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第1章 大賢者様の秘書になりました
8.青い瞳は嵐の予兆
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まっすぐ帰り焔さんの部屋で開けたバスケットの中には、温かなパンに野菜や肉が挟まれた豪華なサンドイッチのほか、大きめのティーポットに爽やかな香りのお茶とティーカップが3つ入っていた。
「……ふう、ご馳走様」
見た目より量の多そうなサンドイッチをぺろっと食べ終えて、焔さんは今度こそちゃんとソファに座って紅茶を傾けている。……これがさっきまで、お腹を空かせて本に埋もれて倒れていた人だとは思えない。
「ごめんね、梨里さん。まだ慣れてもいないうちから、この領域の外まで行ってもらってしまった」
「いえ、アルトがいたので大丈夫でした。あの扉からすぐ、でしたし」
「ふふ、便利でしょう?」
焔さんは得意げに笑うけれど、使い魔である黒猫は不満そうにふん、と鼻を鳴らした。
「そうは言っても、食事を持ってくるのはいつも俺の仕事だっただろうが」
「まあね」
「え、いつもアルトが用意してたの?」
「こいつ、ほんとにここの領域から外に出ないからな。俺が行かなきゃ、こいつは飢え死にするだけだったんだ」
「外に出るのが億劫で、つい」
今までアルトが運んでいたということは、アルトが私と一緒にいるようになった今、一体誰が焔さんへ食事を運ぶのだろう。
ああ、運ぶ役目がいなくなったから、倒れてたのか!
「俺様はリリーと一緒にいるんだから、お前ひとりでもちゃんと食事くらい取りに行けよ」
「ええ……うん」
アルトの言葉に、焔さんはちょっとだけ眉根を寄せて曖昧に頷く。
これは、付き合いの短い私でもわかる。絶対に実行しない人の返事だ。
「あの」
「どうしたの、梨里さん」
控えめに声をかけると、焔さんがこちらに首を傾げて見せる。……うう、相変わらず綺麗な微笑みだ。
……って、そうじゃなくて!
「焔さんさえよろしければ、これからは私が食事お持ちしましょうか?」
この人の世話も仕事の内だというのならば、と思っての発言だったのだが。
「え、本当?」
ぱあっと、子供のように表情が明るくなる。思ったよりも素直で嬉しそうな反応にびっくりする。
整った顔立ちでこういう表情をされると、すごく眩しい……!
色々な感情渦巻く胸を押さえてうっ、と呻く私に構わず、彼はうきうきと上機嫌だ。
「それじゃあ是非お願いしようかな。さっきのマナジェムがあれば、食堂のカウンターで支払いしなくても、好きな物食べられるからね。全部経費ってことで。せっかくなのだし、梨里さんも一緒に食べよう」
「えっ」
「ひとりで食べるより、誰かと食べる方が美味しいって良く言うでしょう?初めから、梨里さんにはここの食堂も自由に使ってもらうつもりだったし、ね?、いいよね?」
こうやって彼は時々、すごく押しが強い。眼鏡越しにすら目を合わせることができず、視線を泳がせながら押し切られるように頷いた。
「え、えっと。……じゃあ、お言葉に、甘えて」
「うん、よかった」
「お前なぁ……。ま、飢え死にされるよりはいいか」
そんな私たちを眺めていたアルトが呆れたように溜息をついて、ガミガミと焔さんに小言を言い始める。焔さんは聞いているのかいないのか、曖昧な相づちを打ちながら紅茶を飲んでいて。
……なんだかこういうの、居心地がいい、かも。
自分のティーカップに隠れるようにして、私はこっそりと笑みを零した。
みんなのカップが空になった頃、焔さんがうんと伸びをして立ち上がった。
「さて。それじゃあ今日は、館内を案内しようか」
「!はい!」
案内ということは、この場所――最奥禁書領域以外の場所にも連れて行ってもらえるのだろうか。
異世界の図書館、他の場所は一体どんな様子なのだろう。
そわそわと椅子から立ち上がった私の隣で、アルトが紅い目をまん丸にして焔さんを見ている。
「案内?今、案内って聞こえたんだが空耳か?」
「いや、幻聴ではないよ。確かに案内と言ったけれど、それがどうかしたかい?」
「どうかしたかい?じゃねえよ!!お前、まさか一般区域にまで行く気か?!」
「リブラリカ全体を簡単に案内しようかと思ったんだけど、だめだったかな?」
フードをいつもより深く被り直して何でもないことのように言う焔さんに、アルトは文字通り顎が外れそうなほどあんぐりと口を開けていた。
確かに焔さんは、先ほどの食事の件といい、外に出るのが好きではなさそうだけれど……。そんなに驚くこと?
