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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
135.暴かれた過去<2>
しおりを挟む「は……?」
何を、言ってるの?
投げられた言葉の意味が理解できずに、思考が完全に停止する。
焔さんが、大切な女性を、何……?
そんな私の様子さえも可笑しいのか、ヴィオラはくすくすと笑いながら頷く。
「急にこんなことを言われても、お前のような反応をするのが普通よな。ふふ、じゃが本当なんじゃよ。あのイグニスが、ザフィアやアイビー、そして私と一緒に過ごしていたあの頃な。いやあ、毎日それはそれは楽しかったんじゃがな」
……いや。
「あんなに楽しかった日々を壊したんじゃよ。イグニスとザフィアがな」
いやだ。
「可哀想なフィオレッタ。あんなに純粋にイグニスのことを想っておったのに。あんなに可愛い娘を、イグニスは……」
「いや……っ!」
ついに私は、悲鳴のような声を上げて両手で耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込んでしまった。
嫌だった。
そんな話、聞きたくなかった。
信じられない――それとも、信じたくない、なのか。
彼が話してくれない彼の過去を、こんな形で聞きたくないから、なのか。
こんな話を、楽しくて仕方ないとでも言いたげに話すヴィオラの笑い声が、耳障りだからなのか。
――それら全てが理由、なのだろう。
知りたくて、話してもらいたくてたまらなかった彼の……焔さんの過去。
それを、彼以外の口から聞くことになるなんて。
しゃがみ込んだまま、震えるしかできない私。
カツカツと近づいてきたヴィオラは、私の髪を掴んで無理矢理ぐい、と顔を上げさせた。
「いった……!」
今度は、間近で合ってしまった、凍えるようなアイスブルーの瞳に圧倒されて、息を呑む。
彼女のほっそりした華奢な腕が、その見かけからは想像もつかないような強い力で、耳を塞ぐ私の両手を握り、無理矢理耳を開かせた。
「まぁ、良く聞くと良い」
「……や、だ」
「お前に拒否権なぞないんじゃよ、小娘」
周囲に漂い始めた氷の女賢者のマナが、周囲の気温を急激に下げていく。
そのマナの鋭さに怯えて、私の全身はがたがたと震えはじめた。
古くから生きている、女賢者と呼ばれる彼女からしてみたら、異世界から来ているだけの私なんて、取るに足らないような脆弱な存在。
――焔さん本人から聞くのではないのなら、こんな話、聞いちゃいけないはずなのに。
私にはこれ以上、拒否をすることは出来なかった。
がたがたと震える私に、ヴィオラの冷たい視線が刺さる。
「良いか。お前は知らなければいけないのじゃよ。イグニスの懐に入ったお前の、義務じゃ。私がこうして話さなければ、あのイグニスが話すわけがない。本人から聞きたい、そう思ってるんじゃろ?馬鹿な小娘は。残念じゃが、何百年待ったところで、あいつがこのことを口にするなんぞ、ついぞないわ」
「義務……って、どういうことですか」
「言葉通りの意味じゃ。お前は知らなければいけない。イグニスの過去、心の傷をな」
……なに、それ。
彼女の言葉は、意味がわからないことばかりだ。
どうして、彼の話したがらない過去を知ることが、私の義務になるのだろう。
そんな、本人が話したくないような心の傷を、別の人から聞くなんて。
うん、間違いなく良くない。
焔さんだって、知られたくないのだろうし……。
しかし、ヴィオラは私の両手を掴む手に、ぎりりと力を込めた。
私の気持ちを見透かしたかのような瞳が、私の奥をのぞき込む。
「まぁそんなに難しい話ではないのじゃ。いいか?フィオレッタは、己の教師となったイグニスに恋をしていた。しかし、イグニスは彼女の気持ちを男女のものだとは受け取らなかった」
「…………」
「やがて内戦が終わり、オルフィード国が出来てすぐの頃。まだ国力の低い国を守るため、隣国と和平を結ぶことになった。初代国王と建国の大賢者は和平のために、隣国の王太子へ、フィオレッタとの婚姻を持ちかけて了承されたのじゃ。……どういうことか、わかるな?」
確認の言葉に、たまらず彼女から視線を逸らした。
恋をしていた王女様は、実の兄と、そして恋する相手から、別の男性との結婚を命じられた。
そんなの――辛いに決まってる。
「フィオレッタは嫁ぐまで、何度もイグニスへと想いを告げたが本気で取り合ってもらえず、そのまま隣国の王太子と結婚し、そして――死のうとした」
