大賢者様の聖図書館

櫻井綾

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第3章 美しき華炎の使者

180.私のこの場所は

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「……え」



 心臓が、大きく飛び跳ねた気がした。

 聞き覚えのある言葉に、手のひらが一気に汗ばむ。

 そう、あれは――確か、ロランディアにいたときに。

 全く同じ言葉を、彼女から言われたのだ。



「え、ではない。まったく……これだから考えなしの小娘は」



 ヴィオラは大袈裟なため息をついて、冷たい瞳を細める。



「お主、未だにお前の世界に居座ったままらしいな。命をかけられるほどにイグニスを想っていると身をもって示したのは、なんだったんじゃ」



 ……なんだった、と言われても。

 あれはもう、無我夢中だったというか……。

 いやそれよりも、確かに自分は、元の世界とこちらの世界を行き来して仕事をしているが……それがなんだというのだろう。

 中途半端、という言葉の意味は……。

 困惑する私に、ヴィオラはふんと鼻を鳴らした。



「お主は本当に中途半端じゃな。口ではイグニスのことが好きだと言いながら、相手に求めるだけで自分は好き勝手じゃ。覚悟が足らん、と言えばよいかの?……とにかく、そんなんではあいつを振り向かせることなんぞ到底無理だ、さっさと諦めておけ」 

「な……。そ、そんなの!無理かどうかなんて、貴女が決めることじゃ……」

「いいや、無理だな」

「…………」



 どうしてこの人に、こんなこと言われなくちゃいけないの。

 少しずつ、むかむかした気持ちが湧き上がってくる。



「……あの人を振り向かせるのが難しいことなんて、わかってます。貴女から事情も聞いてしまったし、あの人にも……ごめんって言われてますから。でも、私が好き勝手してるとか、覚悟が足りないとか……貴女に言われたくありません」

「はっ。やはり小娘は小娘だの」



 明らかな嘲笑に、また言い返そうと口を開く。

 しかしヴィオラは私より先に、ぴしゃんと尾で机を叩いた。



「だいたいお前、もし万が一あやつに振り向いてもらえたとして、じゃ。所帯を持つとか、あやつと共に生きていくことは考えておらんのか?」

「……え」



 一瞬、何を言われているのかわからなくて、ぽかんとしてしまった。

 しょたい?しょたいって……所帯、のこと?

