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公衆電話
8―1 矢印
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こんな経験はないだろうか。
トイレの個室に入って、扉には「右を見ろ」あるいは、「左を見ろ」など、悪筆で書かれた落書きを見つけた瞬間。
その時、みなさん、どう思いますか?
誰が書いたんだろ。こんな落書きに騙される人なんていない。こうですか?
百パーセント好奇心に負け、書かれた方向を思わず見てしまうでしよう。
しかし、結局は落書きで、最後は「馬鹿がみる」と落書きだけが残され、心の中にはいたたまれない屈辱が残されてしまいます。
そんな経験はトイレと限られた場所だけでしようか。
これは、そんなある日の出来事の話しです。
§
頑なだった会社が今日、やっとうちの会社に契約してくれた。それで、つい、この日の夜は朝まで社員と飲んでいたのだ。
流石に十二時を過ぎると、社員も疎らになり、三軒目を行く時には既にわたししかいなかった。
「おぉい! ビールもう一丁」
「お客さん、もうすぐ閉店だよ」
「もう一丁ってんだよ!」
お店の亭主の告げ文句も耳にしていないのか、五〇過ぎのオッサンがビールを要求する。呆れた亭主はオッサンの飲んだビールを片付け、無理矢理外に放り投げた。
「もう、店じまいだよ! とっとと帰りな」
ぴしゃんと戸を閉められ、まだ酔いしれるオッサンはヒックとしゃくりをあげる。
「はっ なんだよ」
踵を返し、ヨロヨロの足元で歩いていく。行く宛がないものの夜の街を彷徨う。
「どこ行こっかな」
オッサンはまだ酒が足りないのか、公園のベンチに捨て忘れた缶ビールを見つけると、獰猛のような速さで駆けつけた。たった一本の缶ビールをわれよと掴み、頭の高さまで持ち上げ、その一滴の粒を乾いた喉を潤す。
「ちっ、たったこれだけか」
オッサンは酔いつぶれ、近くに置いてあった公衆電話に寝落ちする。
それから、何時間か経ちわたしは目を覚ましました。不意に寒気を感じたからです。起きたとき、公衆電話の中にいて、足だけはだらしなく外に出している格好でした。
なぜ、こんな見知らぬ公園の前で公衆電話にいるのか、さっぱりでした。
今日、飲み会にて上司が直々にわたしに腕時計をくれたんだ。しかも、高級そうな金の。わたしはそれを思いだし、時計に目を配った。
真っ黒な風景の中、腕時計は輝かしい光をおびて光っている。それは、一種の希望にも見えた。
時計の針がさしていた時刻は午前三時。もうすぐ、夜明け。もうこの通り、思考はなんとか正常になったので早々に帰るか。
というか、酔いつぶれてたわたしは一体なにをしたんだか、全く覚えていない。
立ち上がり、公衆電話から立ち去ろうとした矢先、なにかが目に入った。詳しくいうと赤いなにかだ。
びっくりして、思わず振り向くとその赤いなにかは文字だった。
『母が滑り台にいる←』
変な落書きだ。しかも、ペンキなのかべっとりついている。矢印の方向は確かに、公園のほうを指差していた。
奇妙なものだ。変だと思いつつ、矢印の方向に勝手に体が動いてしまう。暗くてよく見えないが、黄色の滑り台。暗いなかでも発光していてよくみえる。
滑り台の前後、周囲を見渡した。特になにもない。あるとすれば誰かが落とした携帯。
恐る恐る手に取り、中身を確認してみた。持ち主はどうやら女性だ。しかも、電話の履歴が三日前からたて続けに入っている。
落としたことに気づかなかったのか、あるいは、どこに落としたのか検討がつかずそのまま放置か、どちらにせよ交番に届けていかねば。
すると、また赤い文字が目に入った。
滑り台の階段のところにまた、べっとりとペンキが。
『父が池にいる→』
真っ先に池に向かった。昼間は眩しくキラキラしている水面は夜になると、死んだように暗さを引き立てている。
また、周囲を回ってみてもどこかおかしいものなんて見つからない。なんだか、イタチごっこみたいだ。
まるで、遊ばれている気分になるがこうなっては、最後が見てみたい。
『僕がいる→』
思わずその方向を見ると廃ビルだった。陰気臭くってこんなところに人が住めるような場所あったけ。そんなことはどうでもいいや。
早速、廃ビルに足を運んだ。辺りが真っ黒なせいで、室内も死んだように静まり返って不気味だ。
窓ガラスが床に散乱していて壁とかも落書きがいっぱい。もしや、この落書きの中に目当ての矢印がある、と思いきや全然ない。
こんな暗いとこを一人で来たんだ、もう遅いし帰ろう。踵を返し、廃ビルをあとにしようとした刹那、奥から物が落ちる音が微かに聞こえた。
今、カタンと明らかになにかが落ちた音。恐る恐る振り向くとガラスが散乱した床になにかが落ちていた。
紙切れだ。濃ゆい赤いボールペンでなにやら書き込んでいる。近づいて文字を確認する。
『下にいる』
下って、ここは一階じゃないか。下なんてありゃしないぜ。もうそろそろ心情が冷めたオッサンは探索するのを諦め、本当に帰ろうとした。
しかし、はかったようにまた奥から物音が。でも、今度は物音だけじゃなく微かに人の声がする。気のせいではない。恐る恐るその方向に向かうと、巨大な冷蔵庫が前に立ちはだかった。
成人した私と体格が同じくらいの冷蔵庫。まさに、人一人入れる大きさだ。中を開けると、想像していた通り人が入っていた。膝を曲げ胎児のように丸くなっている。
冷蔵庫の中は暖房のついた室内と同じだった。私は颯爽とその子を抱え、救助した。
翌朝、ニュースではこのことがひっきりなしに報じられた。冷蔵庫に監禁された男子中学生を助けたヒーロー、など社会的にも私の名前があがる。
会社でも家でも知らない町中を歩いただけで、みな知ってるように声をかけてくる。
こんなに注目をあびたのは人生で最初で最後かもしれん。最初はただ、好奇心でつられただけなのに。こうもなるとは考えもしなかった。
後ろから鈍器で頭を叩かれた。頭から血が膨大に出てくる。私は気を失う前に自分の血で矢印をかいた。
『私がいる←』とね。これで誰か助けてくれるだろう。私みたいに矢印につられるバカが。はたしてそれはいつなのか。何年後なのか。砂利でかいた矢印が風にまいた砂で覆い隠す。
―『公衆電話』完―
トイレの個室に入って、扉には「右を見ろ」あるいは、「左を見ろ」など、悪筆で書かれた落書きを見つけた瞬間。
その時、みなさん、どう思いますか?
誰が書いたんだろ。こんな落書きに騙される人なんていない。こうですか?
百パーセント好奇心に負け、書かれた方向を思わず見てしまうでしよう。
しかし、結局は落書きで、最後は「馬鹿がみる」と落書きだけが残され、心の中にはいたたまれない屈辱が残されてしまいます。
そんな経験はトイレと限られた場所だけでしようか。
これは、そんなある日の出来事の話しです。
§
頑なだった会社が今日、やっとうちの会社に契約してくれた。それで、つい、この日の夜は朝まで社員と飲んでいたのだ。
流石に十二時を過ぎると、社員も疎らになり、三軒目を行く時には既にわたししかいなかった。
「おぉい! ビールもう一丁」
「お客さん、もうすぐ閉店だよ」
「もう一丁ってんだよ!」
お店の亭主の告げ文句も耳にしていないのか、五〇過ぎのオッサンがビールを要求する。呆れた亭主はオッサンの飲んだビールを片付け、無理矢理外に放り投げた。
「もう、店じまいだよ! とっとと帰りな」
ぴしゃんと戸を閉められ、まだ酔いしれるオッサンはヒックとしゃくりをあげる。
「はっ なんだよ」
踵を返し、ヨロヨロの足元で歩いていく。行く宛がないものの夜の街を彷徨う。
「どこ行こっかな」
オッサンはまだ酒が足りないのか、公園のベンチに捨て忘れた缶ビールを見つけると、獰猛のような速さで駆けつけた。たった一本の缶ビールをわれよと掴み、頭の高さまで持ち上げ、その一滴の粒を乾いた喉を潤す。
「ちっ、たったこれだけか」
オッサンは酔いつぶれ、近くに置いてあった公衆電話に寝落ちする。
それから、何時間か経ちわたしは目を覚ましました。不意に寒気を感じたからです。起きたとき、公衆電話の中にいて、足だけはだらしなく外に出している格好でした。
