21 / 196
第1章 大賢者様の秘書になりました
18.5.今だけは、雨音に溺れて
しおりを挟む
「……うーん」
重たいローブを脱ぎ捨てて、シャツにベストといった楽な服装で長椅子にひっくり返る。
眺めていた書類がへにゃりと顔にかかるのも鬱陶しくなって、そのままぽいと机の上に放ってしまった。
仕事が頭に入ってこない。
今頃ロイアーの授業を受けているであろう梨里のことが、どうしても気になってしまう。
少し前から授業が始まって、最近の彼女は忙しそうだった。
毎回、授業を終えて昼食を持ってこの部屋へ帰ってくると、決まって嬉しそうに今日覚えたことを話してくれる。
だから、本人が嫌がっている……ということはないのだろうけれど。
マナペンで字が書けるようになったとはしゃいでいたのは微笑ましかったし、歴史書を書き取りして、この国のあれこれについて勉強出来たと笑っていた時もあった。
毎日ロイアーに提出させている授業の報告書には、梨里がとても一生懸命に励んでいることが綴られている。
確か今日は、時間があれば開放書架のほうを案内する、という予定だったような。
……あの開放書架を見た彼女は、一体どんなことを思うのだろうか。
がっかりしては、いないだろうか。
あの場所は、彼女の理想の図書館に近い場所になれているのだろうか。
開放区画の管理は全てロイアーに任せきりだから、たまに魔術で外の様子を窺うくらいでしか知らない。
ちょっとだけ、心配だった。
「……なーにしてんだ」
そうやってぼんやり天井を眺めいていたところ、部屋に入ってきた黒い猫に呆れた目で見られてしまった。
「アルト、梨里は?」
「知らん。ロイアーともうまくやれてるみたいだし、開放区画でまで俺がくっついてなきゃいけないこともねーだろ」
「まぁ、そうなんだけど……」
「なんだよ、辛気くさい顔して」
……相変わらず口の悪い使い魔だ。
「リリーがロイアーから指導を受けること、許可出したのお前だろうが」
「まぁね。……あんな風にお願いされたら、許可しないわけにいかないじゃないか」
「確かに。あれで許さないなら鬼か悪魔だな」
「彼女には、嫌われたくないからね……」
「だろうな」
知った風にふんと鼻を鳴らす使い魔がちょっと憎たらしい。
ごろんと寝返りを打ってアルトに背を向ける。背後からは、ちょっとした溜息が聞こえてきた。
「……アルト、梨里さん無理してない?」
「大丈夫だ。まぁ大分一生懸命にはなってるみたいだが、夜はきちんと寝てるし勉強ばかりってわけでもない。本人も楽しんでる」
四六時中一緒にいるアルトがこう言うのだから、きっと大丈夫なのだろうけれど。
……俺が心配していることは、本当はもっと別のところだったりする。
「……まぁ、お前が心配してるところは、そこじゃないか」
ばっちりのタイミングで再び溜息をつくアルトに、少しだけ居心地が悪くなる。
自分はこうもわかりやすい性格をしていただろうか。
「心配するな、あいつ、ちゃんと続き書いてるから」
「なら、いいけど」
すとっと小さな足音がして、アルトの気配が近づいてきた。俺が寝転がる長椅子に乗り上がってくると、前足でぺしぺしと背中を叩かれる。
「心配になるのも無理ないけど、ちゃんと仕事はするんだぞ。恋煩いじゃあるまいし」
「そんなんじゃない」
「まぁ似たようなもんか」
「だから違うってば」
本当に失礼な使い魔だな。
「どこが似てるっていうんだ」
「どこがって……。だってお前、あの子を秘書にしたのだって、全部お前自身のためだろう?そこの理由を考えたら、対象がちょっとアレかもしれんが、ほぼ違いも何もないだろうに」
「うるさいな。違うったら違うんだよ」
いつまでもこんなやりとりを続けるのも嫌だし、仕事をしようにも頭に入ってこない。
ちらりと時計に目を向ければ、彼女が帰ってくるまであと2時間ほどだった。
他に何も手に着かないなら、読書でもしようか。
大きく息を吐きながら、わざと腕を振るように動かして長椅子から立ち上がる。
「うおっ?!」
不意を突かれて長椅子から転がり落ちた黒猫には見向きもしないで、執務机に向かった。
机の下。奥の方の影になっている部分に手を伸ばして、その場で指先をくるくると回す。
解錠の魔術が発動して、カチャリと小さく音が聞こえた。
