬢って、手を繋いだら子供ができると思ってる? そんなことありえるか?」
「王家の閨教育なんて機密中の機密じゃないか。重要情報を教わってないなら大いにあり得る」
「マジか。なんて純粋で可愛らしいんだ」


 会場の雰囲気が変わり始める。だが、殿下は尚も食い下がる。

「しかし、嫉妬はして……」
「まさか。私は彼女……レイワー嬢が現れて、本当に嬉しかったんですのよ? だからこそ、殿下に怒っていたのです」
 ふたたび、ぷくーっと頬を膨らませる。メッと目だけで叱る。バッチリ視線が通い合った瞬間、なぜかハッとした様子で殿下の目が見開かれる。

「う……っ!? あ、いや、どっ……どういうことだ」
「ご説明したいですが……せっかくの卒業パーティーなのに、私達だけに時間をとられるのは申し訳ないですわ。ですから、皆様のご意見を先にお伺いしたいです」

 今、いるのは一番目立つ壇上だ。殿下とレイワー嬢が選んだ舞台。参加者のだれもが食い入るようにこちらを見つめている。だから、私はそちらへ向いて――。

「みんな――!! みんなも知りたい~?」
 大声で、会場に聞く。

 シーン。会場は静まり返ったまま。うーん。エンジンかかってきたからついやっちゃったけど、流石に無理があったか。こうなれば引き際が肝心だ。「皆様、興味がないようなので……」潔く幕を引こうとしたそのとき――

「き……聞きたいっ!」
 会場の中から小さな声がした。私はやるからには徹底的に、全方位にぶりっこを振りまくのを信条としている。だから、たとえどんなに小さくとも、決してその声を聞き逃さない。

「聞こえないよ~? もう一度」
 耳に手を当てて。会場に向かってお伺いを立てる。目線を興味津々にして、そちらを向くのも忘れない。

「き……聞きたい!」
「そうだ! ここまで関わったら最後まで知りたいっ!」
「聞きたい! 聞きたいぞ!!」
「そうよ! お聞きしたいわ!」

『聞・き・た・い!
 聞・き・た・い!』

 男女関係なく――会場の心が一つになる。

「オッケー! それじゃ、説明しますわねー!」
 しっかりと会場に向けて大きく手を振って返事をしてから、殿下に向き合う。どんなときも主役は観客――国民なのだから。

「私と殿下は政略結婚です。愛が産まれれば一番良かったのですが、残念ながら殿下はレイワー嬢をお選びになりました。私との間に愛はありません」
「と、当然だ。私が愛しているのはレイワーだ!」
「そうなると、私の元にはコウノトリさんが、子供を運んでくださいません」
「何を言っている?」

「愛し合う夫婦の元にはコウノトリさんが子供を運んでくれる――そう聞いております。しかし、私達は愛し合っておりません。そうなると子供は産まれませんが、殿下はこの国を引き継ぐお方――跡継ぎが必要です。そこで現れたのがレイワー嬢です」


「マジか……公爵令嬢、手をつなぐどころかコウノトリが赤ん坊を運ぶと思っているぞ」
「いや、あれはどちらも共存しているな。愛し合う二人が手をつなぐと、コウノトリが赤ん坊を運んでくると思ってるんだ」


 ざわ……ざわ……。会場に驚愕が走る。

「お二人は愛し合っている。それこそ大人のお城にお二人で手を繋いで入られるほどに」

 ざわっ!会場のざわめきがひと際大きくなった。


「大人のお城って……あれだろ? 王都の端っこにある――」
「噂で知ってはいたけど……まさか、本当に」


「なななっ……何をでたらめを言っている! 俺はご休憩などしてないぞ」

「殿下こそ何をおっしゃってますの? お二人をお見かけした親切な方が教えてくださったのです。『手を繋いで入った』と。大人のお城はコウノトリさんへのお手紙が出せる場所だと聞いております。そんな場所に、て……手を繋いで入るなど、もし婚姻前に大事なお子を授かってしまったらレイワー嬢が困るではないですか。だから、婚約破棄が遅いと殿下に対して怒っているのです」


