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第3章 美しき華炎の使者
162.ついに、この日が
しおりを挟む王宮の舞踏会に参加するのは、これが二度目だ。
グレアの好意で、シャザローマで身支度を調えた私と焔さんは、そのままギルベルトさんやグレア夫婦とともに舞踏会へ会場入りをしていた。
金糸の刺繍が美しい、黒地に深緑の上品な礼服姿の焔さんには、とてもときめいたのだが……。
やはり、今日という日の意味を考えればこそ、どんどん気持ちが沈んでいく。
美しいドレスを着ても、あまり浮き足立つような気持ちになれない。
……ドレス姿を喜んでくれた焔さんやグレアには、申し訳ないのだけど……。
「それでは、大賢者様。リリー様。私どもは、挨拶回りをして参りますので」
「ああ、うん」
焔さんとギルベルトさんが話す声を、ぼんやりと遠くに聞いていた。
「……リリー」
そっと肩に触れた手に、はっと意識を戻す。
「グレア……」
「リリー。本当に大丈夫?」
「……うん。私は大丈夫」
「無理、しないでくださいね。……酷い顔よ」
「ありがとう」
私にだけ聞こえるようにそっと囁いて、グレアは夫とギルベルトの後を追っていった。
その後、焔さんと2人で、壁際の長椅子に座って紅茶とお菓子を楽しんだ。
こちらを窺う視線はいくつも感じたけれど、誰も声を掛けてきたりはしない。
そんな中、急ぎ足で近づいてきた赤毛の青年を見て、ほっとした。
「大賢者、リリー!」
「オリバー!よかった、会えた」
人混みを抜けてきた彼に、焔さんが「はい」、とグラスを手渡した。
オリバーは紺色の礼服を着て、少しだけ息を切らしながらグラスの水を一気飲みする。
「はあ……。水、ありがとな。人がすごくて、ここに来るの大変だったよ」
「本当に、人多すぎだなぁ……」
「はは、イグニスげんなりしてるなぁ」
「だって、これ、この前の舞踏会より多いんじゃないか?」
「そうだな。昼間やってるっていうのもあるけど。国中の貴族が来てるんじゃないか?」
オリバーが肩を竦めて言うのも頷ける。
それほどまでに、会場となっているホールはもの凄い数の貴族たちで埋め尽くされていた。
「まぁ……あの話についても、もう半分くらい噂になっちまってるからな。仕方ないか」
肩を竦めて言うオリバーは、陰りがあるものの、一見平気そうな雰囲気を纏っている。
……心の中は全然、平気じゃないはずなのに。
無意識に、ティーカップを包む手のひらに力が籠もる。
「……リリー」
俯いた私を気遣いそっと声を掛けてきたのは、黒と深緑、それに金糸と、宝石のような紅の瞳。
私たちの衣装と同じ生地のリボンで着飾った、アルトだった。
「そんな顔してんの、お前だけだぞ。……しっかりしろ」
「――ごめん、ありがと」
アルトの言葉は、厳しいけれど温かい。
だめだ。ここは、社交の場なのだから。
俯いたりせず、涼しい顔で、背筋を伸ばして……凜と、毅然と。
大切な親友に教わったことを、きちんと実践しなければだめだ。
深く息を吸い込んで、吐いて。
よし、と小さく気合いを入れる。
無力な自分に対する怒りや、悲しい気持ちは……今だけ心の奥に閉じ込めて。
大賢者様の秘書として、しっかりしなければ。
姿勢を正し、ぐっと顔を上げた、その時だった。
ざわり、と、会場の入り口付近から大きな声が聞こえてきた。
「ああ、来たか」
隣の焔さんがぼそりと呟いて、立ち上がる。
私は、それを聞いて弾かれるように長椅子から立ち上がっていた。
ここからホールの入り口までは結構な距離があるけれど、人混みの中心だろうというあたりをじっと見つめる。
隙間からちらり、ちらりと見える、赤と金のドレス。
――きっと、シャーロットだ。
今日この会場の、誰よりも豪華なドレスで、彼女が到着したのだろう。
すっ、と隣から差し出された焔さんの腕。
見上げると、フードの隙間からちらりと、いつもの優しい微笑みの形をしている彼の口元が見えた。
「リリー。行こう。……ロイアーに挨拶、するでしょう?」
「……、はいっ!」
先ほどまであんなに人混みを嫌がっていたのに、シャーロットの所まで連れて行ってくれるようだ。
焔さんの腕に、そっと手を置いて……エスコートを受けながら、逸る気持ちを隠し、ゆっくりと歩いていく。
すぐ傍に、オリバーも一緒に来ていた。
――今日のシャーロットは、この舞踏会の主役だ。
ロイアー家の当主である母親に付き添われて参加するのだと、シャーロットは寂しそうな顔で言っていた。