「……ってぇなぁ。って、なんだよ、結局それか」
椅子の上に陣取ったアルトが、俺がごそごそ取り出した本を見て呆れ声を上げた。
「もうほんとうるさいな、ちょっと静かにしてて」
ぴしゃんと不機嫌に返せば、アルトはようやっと口を噤んだようだ。
様子を窺えば、椅子の上にあったクッションに埋もれて丸くなっている。梨里の迎えの時間まで居眠りを決め込むようだ。
静かにしててくれるなら、それでいい。
手元にある文庫本は、何度も読み返して開き癖もついているのだけど、大切に扱っているおかげでまだまだ綺麗なものだ。
なんの飾り気もない、白い表紙に黒いインクでシンプルにタイトルが印刷されただけの文庫本。
そのタイトルは、『雨の音』。
薄くもなければ厚くもない、飾り気のないただの文庫本で――俺の宝物だ。
楽な姿勢で椅子に腰掛け直して、そっとページをめくる。
しっとりとした雨の音がどこかから聞こえ始めた感覚は、この本を開くといつも訪れる心地の良いもの。
彼女が帰ってくるまでの間だけ、この感覚に、いつものように深く溺れていようと思った。
重たいローブを脱ぎ捨てて、シャツにベストといった楽な服装で長椅子にひっくり返る。
眺めていた書類がへにゃりと顔にかかるのも鬱陶しくなって、そのままぽいと机の上に放ってしまった。
仕事が頭に入ってこない。
今頃ロイアーの授業を受けているであろう梨里のことが、どうしても気になってしまう。
少し前から授業が始まって、最近の彼女は忙しそうだった。
毎回、授業を終えて昼食を持ってこの部屋へ帰ってくると、決まって嬉しそうに今日覚えたことを話してくれる。
だから、本人が嫌がっている……ということはないのだろうけれど。
マナペンで字が書けるようになったとはしゃいでいたのは微笑ましかったし、歴史書を書き取りして、この国のあれこれについて勉強出来たと笑っていた時もあった。
毎日ロイアーに提出させている授業の報告書には、梨里がとても一生懸命に励んでいることが綴られている。
確か今日は、時間があれば開放書架のほうを案内する、という予定だったような。
……あの開放書架を見た彼女は、一体どんなことを思うのだろうか。
がっかりしては、いないだろうか。
あの場所は、彼女の理想の図書館に近い場所になれているのだろうか。
開放区画の管理は全てロイアーに任せきりだから、たまに魔術で外の様子を窺うくらいでしか知らない。
ちょっとだけ、心配だった。
「……なーにしてんだ」
そうやってぼんやり天井を眺めいていたところ、部屋に入ってきた黒い猫に呆れた目で見られてしまった。
「アルト、梨里は?」
「知らん。ロイアーともうまくやれてるみたいだし、開放区画でまで俺がくっついてなきゃいけないこともねーだろ」
「まぁ、そうなんだけど……」
「なんだよ、辛気くさい顔して」
……相変わらず口の悪い使い魔だ。
「リリーがロイアーから指導を受けること、許可出したのお前だろうが」
「まぁね。……あんな風にお願いされたら、許可しないわけにいかないじゃないか」
「確かに。あれで許さないなら鬼か悪魔だな」
「彼女には、嫌われたくないからね……」
「だろうな」
知った風にふんと鼻を鳴らす使い魔がちょっと憎たらしい。
ごろんと寝返りを打ってアルトに背を向ける。背後からは、ちょっとした溜息が聞こえてきた。
「……アルト、梨里さん無理してない?」
「大丈夫だ。まぁ大分一生懸命にはなってるみたいだが、夜はきちんと寝てるし勉強ばかりってわけでもない。本人も楽しんでる」
四六時中一緒にいるアルトがこう言うのだから、きっと大丈夫なのだろうけれど。
……俺が心配していることは、本当はもっと別のところだったりする。
「……まぁ、お前が心配してるところは、そこじゃないか」
ばっちりのタイミングで再び溜息をつくアルトに、少しだけ居心地が悪くなる。
自分はこうもわかりやすい性格をしていただろうか。
「心配するな、あいつ、ちゃんと続き書いてるから」
「なら、いいけど」
すとっと小さな足音がして、アルトの気配が近づいてきた。俺が寝転がる長椅子に乗り上がってくると、前足でぺしぺしと背中を叩かれる。
「心配になるのも無理ないけど、ちゃんと仕事はするんだぞ。恋煩いじゃあるまいし」
「そんなんじゃない」