以前だって月に一度は、私が勤めていた古本屋に来てくれていたのだ。
「アルト、どうしてそんなに驚くの?」
「これが驚かないでいられるか!!いいか、こいつはな、こっちの世界では、本当にずっと、何百年も最奥禁書領域から外に出てないんだぞ!」
「…………え?」
一瞬、アルトの言った言葉の意味が理解できずに、反応が何秒か遅れた。
「何百って、何言ってるの?だって焔さんは――」
どう見ても、20代くらいにしか見えない。……けれど。
「リリー、お前はこいつの歳知らないんだろ」
心を読んだかのようにアルトが言う。
「よく聞け。こいつは800歳は越えてるんだからな!」
「……はい?」
思わず間抜けな声を出して、焔さんの方を見てしまう。
は、800って……。いやいや、それはさすがにないでしょう。目の前にいるのはしわしわなおじいちゃんではなく、綺麗な青年だ。
「……まぁ、年齢なんて気にすることでもない。時間がもったいないから、出発するよ」
「あ、はい!」
何でもないことのようにさらりと告げて踵を返す焔さんについて、部屋を出る。
あまりにも突拍子がなさ過ぎて信じられなかった、というのもあるけれど。この時は、これから見られる図書館の様子ばかりが気になって、彼の年齢やアルトの言葉については、全く真に受けていなかった。
今朝のように、最奥禁書領域の端にある扉だらけの通路からまず食堂へと向かう。
朝食の時間が終わっているからか、ホールには調理人たち以外に人気がまったくない。
今はもう昼食の用意でもしているのか、カウンターの向こうから美味しそうな匂いが漂ってくる。ゆったりと歩みを進めながら、隣を歩く焔さんがほうっと大きめの溜息を吐いた。
「久しぶりだな、この空気は。リリーは、食堂にはもう来たんだろう?」
「はい。モニカさんにもご挨拶しました」
「うん、なら次の所へ行こう」
「はい」
焔さんに続いて、ふかふか絨毯の廊下を歩いていく。
食堂に近いところから、リブラリカ職員が使っている禁書庫や職員さんたちの事務室。他にも作業室や休憩スペースなど、中庭をぐるっと、いずれも廊下から眺めるだけという形で案内される。
ほぼ足を止めず、さらりとどういう場所かだけを説明していく焔さんについて歩いていると、すれ違う人が増えるにつれてある異変に気づかざるをえなかった。
「……え?」
「な、なん……」
「うそでしょう?」
すれ違う人たちが、みんな驚愕の表情でこちらを凝視しながら声を漏らすのだ。
視線の先にいるのは、使い魔の黒猫をつれて悠々と歩みを進める、豪奢なローブの焔さん。
中には、その後ろをついて行く私を訝しげな目で見る人達もいる。ちょっと……いや、だいぶその視線が辛い。
どうしよう、これは焔さんに一度、声をかけたほうが……。
「リリー」
「っはい!」
「残りは、国民に広く開放している図書館の一般開放区画と、この国の上流階級市民向けに開けている図書館の窓口だよ」
「は、はい」
私のこんな心境も気にもせず、彼はマイペースに案内を進めていく。
「それじゃあ、先に上流階級向けの窓口から――」
「お、お待ちください!」
突然掛けられた声に驚いて、びくりと小さく飛び上がってしまった。
すぐにまた同じ声が廊下に響く。
「お待ちくださいませ、大賢者様!」
先ほどと同じ女性の声がして、そちらを振り返る。廊下に小さくできていた人垣をかき分けるようにして、鮮やかな青の制服がひらりと揺れた。
人垣がざわめいて、ひそひそと、「ロイアー様だ」「ロイアー嬢が……」等と漏れ聞こえてくる。
豊かな金髪を揺らした青い制服の女性が、焔さんの前でぴたりと立ち止まりさっと美しい礼をとった。
スカートの端を摘まんで広げ、身を沈めるその姿勢はとても美しい。
