大賢者様の聖図書館

櫻井綾

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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶

83.思いがけない出会い

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 のんびりと村全体を散策するのは、思ったよりも時間がかかった。
 中心地の噴水広場から放射状に、広い畑などの農地が多いため、家の数に比べて村自体の敷地が意外と広かったのだ。
 気持ちのいい真夏の昼下がり。
 畑の間に出来た道を、肩にアルトを乗せて、ライオット王子とてくてく歩いて行く。
 ……すごく、のどかだなぁ。
 森の中の農村ということもあって、空気はとても澄んでいる。
 木々の合間の畑で仕事に精を出す人々。
 放し飼いされた鶏のような生き物や、牛とも豚ともつかないような家畜たち。
 綺麗な緑と、積み上げられた石垣のコントラスト。
 大きく息を吸って、吐いてを繰り返しながら景色を楽しむ。
 絵に描いたような田舎の風景の中をゆっくり歩く時間は、なんとも言えない開放的な気持ちになれた。
 とはいえ、当初の目的を忘れた訳ではない。
 私たちに任されたのは、このロランディア村の調査だ。
 村人たちと仲良くなることも、現地の人から色々な話を聞くために重要なこと……なのだけれど。
 道行く途中、ふと作業から顔を上げてこちらを見る村人がいる。

「こんにちは」
「…………」

 何事も挨拶から、と思い、こちらから声を掛けるのだが……8割くらいの人が、無言のまま作業に戻ったり、軽く会釈する程度。
 昨日のうちに私たち大賢者一行についての話は、村中の人の知るところになったそうなのだが――やはり、よそ者はよそ者、ということか。
 どこの世界でも、田舎というのは少々、よそ者には厳しい気質のようだ。
 そんなことを繰り返しながら、歩き始めて2,3時間が経った頃。
 一旦図書館付近まで戻ってきた私たちは、道端の小さな広場のようなところでベンチに腰掛け、休憩を取ることにした。

「……っふわあーー!あっつい!」

 どっかりとベンチに身を投げ出すように腰掛けて、ライオット王子がだらりと空を仰ぐ。

「お疲れ様です。……はい、レディ・オリビアが持たせてくれた飲み物」
「お!ありがとう助かる!」

 出発前に渡されていた小型魔道具の筒――所謂水筒みたいなもの――を1本、持っていたバスケットから取り出してライオット王子に渡し、自分の分も手に取った。
 ひんやりとした金属の筒の感触が、火照った手のひらに気持ち良い。
 この暑さの中数時間持ち歩いたにも関わらずこの温度……うん、やっぱり魔道具ってすごい。
 蓋をコップ代わりにして中の飲み物を注ぐと、ふわりと柑橘系の香りがした。
 そっと一口、口をつけてみれば、まるで冷蔵庫でしっかり冷やしたかのような温度の、ほのかに甘みと酸味のある液体が喉を滑り落ちていく。
 真夏にこれは、とんでもなく美味しい。

「何これ、美味しい……!」

 思わず感嘆の声を漏らすと、「本当に美味だな!」とライオット王子が嬉しそうに頷いた。

「やっぱり夏といえばこれだよな!確かランジェは、ここの名産だったか」
「ランジェ、ですか?」
「ああ。……ほら、あそこの木、見えるか?赤くて丸い実がなってるだろう?」

 言われるままに指された方向を見ると、大きめの赤くて丸い実をつけた果樹が目に留まる。
 今日歩いていた中でも、この村の至る所に植えられていた木だ。

「うん、見えるよ」
「あれがランジェの木だ。あの赤い果実がランジェ。酸味と爽やかさが強くて、甘みもある果実でな。今飲んでるこれが、あのランジェの果実から作った果実水なんだよ」
「へえ……」

 ライオット王子からもらった説明に、再びコップの中の果実水に視線を落とす。
 見た感じ、透明……に、ほのかに赤味がかった液体、といったところだろうか。
 もう一口飲むと、またすうっと爽やかな酸味と甘みが喉を通りすぎていって、身体を内側から涼しくしてくれる。
 なんだかとてもやみつきになってしまいそうな味だ。

