物語の環

ハコニワ

文字の大きさ
上 下
16 / 21
公衆電話

8―1 矢印

しおりを挟む
 こんな経験はないだろうか。
 トイレの個室に入って、扉には「右を見ろ」あるいは、「左を見ろ」など、悪筆で書かれた落書きを見つけた瞬間。
 その時、みなさん、どう思いますか?
 誰が書いたんだろ。こんな落書きに騙される人なんていない。こうですか?
 百パーセント好奇心に負け、書かれた方向を思わず見てしまうでしよう。
 しかし、結局は落書きで、最後は「馬鹿がみる」と落書きだけが残され、心の中にはいたたまれない屈辱が残されてしまいます。
 そんな経験はトイレと限られた場所だけでしようか。
 これは、そんなある日の出来事の話しです。

§

 頑なだった会社が今日、やっとうちの会社に契約してくれた。それで、つい、この日の夜は朝まで社員と飲んでいたのだ。
 流石に十二時を過ぎると、社員も疎らになり、三軒目を行く時には既にわたししかいなかった。
「おぉい! ビールもう一丁」
「お客さん、もうすぐ閉店だよ」
「もう一丁ってんだよ!」
 お店の亭主の告げ文句も耳にしていないのか、五〇過ぎのオッサンがビールを要求する。呆れた亭主はオッサンの飲んだビールを片付け、無理矢理外に放り投げた。
「もう、店じまいだよ! とっとと帰りな」
 ぴしゃんと戸を閉められ、まだ酔いしれるオッサンはヒックとしゃくりをあげる。
「はっ なんだよ」
 踵を返し、ヨロヨロの足元で歩いていく。行く宛がないものの夜の街を彷徨う。
「どこ行こっかな」
 オッサンはまだ酒が足りないのか、公園のベンチに捨て忘れた缶ビールを見つけると、獰猛のような速さで駆けつけた。たった一本の缶ビールをわれよと掴み、頭の高さまで持ち上げ、その一滴の粒を乾いた喉を潤す。
「ちっ、たったこれだけか」
 オッサンは酔いつぶれ、近くに置いてあった公衆電話に寝落ちする。

 それから、何時間か経ちわたしは目を覚ましました。不意に寒気を感じたからです。起きたとき、公衆電話の中にいて、足だけはだらしなく外に出している格好でした。
 なぜ、こんな見知らぬ公園の前で公衆電話にいるのか、さっぱりでした。
 今日、飲み会にて上司が直々にわたしに腕時計をくれたんだ。しかも、高級そうな金の。わたしはそれを思いだし、時計に目を配った。
 真っ黒な風景の中、腕時計は輝かしい光をおびて光っている。それは、一種の希望にも見えた。
 時計の針がさしていた時刻は午前三時。もうすぐ、夜明け。もうこの通り、思考はなんとか正常になったので早々に帰るか。
 というか、酔いつぶれてたわたしは一体なにをしたんだか、全く覚えていない。
 立ち上がり、公衆電話から立ち去ろうとした矢先、なにかが目に入った。詳しくいうと赤いなにかだ。
 びっくりして、思わず振り向くとその赤いなにかは文字だった。

『母が滑り台にいる←』

 変な落書きだ。しかも、ペンキなのかべっとりついている。矢印の方向は確かに、公園のほうを指差していた。
 奇妙なものだ。変だと思いつつ、矢印の方向に勝手に体が動いてしまう。暗くてよく見えないが、黄色の滑り台。暗いなかでも発光していてよくみえる。
 滑り台の前後、周囲を見渡した。特になにもない。あるとすれば誰かが落とした携帯。
 恐る恐る手に取り、中身を確認してみた。持ち主はどうやら女性だ。しかも、電話の履歴が三日前からたて続けに入っている。
 落としたことに気づかなかったのか、あるいは、どこに落としたのか検討がつかずそのまま放置か、どちらにせよ交番に届けていかねば。
 すると、また赤い文字が目に入った。
 滑り台の階段のところにまた、べっとりとペンキが。

『父が池にいる→』

 真っ先に池に向かった。昼間は眩しくキラキラしている水面は夜になると、死んだように暗さを引き立てている。
 また、周囲を回ってみてもどこかおかしいものなんて見つからない。なんだか、イタチごっこみたいだ。
 まるで、遊ばれている気分になるがこうなっては、最後が見てみたい。

