約束のパンドラ

ハコニワ

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Ⅵ 守人の事実 

第42話 さようなら

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 せいらは何も語らない。ただ隣に来るのみ。その顔は何も感じられなかった。僕が不安だから不安ともとれるし笑っているように思う。感情が読み取れない。じっと窓の外を眺めるその横顔は果たして何を思うのか。
「安心しな。危篤状態でもエデンの物資があれば助かるよ」
 ようやく口を開いた。その声色は穏やかで優しい。不安で仕方なかった僕を宥めるような優しい顔と声。僕を横目で見てふっと笑う。
 確かにエデンの物資があれば助かる。蘇生術台があればこの世のありとあらゆる病気もなし。蘇生術台を持参する頭の片隅にもなかった。ただ、地球に行きたい。祖母の顔を見ないととそればかり。せいらも最初こそそれを出雲くんの家から掻っ攫おうと行動したものの持ってこれなかった。

 蘇生術台はエデンにしか発動しない。それゆえ、地球にない代物だから地球の民は憧れる。エデンにしか発動しないものは割と多い。
 でもエデンの薬は最先端なのでどんな危篤状態でもたちまち保つとか。病院の家系なせいで最先端には詳しい。その薬を常備していることも。流石としか言えない。
「ごめん……」
 自信に満ちた顔が徐々に不安になって声が掠れるほど小さくなった。雰囲気を落とし暗めの顔をしたから何事かと思って「どうして?」と聞くとせいらは俯きポツリポツリとおもむろに話し始める。
「私が良太を推薦したせいで良太があんな目に……私、弟ちゃんになんて言えば……おばあちゃんを助けるのは罪滅ぼしに利用しているのかも。ごめんなさい」
 途切れ途切れに言った。
 確かに良太がああなったのは、あの島に行ったから。元は名前も上がらなかったのに人数合わせに推薦され、結果ああなった。


 精神を犯された人間はたとえ、蘇生術台でも立ち直れない。病院のベットにて身動きも取れない、喋れることもままならない、そんな状態だ。せいらは良太を推薦したことを悔やんで仕方ないだろう。そして今、その後悔が重い罪となって十字架となる。
 それはかつて、太陽を船に残せ死なせた罪を持ち10年間重いものを背負っていた僕と嵐の姿に似ていた。
「良太がああなったのは僕でも太陽でも分からなかった。せいらのせいじゃない」
 せめてもの軽くしようと言葉を出すも、今のせいらには心の底には届かない。せいらには僕らが抱える罪の重さを一緒にいいや、少しだけでも抱えてくれた。それなのに僕は全然だめだ。

 重い溜息を零すと船は既に地球に辿り着いた。漆黒に広がる宇宙から曇天に広がる空へ。そして今まで穏やかで心地よいエデンの空気を吸っていたから地球の空気がどす黒く、鉛のように重い。少し吸っただけで咳がし杯が重い。
 せいらから毒ガスマスクを渡され、装着する頃には地球の大地に着陸していた。
 改まってその1歩を踏むと何もかも違った地球に驚いた。大地はカスカスに枯れそこから植物が荒れ放題。遠くの景色は陽炎が踊って辺りの景色は揺らめいていた。

 まるで砂漠にいるみたいだ。かつてここに住んでいたものでさえもその環境の変化に目を疑う。住宅街エリアも大分狭くなって、危険地帯エリアはガスや放射のうが漏れ出てもう鳥や虫でさえ息できない。
 祖母にあうため、危険地帯エリアを遠ざけもと住んでいた集落に進むも、そこはもう人が住めなくなっていた。いつの間にか危険地帯エリアへ。
 思考が追いつかない。
 元住んで暮らしていた場所が危険なエリアになっていたなんて、帰ってきた浦島太郎もそりゃびっくりする。
「地球を離れたのが5年。5年でこんな変わるとは」
 嵐が目を伏せた。
 思考が追いつかなかったのは一瞬で、状況が頭に入ってくるとトントンと順当に整理してく。

 たったの5年でもこんなに変わる。
 僕らエデンは二ヶ月程度しか住んでいない。しかし、地球では5年も歳月が流れていた。地球はあの頃からも荒れていたし、こうなることは分かっていた。
『その箱の中身からこの世のありとあらゆる災いが飛び出した。その地球に災いをもたらせ、その箱を開けたのが守人』 
 西の守人の言葉がここで脳裏によぎった。パンドラの箱を開けたせいで地球の形はこうなった。パンドラの箱を閉めるのもきっと方法があるんだ。
 前を向いて、祖母たちが暮らしている小さな集落へと車を急いだ。


 残された地球の民は、危険地帯エリアから遠ざかり住処を奪われた形で山奥へと。林の木々は酸性雨でドロドロに溶け見る形もない。新しく植えられた木々がポツンポツンと立ってある。残された人々はみな、老人が多い。
 大丈夫だろうか。そんな心配をよそにエデンに行った僕らのこと責めないだろうか。急に不安が押し寄せてきた。が、ここで歩を止めるわけにも行かない。