「殿下、自分でご休憩とか言っちゃってるよ……。あれはガチだな」
「そういえば、レイワー嬢、こないだ酸っぱいものが食べたいとか言っていたわ。もしかして……それで焦って婚約破棄を」


 会場を、すごい速さで噂が駆け抜けていく。土台となる噂が大量にあった分、広がるのも早い。

「え……違うの違うのっ! 信じて、私達は清いお付き合いを……」

 レイワー嬢は両手を胸の前に組んでギャラリーに必死に訴えるが、無意識に胸を寄せて上げるしぐさが身についている様子に失笑しか沸かない。


「清純そうな顔して、陰ですごいことしてるのね」
「前から胡散臭いと思ってたのよ。あの子、男子の前でだけ甘えた口調になるのが嘘くさかったわ」


 聞こえてくる陰口にレイワー嬢の顔が引きつっている。仕事が甘い。そもそも高位貴族男子にだけいい顔するからいけないのだ。やるなら。徹底的に。老若男女問わずやるべきだ。覚悟が足りない。

「な……何よ何よ! 変な噂が広がっちゃったじゃない! あーもー、せっかく上手くいってたのに! 全部あんたのせいよっ」

 レイワー嬢はそう大声で叫ぶと近くの給仕からワイングラスを奪い、それを私にかけ――

「キャン☆ こわーい」

 ――ようとしてきたので可愛く避けた。

 ボリュームのあるドレスの裾をグッと掴み。
 スカートを握りこんだままの両手を口元に持っていく。同時に右足に重心を寄せ、左足をぴょこん、と跳ね上げる。

 裾の長いロングドレスだが、こうすると跳ね上げた片足がしっかり見える。ドレスの重みで重量はあるがダンスや淑女の礼で鍛えた体軸は決して揺らがない。そのままのポーズで静止する。 

「な……! 私の婚約者でありながら、なんだそのポーズは! 何を素足をさらしている!」

 慌てて挙げた足を下ろさせる殿下。顔が真っ赤だ。

「ちょっ……殿下! 何赤くなってるのよ! 殿下が愛してるのは私でしょ!! ちょっとこっち見なさいよ」

 チラリ。一瞬、そちらに目を向けるが、すぐにこちらを赤い顔で睨みつけてくる殿下。あからさまに優先順位が変わってる。

「あれれ~ぇ? 先ほど破棄なさいましたよね?」

 頬に人差し指を持って行って、考え込むようにコテン、と首を傾げて空を見上げる。
 みんなー!空中に浮かぶはてなマーク見えてますか~?

「あ、いや、しかし、まだ口頭だしそれに……なんか、昨日までと違うというか表情豊かというか、何でだか……急に昔に……戻ったみたいで、その……」

 これならまた……とかなんとか、しどろもどろになって視線をさまよわせながらも、決して目を離すまいとチラチラこちらを見てくるが……もう遅い。

「それは、婚約者でなくなったからですわ」

 その昔。前世の記憶を持ったまま生まれ変わった私は喜んだ。前世とは比べようのないほどの美少女で、アイドルをはるかにしのぐ外見なのだ。前世では似合わなかった、黒歴史にしかならなかったアイドル張りのぶりっこも、今世では似合うんじゃないか、と。

 調子に乗った私はお茶会でもどこでも、歌ったり、踊ったり。心行くまでアイドルごっこを楽しんだ。

 それこそ王宮でも。

 そこで、殿下に目をつけられたのだ。思えば、一番初めの理解者で、初めての友達だった。だからこそ、殿下の前でのステージは楽しかった。

 家族からは貴族らしくないと注意を受けてばかりだったけど、殿下は私の奇行を喜んだ。

 ……王太子妃教育が始まるまで。


 流石に責任のある立場になってまでそんな自由ではいられない。アイドルごっこを封印した私に両親は喜んだ。しかし、念のためにと保険も掛けた。王太子妃教育にかかる費用は公爵家持ち。莫大な費用だが、経済的に余裕のある我が家にとっては問題ない額だ。更には支援金。隣国との戦争で国庫が疲弊していた王家にとっても、それは好都合だった。