 共に生きていくこと――所帯という言葉を聞いた後で思い浮かべるのは、焔さんと恋人同士、果ては結婚して夫婦になった――。



「……わかったか?もしそうなったときに、お前が今のまま、世界を行ったり来たりなんぞしていたら、中途半端に決まってるじゃろう」

「…………」



 なんとなく、彼女の言っていることが、分かったような気がした。

 もし、焔さんとそんな――そんな素敵な関係になれたとして。

 私があちらの世界とこちらを行ったり来たり、なんてしていたら……。

 それは確かに、中途半端な態度だと言われても、仕方ないのかもしれない。

 こうして指摘されるまで、どうして気付かずにいたのだろう。

 どうして、その先を想像することをせずにいたのだろう。

 すっかり黙り込んでしまった私の表情に、何を見たのか。

 ヴィオラはそのまま、ふんとそっぽを向くと、自分の分の紅茶をゆっくりと飲み干し、テーブルから飛び降りた。



「まぁ、精々そのない頭で、良く考えてみることだ」



 ゆらりと美しい尾を揺らして、彼女が優雅に去って行く。

 私は最後まで、何も言えずに俯いていた。









「……はぁ」



 だめだ、もう溜息しか出てこない。

 ヴィオラと話した、その後。

 結局頭の中がいっぱいになってしまい、開いた本の文字はひとつも入ってこなくなってしまって。

 夕方を待たず合流したアルトとこちらの世界に帰ってくると、アルトだけをあちらの世界に帰して、ひとり自宅でごろごろしていた。

 ……こちらの世界、か。

 ベッドに寝転がり、考えてしまうのはやはり、ヴィオラに言われたことばかり。

 確かに、恋人同士になったとして。

 お互い別の世界の者同士、というのは……まぁ、恋人ならアリ、かもだけど。

 さすがに、家族になった後にそれは、ないかなぁ。

 今まで、焔さんの好意に甘える形で、元々生きてきたこの世界からあちらの世界に出勤をする、という毎日を送っていたけれど。

 そう、それは……彼に甘えている、ということなのだ。

 しかもお給料は、あちらの世界で使う分と、こちらの世界で使う分、分けてもらっている。

 お陰でこちらの自宅の家賃も問題なく払えているし、食費も日用品も、困らない。

 あちらの世界でもらえている分だって、食堂やカフェで食事したりお茶したりするばかりだけれど、むしろ貯金ができるほどに余っている。

 仕事は、楽しい。

 午前中には最奥禁書領域で焔さんのお手伝いをしたり、リブラリカの薬草畑で薬草の手入れや収穫をして。

 午後は焔さんの魔術授業を受けたり、一般書架を手伝いに行ったり。

 朝ご飯と昼ご飯は、モニカの作ってくれた美味しい食事を、焔さんとアルトと一緒にして、夕ご飯も同じようにしたり、こちらの世界に帰ってきて適当に作って食べたり。

 改めて思い返してみると、なんて――なんて、幸せな生活をしているのだろう。

 これも全部、世界を渡れるようにしてくれた焔さんのお陰で……。

 ごろり、ごろりと寝返りを打ちながら、うーんうーんと考え込んでいた、その時。



「あれ」



 小さなバイブ音に気づいて、むくりと身体を起こす。

 机の上で震えていた携帯電話の液晶には、久々に見る名前が表示されていた。



「はい、もしもし」

『もしもし。ご無沙汰しております、境です。こちら堀川さんのお電話でしょうか』

「お久しぶりです。堀川です」

『よかった。こちらの世界にいらっしゃいましたか』



 本当に久しぶりに聞く境さんの声は、事務的でちょっと、疲れたような雰囲気があった。

 異世界管理課の、境さん。

 よくは知らないけれど、政府の極秘機関とかなんとか……私のように、異世界と関係のある人たちの管理やらなにやらをしているそうだ。

 突然連絡してくるなんて、何かあったのだろうか。



「あの、何かありましたか?」

『ああいえ。何かあった、というわけではないのですが。……そうですね、不定期監査、と言ったところでしょうか』

「監査……ですか?」

『はい。堀川さんは、とても特殊な立場でいらっしゃるので、上の方からちょっと、今の状況とか、色々報告をあげて欲しいと依頼があったのですよ』

「特殊な立場って、ええと?」

『ああすみません。突然よく分からないですよね。ええとですね……堀川さんは、自由にあちらの世界とこちらの世界を行き来出来る状況で、お勤めをされていますよね?それが実は、異例のことでして』



 境さんの淡々とした説明に、心臓がどくんと鼓動を打つ。

 続きを聞きながら、携帯電話を持つ私の手は少し、震えていた。



『一般的には皆さん、行きっぱなしがほとんどで。あちらに渡って、後処理をして、それで我々の管理も終わりになるのです。まぁ最近は、お試しであちらに行って、だめなら戻ってくるとかいう企画もないではないのですが……。堀川さんのように、ご自身の意思で行き来できる方というのは、今現在堀川さんのみ、でして』

「……そう、ですか」

『ええ。それで、いかがですか?あちらでのお仕事、うまくいってます?休日とか、仕事以外であちらに行く頻度もお聞きできると嬉しいのですが』

「はい。ええと……仕事は、とても楽しいです。色々大変なこともありますが……」



 どきどきいう心臓を宥めながら、平常心で答えようとする。

 言い淀んだ頭の隅に、ロランディアでの命に関わるような騒動がよぎるが、気づかなかったことにした。



「……とにかく、職場の皆さんが良くしてくれていて。食事も美味しいですし、やりがいもあります」

『なるほど。お仕事は順調そうですね、安心しました』



 電話口から、カタカタと小さなタイピング音が聞こえる。



『それであの、休日やお仕事以外でのあちらへの移動はいかがでしょう?』

「えと……それなりにしてます。日中、あちらの図書館を利用しに行くこともあります。今日も、行ってきたところで」

『そうなんですね。お食事などもあちらで?』

「はい、お茶を飲んだり、友人と話したりもします」

『そうですか。ということは結構頻繁に、という感じですかね。楽しんでいらっしゃるのなら、何よりです』



 カタカタ、カタカタ……と続いていた音が、止まる。



『ありがとうございます。これで上に報告書を上げることができます』



 ふう、と息を吐いた境さんは、やはり少し疲れているようだった。

 なんだかいつも忙しそうにしている人である。



『それでは、お時間ありがとうございました』

「あっあの……!」

『はい』



 電話が切られる気配に、思わず声を上げた。

 相変わらずどきどきと、心臓が騒いでいる。

 このタイミングで、境さんが連絡してくれたのはちょうど良かった。

 忙しそうにしているところ申し訳ない気もするが……聞いてみても、いいだろうか。



「……あの、ちょっと、聞きたいことがありまして。いいですか?」

『ええ。勿論どうぞ。私に答えられることであれば』



 ごくり、と唾を飲み込んで、声が震えないように、お腹に力を込めた。

 アルトもいない今が、本当にチャンスだ。



「他の方のことを、聞きたいんです。あの……私のようにしているのが異例ということでしたが、その……他の皆さんは、どういう風なのか、とか……」

『ああ、そのことですか。そうですね、一般的な、世界を渡った方たちはですね……』







 静かな部屋は、すっかり夜に包まれて。

 携帯電話から聞こえる境さんの淡々とした声と、アパートの外を走って行く車のエンジン音だけが響く。

 自分の今居るこの立場が状況が、どういうものなのか。

 それをきちんと知らなければいけない、と。

 その想いだけで、私は震える手で携帯電話を持ち続けていた。





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