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92 人をダメにする壁ドン☆
しおりを挟む「もももも、申し訳ありません、その、変な意図は……いや、そういう方向性のアレのつもりはなくて――」
「あ、ハイ」
正気に戻り焦った様子の腹黒さん。吐息が感じられるほどに近い。珍しく動揺が顔に出て、耳まで真っ赤に染めている。
年齢不詳ではあるが、こういう表情を見ると意外と若いのかなって思う。
大丈夫です。分かっています。乙女ゲーのキャラではないですからね。ええ、ええ。胸キュン方面とは無縁であることぐらい存じ上げておりますよ。
『キャー♡』などと分不相応な誤解は致しません。これはただの事故。相手にとってはラッキーですらない。
いや、むしろ私としてはラッキーか。一瞬とはいえ寿命が延びた。ありがとうございます! ありがとうございます!
「そ、それで、ええと。少し押していただけますか? その、お恥ずかしい話、このままだとわたくしも身動きがとれませんので……」
「あ、ハイ。では……」
胸のトコを押してやると、腹黒さんが身を起こすのと同時に自らの体がクッションに沈み込む感覚がしたが、無事に彼は体勢を戻すことができたようだ。
私もワンチャンかけて沈み込んでいくクッションからは降りたけれど、目の前には体勢を整えた腹黒さんがいてそれ以上動くことはできない。
クッション越しの床ドン☆ からは解放されたが、どうやら逃がしてくれる気はないらしい。
魔法陣ラグを手に入れてからの生活が、走馬灯のように駆け巡る。
学業、バイトに加え、おやつの時間に王子を召喚する毎日。サークル活動は……元々幽霊だからどうでもいいや。
王子と過ごす毎日が、いつの間にか私の日常となっていた。
ゲームをする時間は減ったけど。それなりに楽しかったな、と思う。
変わらぬ日々の中、偽王子たちが来た時は正直少し焦ったけれど、それぞれの違いを見つけるのは面白かった。
ちょっとおバカだけど人懐っこい偽王子(猫耳)。
大きくて口数が少ないけど優しい偽王子(大)。
腹黒臭漂うけど仕事はできる眼鏡の偽王子(腹黒)。
バレたらバレたでサクッと消せばいいとか言われて焦ったし、落ち着かなくて怖かったけれど、セーブすることもできずに全てがここで消えるのだと思うと寂しいと感じてしまう。
偽王子たちの召喚も含めて、訳が分からないなりに楽しい思い出ではあったから。
……最後はせめて痛い思いはしたくない。
そんなことをつらつらと考えていると、目の前に居る腹黒さんの眼鏡が視界に入る。こんなときでもつい眼鏡に引き寄せられてしまうのは、もう、仕方のない事なのかもしれない。
腹をくくって好きなだけガン見しよう。
ああ、本当に眼鏡がお似合いです。頭良さそう。実際良かった。
まあ、あれだ。こんな時に何だけど、最後の最後で気が紛れるものがあるのはツイてたな。人生の最後に見るのは腹黒さんの眼鏡になりそうだ。
既に気を取り直したらしい腹黒さんは何とも言えない表情を浮かべている。頬の赤らみは既にない。やや戸惑ったような表情だ。
落ち着かないのかやたら眼鏡の位置を直している。
ソレやると眼鏡が汚れますよ。レンズ触っちゃうの癖なのかな?
「お気の毒だとは思うのですよ。我々からしたら機密にあたる情報ですが、貴女が積極的に集めたわけではない。思考から読み解いた限りでは一方的に巻き込まれた――というのが正しいのでしょうから」
そう言いながらも腹黒さんは距離を詰め、再びクッションへと押し付けられる私。
床に座ったままの状態で。背にしたクッションに柔らかく体は沈み込み、左右をふさがれて逃げ出せないのは先ほどと変わらない。
しかし、背中側にはベッドがあるし、腹黒さんの自重もないので際限なく私の体や腹黒さんの両手が沈み込んだりはしない。壁ドン☆ 状態だ。
やはり、この偽王子(腹黒)さんは優秀な人のようだ。同じ失敗は繰り返さない。
方向性を間違えたらすぐさま正せる人。既に迷いは消え失せて眼鏡の奥には確固たる意志が宿っている。
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