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二部 神戸康介の英雄譚

第24話 名義

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 おじさんは自分の寝ていた場所の下からパソコンを取り出した。自分の体の下に敷いて寝ていたのか。よっぽど大事なものが詰まっているらしい。包帯に巻かれた手は皮が剥がれて、真っ赤な肉が見えていた。
 手元が震えていて、パソコンを受け取った脇子はじっ、と前宮司さんを見上げた。
 前宮司さんは、何も語らなかった。それっきり。助言も何もしてくれない。脇子は俺の隣に座ってパソコンを立ち上げる。
「パスワードとかあったらどうすんだ」
「そんなの、私の前では朝飯前」
 眼鏡の奥の瞳がギラついた。
 脇子を中心に獅子と真綾もパソコンを覗き見る。パスワードの欄はなかった。立ち上げた瞬間に遺伝子工学についてのレポート用紙が。書いている途中で襲われたのだろう。書きかけだ。

 脇子はパソコンをいじって、前宮司さん名義を使ってあるサイトに書き込みした。獅子が画面を覗き込んでムッとした表情になる。
「なんで2ちゃんなの? もっと大きな所で使えばいいのに」
 横から口出ししてきた獅子を脇子はじろりと睨んだ。
「言われなくてもここは、国の2ちゃんよ。ここに書き込めば、必ず誰かに見つかる」
 脇子は確信を持って言っている。それは、絶対だと言い切っている。キーボードを的確に打っていき、そこの掲示板にて『化物を生み出した女王がいる』と書き込む。
 たったそれだけ書き込むとパソコンを閉じた。獅子は目を見開く。
「これだけ? これだけでいいの? 誰か返信きたらどうすんの」
「返信きたら答えられる? 私だって上手く説明できないのに」
 脇子は素っ気なく答えた。獅子はそうだね、と理解する。ちょうどトイレに行っていたタケたちが戻ってきた。
「おかえり。遅かったね。ちゃんと手洗った?」
 真綾が二人にハンカチを手渡す。
 二人は疲れた表情でため息ついた。
「洗ったよ。すごい混んでたもん。なんかね。トイレで居眠りしている人が多いんだ」 
「……そうか。二人とも疲れたろう? 寝よう」
 俺は横になって二人を手招きした。二人は無邪気に駆け寄る。右隣で寝ている前宮司さんを見て「おじさんは?」と聞いてきた。俺は「疲れたから眠ったのさ」と言うと二人はあっさり受け止めた。

 眠る場所なんかない。廊下に敷いた青いビニールシートの上にゴロゴロと転がる肉の塊。しかも狭い通路。座る場所すらもない。安眠もできるわけがない。二人は俺の懐に潜りこむと、狭い場所でも、悪臭が漂う場所でも、それでも、安心しきった表情で眠った。
 真綾たちは別の場所で眠ることに。嫌な夢を見たせいか、シャツが背中にくっついている。

 久しぶりにあの頃の夢を見た。まだ幼かったあの頃。両親もいて、幸せで、あれが当たり前でありずっと続くと思っていた。でもそれは壊され、あれは当たり前なんかじゃない。誰かの努力、そして家族の配慮があって作られた環境だったんだ。
 
 俺は家族を守る。絶対に。安心して眠っているタケとモノの頭を優しく撫でた。窓から見上げる景色は暗くなった夜空。点々と煌めく星。ポツンと一人でにいる欠けたお月さま。悪臭が漂っていても窓は開けれない。化物が入ってくるから。むせ返るような悪臭に吐き気がする。

 今日は本当だったら焼肉パーティでもしようかと思っていた。また誰かに日常を壊された。今度は人ではなく化物に。きっと、この戦いが終わったらみんなと焼肉パーティでもしよう。そのとき、全員一緒だ。誰も欠けることはない。


§


 翌朝、脇子が発したメッセージはまたたく間に、世界中に拡散していった。脇子はほらね、とドヤ顔する。
「前宮司さんの名義なのが惜しいけどな」
 俺は脇子の頭を撫でると脇子は照れくさいのか、顔を赤らめて俯いた。
「そんなだいそれたことはしていない……それにあの人の名義じゃなかったら拡散していない」
「それもそうだな」
 俺は手を戻した。
 真綾はその姿を見て、ニコニコと微笑む。獅子も同じように。それを見られた脇子は舌打ち。
「コウ兄おはよー」
「おはよー」
「おっ、おはようさん! オネショせずに起きたのか偉いなっ!」
 スヤスヤ眠っていた二人が起きて、俺は頭をわんころのように撫でた。モノは天然パーマで朝から髪の毛が横に広がってアフロみたい。撫でるとクッションみたいに沈む。
「だって、こんな所でオネショなんかできないよ」
「臭いしね」  
「そうだな……よし、顔洗ってこい」  
 俺は二人の背中を押して水があるトイレに向かわせた。二人は寝起きでフラフラ足元がおぼつかない。仕方なく次男の獅子が、付き添う。真綾は大きくため息ついた。
「ねぇ、女子トイレ水が出ないの。なんか、水道管に何かが引っかかってんだって。もうやだ。お風呂入りたい」
 肩までの髪の毛を指先でくるくるした。脇子もうんうん、と頷く。そういえば一日お風呂入っていないことに今頃気がついた。女子二人は「男子はいいよねー」と偏見な眼差しを向けられるが男でも風呂入りたい。
「昨日は血と汗だくで全身ビショビショだ。ホレ! ホレホレ」
「きゃあぁぁぁ! ちょっとこっち来ないでっ‼」
「不潔っ、最低っ、悪臭っ!」
 俺は二人に近づくと、二人は甲高い声をあげて逃げていく。一日お風呂入っていないせいで、俺の周りは臭い。実際自分でも臭う。

 追いかけっ子していると、近くの人から苦情を貰った。同じように青いビニールシートの上で横になっていて、苦しそうに蹲っていた人から。
「すいません。気をつけます」
 俺はペコリと頭を下げると、その人はまだぶつぶつと何かを言っている。近くに行って見ないと何を言っているのか。恐る恐る近づいてみると。
「ちったぁ静かにしろよ。お前がちゃんと躾ねぇからだろ……お前のせいだ。違う違う違う」
 寝言のようにポツリポツリ言っている。とても苦しそうだ。

 そういえば、気づいたことがある。青いビニールシートの上で横になっている人の数が減っている。足の踏み場もなかったはずなのに、所々点々と席が空いている。隣におじさんの亡骸もなかった。外に処分したのか。それとも病室が開いたか。どちらも遺体を何処かに置かないと開かない。
 脇子が「もう行こう」と托してくる。悪臭も嗅ぐほど慣れてくる。

 普段タケの叫び声が日課で、それを聞かないと落ち着かない。目が覚めるとあの孤児院で、毎日俺が朝ごはんを作るんだ。真綾も手伝ってくれて、獅子と脇子も台所にきて、家族みんなが食卓に座る。そんな情景が懐かしい。

 須川さんに「絶対安静」だといわれたけど、このままじっとしているわけにはいかない。街が、世界がこうなっているときにうずくまっているわけにはいかない。
「これからどうするの?」
 真綾が聞いた。  
 階段の踊り場で家族全員揃って家族会議を始める。真綾の不安に帯びた目をじっと見る。
「そうだな。これからどうするのか俺にもわからない」
 みんな、不安に帯びた目をしていた。
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