大賢者様の聖図書館

櫻井綾

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第3章 美しき華炎の使者

187.焦れる心と憧れ

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 梨里に挨拶だけして戻ってくると、フェイン=ルファンが彼女に会釈しているのに気づいて、途端に不愉快になった。

 それでなくとも、今日の妖精使節団受け入れは、本意ではないというのに……。

 さりげなく梨里を彼の視線から庇う位置に立って、腕組みをした。



「僕の大切な秘書に、色目を使わないでくれる?」



 きっとローブの影から睨みつけるけれど、炎のような妖精は、何処吹く風といった様子で微笑みを崩さないままだ。



「いやいや、色目など使っておりませんよ。大変魅力的なお嬢さんだとは思いますがね」

「当然だろう。僕の秘書だ」



 今日、リブラリカに到着してからというもの、この炎の公爵はずっとこんな調子で、俺の隣に立ち続けている。

 使節団の他の妖精たちは、ある程度フェイン=ルファンから離れない距離を保ちながら、それぞれに書架や本を眺め、手に取り珍しそうにしている。

 だというのに、この炎の妖精だけは、不愉快な微笑みを顔に貼り付けたまま、俺の傍から離れようとしない。

 俺の先ほどの言葉に何を思ったのか、彼はくすくすと笑いながら肩を竦めた。



「そう睨まれなくても。本当に、色目を使ったりはいたしませんよ。そんなこと、我が愛しの花がお許しになるはずがありません。あのお方は、私が他の花に目を向けるのを何より嫌うのです」

「そんな言葉を、信用しろと?」

「おや、大賢者様ともあれば、私たちの種族の習慣くらいご存知でしょう?花への誓い、ですよ。私にはもう、全てを捧げた相手がおりますので」

「……ふん」



 確かに、彼らの習慣である、『花への誓い』というもの自体は、知識として知ってはいる。

 といっても、彼ら妖精に関する情報は、本当に少ないから……男性の妖精が、ひとりの女性の妖精相手に己が人生を捧げるもの、という曖昧な認識しかないわけだが。

 ふと、先日梨里に加護を与えた妖精がいたことを思い出す。

 俺の大切なあの子に、水の加護の『匂い』を付けたという水の妖精は、確か男性だったはずだ。



「そういえば……僕の大切な秘書に、貴重な加護なんてもので手を出してきた妖精がいたようだけれど?彼はその、誓いの相手とやらに、嫉妬されたりしないのか?」

「ああ……確かに、そんなことがあったようですね」



 すう、とフェイン=ルファンの縦長の動向が細められる。

 ほんの僅か、彼の纏うマナが、重みを増した。



「問題ありませんよ、とだけ言っておきましょうか。彼のあれは、可憐なお嬢さんへのお礼だったようですし。……我々妖精は、受けた恩には必ず礼を尽くしますから」



 問題ない、ということは……もしかして、その妖精はまだ、花への誓いを立ててはいないのかもしれない。

 ざり、と心が逆なでられるような不快感が湧き上がる。

 梨里は、水の加護を受けていた。

 ということは、使節団の中にいた、水のマナの気配が一番濃かった、あの青い妖精か――。

 ぐるりと視線を巡らせて、視える範囲にあの妖精がいないか探るが、見当たらない。

 他の妖精は皆、視える位置にいるというのに……。

 何もないといいのだが。

 焦る気持ちを隠し、ぐっと手を握りこむ。

 隣でうっそりと口の端を持ち上げるフェイン=ルファンには、気づかないふりをした。









「あれ、今……」



 メリー・リンアードは、リブラリカ職員として一般書架のカウンター担当をしている、しがない男爵令嬢である。

 つい先日より、地方から勉強のためやってきた、綺麗な翠色の瞳の少女と、その保護者だという神父のような黒い服を着た司書の男性の、監督役兼教育係をしている。

 その2人が、妖精をあまり恐れていないので、本日の妖精使節団受け入れを担当することになっていた。

 ふたりを連れて、館内で問題が起きていないか巡回していた最中――ふと聞き覚えのある声を聞いた気がして、振り返った少し先、書架の間から飛び出してきたのは、尊敬してやまない秘書のリリー様だったような気がした。