「……うん、これ、すごく好き」
「お、リリー気に入ったのか?」
「うん、私これ、すごく好みの味かもしれない」
「そっか。うん、ランジェは俺も好きなんだ」

 そう言って笑う彼は、本当に嬉しそうだった。
 アルトにもじゅうぶんに果実水を分けて、夏の陽気の中、涼しい風に吹かれながらの休憩時間は穏やかに過ぎていく。
 そんな中。
 遠くの方から、何やら賑やかな声と足音がぱたぱたとこちらに近づいてくるのに気がついた。
 釣られるようにして広場の入り口に視線を向けると、5人ほどの小さな子供たちが駆けてきて、広場に入ったすぐのところで急停止したところだった。
 男の子が3人と、女の子が2人。
 子供たちはこちらを凝視したまま、驚いたように目を丸くして固まっていた。
 ……これは、こちらから声を掛けてもいいものだろうか。
 ふと頭をよぎったのは、午前中に逃げていってしまったミモレの姿。
 声を掛けたら、あんな風に逃げられてしまうんじゃないか、と……そう思ったら、どうしていいのかわからなくなってしまった。
 困り果てたまま、隣のライオット王子と顔を見合わせる。
 彼は私の表情から何かを悟ったのか、軽く頷くとおもむろにベンチから立ち上がった。
 ライオット王子のその動作に、一瞬子供たちがびくりと反応して後ずさる。
 はらはらしながら見守る私を背に、ライオット王子は数歩子供たちの方へ歩くと、十分な距離をとったところで立ち止まった。

「この村の子供たちか、元気だな」

 ライオット王子の、王子モードの言葉に今度は子供たちが顔を見合わせた。
 やがて、リーダー格らしい男の子がじり、と一歩前に出てくる。

「えっと……もしかして、あんたが王子様?」
「ああ。第一王子のライオット・フェリオ・オルフィードだ」

 腰に手を当て、威厳たっぷりに言い放ったライオットに、子供たちは更に目を丸くしながら「王子だって」「本物だ」等と囁き合っている。

「あっちに座っているのは、大賢者の秘書をしているリリー。俺たち、昨日村に来たばかりなんだ」

 王子の言葉に、今度は子供たちの視線がこちらへと向いた。

「こんにちは。びっくりさせてごめんね」

 できるだけ優しく、を心がけてそう声を掛けると、子供たちのうち何人かが小さな声で「……こんにちは」と挨拶を返してくれた。
 よし、これならなんとか逃げられずにすむかも。
 ちらりと見えた希望に、ちょっと心が明るくなる。
 そんな中、ライオット王子と私を交互に見ていたリーダー格の男の子が、まだ固い表情をしながら口を開いた。

「……あんたたちのこと、昨日母ちゃんたちが話してた。国の偉い人たちが、急に来たって。こんな田舎に、何しにきたんだよ?」

 まだだいぶ警戒されているような、固い声だ。
 今度はその男の子の後ろから、別の男の子も恐る恐るといった様子で顔を覗かせた。

「うちの母ちゃんも言ってた。何しにきたのかわかんないって。……怖い人に連れてかれちゃうから、話しちゃだめって」

 ……どうやら本当に、この村の人達にはかなり警戒されてしまっているらしい。
 さて……どうしたものか。
 そんな私の不安をよそに、ライオット王子はふむ、と少しだけ考え込むと、私の方を振り返った。

「リリー、そのバスケット、ランジェの他に何か入ってるか?」
「えっ?……うん、えっと、お菓子とか、軽食も少しあるけど」
「お、いいなそれ」

 満足そうに頷くと、ベンチまで戻ってきたライオット王子は、まだ警戒した様子の子供たちに手招きした。

「お前たち、お腹は空いていないか?お菓子とランジェを報酬にやるから、こっちにきて一緒におやつでもしよう」
「報酬……?」
「ああ。まだこの村にきたばかりだと言っただろ?全然村のこと知らなくてな。なんでもいいから教えてくれ。その報酬に、美味しいお菓子とランジェをやる」

 言い方はちょっと偉そうな、いつもの王子口調。
 いくら子供相手とはいえ、そんな簡単にいくものだろうか。
 戸惑う私からバスケットを受け取ったライオット王子は、中を覗いて「お」と少し大袈裟に声を上げた。

「今日のお菓子は、王都で流行の焼き菓子とケーキだな」
「王都のお菓子……?」
「ケーキ?本当?」

 ライオット王子の言葉に、女の子たちが反応した。
 確かにバスケットには、レディ・オリビアが用意してくれたランジェの水筒の他にも、今朝方リブラリカのモニカが持たせてくれたお菓子やらケーキ、それにサンドイッチなんかも入っていたような気がする。

「報酬だからな。俺からのちゃんとした褒美だぞ」

 子供たちはひそひそと、頭を突き合わせて何やら話合いをしている。

「……よくやる」

 私の横で、ぼそりとアルトが溜息をつく頃。
 子供たちは話合いを終えたらしく、おずおずとこちらに近づいてきて、警戒と興味が入り交じったような目でこちらを見上げた。

「……お、俺たちのほうがここでは先輩だからな!仕方ないからそのお菓子、もらってやってもいいぞ!」
「おう、好きなだけ食べていいぞ」

 にかっと笑ったライオット王子の笑顔に、子供たちの肩がほっと下がるのが見えた。
 そうしてあっという間に、どういうわけかロランディア村の子供たちとのお茶会のようなものが始まったのだった。




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