この虚空の地で

ハコニワ

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Ⅴ 新たな景色~19歳~

第74話 冬過ぎて春

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 最上級生にあがり、そして今日卒業を迎えるこの日。この一年の日々はいつもと変わらなかった。寝て、起きて、食べて、闘っての繰り返し。
 時々、辛くもあったし、形容しがたい寂しさと虚しさが込上がって泣き叫ぶこともあった。
〝あの夜〟を体験し、より一層強くなった気がするが、それは、身体的な能力。精神的、忍耐力とか、本当の強さを持っている人には敵わない。
 本当の強さを持っている誰か、約束を交えた誰かを忘れ、俺はこの学園を卒業する。
 小さい頃から家でもあり、帰るべき場所だったこの学園を去るのは、色んな面で悲しい。
 卒業したら、そのまま島に留まって教師になるか、島をでて探検家になるか、どちらかの道を選択される。
 大半の者は残る道を選択するらしい。
 だけど、俺は島をでる選択を選んだ。
 それはもちろん、ジンもだ。
 寮で荷造りしているとコンコンとドアがノックされた。振り返ると、開きっぱなしのドアの前には、きっちりボタンを止め、いかにも真面目そうな女性がにこやかに笑っていた。
「出発は明日なのね。寂しくなる」
 小夏先輩、いいや今は、小夏先生と呼ぶのがふさわしい。一年前に卒業した小夏先生は、島に留まって教師を目指した。
 AAクラス出身の小夏先生は、あっさり進級し、今やDクラス担任をうけもっている。
 教師になった小夏先生は、毒舌は相変わらずだがほんの少し、丸くなった。
「小夏先生、今時間空けていんすか?」
「大丈夫よ。今休憩だし。それと、小夏先輩でいいから」
 教師になった小夏、先輩は子どもに触れあい毒気がなくなったせいで、なんだか調子が狂う。
 荷物の整理をしている俺を横目に小夏先輩は、扉にずっともたれかかっていた。入ればいいのに。
 どうやら、荷物を整理していて邪魔になりたくないらしい。気を遣われてしまった。小夏先輩には、昔から気を遣われている。
 もうこれ以上、この人には心配されたくないな。これが最後だ。
「小夏先輩、お茶、いれますよ」
 これが最後だと分かったのか、小夏先輩は頷いて入ってきた。
「びっくりした」
 せっせとお茶を淹れている背後、その一言で話題を出してきた小夏先輩。何が? と訊くと小夏先輩は、突然アルカ理事長の話をしだした。
「あんな小太りが理事長だったなんて、もうちょっとイケメンを想像していたのに。がっかりだわぁ」
 はぁぁと長いため息をついた。
 教師に就任したら理事長と対面できるらしい。イケメンを想像していたら、理事長室では、脂テカテカの三〇過ぎのオッサンが目の前に。小夏先輩は、その日のありがたいお話を忘れて、灰のように白くなっていたのを覚えている。
 小夏先輩が見たのは、本当のアルカ理事長の姿ではない。
 いいや、もしかしたら、俺が想像しているアルカ理事長も、本当の姿ではないのかも。誰もアルカ理事長の本当の姿を見たことがない。
 でも、小夏先輩にはそんな姿を見せたのか疑問だけど。
 お茶をいれ、小夏先輩にコップを手渡す。ありがと、と短く言って受け取ってくれた。
 そのとき、ジンが寮に帰ってきた。下級生たちが別れを惜しんで今日は何度もジンを尋ねてきた。その下級生たちの挨拶し終えたばかり。
 部屋に小夏先輩がいることに目を仰天させていた。
「もしかしてお別れの挨拶すか?」
 明るく、気さくにジンが駆け寄った。
 小夏先輩は、そうね、とコクリと首を頷く。ゆるふわの髪の毛が、ふわりと揺れる。
「それと同時に伝言よ。理事長から。『今日までよく頑張った。卒業しても功績も眺めていきたい』ですって」
 あの人がそんなことを言う状況をイメージしたが、どうも合わない。理事長と何度言われても、あれは同級生にしか見えないせいで、理事長らしい全うなことを言われると、どうも受け入れがたい。
 しかも小夏先輩とジンがイメージしている理事長は、脂テカテカの三〇過ぎオッサン。会話が噛み合うこともなく、
「あのオッサン、ずっと眺めていたいって、ストーカーか?」
「そうよね。訴えたいわ。イケメンを想像していたあたしの受けた屈辱を晴らしたい」
 とか、二人は一方通行の話をしていた。
 ふと小夏先輩が時計を見て、「あ」と声をあげた。
「行かなきゃ。ごめん。もう少し話したかったけど」
 半分ほどのこっていたお茶をグイ、と飲み干しごちそうさまと言って机に置いた。バタバタとした足取りで部屋を去っていく。
 少し部屋を出た廊下で、ピタッと足を止めた。くるりと振り向き、笑顔を向ける。
「明日の見送り、絶対するから」
 とまた前を向いてバタバタと廊下を走っていく。
 教師て大変だなぁ。辛辣でクールな小夏先輩が教師になって一年。ニコッと笑顔を向けるようになったし、あんなふうに忙しなく走っていない。
「あぁ、もっとお話したかったなぁ」
 小さくなる背中に、ジンが羨まし気に言った。
「仕方ない。あの人はあの人で大変だから」
 小夏先輩が飲み干したコップを片付けて、バタバタと忙しなく走る小夏先輩の姿を目の裏に思い浮かぶと、自然に笑った。
 後輩たちのお別れを済んだジンの腕には、抱えきれないほどの花束や紙袋。
 全部アゲラタムだ。
 特徴は、匍匐状の花。円錐状に十数輪またはそれ以上まとまって咲く。花の色は、明るい青紫や白やうす桃色、様々な花色で腕の中は華やかに映ってた。
「え、共食い?」
「言うな」
 アゲラタムはジンの名字。だから後輩たちはこの花をあげたのだろう。
 一輪だけ、違う花を見つけた。華やかなアゲラタムに隠れるようにして咲いていたが、大きな花弁は、隠れようがない。
 たったの一輪。誰がくれたんだろ。
「それ、何?」
 訊くとジンは、アゲラタムの花束を机に置いて、その一輪だけを庇うようにさっと隠した。ジト目でこちらを睨んでくる。
「この花だけやらんぞ」
「別に花なんて嬉しくないし」
「うわ! 嬉しくないとか大丈夫?」
「余計だ。それよりその花は?」
 ジンは、庇うようにさっと隠したその花を目前に出した。自信満々にニカッと笑う。
「ペチュニアて花。花言葉は『あなたと一緒なら心が和らぐ』て、告白されちゃった」
 へぇ、と自分でも白ける返事をした。その感情無の返事にジンは、もっと聞いてよーと騒ぐ。