 リリー様らしき人影はすぐに遠くへ行ってしまったけれど、あの書架で何かがあったのかもしれない。



「すみません、お二人はここで書架の整理をお願いしてもよろしいですか?少し気になることがあるので、見てきます。すぐ戻りますので」

「はい、かしこまりました」

「はい」



 ふたりのにこやかな返事に頷き返して、私は足早にその書架へと向かう。

 そこは、物語小説などが並ぶ書架の一角だ。

 そっと覗きこんでみると、その通路には呆然とした顔をした、青く美しい妖精が立ち竦んでいた。

 影になった書架の間でも、キラキラと美しく輝く翅に見惚れそうになって、ハッと我に返った。



「妖精の使者様。何か問題でもございましたでしょうか?」



 慌てて礼をとりながら、そういえばと思い出す。

 このひと、確か前にリブラリカに来た時、リリー様に文句言ってたひとだったような。



「……別に、何もない!」



 彼はぴしゃりと乱暴にそう言って、書架から1冊本を取るとつかつかと何処かへ去って行ってしまった。

 戸惑いながらその翅を見送っていると、ぽんと後ろから肩を叩かれる。



「あの態度はないな。……すまない、不快な思いをさせたか」

「……殿下?!」



 振り返って、その相手を認識した途端、慌てて再び礼を取る。



「いい、楽にしてくれ」

「恐れ入ります」



 そろそろと顔を上げると、王子は妖精が去って行った方を見て難しい顔をしていた。

 王子殿下は、今回の使節団に同行する形でリブラリカに来ていたのだった。



「あの妖精だけ、随分と奥まで来ていたから、こっそり見張っていたんだけど……あいつ、リリーと何かあるのか……?」



 考え込む王子殿下に、どう言葉をかけたものかと迷っているうちに、さらに二人、通路へと顔を出した人がいた。



「リンアード様、あの……あ」



 翠色の瞳を大きく見開いて、ミモレはぱっとその場で見習い制服のスカートをつまみ、綺麗な礼を取った。

 その後ろから現れたレグルも、王子殿下の姿を見るとうやうやしく頭を下げる。



「ご機嫌よう、王子殿下。お久しぶりでございます」

「お、レグル殿と……そちらはミモレか?久しぶりだな!」



 砕けた口調で話し掛けた王子に、顔を上げたミモレがほっとした様子でにこりと笑んだ。



「お久しぶりです、王子殿下」

「皆さん、お知り合いだったのですか?」



 首を傾げると、王子が嬉しそうに頷く。



「ああ。少し前に、出張先で世話になったんだ」

「そうでしたか」



 王子はミモレへと近づくと、その頭をわしゃ、と撫でて笑う。



「見ない内に、随分とお姉さんになったみたいだ」

「そんなに、子供じゃありません」

「おっと、悪い悪い」



 軽口を叩きながら無邪気に笑う姿に、内心驚く。

 社交界ではいつも凜として容赦なく、他を寄せ付けない雰囲気の王子に、こんな一面があったとは。

 ミモレは「やめてください」と少し頬を膨らませながら、書架を見てあっと声を上げた。



「この本……」

「ん?この本がどうした?」

「これ、この前お姉さんが……えっと、リリー様が、面白いよって言ってて」

「これを?」



 王子が手に取ったのは、なんと、さっきのあの妖精が去り際に持って行った本のシリーズの1冊だ。



「私も読んでます。すごく、面白くて」

「へぇ……それなら、俺も読んでみるか。……ってあれ」



 王子が書架を確かめて、困ったように眉を寄せた。

 書架にあった1巻は、どうやら先ほどのあの妖精が持って行ってしまったらしい。



「始めの巻がないなら、仕方がないな……俺も読んでみたかったのだが」



 残念そうに、王子が手に持っていた本を書架へと戻す。

 ――うん、これは良い機会だ。



「お待ちください、殿下」

「ん?」

「そちらのシリーズの本は、複数所蔵があったはずです。保管庫のほうで、在庫を確かめて参りましょうか?」

「そうか。それならぜひ頼む」

「かしこまりました。少々お時間をくださいませ」



 王子へと一礼して、ミモレたちのほうへ向き直る。



「司書としての大切なお仕事よ。殿下のご希望の本を、保管庫で探してきましょう」

「……はい!」

「かしこまりました」



 ミモレがぱあっと表情を明るくして、王子へとぺこんと頭を下げると保管庫へと早足で歩いて行く。

 彼女の後に続いたレグルを見送って、私も王子へ再度礼をした。



「見つけましたら、お持ちいたします」

「わかった。俺はカウンターの付近にいるとするよ」

「恐れ入ります」



 彼女たちの後を追って、保管庫へと踵を返す。

 ――リリー様が愛読してらっしゃる物語……。

 殿下にお渡しする分以外にも在庫があるようなら、今日の帰りがけに絶対借りていこう!





 内心でぐっと拳を握り、固く決意するメリー・リンアード。

 彼女はやはり、熱烈な大賢者とリリーのファンだった。







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