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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
75.囲まれないでください
しおりを挟むきらきらと爽やかな眩しさを振りまきながら部屋へと入ってきた王子に、焔さんは盛大に溜息を吐いた。
「相変わらず騒がしいね、お前は……」
「なんだよ。もっと喜んでくれよ……ようやっと許可が取れたっていうのに」
「それは嬉しいけどね」
……許可?なんの許可だろう。
さっぱり見当がつかない中、首を傾げるだけの私に「あれ?」と王子が焔さんを振り向いた。
「大賢者、リリーに話してないのか?」
「ああ、まだ話してない。今日は謁見だから一緒に来て貰っただけだし」
「なんだよ。もう謁見まで時間ないのに」
「あの……マスター?一体何の話ですか?」
外行き用の呼び方で焔さんに問いかける。
彼はちょっとだけ眉尻を下げ苦笑しながら、よいしょっと長椅子から立ち上がった。
「説明が後になってごめんね、リリー。リブラリカに帰ったらちゃんと話すから」
結局そのまま、王子に連れられて向かった謁見の間には、数段上がった玉座に座る国王の他に近衛騎士や大臣とみられる人たちが私たちを待ち受けていた。
緊張に早くなる鼓動を感じながら、玉座へとまっすぐ歩いて行く焔さんの後ろをついて行き、部屋の真ん中ほどでスカートを広げ身を沈める、最敬礼をとった。
焔さんは王子と共にそのまま玉座の前まで歩いて行くと、国王の正面で礼を取ることもフードを外すこともなく、ひらりと軽く片手を上げた。
「やあ現国王。久しぶりだね」
一国の主に向かってこの態度……。
国王よりも遙かに長い刻を生きている大賢者だからこそ、咎められることのない行為だ。
私も初めてこの対面を見た時には冷や汗をかいたけれど、今回はもう二度目。
内心、それでいいのか、とツッコミをいれつつ、礼を取った姿勢で絨毯だけが視界に映るまま頭上に彼らの会話を聞いていた。
「大賢者殿も、お久しぶりです。お元気そうで何よりだ」
柔らかい初老の声は、国王のものだ。
「それで、呼び出しがあったってことは、先方の確認が取れたってことでいいのかな?」
「ええ。つい今朝方、あちらの司書と村長から返書がありましてな。そういう事情であれば、是非にと」
「上々。それで? それだけじゃないでしょう?」
「はい。正式に、王命という形で調査依頼することになりましてな。調査には、我が息子ライオットを同行させて頂きたいのだが、いかがか?」
「いいよ。報告書もちゃんと提出する」
「ありがたい、感謝しますぞ、大賢者殿。他の皆も、それでよいな?」
顔を伏せたままではよく分からないけれど、しばらく続いた沈黙の時間は、恐らく周りの大臣たちに確認を取っているのだろう。
あちらの司書と村長、報告書、調査依頼……。
国王の言葉端から、どこかの村の図書館に関係する調査の話――くらいまでは予想ができるのだが。
舞踏会が終わってから今まで、そんな話題は一言も耳にしていない。
焔さんはリブラリカに戻ったら話す、と言ってくれたけれど、本当に何の話なのだろう。
謁見はそれであっさりと終わってしまい、焔さんは「早速準備するから」と踵を返した。
「お疲れ様リリー。リブラリカに戻るよ」
「はい……」
謁見の間を後にして、焔さんにそう声を掛けてもらっても、まだ戸惑いが抜けきらない私。
侍従さんに城の玄関まで案内してもらいながら、焔さんは顔だけこちらを振り返った。
「ごめん、疲れた?」
「いえ、そんなことは」
疲れたといえば、まぁ緊張もしたし、疲れた気もするけれど……それよりも、先ほどの会話の内容が気になる。
急に舞踏会への参加を決めた時のように、また突然何かに巻き込まれるような予感がして少し不安だった。
私の表情からそんな不安を読み取ったのか、焔さんは一度立ち止まると「ごめんね」と申し訳なさそうな声で、私の手を取った。
「本当に、帰ったらちゃんと説明するから。……大丈夫、前みたいに勝手に決めたとかでは――」
と、話途中の焔さんの言葉は、突如廊下に響き渡った黄色い悲鳴にかき消されてしまった。
キンと耳に響く甲高い声に、びくっとその場で飛び跳ねる。
続いて聞こえてきたのは、パタパタという足音と、若い少女たちの興奮した声だった。
「ちょっと――ちょっとお待ちになって!」
「そこの侍従、止まりなさい!」
「え、な、何――わわっ!」
背後から近づいてくる足音に振り返る前に、足下のアルトにぐいと強くスカートを引かれ、2、3歩横によろめく。
それはどうやら、間一髪だったらしい。
一瞬後には、私の身体を掠めて色鮮やかな布の塊――ではなく、ふわっふわの豪華なデイドレスを纏った3人のご令嬢が突撃してきていた。