「ああ……。君か、ロイアー」
「ご機嫌麗しく、大賢者イグニス様」
焔さんにロイアーと呼ばれた女性は、頭を上げると凜と姿勢を正した。
青い瞳が濡れた宝石のように輝く、美しい女性だ。年の頃は、私と同じくらいだろうか。白くきめ細かい肌に控えめに染まる桜色の唇から、芯の強そうな可憐な声が響く。
「あなた様が自らこちら側へいらっしゃっていると人伝てに聞きまして、参りました。この様なことは、この600年間1度もなかったことでございましょう?一体、どうして」
「ここの館長は僕だ。僕自身が自由に出歩いたって、何も不都合はないだろう」
「ええ、そのようなことは御座いませんが。突然この様なことをされては、皆も驚きます」「僕の事など気にせず、仕事を続けてくれ」
「そうは参りません。何か御用事がおありなのでしょう?このシャーロット・ロイアーに申しつけてくださいませ」
「申し出は有り難いが、今回は構わなくて良い。僕の秘書に、館内を見せていただけだから」
「秘書……」
ぴくりと、女性の肩が揺れる。低い呟きに、ちょっとだけ恐怖を覚えた。
「少し前に、書簡で説明したはずだけれど」
「ええ、拝見致しました。存じております。……この娘が、そうなのですか」
「!」
突然の冷たい視線に、反射的に一歩後ずさる。涼やかな瞳が、鋭すぎる程の視線をこちらに向けていた。
「ああ。君にも紹介しないとね。リリー、この人が、リブラリカの副館長をしているシャーロット・ロイアーだ」
これ以上蛇に睨まれた蛙状態になっているのも嫌で、視線を逸らすように、思い切り頭を下げる。
「ま、マスターの秘書に、なりました!リリーです!」
勢いがつきすぎて、伊達眼鏡がずり落ちる。
「よろしくお願い、します……」
尻すぼみになりながら、恐る恐る視線を上げる。こちらを見る彼女の視線は、変わらず氷点下のままだった。
「…………」
沈黙が、痛い。
助けを求めるように焔さんに視線を投げると、そのタイミングでロイアーという女性から小さな溜息の音がした。
「大賢者様。貴方の書簡で、この者をどこから連れてきたのかもわたくしは存じております。――その上で、差し出がましいながら、提案をさせては頂けませんか?」
「提案?」
フードを被ったままだけれど、いつものように首を傾げる焔さんへ、女性はきっと眦をつり上げて向き直る。
「この図書館で働くというのなら、身につけて頂かなければいけない知識というものが御座います。それは、例えあなた様の秘書という特殊な立場であったとしても得て頂かなければならないもの。この場所で働く者を指導することも、わたくしの大切な仕事なのです。例外は一切御座いません。よって――」
きびきびと歩み寄ってくる女性に、今度は一歩と言わず後ろに後ずさりする。
今どういう状況になっているのかもわからないままに、彼女の圧力におされまくってしまっているのは確かだ。これは怖い。
後ずさりし続けて、どんっと廊下の壁に背がぶつかったところで、私は怯えた視線を女性に向けた。アルトが足下で不機嫌そうな声を上げてくれるけれど、女性はそれを気にもとめない。
私を追い詰めてやっと真正面に立った女性は、私から目を逸らさずに、力強く言い切った。
「この者の教育指導を、わたくしが担当致します。異存は、御座いませんわね?」
「……ふう、ご馳走様」
見た目より量の多そうなサンドイッチをぺろっと食べ終えて、焔さんは今度こそちゃんとソファに座って紅茶を傾けている。……これがさっきまで、お腹を空かせて本に埋もれて倒れていた人だとは思えない。
「ごめんね、梨里さん。まだ慣れてもいないうちから、この領域の外まで行ってもらってしまった」
