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第1章 大賢者様の秘書になりました
40.休日は城下街で<7>
しおりを挟む夕暮れから夜へと移り変わる城下街にて。
オリバーとシャーロットは貴族街、焔さんと私はリブラリカに帰るため、シャーロットの馬車は先にリブラリカへと向かっていた。
「今日はありがとう、シャーロット!とっても楽しかった」
「私もですわ。また休み明けに沢山お話しましょうね」
リブラリカの正面玄関で、馬車から降りてシャーロットと別れの挨拶をしている途中。
軽く馬車が揺れたと思えば、ここで降りる必要のないオリバーまでもが降りてきていた。
「あれ?オリバーここで降りちゃうの?」
「おう。シャーロット、俺図書館寄ってくから大丈夫」
くいっと背後の図書館を親指で指して、オリバーはなんでもないように言った。
……たぶん、シャーロットに気を遣ってる、ってことかな。
これは貴族社会に疎い私でも、オリバーの気持ちを知った今、なんとなくわかってしまうような行動だった。
「……そうですか。わかりましたわ」
シャーロットの返答に若干の間があったのは、何となくでもその気遣いに気づいたせいかもしれない。
「じゃ、またな」
「うん、またリブラリカで」
「皆さんまた」
「またね」
それぞれに別れの挨拶を済ませた後、シャーロットの馬車はまだ活気のある夜の街へとカラカラ去って行く。
何となく名残惜しい気持ちで馬車の姿を見送っていた私は、一つだけ溜息をついた。
今日は、本当に沢山のことがあって――うん、楽しかった。
そっと背中に温もりを感じて振り返ると、焔さんが自分の上着を私の肩に着せかけてくれていた。
「そろそろ冷える時間だから。中に戻ろう?」
「はい、ありがとうございます」
まだ明かりのついている正面玄関で、焔さんはふわりといつも通りの優しい笑顔を向けてくれていた。
そのことになんだかほっと肩の力が抜ける。
「――じゃ、俺ももう帰るわ。2人とも、またな」
「……あ」
そんな私たちにさらりと別れを告げて、オリバーはすたすたと歩き出す。
彼の行く先はリブラリカとは反対で、夜の賑わいを見せる町中へと向いていた。
徐々に人混みに紛れていくその背中は、なんだかとても機嫌が良さそうに見える。
「――っ、またね、オリバー!」
精一杯明るい声で、周りの喧噪に負けないよう頑張って声を張る。
一瞬こちらを振り返った彼が、笑顔で片手を振り返してくれる――その姿がなんとなく、瞼の裏に焼き付いた気がした。
正面玄関からリブラリカに入ると、昼間よりは人が少ないとはいえ、図書館はマナランプの明かりの中、いつも通りの風景を見せていた。
そう、この図書館は、一般開放区域も職員も、24時間変わらず稼働しているのだ。
「……夜のリブラリカって二度目ですけど、図書館が夜中も開いてるってやっぱりすごいですね」
職員用の通路へと入ってすぐそう呟くと、焔さんは「そうだね」、と頷いた。
「まぁ、日中に比べて利用できない場所も多いし、カウンターも開いてないから、一般の人は本を読むことしかできないんだけどね。……それでも、夜の静かな時間に図書館が開いてるのは、素敵なことだと僕も思うよ」
ゆっくり進む廊下には、明かりはついていても人影がない。
たまに通り過ぎる扉の向こうから、控えめな司書員たちの気配が伝わってくる夜のリブラリカは、静寂とささやかなざわめきが耳をくすぐって、まったく別の場所に迷い込んだような不思議な雰囲気だ。
しんとした空気を楽しみながら歩くうちに、あっという間に最奥禁書領域へと帰ってくる。
掛けて貰っていた上着を丁寧に畳んで返して、私はそのまま焔さんへと笑顔を向けた。
「それじゃあ、私はまっすぐ帰りますね」
ぺこりと頭を下げて、そのままいつもの小部屋へ向かおうと踵を返した――その時だった。
「あっ――」
背後で小さく声が聞こえたと思えば、温かくて大きい手に腕を掴まれていて。
「――え?」
驚いて振り返ると、何故かびっくりしたような表情で、私の腕を掴んだ自分の手を見つめるという、首を傾げたくなるような焔さんの姿があった。
掴まれた腕が痛いということはまったくないのだけど、焔さんがあまりにも呆然と自分の手を見つめているから、なんというか……どうしていいのかまったくわからない。
しばらく待ってみても、焔さんはそのままの表情で微動だにしなかった。
……うーん、これはどうしたらいいものか。
フリーズしてしまったままの焔さんをこのままにもしておけないし……このままでは、帰るに帰れない。
「……えーっと、あの、焔さん?」
思い切って静かに声を掛けると、焔さんがはっと我に返ったように顔を跳ね上げた。
ようやく視線が合って、焔さんの黒い瞳の奥に戸惑いのような、動揺のような色を見つける。
……こんな焔さんを見るのは、初めてかもしれない。
「何かありましたか?忘れものとか……」
焔さんはゆっくりと何度か瞬きを繰り返すと、前屈み気味だった姿勢を正した。
それでも、私の腕は掴んだままだ。
じんわりと伝わってくる体温は、予想外に私より高い。
「……え、あ……えーっと」
根気よく待っていれば、しばらく考え込んだような様子だった焔さんは、やがて不思議そうな表情になって、最後にはこてんと首を傾げた。