なぜ、こんな見知らぬ公園の前で公衆電話にいるのか、さっぱりでした。
今日、飲み会にて上司が直々にわたしに腕時計をくれたんだ。しかも、高級そうな金の。わたしはそれを思いだし、時計に目を配った。
真っ黒な風景の中、腕時計は輝かしい光をおびて光っている。それは、一種の希望にも見えた。
時計の針がさしていた時刻は午前三時。もうすぐ、夜明け。もうこの通り、思考はなんとか正常になったので早々に帰るか。
というか、酔いつぶれてたわたしは一体なにをしたんだか、全く覚えていない。
立ち上がり、公衆電話から立ち去ろうとした矢先、なにかが目に入った。詳しくいうと赤いなにかだ。
びっくりして、思わず振り向くとその赤いなにかは文字だった。
『母が滑り台にいる←』
変な落書きだ。しかも、ペンキなのかべっとりついている。矢印の方向は確かに、公園のほうを指差していた。
奇妙なものだ。変だと思いつつ、矢印の方向に勝手に体が動いてしまう。暗くてよく見えないが、黄色の滑り台。暗いなかでも発光していてよくみえる。
滑り台の前後、周囲を見渡した。特になにもない。あるとすれば誰かが落とした携帯。
恐る恐る手に取り、中身を確認してみた。持ち主はどうやら女性だ。しかも、電話の履歴が三日前からたて続けに入っている。
落としたことに気づかなかったのか、あるいは、どこに落としたのか検討がつかずそのまま放置か、どちらにせよ交番に届けていかねば。
すると、また赤い文字が目に入った。
滑り台の階段のところにまた、べっとりとペンキが。
『父が池にいる→』
真っ先に池に向かった。昼間は眩しくキラキラしている水面は夜になると、死んだように暗さを引き立てている。
また、周囲を回ってみてもどこかおかしいものなんて見つからない。なんだか、イタチごっこみたいだ。
まるで、遊ばれている気分になるがこうなっては、最後が見てみたい。
『僕がいる→』
思わずその方向を見ると廃ビルだった。陰気臭くってこんなところに人が住めるような場所あったけ。そんなことはどうでもいいや。
早速、廃ビルに足を運んだ。辺りが真っ黒なせいで、室内も死んだように静まり返って不気味だ。
窓ガラスが床に散乱していて壁とかも落書きがいっぱい。もしや、この落書きの中に目当ての矢印がある、と思いきや全然ない。
こんな暗いとこを一人で来たんだ、もう遅いし帰ろう。踵を返し、廃ビルをあとにしようとした刹那、奥から物が落ちる音が微かに聞こえた。
今、カタンと明らかになにかが落ちた音。恐る恐る振り向くとガラスが散乱した床になにかが落ちていた。
紙切れだ。濃ゆい赤いボールペンでなにやら書き込んでいる。近づいて文字を確認する。
『下にいる』
下って、ここは一階じゃないか。下なんてありゃしないぜ。もうそろそろ心情が冷めたオッサンは探索するのを諦め、本当に帰ろうとした。
しかし、はかったようにまた奥から物音が。でも、今度は物音だけじゃなく微かに人の声がする。気のせいではない。恐る恐るその方向に向かうと、巨大な冷蔵庫が前に立ちはだかった。
成人した私と体格が同じくらいの冷蔵庫。まさに、人一人入れる大きさだ。中を開けると、想像していた通り人が入っていた。膝を曲げ胎児のように丸くなっている。
冷蔵庫の中は暖房のついた室内と同じだった。私は颯爽とその子を抱え、救助した。
翌朝、ニュースではこのことがひっきりなしに報じられた。冷蔵庫に監禁された男子中学生を助けたヒーロー、など社会的にも私の名前があがる。
会社でも家でも知らない町中を歩いただけで、みな知ってるように声をかけてくる。
こんなに注目をあびたのは人生で最初で最後かもしれん。最初はただ、好奇心でつられただけなのに。こうもなるとは考えもしなかった。
後ろから鈍器で頭を叩かれた。頭から血が膨大に出てくる。私は気を失う前に自分の血で矢印をかいた。
『私がいる←』とね。これで誰か助けてくれるだろう。私みたいに矢印につられるバカが。はたしてそれはいつなのか。何年後なのか。砂利でかいた矢印が風にまいた砂で覆い隠す。
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