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第1章 大賢者様の秘書になりました
65.明日になれば<side:梨里>
しおりを挟む長いような、短いような……夢を見ていた気がした。
再び目が覚めた時、部屋の中は真っ暗になっていて、頭はだいぶすっきりしているように感じた。
上体を起こしてみても、身体はまだ怠いが気持ち悪さやぐらぐらした感覚はない。
……熱、少しは下がったのかな。
枕元の時計は、夜の11時頃になっていた。
随分と長く寝て居たらしい。
「……お、起きたのか」
「アルト?」
暗闇から聞こえた声は、確かに相棒のもの。
立ち上がって、部屋の電気をつける。
明るさが目に眩しかったけれど、ソファの上からこちらを見つめる綺麗な紅い瞳を見つけた。
「身体はもう大丈夫なのか?」
「うん、まだちょっと怠いけど……だいぶ良いみたい」
「そうか」
台所で水を飲もうとして、ふと私の部屋では見慣れない物が視界に入った。
「あれ?これは……」
テーブルの上に置かれた、大きめのバスケット。
そういえば、なんだか美味しそうな匂いがしている気もする。
「ああ。それ、イグニスが置いてった」
「……え?」
「安心しろ。中身はモニカの特製料理だ。あいつ、お前が熱出したって聞いて、差し入れ持ってきたんだよ」
「モニカの料理……あ、ほんとだ」
そうっと蓋をずらして覗き込んでみれば、この1ヶ月で慣れ親しんだ香辛料の香りが鼻を掠める。
いつも朝食に使っている物より大きなそのバスケットには、食べやすそうで、食べ切れなさそうな数の料理がぎゅっと詰まっていた。
「……って、焔さんが置いてった?これを?」
「ああ」
「それって、ここに来たってこと?」
焔さんが、私の部屋に来てた……?!
先ほどはさらりと流してしまったことが、なんだか重大な何かに思えてさあっと血の気が引く。
「ああ。――あー、まぁ、なんだ。そのバスケット置いて、すぐ戻っちまったけどな」
珍しく少しだけ歯切れ悪い言い方をして、アルトが後ろ足で頭を掻いている。
そう……、すぐ戻った。
それならよかっ……いや。良くない、よね?
私寝てたよね?思いっきりパジャマで。
待って待って。
少しだけよろめいて、テーブルに手をついた。
……それって。
好きな人に、知らない間に寝姿を見られた、という――?
「……アルト。あの、私……」
これはどう聞いたものか、と言葉を詰まらせる私の様子に、アルトは「気にするな」と前足を振った。
「大丈夫だ。壁際向いてたし、あいつも背中くらいしか見てないだろ」
「……寝相、とか」
「至って普通だったし、寝言も言ってない。本当にあいつすぐ帰ったし気にすることない」
「……そ、う?」
それなら良かった……のか?
多少考えこみながらも、その後、軽くシャワーを浴びて着替えを済ませる頃には、そこそこ落ち着きを取り戻していた。
アルトは変な嘘は吐かないし、きっと本当に大丈夫……なのだろう。
うん、私の精神安定のためにも、もう、そういうことにしておこう。
バスケットからリゾットとスープ、柔らかなパンを取り出してテーブルに並べ、食事を取った。
思っていたよりも空腹だったらしく、モニカの優しい味付けがじーんと身体に染み渡っていく。
「……おいしい」
「そりゃあ良かった」
「焔さんにも、モニカにも……お礼、言わないと」
「明日には、良くなってるといいな」
「うん」
温かくて優しい食事で満たされていくと、鈍かった思考もまた、回るようになってきたようだ。
そうして――思い出す。
あの、本のことを。
少しは落ち着いてきて、思考も回る今ならば、ある程度冷静に考えることもできるだろう。
眠りに落ちる直前に手放した本を探して、部屋中をぐるりと見渡す。
目的のあの本は、いつの間にか机の上へと戻されていた。
私が寝ている間に、アルトが戻してくれたのだろうか。
――それとも。
ちらりと、ソファの上で呑気に毛繕いをしている黒猫に視線を向ける。
「……ねぇ、アルト」
「んー?」
「この前リブラリカの仕事を手伝ってる時にね、大賢者の書架っていうの見たんだ」
「……へー」
ぴくりと、アルトの耳が跳ねる。
「『雨の音』って本、知ってる?人気なんだって」
「……そ、そうなのか。俺はまあ、アレだし?」
「アレ?」
「使い魔、だし?その、本とかよくわかんないけどなー」
「ふうん」
……明らかに、動揺している。
しばらく無言で見つめていると、やがて大きな溜息を吐いたアルトが、こちらに身体を向けて居住まいを正した。
「……リリー。まだるっこしいことはやめろ。お前、気づいてて聞いてるだろ?」
「アルトが言う気づいてる、ってところまで、分かってはいないと思うけどね」
「読んだのか?」
「うん。……同じだったから」
「そうか」
アルトはそこで言葉を区切ると、ふいっと視線を机の上へと向けた。
そこにあるのは、あの生成色の本だ。
「悪いが、こればっかりは俺様が話すことじゃないからな。アレが、お前の思うとおりのものなのは間違いないとだけ言っておく」
素っ気なく目も合わせずに言われた言葉に、少し重たさを感じたのは、きっと気のせいじゃない。
「……そうだね、アルトの言うとおりだと思う」
あの本について、焔さんに聞きたいことが沢山ある。
私を秘書にと、言ってくれた理由とか。
あの本が、大賢者の書架にある事について、とか。
自分の中にあるこの気持ちに気づいてしまった今だからこそ、余計に――知りたいと思うのかもしれない。
「私が焔さんに聞かないとね。……直接」
「ああ。知りたいなら聞くといい。あいつもきっと、誤魔化したりはしないだろ」
「……うん」
そのためにも、今日はしっかり休んで、明日仕事に行かなくちゃ。
気がつけば、窓の外はしんとしている。
もう、雨は上がったようだ。
そっと口に運んだ食後の紅茶は、ちょっとだけ苦かった。
――一方その頃。
山のような書類整理をやっとのことで終えたシャーロットは、食堂で遅すぎる夕食を取るため、いつもの特別室へと続く階段を上っていた。
「……?」
向かう先から、何故か人の話し声が聞こえてくる。
ここは、私とオリバー、リリーくらいしか使用していないはずなのに。
不思議に思いながらも階段を上りきって……その先で見た光景に、目を丸くした。
「まぁ……」
「あれ、シャーロットじゃん」
思わず零れた声に、オリバーがひょこっと片手を上げて見せた。
しかし、私が驚いたのは彼が居たからではない。
「珍しい……こんなところでお会いするなんて」
「やあ、こんばんはロイアー。ちょっとお邪魔してるよ」
ちょっとだけ疲れた様子でこちらに微笑んだのは、しゃらりと飾りの揺れる、黒いローブを纏った大賢者様その人だった。
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