たまご

ハコニワ

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二部 神戸康介の英雄譚

第26話 自販機

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 何処に行っても死体だらけ。下半身と上半身が別れている死体や腹を切り裂かれて臓物だけくり抜かれて中身が空っぽな死体がある。目も当てられない死体だらけだ。
 山のように積んである死体もある。
 闘ったからこそわかる。あいつらの爪は鋭く、ナイフのように斬れる。服でも腕でも掴まれたら離れないし離さない。指先一本斬れる。    
 夏なのにひんやりしている空気。風が運んでくる握は、慣れたもので慣れそうにない。氷水のような冷たい汗が流れた。
 あの化物に遭遇せずに自販機は難しい。そんなの、端から分かっていたさ。
「早速ご登場か」
 俺は足を止め、二百円を持っていない手に掴んでいるゴルフクラブをぎゅ、と力強く握った。死体に群がる化物ども。
 グチュベチャ、と嫌な咀嚼音。顔を上げると顔面真っ赤でニッコリ笑っていた。
「そんなに食べてんなら、腹いっぱいだろ?」
 俺はゴルフクラブを素振りした。狙うはホームラン。化物はケラケラと笑っていた。目元まで付着した血をべろり、と朱い舌で舐めた。
 キリンの首みたいに長い舌だ。
 それを見てゾッとするほどでもなく、単純に高揚してきた。これからバトルするんだ。本気出していかないと。

 化物は突進してきた。やはり、行動が子供ぽく単純だ。ご飯だよ、と言われたらすぐに駆け寄ってくる子供みたい。一直線で向かってくることを分かっていた。 
「ホームランで甲子園!」
 俺は低い位置でゴルフクラブを振った。
「ぷぎゃ!」
 豚の鳴き声みたいな声で顔面にクリーンヒット。鼻をへし折った感覚がヒシヒシと腕に伝わる。キーンと腕が痙攣している。
 化物はアスファルトの地面に蹲っていた。高い鼻が折れて青い血が出ている。ゴルフクラブはその影響で真っ二つ折れている。
 が、これで倒れてくれないのが厄介なところ。
 化物はすぐに立ち上がって突進してきた。もう武器は何もない。拳のみ。突進してくる奴の腹をめがけて、拳を振り落とすも空振り。

 しまった、と思った直前に腹に鋭い激痛が走った。化物の鋭い爪が肉に食い込んでいる。吸い込まれるようにして地面に倒れた。腹からブクブクと何かが這い上がってきて、口から透明なものと朱い血を吐いた。頭がくらくらする。気持ち悪い。異様に寒いし、体がぶるぶる震える。  
 やられた。今度は助けに来てくれるかどうかも分からない。助からないかもしれない。それでも――。

 獅子、真綾、脇子、それにタケとモノの顔が脳裏に浮かんだ。みんなの不安な顔、絶対に生きて帰ってくることを約束した。その約束を兄である俺が裏切るわけにはいかない。

 折れたクラブを持って立ち上がった。腹が熱い。熱がこもっている。さっきまで冷たかった体が異様に熱くなり、熱がこもる。  
 赤い血がポタポタと滴り落ちる。その血を眺めている視界も定まらない。フラフラする。しっかりしろ。俺は頭を振って思考を取り戻した。化物は爪についた血をベロベロと舐めている。
 アイスキャンディのように。
 俺はお腹に手を強く当てて、なるべく血が出ないように止血した。血が温かい。でも鋭い痛み。その感覚で目が覚める。
 腹の中が空っぽだ。目の前の景色が二重になったりぼやけたり、眼魔がする。クラブを持っている腕に力を込めて、化物めがけて飛ばした。
 普通に避けられる。