『僕がいる→』

 思わずその方向を見ると廃ビルだった。陰気臭くってこんなところに人が住めるような場所あったけ。そんなことはどうでもいいや。
 早速、廃ビルに足を運んだ。辺りが真っ黒なせいで、室内も死んだように静まり返って不気味だ。
 窓ガラスが床に散乱していて壁とかも落書きがいっぱい。もしや、この落書きの中に目当ての矢印がある、と思いきや全然ない。
 こんな暗いとこを一人で来たんだ、もう遅いし帰ろう。踵を返し、廃ビルをあとにしようとした刹那、奥から物が落ちる音が微かに聞こえた。
 今、カタンと明らかになにかが落ちた音。恐る恐る振り向くとガラスが散乱した床になにかが落ちていた。
 紙切れだ。濃ゆい赤いボールペンでなにやら書き込んでいる。近づいて文字を確認する。

『下にいる』

 下って、ここは一階じゃないか。下なんてありゃしないぜ。もうそろそろ心情が冷めたオッサンは探索するのを諦め、本当に帰ろうとした。
 しかし、はかったようにまた奥から物音が。でも、今度は物音だけじゃなく微かに人の声がする。気のせいではない。恐る恐るその方向に向かうと、巨大な冷蔵庫が前に立ちはだかった。
 成人した私と体格が同じくらいの冷蔵庫。まさに、人一人入れる大きさだ。中を開けると、想像していた通り人が入っていた。膝を曲げ胎児のように丸くなっている。
 冷蔵庫の中は暖房のついた室内と同じだった。私は颯爽とその子を抱え、救助した。
 翌朝、ニュースではこのことがひっきりなしに報じられた。冷蔵庫に監禁された男子中学生を助けたヒーロー、など社会的にも私の名前があがる。
 会社でも家でも知らない町中を歩いただけで、みな知ってるように声をかけてくる。
 こんなに注目をあびたのは人生で最初で最後かもしれん。最初はただ、好奇心でつられただけなのに。こうもなるとは考えもしなかった。

 後ろから鈍器で頭を叩かれた。頭から血が膨大に出てくる。私は気を失う前に自分の血で矢印をかいた。
『私がいる←』とね。これで誰か助けてくれるだろう。私みたいに矢印につられるバカが。はたしてそれはいつなのか。何年後なのか。砂利でかいた矢印が風にまいた砂で覆い隠す。
                                                         ―『公衆電話』完―
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

強制憑依アプリを使ってみた。

本田 壱好
ミステリー
十八年間モテた試しが無かった俺こと童定春はある日、幼馴染の藍良舞に告白される。 校内一の人気を誇る藍良が俺に告白⁈ これは何かのドッキリか?突然のことに俺は返事が出来なかった。 不幸は続くと言うが、その日は不幸の始まりとなるキッカケが多くあったのだと今となっては思う。 その日の夜、小学生の頃の友人、鴨居常叶から当然連絡が掛かってきたのも、そのキッカケの一つだ。 話の内容は、強制憑依アプリという怪しげなアプリの話であり、それをインストールして欲しいと言われる。 頼まれたら断れない性格の俺は、送られてきたサイトに飛んで、その強制憑依アプリをインストールした。 まさかそれが、運命を大きく変える出来事に発展するなんて‥。当時の俺は、まだ知る由もなかった。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

『神楽坂オカルト探偵事務所 〜都市伝説と禁忌の事件簿〜』

ソコニ
ミステリー
「都市伝説は嘘か真か。その答えは、禁忌の先にある。」 ## 紹介文 神楽坂の路地裏に佇む一軒の古い洋館。その扉に掛かる看板には「神楽坂オカルト探偵事務所」と記されている。 所長の九条響は元刑事。オカルトを信じないと公言する彼だが、ある事件をきっかけに警察を辞め、怪異専門の探偵となった。彼には「怪異の痕跡」を感じ取る特殊な力があるが、その代償として激しい頭痛に襲われる。しかも、彼自身の記憶の一部が何者かによって封印されているらしい。 事務所には個性的な仲間たちがいる。天才ハッカーの霧島蓮、陰陽術の末裔である一ノ瀬紅葉、そして事務所に住み着いた幽霊の白石ユウ。彼らは神楽坂とその周辺で起きる不可解な事件に挑んでいく

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...