 明日で退寮だってのに、ジンの騒ぎのせいで夜通しすることになった。花束は結局持ちきれなくて学園の贈呈に。その一輪だけは持ち帰ると決定。


 そして、朝の五時。
 春が近いと言っても冬の名残がある。外は肌寒い。うっすらと霧が立ち込めていた。
 誰も起きていない時間帯にジンと共に学園の裏門を出た。頑丈な扉。学園を見上げた。ここでは様々なことが起きた。脱走したこと、壁画を見たこと、どれも悲しい思い出しかない。だけど、ここが生まれた場所で始まりの場所。
「行くか」
「おう」
 もう振り返らない。背を向けて歩き出した。頑丈な扉が一人でにギィと閉じる。
 学園の裏に行ったのは初めてだ。コンクリートの堤防が長く道をつくっていた。その最終付近までくると、小夏先輩が待っていた。
 堤防先に広がっていたのは、広大な海。
 まだ、太陽も顔を出していないせいで黒い海。海の霧は、いっそうここより濃かった。
「あれ、舟が二つ。ユリスは?」
「あの子なら、もうとっくの前に出たわよ」
 こんな早い時間よりもかよ。
「顔見たかったなぁ」
 ジンが悲しげにぼやいた。俺も同感。たった三人だけの同期。〝あの夜〟を闘い抜いた同士。
 Aクラスだから、ここに残って教師になると思ってたけど、島から出るのは意外だ。
「さて、そろそろ俺らも行くか」
 ジンが小舟にのった。木製で出来た舟。
 ジンが小舟に乗ると、海に大きな波と波紋が広がった。俺も急いでもう一つの小舟に乗る。小夏先輩は、一緒でいいのにと顔をした。
 でも、それじゃだめなんだ。
 俺たちは、これからバラバラになる。ジンは西に。俺は東に。共に世界を見に。
 世界は広い。この学園じゃ見れなかった景色を見に行きたい。その為にお互いバラバラになった。
 そして約束した。
「いつか会おう。この土地で」
「あぁ!」
 世界を見て、多くの知識を学んで、そしていつかこの場所で必ず会うと約束。
 何年後か、もしくは何十年後かもしれない。世界を見てその土地に留まるかもしれない、見たこともない動植物に襲われるかもしれない。でも、契りを交した腕のことを絶対に忘れない。
「それじゃ、あたしは待ってるわね」
 小夏先輩がフフと笑った。
 俺たちも顔を見合わせて、笑いあった。そして小舟を東へと漕ぐ。
 東へ東。さらにその奥の東へと。一人ぼっちの冒険が始まった。
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