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第3章 美しき華炎の使者
184.酒と男と、夜話を<3>
しおりを挟む梨里が、焔の執務室で眠り続けている一方。
城下街、アヒルのくちばし亭の個室には、深酒をする男ふたりの姿があった。
「「はあああぁぁぁぁ……」」
ふたり同時に大きな溜め息をついて、オリバーは天井を仰ぎ、俺は腕を枕に、机に突っ伏した。
強めの柑橘系の果実酒を、ボトルで3本。
さらに、ランジェ――ロランディア村の名産果実から作った、発泡酒を5,6杯。
加えて、今グラスに入っているのは水色が美しいカクテル。
先ほどまでの酒よりは弱いとはいえ、さすがに量を飲みすぎのふたりである。
「珍しく、イグニスから誘ってきたと思えば……。さすがに飲み過ぎじゃね?」
ふう、と熱い息を吐くオリバーは、ネクタイを解いてぱたぱたとシャツの胸元を扇いでいる。
机に突っ伏したまま、目の前の水色のグラスに流れる水滴を、ぼんやりした頭で眺めた。
「うーん、まぁ、沢山飲んだけど……」
正直な所、酔ってはいるがまだまだ限界というわけではない。
元からアルコールには強い身体だが、特に好きという訳でもないから、そんなに飲む機会はない。
だが今夜は、珍しく酔いたい気持ちだった。
それで手近なところと思い、オリバーに声を掛けてここへやってきた訳だが――。
「「……はぁぁぁ……」」
2人揃って、口を開けば溜め息ばかりが吐き出される。
グラスの水色に、梨里を思い浮かべてしまって目を閉じた。
出掛けてくる前には、すでに梨里の熱は下がっていた。
思っていたよりもずっと、梨里の身体は水のマナと相性がいいらしい。
あの様子ならば、妖精の加護を受けた梨里は、相当強力な魔術も仕えるようになっているだろう。
あの子に、己が身を守る術が増えること。
それに関しては、本当に良いことだと思っている。
妖精の加護なんて珍しいもの、滅多に受けられるわけでもなし。
勿論、あの子のことは、俺が全力で守るつもりでいるけれども……いつまた、ロランディアでの騒動のように、命の危険に晒されるかわからない。
だから、本当に、加護を受けたこと自体は、良かったと思って――。
「思って……いるんだけど……」
どうしても納得できないのが、今現在困っていることだ。
「どうした?――って、さっきの話か?リリーが妖精の加護受けたって」
「うん」
「いいじゃん。そんな貴重なもん、もらえるんなら誰だって欲しいだろ。ってかリリーのヤツも、あんだけ強くなりたいーなんて言ってたんだしさ、ちょうど良いじゃん」
「まぁ……そう、なんだけどさ」
またグラスを掴んで、ぐいっとひと飲み。
マナー違反とわかっているけれど、ごん、と、少し鈍い音を立てて、グラスをテーブルへと置いた。
「なんか!なんかこう……納得いかないっていうか!妖精の加護の気配がさ!するんだよ!リリーから!」
「お、おう……」
「強くなるのはそれは、嬉しいよ?僕だって良かったって思う。だけど、だけどさ……!」
ぐっと握り閉めた拳で、軽く膝を打つ。
「こう……!なんだろ、悔しい、っていうか……!」
「……大賢者サマでも、酔うんだなぁ」
オリバーは隣で少し身を引きつつ、はは、と笑っていた。
「なんだよ。イグニス、やきもち妬いてんじゃん」
「……え?」
「え?じゃなくてさ。完全にやきもちじゃん、それ」
――やきもち。
俺が?