「まぁ似たようなもんか」
「だから違うってば」
本当に失礼な使い魔だな。
「どこが似てるっていうんだ」
「どこがって……。だってお前、あの子を秘書にしたのだって、全部お前自身のためだろう?そこの理由を考えたら、対象がちょっとアレかもしれんが、ほぼ違いも何もないだろうに」
「うるさいな。違うったら違うんだよ」
いつまでもこんなやりとりを続けるのも嫌だし、仕事をしようにも頭に入ってこない。
ちらりと時計に目を向ければ、彼女が帰ってくるまであと2時間ほどだった。
他に何も手に着かないなら、読書でもしようか。
大きく息を吐きながら、わざと腕を振るように動かして長椅子から立ち上がる。
「うおっ?!」
不意を突かれて長椅子から転がり落ちた黒猫には見向きもしないで、執務机に向かった。
机の下。奥の方の影になっている部分に手を伸ばして、その場で指先をくるくると回す。
解錠の魔術が発動して、カチャリと小さく音が聞こえた。
「……ってぇなぁ。って、なんだよ、結局それか」
椅子の上に陣取ったアルトが、俺がごそごそ取り出した本を見て呆れ声を上げた。
「もうほんとうるさいな、ちょっと静かにしてて」
ぴしゃんと不機嫌に返せば、アルトはようやっと口を噤んだようだ。
様子を窺えば、椅子の上にあったクッションに埋もれて丸くなっている。梨里の迎えの時間まで居眠りを決め込むようだ。
静かにしててくれるなら、それでいい。
手元にある文庫本は、何度も読み返して開き癖もついているのだけど、大切に扱っているおかげでまだまだ綺麗なものだ。
なんの飾り気もない、白い表紙に黒いインクでシンプルにタイトルが印刷されただけの文庫本。
そのタイトルは、『雨の音』。
薄くもなければ厚くもない、飾り気のないただの文庫本で――俺の宝物だ。
楽な姿勢で椅子に腰掛け直して、そっとページをめくる。
しっとりとした雨の音がどこかから聞こえ始めた感覚は、この本を開くといつも訪れる心地の良いもの。
彼女が帰ってくるまでの間だけ、この感覚に、いつものように深く溺れていようと思った。
0
お気に入りに追加
44
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
【完結】身を引いたつもりが逆効果でした
風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。
一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。
平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません!
というか、婚約者にされそうです!
陛下から一年以内に世継ぎが生まれなければ王子と離縁するように言い渡されました
夢見 歩
恋愛
「そなたが1年以内に懐妊しない場合、
そなたとサミュエルは離縁をし
サミュエルは新しい妃を迎えて
世継ぎを作ることとする。」
陛下が夫に出すという条件を
事前に聞かされた事により
わたくしの心は粉々に砕けました。
わたくしを愛していないあなたに対して
わたくしが出来ることは〇〇だけです…
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。
婚約者が王子に加担してザマァ婚約破棄したので父親の騎士団長様に責任をとって結婚してもらうことにしました
山田ジギタリス
恋愛
女騎士マリーゴールドには幼馴染で姉弟のように育った婚約者のマックスが居た。
でも、彼は王子の婚約破棄劇の当事者の一人となってしまい、婚約は解消されてしまう。
そこで息子のやらかしは親の責任と婚約者の父親で騎士団長のアレックスに妻にしてくれと頼む。
長いこと男やもめで女っ気のなかったアレックスはぐいぐい来るマリーゴールドに推されっぱなしだけど、先輩騎士でもあるマリーゴールドの母親は一筋縄でいかなくて。
脳筋イノシシ娘の猪突猛進劇です、
「ザマァされるはずのヒロインに転生してしまった」
「なりすましヒロインの娘」
と同じ世界です。
このお話は小説家になろうにも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる