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第1章 大賢者様の秘書になりました
54.一難去って、また一難
しおりを挟む「えっと……」
「大賢者殿や貴女のお話を伺いたい人が沢山いるんですよ」
話掛けてきた男性は、作ったような笑顔を顔に貼り付けている。
これは本当に困った。
ちら、と視線を向けてみれば、周囲の貴族たちもみんなこちらに視線を向けているようだ。
断ってもまたほかの誰かに声を掛けられてしまいそうな雰囲気で……この人達を上手くかわさないと、後から後から人が寄ってきそうだ。
「あの――」
何とか断ろう、と思ったのだけど。
返答にまごついているうちにも、男性たちはどんどん話しかけてくる。
「秘書殿は、社交界は初めてですか?」
「……ええ、はい」
「そうでしょうね、とても初々しく見えます。ああいえ、初々しくも美しくて」
「こんなに綺麗な方を放っておくことはできませんからね」
「ありがとうございます……お世辞でも、嬉しいです」
「お世辞だなんて!本当にお綺麗ですよ」
それは絶対ないと思う……。
こんな風にお世辞を並べていれば、簡単に女性を誘えるとでも思っているのだろうか。
「ですから是非、僕たちとお話を。あちらで友人たちも待っていますから」
友人たちって言った?
今でも5人はいるように見えるのに、まだ多くなるとか考えたくもない。
もうこれは、あまり失礼にならないように、早めに話を終わらせたほうがよさそうだ。
「あの……申し訳ないのですが、イグニス様から待っているよう仰せつかっていますので……」
できるだけやんわりと断ろう、と思い口にしてみたのだけれど。
彼らはそんな私の言葉さえ笑って流してしまう。
「そんなつれないことを仰らず!」
「秘書殿は謙虚な方なのですね、ですがご安心ください」
「ええ、大賢者殿が帰ってこられるまでで構いませんので――」
「いえ、本当にそういうわけにも参りませんから……」
ううう、しつこい。
シャーロットとオリバーは傍にいてくれているけれど、話しかけられているのが私である以上、私が対応しなければいけないので、口がだせずにいる2人がはらはらしているのがわかる。
いつまでも煮え切らない私の返答に、男性たちも少し苛立ち始めていたのかもしれない。
「謙虚なのも素敵ではありますが、さあ、早く参りましょう――」
一番最初に話掛けてきていた男性が、おもむろにこちらへと手を伸ばしてきた。
女性の許可なく、男性が女性へと触れようとするのは完全にマナー違反なので、そんなことになるとは思っていなかった私も、身を引く動作が少し遅れてしまう。
男性の手が、私の腕を掴もうとしたその瞬間。
「うわっ!!」
「わ……!」
触れそうになったところから、ばちっと紅い光が弾けて、男性が慌てて手を引っ込めた。
「リリー!」
驚いて後ずさった私が転びそうになると、シャーロットとオリバーが支えてくれる。
「な、なん……っいてっ」
男性の声に視線を向ければ、彼が見下ろしている手は、うっすら赤くなっているように見える。
今――何が起きたの?
「は?火傷……?」
自分の手を見ながら呆然と呟く男性。
「失礼」
オリバーが一言断って、男性に近づいていくとその手を覗き込み、小さく息を吐いた。
「軽い火傷、ですね。その分なら冷やせば問題ないだろう」
「火傷……?」
――どうして火傷なんて。
私が呟いた言葉に、男性の驚いて丸くなったままの目がこちらへ向けられた。
「――お前がやったのか?」
「!」
男性の言葉に、びくりと身が竦む。
……私が?
いや、私に魔法は使えないはず。
驚きのあまり口調が素になっている男性や、その周りにいた男性たちからも、何か危険なものでも見るような目を向けられて、再び一歩後ずさった。
ど、どうしよう――。
恐ろしいものを見るような視線に怯えて、泣き出しそうになったその時。
「――貴方がた、さすがに失礼ですわよ」
私を男性たちの視線から遮るように、シャーロットとオリバーが一歩、前に出た。
2人の背に庇われる形になって、動転した気持ちが少しだけ落ち着く。
「っ、ロイアー嬢……」
「今の魔術は、大賢者様のものですわ。彼女の許しもないのに勝手に触れようとするなんて、無礼過ぎるのではなくて?」
シャーロットのきつい言葉に、男性たちが、うっと顔を歪ませる。
「無礼だなどと。僕たちはただ、秘書殿とお話をしたいとお誘いを――」
「勝手に触れようとしたから、イグニス殿の守護魔術が発動したんだろう?その程度で済んだから良かったものの……彼の得意とされている魔術くらい、君たちも知っているだろうに」
「ぐっ……」
オリバーの言葉に、男性たちの顔色がさっと悪くなったのがわかった。
それほどまでに、焔さんの魔術は強力なのだろうか。
こちらを振り返ったシャーロットが、そっと私の肩を抱いてくれる。
「秘書様はお疲れですの。先ほどからも申し上げておりましたけれど、大賢者様のお戻りを待たなくてはなりませんので、私たちは失礼致しますわ」
「イグニス殿の不興を買いたくはないだろう? 失礼しますよ」
「……」
彼らからの視線は痛いが、今度は誰も、2人に言い返してきたりすることはなかった。
「さ、リリー。一度戻りましょう」
シャーロットに肩を押され、控え室の方へと促される。
何となく申し訳ないような気がして、一度だけ振り返って彼らへと軽く礼をした。
貴族たちからの遠巻きな視線も痛かったけれど、その後は誰からも話掛けられることなく、控え室へと戻ってくることができた。
背後でホールへの扉が閉まり、ざわめきが遠のくとやっと、全身から力が抜けるような気がした。
「うああ……」
途端に、情けない声を上げてへなへなとその場にしゃがみ込んでしまう。
緊張、不安、恐怖、驚き。
短い時間の間に沢山の感覚が自分の中に溜まった気がして、どっと疲れを感じる。
丸まった私の背をぽんぽんと叩き、オリバーが苦笑した。
「よしよし、散々だったな」
「まったく、無礼にも程がありますわ。……リリー、動けるようでしたらこちらにいらして。一度お茶でも飲んで落ち着きましょう?」
シャーロットはそう言って、早速机の上のベルを鳴らし、侍従の人へお茶を頼んでくれている。
「ほら、立てるか?」
「……うん、ありがとうオリバー」
有り難くオリバーの手を借りて、シャーロットの待つ長椅子の方へと移動する。
ふかふかのクッションに埋もれるようにして腰掛けると、勝手に大きな溜息が漏れた。
侍従さんに用意してもらった紅茶は、シャーロットがミルクと砂糖を多めに入れてくれる。
温かくて甘い紅茶を一口飲むと、ほうっと溜息が漏れた。
「だいぶ落ち着きました?」
「……うん、なんとか。……さっきは助けてくれてありがとう、シャーロット、オリバー。本当は、私がきちんと断らないといけなかったのに……ごめんなさい」
頭を下げると、隣に座るシャーロットがそっと手を握ってくれた。
「確かに、ああいった方々をあしらうのも淑女としての力量、とお教えしましたけれど……さっきのあれはさすがに失礼すぎましたから、気になさらなくていいのですわ」
シャーロットの言葉に、腕組みしたオリバーも呆れ顔で頷いた。
「そうそう。さっきのはさすがにやり過ぎだったから、気にするな。……ったく、見世物じゃねぇってのに」
「本当に。まぁ、あの大賢者様が社交の場にいらしたという事実については、皆さん興味津々なのは仕方ないのかもしれませんが……だからといって、マナーを守らないなんて言語道断ですわ」
ぷりぷりと怒ってくれる友人たちに、ほんの少し心が緩む。
「あ……そういえば、さっきのって――」
先ほどから私の手を握ってくれているシャーロットの手を見て、ふと思い出した。
「イグニス様の、守護魔術ってさっき言ってた?」
「ああ、さっきのばちっ!ってやつだな」
「うん。あれ、あの人火傷……?大丈夫だったかな?」
「まぁリリー。あんな無礼な男性のことなんて、心配することありませんのよ」
そう言って、シャーロットの手がそっと、私の手首にあるあのブレスレットを撫でた。
「きっとこの魔石のお陰ですわね」
「これ?」
「イグニス様から頂いたものでしょう?火のマナを感じますわ。市販品はとても高価なのですけれど、似たような守護魔術の込められたアクセサリーは、そこそこ流通していますの。主に高位貴族の令嬢たちが、先ほどのようなトラブルを防ぐために身につけるのですわ」
「……へぇ、そうだったんだ」
そんな魔術がかかっていたなんて、知らなかった。
今まで、このブレスレットは元の世界とこちらの世界を行き来するための鍵とか、そのくらいにしか思っていなかったのに。
……もしかして、馬車の中で形を変えた、あの時に魔術を込めてくれたのだろうか。
「大切に思われてますわね、リリー」
静かに呟かれたシャーロットの言葉に、ちょっとだけ胸がざわつく。
「……うん」
先ほど分かれたばかりの焔さんのことを思い出して、目を伏せる。
会場で置いて行かれたときには、ほんの少しだけ寂しいような気持ちもあったけれど……わざわざ守護のための魔術を仕込んでくれていたなんて、なんだろう。
こう、ちょっと……むず痒いような。
ほんの少し、嬉しいような。
そんな複雑な気持ちを流すように、ティーカップに残った紅茶を飲み干した。
焔さん、まだ帰ってこないのかな。
ぼんやりとそんなことを思った、その時だった。
コツコツ、と、控えめなノックの音がホール側の扉から聞こえた。
「――はい、何か?」
シャーロットが応じると、少しだけ扉が開いて、その隙間から騎士がひとり控え室へと入ってきた。
騎士は一度礼をしてから、言いにくそうに口を開く。
「あの……サルビエロ名誉男爵殿が、大賢者様と秘書様へどうしてもご挨拶されたいと仰っておりまして。先日の取引の礼もしたい、と」
「サルビエロ……って……」
聞き覚えのある名前にシャーロットの方を見れば、彼女はこめかみを押さえて盛大に溜息を吐いていた。
……ああ、また厄介ごとかと、なんとなく察したのだった。
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