 公爵家は娘である私の奇行を封印するため。
 王家は財政的な支援を受けるため。

 そんな、政略結婚だった。 

 今思えば、殿下のぶりっこ好きは私のせいだったのかもしれない。だからこそ、仕事が甘いとはいえ同じぶりっこ属性の男爵令嬢に夢中になった。王太子妃教育と引き換えに、私はそれを手放したから。

 幸い。両親の私への信頼度の低さから、王太子妃教育費用及び莫大な支援金と引き換えにまだ王家の闇は教えられていない。

 選択肢は限りなく少ないが、私はまだ未来を選ぶことができるのだ。


「王太子妃教育を受けてきた以上、殿下と子は成せなくとも、生涯、国民に尽くしていくつもりでおりました。跡継ぎについては殿下が真に愛する方――レイワー嬢にお任せすることになってしまいますが、その他の部分でお役に立とうと覚悟を持っていました。しかし、こうなってしまった以上、私がここに留まることもできません。幸いにもこれまでにかかった王太子妃教育の費用も公爵家で出してきたので、国庫にも負担をかけずに済みました。ですから――」

 会場を見渡し。天使のような無垢な微笑みを浮かべ――。

「私は婚約破棄を受け入れ、修道院へ行こうと思います」


「そんな……! 公爵令嬢は何も悪くないのに」
「モモリー様は平民の私達にもとてもよくしてくださっていたわ。それを、修道院に追いやるなんて」
「モモリー様以上に未来の王妃の器を持った方なんていない」


 会場のあちこちから悲鳴が上がる。

「モ……モモリー! 私が間違っていた! ハッキリと思い出したのだ。お茶会で会ったあの日から、私はお前に夢中だった。私がお前を望んだのだ。お前は私のために厳しい王太子妃教育にも耐えてきた。無駄にすることはない。だから、だからこれからも私の隣で、ともに国を……」

「殿下。例え貴族を辞めて市井に降りても……いえ、市井に降りたからこそ、別の角度から殿下をお支えすることもできましょう」

 殿下とレイワー嬢の噂を聞いたとき。まるで、前世の娘が年頃のころにやっていた乙女ゲームみたいだと思った。

 特にタイトルが思い浮かんだわけではないが、自分の立ち位置が悪役令嬢なのは理解した。正直、ヒロイン枠でなかったことに落胆しなかったかと言えばウソになる。けれど、悪役令嬢なら悪役令嬢で、先を予想するのも簡単だ。

 厳しかった王太子妃教育。眠る暇もないほどだった。でも、きっと無駄にはならない。ダンスや語学、きっと「この先」に用意した私の未来に役立つはずだ。

 二人の噂を聞いたときから覚悟はしていた。

 その為の用意もしてきた。受け入れ先も用意してある。目星をつけて、慰問のたび、寄付のたびに少しずつ影響力を増し作り変えてきた。準備はバッチリだ。

 今さら、ヒロイン枠になど戻れない。
 あとは、用意したルートに入るだけだ。
 その為に。

 ぶわり、と魔力を会場中に浸透させて。音声魔法を展開させる。効果が会場の隅々にまで行き渡ったのを確認し。
 そして――

「私、普通の悪役令嬢に戻ります……!」
『……戻ります……戻ります……戻ります……』

 魔力でエコーをかけて言い切った。



 静まり返った会場内。マイクを置く代わりに、ギャラリーに向けて、静かに淑女の礼をとる。

 おそらくこれが、貴族としての最後の挨拶だ。体勢をもどすと、会場に背を向けそっと歩き出す。

「モ……モモリー様!! 行かないで」

 会場内の誰かが叫んだ。
 それに呼応するように。

「モモリー嬢!」「モモリー様!」「モモリーン!」

 会場内に私の名前が木霊していく。

「「L! O! V! E!」」
「「「ラブリー! モモリー!」」」
「「「S! U! K! I!」」」
「「「「好き好き! モモリー!」」」」

 最高潮に盛り上がる会場内を振り返り。
とびっきりの笑顔を向けて大きく両手で手を振った。
はしたないかもしれないけれど、もう貴族ではなくなるのだ。そして、これからの未来のために。

 営業活動は必要不可欠。
 ――なので。

「みんな、ありがと~! 商業地区の修道院に入るから、月一回のチャリティーイベントぜひ来てねー!!」

 手を振っていた両手をそっと口元にやり。
 それを会場に向けて贈った。
 前世で言うところの投げキッスだ。


うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!