「いえ、アルトがいたので大丈夫でした。あの扉からすぐ、でしたし」
「ふふ、便利でしょう?」
焔さんは得意げに笑うけれど、使い魔である黒猫は不満そうにふん、と鼻を鳴らした。
「そうは言っても、食事を持ってくるのはいつも俺の仕事だっただろうが」
「まあね」
「え、いつもアルトが用意してたの?」
「こいつ、ほんとにここの領域から外に出ないからな。俺が行かなきゃ、こいつは飢え死にするだけだったんだ」
「外に出るのが億劫で、つい」
今までアルトが運んでいたということは、アルトが私と一緒にいるようになった今、一体誰が焔さんへ食事を運ぶのだろう。
ああ、運ぶ役目がいなくなったから、倒れてたのか!
「俺様はリリーと一緒にいるんだから、お前ひとりでもちゃんと食事くらい取りに行けよ」
「ええ……うん」
アルトの言葉に、焔さんはちょっとだけ眉根を寄せて曖昧に頷く。
これは、付き合いの短い私でもわかる。絶対に実行しない人の返事だ。
「あの」
「どうしたの、梨里さん」
控えめに声をかけると、焔さんがこちらに首を傾げて見せる。……うう、相変わらず綺麗な微笑みだ。
……って、そうじゃなくて!
「焔さんさえよろしければ、これからは私が食事お持ちしましょうか?」
この人の世話も仕事の内だというのならば、と思っての発言だったのだが。
「え、本当?」
ぱあっと、子供のように表情が明るくなる。思ったよりも素直で嬉しそうな反応にびっくりする。
整った顔立ちでこういう表情をされると、すごく眩しい……!
色々な感情渦巻く胸を押さえてうっ、と呻く私に構わず、彼はうきうきと上機嫌だ。
「それじゃあ是非お願いしようかな。さっきのマナジェムがあれば、食堂のカウンターで支払いしなくても、好きな物食べられるからね。全部経費ってことで。せっかくなのだし、梨里さんも一緒に食べよう」
「えっ」
「ひとりで食べるより、誰かと食べる方が美味しいって良く言うでしょう?初めから、梨里さんにはここの食堂も自由に使ってもらうつもりだったし、ね?、いいよね?」
こうやって彼は時々、すごく押しが強い。眼鏡越しにすら目を合わせることができず、視線を泳がせながら押し切られるように頷いた。
「え、えっと。……じゃあ、お言葉に、甘えて」
「うん、よかった」
「お前なぁ……。ま、飢え死にされるよりはいいか」
そんな私たちを眺めていたアルトが呆れたように溜息をついて、ガミガミと焔さんに小言を言い始める。焔さんは聞いているのかいないのか、曖昧な相づちを打ちながら紅茶を飲んでいて。
……なんだかこういうの、居心地がいい、かも。
自分のティーカップに隠れるようにして、私はこっそりと笑みを零した。
みんなのカップが空になった頃、焔さんがうんと伸びをして立ち上がった。
「さて。それじゃあ今日は、館内を案内しようか」
「!はい!」
案内ということは、この場所――最奥禁書領域以外の場所にも連れて行ってもらえるのだろうか。
異世界の図書館、他の場所は一体どんな様子なのだろう。
そわそわと椅子から立ち上がった私の隣で、アルトが紅い目をまん丸にして焔さんを見ている。
「案内?今、案内って聞こえたんだが空耳か?」
「いや、幻聴ではないよ。確かに案内と言ったけれど、それがどうかしたかい?」
「どうかしたかい?じゃねえよ!!お前、まさか一般区域にまで行く気か?!」
「リブラリカ全体を簡単に案内しようかと思ったんだけど、だめだったかな?」
フードをいつもより深く被り直して何でもないことのように言う焔さんに、アルトは文字通り顎が外れそうなほどあんぐりと口を開けていた。
確かに焔さんは、先ほどの食事の件といい、外に出るのが好きではなさそうだけれど……。そんなに驚くこと?
