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第1章 大賢者様の秘書になりました
49.その本は<side:焔>
しおりを挟む朝食後、すぐに梨里を置いて自室から出てきた。
いつもの黒いフードをすっぽり被って、慌ただしい職員たちの目をかいくぐりながらリブラリカの裏の方、薬草園へと足を向ける。
朝食を取り始めた頃に感じとった気配が、間違いなくここにあった。
どすどすとちょっと荒っぽい足音を立てながら、人気のない薬草畑の隅へとまっすぐ向かう。
がさり。
茂みをかき分けてみれば、やはりそこには思った通りの人物がいた。
「え――」
柔らかな金髪が揺れて、目を丸くした彼がこちらを振り返った瞬間。
「っってぇ!!」
どすっと音がする程度の力でげんこつを振り下ろせば、元気な悲鳴が辺りに響き渡った。
「ちょ、え、なんで?!」
「なんでも何も。前回人のテリトリーであんな騒ぎを起こしておいて、よくもまた同じ過ちを繰り返そうという気になるね、馬鹿なのかい?」
薄紫の綺麗な瞳を潤ませて混乱している目の前の少年は、そう。
見まごうことなき、あの猪王子だ。
「な……馬鹿とはなんだ!今日は、今度こそ失敗しない方法を思いついてだな……!」
「確かにお前の魔力が強いのは認めるけど、失敗しないわけがないだろ。学習しろ、学習」
呆れて溜息を吐きながらこめかみを押さえる。
本当に、どこまでも猪突猛進なやつだ。
当の本人はと言えば、むっと頬を膨らませながらこちらを睨み付けてきた。
「元はといえば、大賢者が俺の先生になってくれないのが悪いんだろ!会いたくて手紙を出したって、毎回会ってくれないじゃないか!」
「そんなのお断りだって、何回言えばわかるんだ。お前の先生になんてなる気はないよ。会う必要性も感じないね」
「くっ……なんでだよ!リリーにはあんなに優しいのに!」
「当たり前だろ。リリーとお前を一緒にするな」
あんなに良い子な梨里と比べるなんて、身の程知らずもいい加減にしろ。
また少しいらっとして、以前のように指先でくるっと出現させた魔力のデコピンをお見舞いすれば、「あでっ!」と苦しげな声が聞こえてきた。
「まあ会えたからいいけどさ……なあ大賢者、この前の俺の手紙、読まなかったのか?」
「手紙?」
そういえば、数日前にこいつから小綺麗な書状が届いていたような。
確か、あれの内容は。
「手紙……ああ、あのどうしても見て欲しいものがある、とかいうやつかな?」
「……ちゃんと読んでるじゃないか」
「読みはするさ。でもそんなもの、見るか見ないかは僕の勝手だろ」
「絶対大賢者に見て貰わないといけないものだって書いたのに!」
「具体的に、それが何なのか書いてもいなかっただろう?そんなもの見る気になれないって」
「手紙には書けなかったんだ、しょうがないじゃないか……」
「……手紙には書けないって。お前、まさか……」
禁術か禁書か。
何か相当にやばいものでも手に入れたんじゃなかろうか、と疑いの目を向ける。
王子は僕の視線に気づくと、がばりと立ち上がって「違う!」と叫んだ。
「なんかやばそうなもの……って、見ようによってはそうだけど!そういうなんか怪しいものじゃなくて!……ああもう、そんな目で見るなよ!」
「違うっていうなら、なんなんだよ……俺も忙しいんだから……」
「本だよ!」
もうさっさと自分の部屋に帰りたい。
そんな気持ちで猪王子に背を向けようと足を踏み出した僕に、彼は大きな声を出してからはっと慌てて口元を覆った。
「本なんて、どこにでもあるだろう?」
「違う。普通の本じゃないんだ。その……初代様の本だ」
誰もいない薬草畑の真ん中で、それでも誰かに聞こえるのを恐れるかのように、王子は小声で口早にそう告げた。
「ザフィアの?」
予想外の言葉に、少し眉間に力が入る。
あいつはそこそこ勤勉だったし、王になってからも豆に色々書き記していた姿を覚えている。