 そんなの、端から分かっていたこと。
 空振りしたクラブの隙に化物に一歩近づいた。クラブに気を取られたすきに顔面を殴りつける。そのとき、腹の痛みなど皆無だった。ただただ、目前の敵を倒し、ジュースを買いに行ってまたみんなと、朝ご飯を食べるんだ。
 不思議と全身から力がみなぎってくる。殴られた化物は数m飛び、電信柱に頭をぶつけてピクリとも動かなかった。体から出てくる血は青くて、ドロリとしていた。

 これで敵はいない。あともう少し行けば、自販機だ。足がもたついて、力がでない。さっきまで高揚してて体が熱かったのに急激に冷たくなった。狭窄していく意識を何度も現実世界に戻した。そうしてようやく自販機を前にしてお金を流し込む。

 良かった。売り切れていない。
 外の自販機は健全に立っていた。でも所々赤黒い雫が垂れている。乾いてて茨みたい。ボタンのところも血が付着してて気持ち悪い。
 迷い無くアップルミルク味とウォーター水二本買った。よし、これでようやく戻れる。貴重な水も手に入れて血だらけの手でそれを握る。

 あ、握力がねぇ。

 掴んでも落ちて、もう一度拾おうと手を伸ばすも空振り。指先に力が入らない。視界がまた――遠のいてしまう。
「もし」
 誰かの声がする。
 誰なのか分からない。
 自販機の前で蹲っていると、頭上から声がする。もしかしたら幻聴かもしれない。家族の元に戻りたい欲求で、勝手に作り出した幻聴かも。
「もし」
 今度ははっきりと強く言った。
 そんなに強く言わなくても聞こえてるよ。眼魔が激しくて吐き気がしてきた。腹を抑える力も入らなくて血が滴り落ちていた。寒い。ものすごく寒くなってきた。歯がガチガチなる。
「起きろやっ!」
「ぶべっ⁉」
 いきなり平手打ちをくらった。
 痛みと驚きで、思考がパニック。叩いた相手を思わず見上げる。女子学生が立っていた。こんなサバイバルみたいな環境でたった一人、こんなところで何を突っ立ているんだ。
 腹の痛みと、平手打ちのせいで意識が遠のいていく。狭窄していく視界のはしで映ったのは女子生徒と、あと誰か。

 超えが聞こえる。ぼんやりで分からないけれど。
「虫の息だな」
「でも、さっきの見た? 戦ってたよタイマンで」
 女子生徒の顔が目いっぱいに近づいてきた。よく見れば金髪で濃い化粧をしていた。何か呟いている。けれどもう――何も聞こえない。

 これを家族のもとに持って帰ってやりたかったのに。買ったばかりの空き缶はコロコロと虚しく転がっている。届かない。手を伸ばしているのに。やっぱりゴルフクラブ一本じゃ不足だったか。フライパンを持ってこよう。今度は――。その今度は――果たして実現するのか。

 薄っすらと目が覚めた時、知らない天井が目に入った。同時に甘い匂い。まるでお菓子みたいでふわふわしている。今までの環境が悪臭だったせいでこの匂いは意識と思考を瞬時に起動させた。
 起き上がって、腹に激痛が走ったことでまた床に伏せた。
「あ、起きた?」
 気怠い声が頭上から。恐る恐る見上げると金髪のギャルが立っていた。
「こ、ここは」
「ここはアタシん家。感謝してよね~、助けてやったんだから」
 そういえば消え行く視界で映ったのは、この子だ。この子が腹の傷をなおしてくれたわけか。
「ありがとう」
 彼女はまんざらでもなく笑った。
 金髪で肌は小麦色。笑ったら白い歯が覗く。歳は真綾と同じくらいかも。俺は飛び起きた。飛び起きたことに彼女はビクリとする。
「こうしちゃいられない! 早く帰らなきゃ!」
「はっ⁉ 何処に、そんな体で⁉」
 静止の声を無視して、俺は部屋の扉に手を伸ばすとそれを阻止するかのように前に出てきたのは、俺より身長高い男。厳つい顔で無言の圧をかけてくる。
 その目に睨まれたら俺でも蛙になっちまう。
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