……危ない、あのままあそこに立っていたら、多分跳ね飛ばされてた。
あまりのことに驚いて目を瞬かせるばかりの私など視界に入らないのか、可愛らしく着飾った少女たちはずいっと焔さんへ身体を乗り出しながら賑やかな鳥の囀りのようにまくし立てていた。
「あのっ!そのお召し物、大賢者様でいらっしゃいますわよね?」
「ああ、本当に間近で見ると背が高くていらっしゃるのね!素敵!」
「私たち、あの舞踏会の夜からずっと、大賢者様にお会いしたいと思っておりましたの……!」
……なるほど、彼女たちはあの時の舞踏会に来ていた令嬢たちのようだ。
こんな昼間に王城に居られることから、それなりの身分の貴族なのだろう。
「ねぇ大賢者様!私たちとお話致しませんか?」
「こんな場所でお会いできるなんて、運命ですわ。中庭でお茶でもいかがでしょう?」
「沢山お話を聞きたいのです……!」
「ね、よろしいでしょう?」
「え、えっと……と、とにかく落ち着いて……」
さすがに参った様子の焔さんが宥めようとしているけれど、3人の中の一人が、焔さんへともっと身を寄せ華奢な手でその腕に触れたのを見て、私はハッと我に返った。
「大賢者様、是非仲良く致しましょう?」
甘えるようなその声に、思考が戻ってくると同時にむっとする。
……さすがに目の前でこんな光景を見せられるのは、彼に片思いしている身としてちょっと面白くない。
焔さんはといえば、はっきり断らずわたわたしているばかりだし、そんな様子に更にテンションを上げる令嬢たち。
カチッと何かのスイッチが入るような感覚がしたのは、両隣を令嬢たちにぴったりすり寄られた焔さんが、困ったような視線をこちらに向けた時だった。
「――失礼致します」
その瞬間、普段の自分より数段低い声が出たのがわかった。
ぐっと女性たちの間に身を滑り込ませ、焔さんを背に彼女たちと向き合う。
思い出すのは、いつも凜として誰にも負けないくらい凜々しく美しい、親友の姿。
みっちり教えられた通り背筋を伸ばし、胸を張って……真正面から令嬢たちの目を見つめ返すと、ほんの僅かに彼女たちが動揺したように見えた。
「あ、貴女……何よ、邪魔するつもり?」
「申し遅れました。私、大賢者様の秘書をしております、リリーです」
たじろぎながらも剣呑な視線を向けてくる令嬢に、私はそう言ってスカートを摘まみ、軽く礼をした。
令嬢のひとりが、「あ、あの時の……」と小さく呟く。
それに聞こえないふりをして、にっこりと笑顔を見せた。
「ご歓談のところ申し訳御座いませんが、大賢者様はこの後予定が詰まっております。本日は失礼させて頂きます」
もう一度軽く頭を下げて、勢いよく踵を返す。
ぽかんとこちらを見つめている焔さんの腕を――先ほど、令嬢に触れられていたその腕を、今度は私が有無を言わさず掴んだ。
「さあマスター、参りましょう」
「……あ、ああ……」
焔さんを半ば引きずるようにして、彼女たちをその場に残し足早に廊下を進む。
何だか、勢いですごいことをしてしまったような……!
令嬢たちからだいぶ離れた頃に、ぶわりとそんな焦りがわいてくるけれど、タイミングも何も分からないから振り返ることもできないし、掴んだままの焔さんの腕を放すこともできない。
勿論、急いで帰らなければいけない仕事なんてないし、ただあの令嬢たちから焔さんを引き剥がしたいという私の……嫉妬心からの行動だ。
――焔さんに、呆れられたりしていたら……どうしよう。
今更になって冷や汗が滲んできた気すらする。
そんな調子のまま、何度目かの角を曲がった時だった。
「……あの、梨里さん」
「!っは、い……」
前を歩く侍従さんに聞こえないよう、抑えた焔さんの声が背中に掛けられた。
多少裏返った返事をしつつも、振り返ることはできない。
「さっきはありがとう……梨里さん、すごくかっこよかった」
「――え」
思いがけない言葉に、軽く振り向きかけたけれど。
「ちょっとときめいた」
「!?」
続けられた言葉に、ぶわわっと顔面が真っ赤になったのを感じて、またもや振り向くことができなくなった。
「な、そ……えっと、」
ああもう、焔さんの腕を掴んでいる手も、足の先まで熱くて仕方ない。
何を言ったらいいのかわからなくなって、ぐるぐると混乱する頭でなんとか口を動かす。
「……あれくらい、次からはちゃんと、自分で断ってくださいね……」
「うん、頑張る」
ちょっぴり嬉しそうな焔さんの返事に、また全身の熱が上がった気がする。
そんな私の足下をちょっと小走りについてきながら、相棒の黒猫がやれやれと言いたげな目でこちらを見ていた。
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