「……ごめん、その……、特に用、なかった……」
「……へ?」
「えへへ、なんだっけ、忘れちゃった。いきなりごめんね」
少しだけまだぎくしゃくしながらも、いつも通りの調子に戻った焔さんは、なんでもないようにそっと手を離してくれる。
「梨里さん、明日もお休みだよね。今日は疲れただろうし、ゆっくり休んで」
「……はい、ありがとうございます。焔さんもちゃんと休んでくださいね」
「うん、それじゃお休み」
「おやすみなさい」
ひらりと軽く手を振って、焔さんは踵を返すといつも通り本棚の合間に消えていく。
「……」
その背を見送り、ふと先ほどまで掴まれていた手首へ視線を落とす。
「本当に……なんだったんだろう、あれ」
焔さんの手と一緒に離れていった体温が、少しだけ寂しかった。
……本当に、どうして彼は私を引き留めたのだろうか。
答えが出ないままに、小部屋へと足を向ける。
いつものように小部屋で着替えをしている間も、その後自宅へ戻ってベッドに入るまでも。
ぼんやりとそのことについて考えていたのだけど、結局なにがあったのかよく分からないままに、気がつけば眠りに落ちていた。
ばたん、と後ろ手に自室の扉を閉めて、そのままずるずるとしゃがみ込んだ。
「……はぁー……」
頭を抱えたくなるような気持ち、というのは、こういう気持ちを言うのだろうか。
「お、帰ったのかイグニス。……何やってんだそんなとこで」
「うるさい……」
「うるさいはないだろう、夕飯持ってきておいてやったのに」
帰りを待っていた使い魔がナーナーうるさいが、今はそんなことどうでもよくて。
もうひとつ重めの溜息をついて、のろのろと自分の右手に視線を落とした。
何の変哲もない、何百年と見慣れた己の手。
さっきは、こちらに背中を向ける梨里の姿に、咄嗟にこの手を伸ばしていた。
掴んだ腕は、柔らかくてほんのり温かくて。
「……」
考える前に出てしまった自分の手に、慌てて弁解した台詞を思い出して苦い顔になる。
特に用はなかった、なんて嘘だ。
本当はちゃんと、話したいことがあった。
話したいこと、というか――。
ごそごそと上着の内ポケットを探って、取り出したのは2つの細長い小包み。
片方を雑に開けると、中からはあの時購入した透明な宝石に純白の金属が軸になっている、星と月の彫刻されたマナペンがころりと出てくる。
これは、自分用にと購入したものだ。
そっと持ち上げ部屋のランプに翳すと、それは上品にキラキラ煌めいた。
この純白の金属はとても稀少で、マナ伝導率のものすごく高い鉱石で出来ているため、この金属で作ったマナペンは、とても丈夫でとても長持ちする、良い物になる。
このデザインも自体も気に入ったし、見てすぐに欲しいなと思ったのも本当。
――そして。
未だに手の中に残るもう一つの小包には、雪の結晶が彫られた方の、同じ透明な宝石に純白の金属のマナペンが入っている。
こちらは、梨里へと購入したもの。
「…………はあぁぁー……」
また盛大に溜息を吐いて、がっくりと項垂れた。
そう、あの時。
呼び止めて、これを渡そうと思ったのだけど。
……昼間の、ごめんなさい、と謝ってきた梨里の顔が一瞬脳裏をよぎって、またあんな顔をさせてしまうかも――と思ったら、怖くなった。
だから、自分らしくもなく下手なごまかし方をしてしまった。
「さっきから何溜息ばっかりついてんだよ。無理矢理ついてった癖に、楽しくなかったのか?」
あんまりにも扉の前から動かないせいか、黒猫がとととっと傍までやってきた。
正直もう、追い払うような気力も残ってない。
「ん、なんだそれ。めっちゃいいマナペンじゃねーか。良いセンスしてるな」
俺が手に持ったままのマナペンを見て、ああ、と黒猫は頷く。
「とても良い物だが――これ、お前のセンスじゃないな。リリーが選んだんだろ」
……こんな時ばかり、なんでそんなに勘が鋭いんだ。
「で、こっちの包みは――ははぁん。お前、リリーとお揃いにしたくてもう一本買ったな?そんで渡せなかったのか」
……だからなんで、そんなに鋭い。
「ったく、大賢者なんて言われてたって、こんなとこへたれじゃしょうがねーな-もう。アレだろ?思い人にマナペン持たせるってやつのつもりで、リリーに……」
「違う。これは、日頃の感謝のつもりで――」
これ以上黙っていると余計な推測までされそうだと、面倒ながらも顔を上げると……なんというか腹が立つような顔の使い魔がそこにいた。
「ほぉん、日頃の感謝、ねぇ?ふうん?」
「……うるさいってば」
さすがにいらっとして払うように腕を振るけれど、適当なそれはもちろんひょいっと軽く避けられてしまう。
「それ、俺が渡してやってもいいぞ」
続けられたアルトの言葉に、一瞬ぴたりと思考が停止した。
――けれど。
「……いや」
重く感じる身体をよいしょっと持ち上げて、やっと立ち上がる。
「それは頼まない。……渡すかどうかも、わからないし」
それ以上、黒猫はからかってくることはなかった。
ずっとしゃがみ込んでいたせいで、少し脚が痺れてじんじんする。
身体が重く感じるのも、動きたくないのも、何となく気持ちがもやもやと重たい気がするのも。
きっと珍しく外出してはしゃぎすぎたせいだと、そう思いたかった。
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