嗚呼、と目を閉じる。
痛ましい話を、ヴィオラは静かな声で淡々と続けた。
「だが今際の時にな、妖精に助けられたらしい。そのまま人間であることを捨てて、妖精の国へと渡ってしまった。知らせを受けたイグニスとザフィアは、その時になって初めて、フィオレッタの気持ちがどれほどのものだったかを知った……と、こういう話じゃ」
話が終わったと同時に、ようやく両腕が解放される。
じんと痛む両手を引き寄せながら後退る私に、彼女は肩を竦めてみせた。
「まったく、炎の大賢者などと恐れられていた男にも、相当ショックな出来事だったらしくてな。その後すぐあやつは、国のことをザフィアに任せて、自分はあのでかい図書館に籠もりきり出てこなくなってしまった。ザフィアの葬式にも来んでな。それが800年じゃ。そんなんだから今になって、こんなことになっているというわけなんじゃよ」
不本意ながらも、彼の過去を知ってしまって。
私はすぐに、言葉が出てこなかった。
ヴィオラが話したことが全て、本当のことかどうかなんて、私には分からない。
それでも本当だとしたら……。
――やっぱりこんな話、他人から聞くべきじゃなかった、と強く後悔が押し寄せる。
焔さんはそれで、あんなふうに最奥禁書領域に閉じこもってしまったんだ。
それは、後悔の気持ちからだったんだろうか。
それとも、何か他の……。
地面を見つめ黙り込む私に、ヴィオラは真剣な声で続けた。
「知識というのは、大切なものじゃろう?」
「……今度はいきなり、何の話を……」
「あいつが好きだというならば、相当な想いがなければ届かないじゃろうて。今の話もそうじゃ。本人が話したがらないのだとしても、その過去すら知識として力にしなければ、ぶつかるための下地すらできん」
「え……」
好きって、私が焔さんを?
この人には言っていないはずなのに、どうしてそれを……。
「……おいおい。わからんとでも思ったか?見ていれば分かるわ」
「うぐ」
私の心を読んだように、呆れ果てた彼女の目に、息が詰まる。
……そんなにわかりやすいつもりは、なかったのだけれど。
「あの男相手に、普通の恋愛なんぞできるわけがあるまい。どんなものでもかき集めて、使えるものは全て使ってぶつかっていけ。告白もさっさとしてしまえ。回りくどい方法はだめじゃぞ。しっかりはっきり、誤解する隙すら与えないように正確に伝えるんじゃ」
「え……と」
「どんな汚いやり方してもいい。いい加減、あのこじれたどうしようもない男を落としてやれ」
「ちょっと……あの、なんでいきなりそんな……その、応援、するようなこと言うんですか?」
もう、混乱する頭が事態についていけていない。
さっきの話も衝撃的だったけれど、どうして彼女から……私を嫌っているはずのこの人から、突然恋の後押しをするようなことを言われているのか。
……いや、後押し、と言うにはちょっと強すぎるような……むしろ全力で背中を蹴り上げられているような気さえするけれど。
本当に、何がどうなっているのだ。
私のこと、嫌いなんじゃなかったの……?
彼女は私を睥睨すると、ふんっと鼻を鳴らして腕を組み、そっぽを向く。
「別に応援してるわけではない。無論、馬鹿正直にぶつかって派手に振られたら大笑いしてやるさ」
「……ちょっと」
「だがな。あいつのためにと、躊躇いなく己の命を危険にさらした……そんなお前なら、あの頑固な偏屈男を救うのに、使ってやってもいいか、なんて思っただけだ」
そんなヴィオラの姿にふと、思う事があった。
……もしかしたら、この人はそこまで悪い人ではないのかもしれない。
相当めちゃくちゃではある、と思うけれど。
――どんな汚いやり方をしてもいい。
どんなものでもかき集めて、使えるものは全て使ってぶつかる……、か。
確かに、焔さんにそんな過去があるというのなら、必死にならないと、この想いは届きそうにない。
「……一応、お礼は言っておきます」
「そんなものいらん。勝手に振られてしまえ」
「ええぇ……」
もうこんな彼女の返しにも、少し慣れてきてしまったかもしれない。
思わずくすりと笑みを零した、その時。
ざくざくと草を踏むような足音が、頭上から聞こえてきた。
ヴィオラと2人、顔を上げると、夜空が見える天井の隙間に突然、眩しい灯りが現われた。
「――やっぱり、いた」
久々の強い光に目を細める。
はっきりしない白っぽい視界に、小柄な影が揺れた。
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