 祖母たちが暮らしている集落へと辿り着いた。
 生ゴミや家電製品、瓦礫などゴミが道となって隅に追いやられ轍になっていた。刺激臭が強く、鼻を抑えてもツンと一度嗅いだ臭いは鼻孔に留まって呼吸できない。轍を進んでいくとポツンポツンと家屋が建ってある。
 コンクリート製じゃない。木造建築で屋根は藁だ。通称茅葺き屋根。日本で最古と云われる木造建築。その家屋は長屋のよう。一個の家屋に仕切りを敷いて数世帯の人間が同じ屋根の下で住んでいる。それが数カ所あるのだから、割とここに住んでいる人間が多い。

 祖母はそのうちの一つに住んでいた。ホコリとカビ臭い場所で住民全員、横になって寝ていた。起こすのも気が悪い。が、あっちから気がついてくれた。気配で察したのだろう。人影がいると分かったら隣で寝ているおばさんに声をかけた。
「やぁね。窓を開けっぱっで。ほら、タミエさん風邪ひくわよ」
 隣で寝ているおばさんは無理やり起こされたので不機嫌な溜息をこぼし、背中を向けてそっぽを向いた。その反応でも祖母は諦めず声を掛ける。
「おばあちゃん」
 僕が駆け寄って声を掛けるとおばあちゃんはピクリと随分と小さくなった背を丸めた。僕の顔を見ると不思議な顔をした。誰だ、みたいな反応が帰ってきて今更何帰ってきてんだ、何故ここにいるとそんな怒りもどこへやらそんな反応さえ良かった気がする。


 僕のこともすっかり忘れて自分のこと、まだ少女だと錯覚しているみたい。覚えてほしかった。忘れてほしくなかった。漠然としたショックで言葉が出ない。置いていって自分だけ楽しい目にあっていたのに、五年も帰ってきていない人間のことずっと覚えているわけがない。むしろ憎んでいるに違いない。祖母は僕のことを近所に住んでいる少年だと勘違いした。そして次に畳の上に血反吐を吐く。
「おばあちゃん!」
「しろ、い」
 血反吐を吐いた口から何かボソボソと言っている。耳を傾けるとおばあちゃんは「白い像に会いたい」と最後のお願いを口にした。もう体はヨボヨボで覚えている限りこんなに、小さくなかった。胎児のように丸まって腕は枝のように細い。布団をめくると蛆虫が湧いててむらむら群がっていた。

 おばあちゃんも隣の人も違和感なくすぅすぅ寝息たてて寝ている。とりあえずおばあちゃんを抱えて外へ。せいらたちは布団をかえて、温かな栄養のある食事を持て成し。


 もうないと思っていた。あの街に頑丈に建てられてあったから。でも人も移動するように白い像も移動する。高いところに建ててあったのに、今やゴミ捨て場の冷蔵庫の上に立ってある。
 異臭が凄まじい。
 視界がクラクラする。
 近くに放射のうのエリアがあった。あまり外に出歩きたくないな。
 それでもおばあちゃんは白い像を見つけるやまるで、少女のような顔をしてわっと喜んだ。
「あぁ、神様、神様だ」
 おばあちゃんは僕の背から降りて地面に頭をこすりつけた。「おばあちゃん」と言っても止めない。信仰心が凄まじかったから、余計に影響出ている。僕はおばあちゃんの背中にそっと手を添えて優しくなでた。すると、いきなり動きが止まった。微動だにしない。僕は心配になって顔を覗く。


 ゼエゼエと苦しそうに呼吸をして、ぷるぷる震えていた。せいらから貰ったエデン製の薬を飲ませた。でもおばあちゃんは首を振る。
「もう充分。充分だよ。ありがとね」
 その顔は見たことないほど幸福。僕は目を見開いて言葉を失った。何故そんな顔を。本当は気づいていた。おばあちゃんはエデンに行ったきりの僕ら家族のこと恨んでいないて。僕はぎゅ、とおばあちゃんの体を抱きしめた。
 幾分小さくなって、ほんのり生温かい。おばあちゃんの匂いがする。


 しわくちゃの手で頭を撫でられた。昔、褒められたときとそっくりの温かさ、優しさ。目頭がかっと熱くなり涙がぶわりと溜まった。
「ありがとう」
 優しく微笑んでおばあちゃんは僕の腕の中で眠った。


 冷たくなるまで抱きしめて、白い像を見上げた。聖母マリア様のような女性の形で真っ白い像。おばあちゃんが最期に見たかった像は、何処を見ているのか空をじっと見上げ祈っていた。まるで、おばあちゃんが天に上り詰めていくのを眺める姿。
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