以前だって月に一度は、私が勤めていた古本屋に来てくれていたのだ。
「アルト、どうしてそんなに驚くの?」
「これが驚かないでいられるか!!いいか、こいつはな、こっちの世界では、本当にずっと、何百年も最奥禁書領域から外に出てないんだぞ!」
「…………え?」
一瞬、アルトの言った言葉の意味が理解できずに、反応が何秒か遅れた。
「何百って、何言ってるの?だって焔さんは――」
どう見ても、20代くらいにしか見えない。……けれど。
「リリー、お前はこいつの歳知らないんだろ」
心を読んだかのようにアルトが言う。
「よく聞け。こいつは800歳は越えてるんだからな!」
「……はい?」
思わず間抜けな声を出して、焔さんの方を見てしまう。
は、800って……。いやいや、それはさすがにないでしょう。目の前にいるのはしわしわなおじいちゃんではなく、綺麗な青年だ。
「……まぁ、年齢なんて気にすることでもない。時間がもったいないから、出発するよ」
「あ、はい!」
何でもないことのようにさらりと告げて踵を返す焔さんについて、部屋を出る。
あまりにも突拍子がなさ過ぎて信じられなかった、というのもあるけれど。この時は、これから見られる図書館の様子ばかりが気になって、彼の年齢やアルトの言葉については、全く真に受けていなかった。
今朝のように、最奥禁書領域の端にある扉だらけの通路からまず食堂へと向かう。
朝食の時間が終わっているからか、ホールには調理人たち以外に人気がまったくない。
今はもう昼食の用意でもしているのか、カウンターの向こうから美味しそうな匂いが漂ってくる。ゆったりと歩みを進めながら、隣を歩く焔さんがほうっと大きめの溜息を吐いた。
「久しぶりだな、この空気は。リリーは、食堂にはもう来たんだろう?」
「はい。モニカさんにもご挨拶しました」
「うん、なら次の所へ行こう」
「はい」
焔さんに続いて、ふかふか絨毯の廊下を歩いていく。
食堂に近いところから、リブラリカ職員が使っている禁書庫や職員さんたちの事務室。他にも作業室や休憩スペースなど、中庭をぐるっと、いずれも廊下から眺めるだけという形で案内される。
ほぼ足を止めず、さらりとどういう場所かだけを説明していく焔さんについて歩いていると、すれ違う人が増えるにつれてある異変に気づかざるをえなかった。
「……え?」
「な、なん……」
「うそでしょう?」
すれ違う人たちが、みんな驚愕の表情でこちらを凝視しながら声を漏らすのだ。
視線の先にいるのは、使い魔の黒猫をつれて悠々と歩みを進める、豪奢なローブの焔さん。
中には、その後ろをついて行く私を訝しげな目で見る人達もいる。ちょっと……いや、だいぶその視線が辛い。
どうしよう、これは焔さんに一度、声をかけたほうが……。
「リリー」
「っはい!」
「残りは、国民に広く開放している図書館の一般開放区画と、この国の上流階級市民向けに開けている図書館の窓口だよ」
「は、はい」
私のこんな心境も気にもせず、彼はマイペースに案内を進めていく。
「それじゃあ、先に上流階級向けの窓口から――」
「お、お待ちください!」
突然掛けられた声に驚いて、びくりと小さく飛び上がってしまった。
すぐにまた同じ声が廊下に響く。
「お待ちくださいませ、大賢者様!」
先ほどと同じ女性の声がして、そちらを振り返る。廊下に小さくできていた人垣をかき分けるようにして、鮮やかな青の制服がひらりと揺れた。
人垣がざわめいて、ひそひそと、「ロイアー様だ」「ロイアー嬢が……」等と漏れ聞こえてくる。