実際あいつが記した本は何冊も残っているし、このリブラリカにも沢山所蔵されている。
王宮になら原書だって残っているはずだし、現存しているものは全て、読んだ記憶がある。
それを今更見て欲しいだなんて、本当に一体何を言っているのか。
「あいつの本なら、図書館にもおいてあるだろう?」
そう言っても、王子はぶんぶんと首を横に振って、必死な表情のまま、一歩僕に近づいた。
「違うんだ。まだ世に出てない初代様の本を、見つけたんだ」
「そんなもの……」
「偽物なんかじゃない。それなら、大賢者はあの部屋を知ってるのか?……西の塔の裏、古い方の王妃の庭の隅にある、温室の地下だ」
「王妃の庭の温室?」
西の塔の裏にある、王妃の庭なら知っている。
ザフィアが妃に迎えた女性のために、わざわざ用意させた庭だったはずだ。
今はもう使われなくなったと聞いてはいたけれど、あそこにある温室……。
「……入ったことあるけど、地下に部屋なんてなかったよ」
「ってことは、大賢者も知らないのか」
軽く目を見張る王子は本当に驚いているようで……残念ながらというか、嘘を吐いているようには見えなかった。
「本当につい最近見つけたんだ。中は埃まみれで、本当に誰も入ったことないみたいな様子で。……だからまだ、誰にも話してないんだ」
「……うーん」
「なぁ頼むよ大賢者!あそこにあった本、1冊だけすごい魔力を感じたんだ。なんだか怖くて、触れることすらできなかった。なんとなくだけど、初代様の気配を感じるんだ。一度でいいから、一緒に来てくれ」
王子は真剣な表情で縋ってくるけれど。
――仮に、この猪王子の話が全て真実だとして。
もしもそんな場所にまだ未発見の隠し部屋があるのだとしたら、それは確認しにいきたい。
まだまだこの国の、知られていない本が眠っている可能性が高いからだ。
……そして。
この魔力だけは馬鹿強い王子が、手を触れられない程に強い魔力を感じたという、ザフィアの本。
それが本当にザフィアの書いたものだというのならば、危険なものでないかどうか、世に出すべきものなのではないか、ということも含めて、確認をしなければならないという気持ちがある。
――それは、自分がすべきことなのではないかと、勝手ながらそう感じるのだ。
王宮には行きたくない。
けれど……。
「…………」
ザフィアの血を引く、外見までよく似ている王子が、信じて欲しいと真剣な瞳をこちらに向け、じっと黙している。
面倒だなんて言っていられそうにない方向に心が傾いてしまって、仕方ないと盛大に溜息を吐いた。
「……ひとつ。正面から王宮には行かない」
「!」
「誰にも告げず、こっそり行く。それでいいかな?」
「ああ……!それで大丈夫だ、ありがとう!」
「……もし嘘だったら、許さないからな」
お礼を言われるのがなんとなくむず痒くて、そっぽを向きながら王子の襟足をむんずと掴んだ。
片手を振って、瞬時に移動できる魔術を発動させる。
視界が真っ赤な光で染まった一瞬後。
ざわりと風が植物を揺らす大きな音がして、周りには手入れが行き届いているとは言えない荒れ方をした、古くさい廃墟の庭が広がっていた。
ぺいっと王子を放り出す。
荒れ放題になった、薔薇のアーチに迷路のような生け垣。
枯れた華奢な噴水と、蔦が絡まりレンガ壁すら見えない程に苔むした西の塔。
全てが、古い記憶にある昔の面影を残していて……微かに胸がちくりと痛んだ。
迷路のような崩れかけの生け垣の先に、ガラスが割れて植物がはみ出しているような有様の温室が見える。
……こんなにも、時間が経ったというのか。
「……っ大賢者、行こう。そろそろ巡回の時間だ」
立ち上がった王子の焦った声に、意識を引き戻される。
「ああ、行こう」
ほぼ手入れのされていない、伸びきった芝生を踏む二人分の足音が響く。
しんと眠るような温室に、ざわりと鳥肌が立つような不思議な感覚を覚えていた。
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