言われた意味を咀嚼している間に、オリバーは自分のグラスに水色の酒を注ぎ足した。
「だってそーだろ。リリーが加護を受けたのは嬉しい。けど、他の男から貰った力でってとこに腹立ってんだろ? やきもち以外のなんでもねーし」
「……言われてみれば」
「な?」
そう指摘されれば、確かに当てはまる気がする。
最近読んでいる恋愛ものの物語の中にも、主人公が、想いを寄せる相手の行動に焦ったり不安になったり、怒ったりする描写はいくつもあった。
……これが、やきもち、という感情。
軽く胸元のシャツを握り締めてみる。
心臓の鼓動が、とくとくと手に伝わった。
やきもち……俺は、妖精から加護を受けた梨里に、妬いているのか。
彼女に力を……力以外のものも、何かを与えるのは常に、自分でありたくて。
初めて自覚する、もやもやとした感情に少し戸惑う。
そして、やきもちという気持ちが俺の中にある、ということは……。
やっぱり俺は、梨里を好ましく想っているのか。
そこまで考えて、思考を散らそうと、ふるふると頭を振った。
……自分で思っていたよりも、今夜は酔っているらしい。
いつも気づかないように、見ないようにと、頭の隅にちらついても無視していた感情に、目を向けてしまった。
……まぁ、俺が梨里を想っていても。
「君が好きだ」と言葉にすることも、それ以上を望むことだって、どうせ許されないのだけどな。
ぎゅっと胸が痛んだ気がして、これは気のせいにしておきたい、とグラスに残った酒を煽った。
つい先刻、梨里を抱き寄せ手の平に口づけたことが頭をよぎる。
熱を出していたせい、とは言え……至近距離で見た羞恥に染まる彼女は、とても可愛らしかった。
……ああ、うん。やっぱりそこそこ酔ってるみたいだ。
「しかし……うー、そうかぁ。イグニスが、リリーをなぁ」
隣の青年は、更にお代わりのグラスを景気よく傾けつつ、うんうんと頷いている。
「なんだよ。……僕のことより、君だって大きな溜め息ついてたじゃないか。オリバー?」
じろり、と据わった視線を向けると、オリバーはうぐっとむせた。
「な……。べ、別に!俺は良いんだよ、俺は!」
「良くないでしょ。どうせ、最近社交界で出回ってる噂話でも聞いたんじゃない?」
「う」
「――王城に、ロイアー公爵家の令嬢が滞在している。王太子が頻繁にご機嫌伺いをしていて、これはもしや、王太子妃の座が決まったということか……!」
「うわああああ」
がちゃん、と音がして、今度はオリバーが机に沈んだ。
聞きたくない、というように耳を塞ぐ動作をする彼に、先ほどの仕返しとばかりに噂話を続ける。
「なんでも、王太子は忙しい合間を縫って、何度もロイアー令嬢のところへ足を運んでいるらしい。2人を見かけた侍女によれば、それは仲睦まじそうに寄り添っていて……」
「うわああああ、あああああ」
聞こえない、聞きたくないと声を上げながら頭を振る姿に、さすがに可哀想になってそれ以上はやめてやった。
「まぁ、別に。ロイアーも、大切にされてるみたいで良かったじゃないか。リリーも元気だったって言ってたし」
「それは……まぁ。元気だっていうのは、よかったんだけどさ」
のろのろと再び動き出したオリバーは、またグラスを握り締め、残っていた酒を全部喉へと流し込んだ。
「……俺だって、会いたい。元気だって聞くだけじゃ足りないよ。それに……王子と仲良くしてる、て聞いたって、全然安心なんかできっこないだろ」
ぼそぼそと愚痴を言うように零された言葉に、肩を竦めて返した。
「あーあ。俺も相当、酔ってんなぁ……」
「オリバーは確実に飲み過ぎでしょ」
「いや、イグニスだって同じくらい飲んでるだろ」
「年季の入り具合が違うからね」
「それ言われちまうとなぁ……」
「…………」
「…………」
妙な沈黙の中、瓶に残った酒を互いののグラスに注ぎきって、グラスを軽く合わせて飲み干した。
キン、と涼やかな音が鳴り響いたが、それも虚しくしか聞こえないのだから、相当だ。
そこへ様子を見にやってきたのは、アヒルのくちばし亭の女将だ。
「よー、酒と料理の進みはどう――」
個室の入り口に掛かる飾り布をたくし上げ、こちらを覗きこんだ女将は数秒沈黙すると、やれやれと腰に手を当て、溜め息をついた。
「男ふたり、こんな雰囲気で飲むなんて、何やってんだか。水、持ってくるから待ってな」
「……おーう」
ぼんやり返事をしたオリバーにひらりと手を振って、女将は去ってしまう。
「…………」
「…………」
男ふたり。
のろのろと顔を見合わせて、今夜何度目かも分からない、特大の溜め息をついたのだった。
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