焔さんと私たちがゆっくり歩いていくと、気づいた貴族たちがすっと道を空けてくれる。
そうやって開けた人混みの中心には――やはり、一際大きな広がりを見せる美しいドレスを着て母親の傍に立つ、シャーロットの姿があった。
「あ……」
目が合ったシャーロットの瞳が、大きく揺らぐ。
誰より美しいドレスを着ていたとしても、今日のシャーロットがとびきり美しく着飾っていたとしても……私の目には、今にも泣きそうな彼女の姿が映っていた。
――今すぐ駆け寄って、抱きしめたい。
そんな気持ちをぐっと堪えて、私はシャーロットを見つめ返して、頷いた。
大丈夫、私たちがいるよ――、って。
伝わればいいと、心から祈る。
「ああ……!大賢者様でいらっしゃいますね」
シャーロットの傍にいた貴婦人が、こちらに大きく礼を取った。
「お初にお目に掛かります。先代リブラリカ副館長を務めておりました、マリアンナ・ロイアーでございます」
「やあ。ロイアー。君の娘にちょっと、挨拶をしようと思ってね」
焔さんが、ひとつ頷いて軽い口調で言う。
私とオリバーは、その場で礼を返した。
「いつも娘から話を聞いておりました。大変お世話になっておりますようで、本当に感謝しております」
再び顔を上げたロイアー家当主――シャーロットの母親は、とても綺麗な人だった。
艶のある金髪は豊かで、年齢が窺い知れない美しさが見える。
指先までしっかりと洗練された動作。鋭い瞳。
オルフィード国の名門貴族。
その当主として威厳のある立ち居振る舞いをする、強さを感じさせる女性だった。
「ロイアーは本当によく働いてくれているからね。助かっているよ」
「光栄でございます。……あら、そちらはもしかして、秘書様でいらっしゃいますか?」
――きた。
私に向けられた、夫人の強い視線に身体が竦みそうになる。
ぐっと堪えて、微笑んでみせるんだ。
大丈夫、今の私なら、できる。
「はい婦人、リリーと申します。お初にお目にかかります」
「……ええ、初めましてですわね。いつも娘がお世話になっております」
一瞬の間で、頭のてっぺんからつま先まで、ざっと彼女の視線が走るのがわかった。
にこり、と笑んでくれたから、大丈夫……かな?
シャーロットに教えてもらったことだ。
社交界は、最初の印象が一番大切。
初対面の相手に見下されることのないよう、凜と振る舞うこと。
それが大事――だったよね、シャーロット?
当主との会話が終われば、シャーロットに話し掛けることができる。
再び目を合わせた彼女は、嬉しそうな表情で口を開きかけていて――。
しかし、彼女と会話することは叶わなかった。
「すまない、通してくれ」
私の後方から聞こえた声に、シャーロットの瞳がひび割れたように見えた。
振り返ると同時、人混みから現われたのは――白い礼服に金の刺繍や飾りが眩しい、ライオット王子と国王陛下の姿。
「ロイアー、よく来た」
「国王陛下……!」
国王と王子、そして焔さんを残して、その場にいた貴族たちが全員、膝をつき深く礼を取る。
すぐ近くに居た貴族が、「やはり、王子の相手は……」と囁いているのが聞こえて、ぎゅっと心臓が痛んだ。
「皆、楽にしてくれ。顔を上げなさい」
優しげな国王の声に、貴族たちが次々と顔を上げる。
「大賢者殿。本日は良くいらしてくださった」
「お邪魔しているよ、国王」
頭上で、焔さんと国王が会話をし初めても、私は……なかなか顔を上げられずにいて……。
――え?
床ばかり見ていた私の視界に、ちらり、ちらりと……何かの影が映り込んだ。
何……?
集まった貴族たちの、色とりどりのドレスの裾。
その隙間を縫って、何かがちょろちょろと動き回っているようなのだ。
「……おい、リリー」
「アルト、あれって……」
こそ、と耳元で囁いてきたアルトに、囁き返した、その時。
「陛下!国王陛下……!」
ホールに響き渡った騎士の声に、演奏者たちの手が止まり、人々が入り口を振り返って――。
「――っ、梨里さん!」
「わ――!」
突然焔さんに抱き寄せられ、ローブと彼の身体に、アルトごとすっぽりと覆われる。
「陛下!」
「父上!」
「ほむらさ……っ」
「シャーロット――っ!」
「きゃあああああああ!」
次いで、ホールに響き渡った沢山の悲鳴にびくりと身体が震える。
ごおおお、と何か大きな音が、悲鳴や叫び声と一緒に聞こえていた。
――何、何が起きてるの?!
シャーロットは、オリバーは無事――っ?!
混乱する私はただ、焔さんに縋っていることしかできなかった。
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