 その日。卒業式会場の盛り上がりは、王都の端まできこえてくるほどだったという。






「エーン、エーン☆」
 その日の夜。私は一人自室で泣いていた。

 殿下は私の初めての理解者だった。生家では怒られるばかりのアイドルごっこをバカにすることなく、一緒に盛り上がって遊んでくれた。短い期間だったけど、ギャラリーのいるアイドルごっこは本当に楽しくて――。

 愛はなかったけれど。もうアイドルごっこは引退して、普通の婚約者になってもいいか、と思うくらいには好きだった。悲しくないわけがない。

 自然と涙が――出ない。
 だって化粧が落ちるもの。

 鏡を前に。顔が崩れない程度に目をギュッと閉じて。両手をくの字にして目じりに当てて、涙は手の動きで表現する。

 バリエーションが足りないわ。

 今までは王太子の婚約者として人前で感情を出すことなどなかったけれど、これからは様々な表情が必要になってくる。そして思い出す。婚約者を寝取った中途半端ぶりっこの憎い奴だけど、男爵令嬢の表情のバリエーションは凄かった。取り入れるべきところは取り入れて、更なる高みを目指しましょう。

 涙の量を調節し。こぼれないぎりぎりのところまで溜めて、口元をさりげなく握りこんだ手で隠す。そうしてもしもの鼻水を隠しつつ――。
「グスン☆」

「ぶっふぅ!」

 新たな悲しみ表現を開発したところで誰かが吹いた。部屋には確かに一人きりだけど、人が居たのには驚かない。
 ……まだいたのには驚いたけど。

「王家の影さん? 貴方に吹き出されるのは二回目ね」
 私の言葉に、空気が変わる。



 一回目は――私が王太子の婚約者に選ばれたときだ。まだ7つだったか。王宮から戻り、鏡に向かって

「え~びっくりぃ☆ 私が王太子妃ぃ?」
「ぶっふぅ!」

かわい子ぶりっこの研究をしていたときに聞こえてきた。

 王族には24時間体制で警護のための影が付く。トイレや風呂にさえついてくる。それでも感情を揺らがせることがないように訓練されているそうだ。認識阻害の魔道具を付けているため、警護されている本人にすら気付かれない――筈なのだが。

 ちなみにこれは完全に王家の機密情報だ。当時7歳だった私が知っていたのがそもそもおかしい。当然、王太子妃教育で教わった訳ではない。結局最後まで教わらなかったし。

 聞いたのは酔っぱらった父からだ。父は王弟。臣下に下り継承権を放棄すると同時に、警護対象からは外された。外されると同時に、それまで寄り添っていた影は記憶を封印され、また別の人の影につくらしい。父は解放されたと喜んでいたが、職業意識が高い影さんたちの記憶を封印するより、酒でペラペラ機密をしゃべる父の記憶を封印する方が機密は守られると思う。

 初めて聞いたとき。影さんの声は、思った以上に幼かった。自分と同じくらいの年齢だろうか。学校内で警護することも考えて、年若い者の警護は同年代の者に任せることが多いという。給料はいいのだろうが、退職時には記憶を消されるとか、その年齢で24時間体制の仕事とか、ブラックにもほどがある。
 きっと、なにか失敗したときのペナルティーもあるに違いない。うっかり声を出した影さんの緊張感が見えないながらも伝わってきた。だから――脅した。

 王太子の婚約者になったとき。影が付くことを知っていた私は、アイドルごっこは完全にやめるつもりだった。しかし。既に見られているなら今さらだ。それに、弱みを握ったとなると室内でのプライバシーは守られたも同然なのではないか。