豊かな金髪を揺らした青い制服の女性が、焔さんの前でぴたりと立ち止まりさっと美しい礼をとった。
スカートの端を摘まんで広げ、身を沈めるその姿勢はとても美しい。
「ああ……。君か、ロイアー」
「ご機嫌麗しく、大賢者イグニス様」
焔さんにロイアーと呼ばれた女性は、頭を上げると凜と姿勢を正した。
青い瞳が濡れた宝石のように輝く、美しい女性だ。年の頃は、私と同じくらいだろうか。白くきめ細かい肌に控えめに染まる桜色の唇から、芯の強そうな可憐な声が響く。
「あなた様が自らこちら側へいらっしゃっていると人伝てに聞きまして、参りました。この様なことは、この600年間1度もなかったことでございましょう?一体、どうして」
「ここの館長は僕だ。僕自身が自由に出歩いたって、何も不都合はないだろう」
「ええ、そのようなことは御座いませんが。突然この様なことをされては、皆も驚きます」「僕の事など気にせず、仕事を続けてくれ」
「そうは参りません。何か御用事がおありなのでしょう?このシャーロット・ロイアーに申しつけてくださいませ」
「申し出は有り難いが、今回は構わなくて良い。僕の秘書に、館内を見せていただけだから」
「秘書……」
ぴくりと、女性の肩が揺れる。低い呟きに、ちょっとだけ恐怖を覚えた。
「少し前に、書簡で説明したはずだけれど」
「ええ、拝見致しました。存じております。……この娘が、そうなのですか」
「!」
突然の冷たい視線に、反射的に一歩後ずさる。涼やかな瞳が、鋭すぎる程の視線をこちらに向けていた。
「ああ。君にも紹介しないとね。リリー、この人が、リブラリカの副館長をしているシャーロット・ロイアーだ」
これ以上蛇に睨まれた蛙状態になっているのも嫌で、視線を逸らすように、思い切り頭を下げる。
「ま、マスターの秘書に、なりました!リリーです!」
勢いがつきすぎて、伊達眼鏡がずり落ちる。
「よろしくお願い、します……」
尻すぼみになりながら、恐る恐る視線を上げる。こちらを見る彼女の視線は、変わらず氷点下のままだった。
「…………」
沈黙が、痛い。
助けを求めるように焔さんに視線を投げると、そのタイミングでロイアーという女性から小さな溜息の音がした。
「大賢者様。貴方の書簡で、この者をどこから連れてきたのかもわたくしは存じております。――その上で、差し出がましいながら、提案をさせては頂けませんか?」
「提案?」
フードを被ったままだけれど、いつものように首を傾げる焔さんへ、女性はきっと眦をつり上げて向き直る。
「この図書館で働くというのなら、身につけて頂かなければいけない知識というものが御座います。それは、例えあなた様の秘書という特殊な立場であったとしても得て頂かなければならないもの。この場所で働く者を指導することも、わたくしの大切な仕事なのです。例外は一切御座いません。よって――」
きびきびと歩み寄ってくる女性に、今度は一歩と言わず後ろに後ずさりする。
今どういう状況になっているのかもわからないままに、彼女の圧力におされまくってしまっているのは確かだ。これは怖い。
後ずさりし続けて、どんっと廊下の壁に背がぶつかったところで、私は怯えた視線を女性に向けた。アルトが足下で不機嫌そうな声を上げてくれるけれど、女性はそれを気にもとめない。
私を追い詰めてやっと真正面に立った女性は、私から目を逸らさずに、力強く言い切った。
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