 やはり影の存在を私に悟られたのはまずかったのか、交渉の末、私は自室での自由を手に入れた。影さんは私の奇行を黙認する。対外的には封印したけど、自室内でのぶりっこ追及は続けられるのだ。せっかく24時間ギャラリーがいるのだしと、影さんにも協力させて私はひっそりとぶりっこの研究・及びアイドルごっこを楽しんだ。

 ただし、職業意識の高い影さんは最初の笑い声以降、私に声を聞かせることはなかった。

「この動きかわいい?」の質問に対し、机を一回叩けば「はい」二回なら「いいえ」といったように、音でのみの意思の疎通であったが、24時間を共に過ごす緊張感は私にもいい具合に刺激を与え、思う存分ぶりっこを追求できた。そして今に至る。



「……泣いているかと。意外と元気そうだな」
 声が帰ってきて今度はちゃんとびっくりした。

 目を見開いて、大きく開けたお口は開いたお手てで隠す。体に染みついた驚きの表現(ぶりっこバージョン)だ。
 トン、と一回机をたたく音がして、今度は自然に笑みがこぼれた。

「もう、離れたと思っていたわ。婚約破棄されて、王太子の婚約者じゃなくなったから」

「……日付で管理されているから。今日までは、お前の影だ」

 もう、声を隠すつもりはないらしい。7歳のとき。初めて聞いた笑い声とは、比べ物にならないほど低い声。その声で気が付いた。

 今日の卒業パーティーで、会場を盛り上げるようにどこからか聞こえてきた声。その中に、同じ声があった。

『嘘……だろ。あの、無表情の公爵令嬢が……可愛い』

 おかしいと思った。愛想を振りまいているわけではないが、私は常に、自室以外ではどうとでも取れるような表情を浮かべていた。笑顔ではないが、無表情というほどでもない。朗らかな微笑、といったところだろうか。あれが、私にとっての無表情と知っているのは、私か――24時間一緒にいる影さんだけだ。

「貴方の声を聞いて分かったわ。ありがとう。パーティーで、こっそり手助けしてくれていたでしょう。貴方のお陰で盛り上がったわ。十年間の自主トレの集大成よ。長い間ありがとう。……貴方も大変ね、最後の最後まで24時間勤務だなんて」

「一日の終わりに、俺だけのステージがあったから耐えられた。まあ、明日には俺の記憶は消されるけど」

「そうなの。じゃあさ、最後に姿見せてくれない? 失敗したことも忘れちゃうんだから問題ないでしょ?」

 少しだけ間が開いた後、黒い服の男が現れた。

 最後に、長いこと見守ってくれたギャラリーの顔くらい見ておきたい。そう思った。けれど――。

 流石に顔を見られるのはまずいのか、認識阻害がかけられたままだった。年を取っているのか、若いのか、美形なのか、不細工なのか。まったく記憶に残らない。

 でも、まあいいか。

 老若男女。全ての人にぶりっこを振りまくのがポリシーだ。24時間、戦う人達の癒しでありたい。それでいうなら、文字通り彼は理想の観客なのだから。

「修道院に行ったら、最初のうちは自由にやれないだろうから。最後まで悪いけど、今日は退職金がわりに、私の歌とダンス見てくれる?」

 顔の見えない彼が微笑んだ気がした。答える代わりに、トン、と指が一回叩かれた。

 この日のことは忘れない。
 たとえ影さんが忘れてしまっても、今までで一番楽しいステージだった。


 その後。

 語学を自在に操る伝説の修道女が開くチャリティーイベントには、国境に縛られることなく大陸全土から支援者が殺到し、彼女は出身国の王家をはるかにしのぐほどの影響力を手に入れた。

 彼女のイベントにはかつての婚約者であった王子も通っていたらしい。

 イベントには必ず最前列に一つだけ空いた椅子があって――。かつての婚約者のために用意した椅子だとか言われていたが、王子が座る姿を見た者はいない。

 魔力の高い者が見ると、ごく普通の、記憶に残らないような平凡な男が座っているのを見かけることがあるそうだが、間違って座った一見さんでは?と言われている。

 しかし、一番人気だった修道女が最盛期を過ぎた頃。普通の女の子に戻りたいという言葉を残し、姿を消したあとは、いつの間にかその席もなくなったという。
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