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二 名取美優
第56話〈終〉私の大切なもの
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名残惜しく別れ、私は再び来た道を戻った。隣には、修斗くんがいる。電車までの帰路だけどね。
「ねぇ、修斗くん」
私は話しかけた。修斗くんの穏やかな表情が振り向く。私は心の内から叫びたがっていた言葉をかけた。
その一つ一つの言葉が、もの凄く重かった。言うのに、手間がかかる。言葉が喉元のところでつまり、息ができなかった。でも、これだけは聞きたかった。
「もし、私が来年も再来年も村に来なかったら、どうする?」
修斗くんはどういう表情していたのか、わかりません。私は俯いて黙っていたのですから、彼の表情を見ていなかった。
つーちゃんが言ってくれた言葉と反対なら、傷つくし、なんでだろう勝手に涙が出てくる。
暫く、無言でした。木にとまった蝉が甲高く鳴る。一本一本蝉が止まっているであろう木を通り過ごすたびに、その音はけたましく、また遠くに、けたましく、また遠くに、と蝉の合唱が奏でる。
遠くの景色がゆらゆらと陽炎が踊っていた。炎天下だ。蝉の鳴き声と陽の暑さが私の思考を惑わしていく。
ぐるんぐるんと、渦を巻いてどうしようもない無気力感が心中に生まれて支配してくる。ツゥと頬に大粒の汗が伝った。私は持参してきたタオルで吹くと、微かに、隣から息を吸い込む音が聞こえた。
ゆっくり振り向くと、修斗くんは私の顔をマジマジと見つめていた。今まで、そこ一点を凝視していたような視線。私はびっくりして、少し視線を反らしちゃった。
「来年も再来年もその夏もまだあるよ。でも、来なかったら迎えに行くから」
そう言って笑った。
さも、当たり前といった表情で、優しい声で。私はどういう表情でどういう態度で、応えなければならないのか。
「うん。待ってる」
火照るような炎天下の下、今でも笑ったら幼さを残す少年とともに私は、電車までの長くて短い距離を共に歩いた。
8月3日(金)
ほんのり、薄暗い時刻。まだ、夜かと思う時間帯に無理やり起こされた。行きは慌てて身支度していたものが帰りになると、慣れたように手つきが早い。起きて、まず、遺骨に手を添える。
仏壇がないので、仏壇を催した形状で位牌を置く。その横に遺骨。大事そうに白い布に覆われたおばあちゃんの骨。それのちょっと前方に二本の蝋燭。
帰る前に母方の兄弟が遺骨を持って帰るらしい。その骨を田村の家計が住まうお墓にいれる。
最初、お父さんがマッチで蝋燭に炎を灯した。細長い線香をその炎に翳す。無事、線香に火がついたら、鉢のような箱に置く。まだ、ジュウジュウいいそうな線香に、白い灰が宥めるように盛っている。
すん、と線香の匂いが。
先端から徐々に灰になり、それに逃げるように朱色になった炎が線香を燃やす。最初は、頭にこびりつくような匂いだ、しかし、徐々に慣れて、心地よい匂いになる。
手を合わせ、何分もずっと、目を閉じていた。それは、私だけじゃない。隣にいる両親だって同じだった。
この家は、取り壊されないで新たな住居者のために貸したそうだ。とりあえず、取り壊されないで良かった。でも、この家はもう私たちの家じゃない。
今度は、笑顔が飛び交い、本当に必要だ、と言ってくれる住居者がこの家の持ち主なんだ。
「来年の夏も、ここに来てよ」
誰かが言った。
うん。そうだね。来年の夏もその夏も、ここに来たい。
手を合わせ終えると、早速、母方の兄弟がやってきた。早朝なのに、しっかりとした服装で。呼び鈴がないので、扉をドンドンと荒く叩かれる。
最初は何事かと思ったけど、客人だと分かると異様に安堵する。おばあちゃんはこれをずっと感じていたのか。はたまた、慣れて接客していたのか、おばあちゃんって本当に強い。
お母さんが持っていこうと、腰をあげた。まだ歳でもないのに、おばあちゃんみたいにどっこいしょ、と言って。私はいち早く立ち上がって遺骨を両手に抱えた。
「私が届ける」
「あら、そう」
スタスタと、私は玄関に向かった。重くない。でも、軽いわけでもない。これを渡せば、もうおばあちゃんとはさよならなんだ。ううん。さよならじゃない。おばあちゃんは、まだここにいる。
私の手元にはあのノートがあるのだから。燃やしてくださいって書かれていた。けど、私には燃やせる勇気と行動力がなかった。このノートは、大切なもの、に気づかせてくれた。燃やせるわけがない。
私には、大切なものの応えは一生かかっても分からないと思っていた。そう、凡人であれば凡人であるほどにね。でも、分かってしまった。気づいてしまった。
なによりもかけがえのない、二人の少年との思い出。
母方の兄弟の手に渡し、私は潔く身支度を整えた。
外に捨てられた何重ものの腐れた畳、隙間から生える雑草、幾度も見た田んぼと山の風景。私は、絶対に忘れない。この夏を。二人と過ごした夏を。
車にのって、発進する。おばあちゃんと過ごした家から遠く離れた。すると、辺り田んぼしかない風景から二人の声が聞こえた。窓を全開に開け、耳を澄ますと、車が走っている道より遠く離れた田んぼの轍道に人影を発見。
修斗くんとつーちゃんだ。二人は、私に向かって大きく手を振る。時折、両手だったり。
私は窓から顔をだした。そして、二人に負けないぐらい手を振った。
私の大切なもの、おばあちゃんに似ている。それは――二人の〝想い〟と〝絆〟。
「修斗くん、つーちゃんっ!! また来年!!」
私は太陽に負けないぐらいの笑顔を向けた。二人に手をいつまでも、いつまで振る。
―完―
「ねぇ、修斗くん」
私は話しかけた。修斗くんの穏やかな表情が振り向く。私は心の内から叫びたがっていた言葉をかけた。
その一つ一つの言葉が、もの凄く重かった。言うのに、手間がかかる。言葉が喉元のところでつまり、息ができなかった。でも、これだけは聞きたかった。
「もし、私が来年も再来年も村に来なかったら、どうする?」
修斗くんはどういう表情していたのか、わかりません。私は俯いて黙っていたのですから、彼の表情を見ていなかった。
つーちゃんが言ってくれた言葉と反対なら、傷つくし、なんでだろう勝手に涙が出てくる。
暫く、無言でした。木にとまった蝉が甲高く鳴る。一本一本蝉が止まっているであろう木を通り過ごすたびに、その音はけたましく、また遠くに、けたましく、また遠くに、と蝉の合唱が奏でる。
遠くの景色がゆらゆらと陽炎が踊っていた。炎天下だ。蝉の鳴き声と陽の暑さが私の思考を惑わしていく。
ぐるんぐるんと、渦を巻いてどうしようもない無気力感が心中に生まれて支配してくる。ツゥと頬に大粒の汗が伝った。私は持参してきたタオルで吹くと、微かに、隣から息を吸い込む音が聞こえた。
ゆっくり振り向くと、修斗くんは私の顔をマジマジと見つめていた。今まで、そこ一点を凝視していたような視線。私はびっくりして、少し視線を反らしちゃった。
「来年も再来年もその夏もまだあるよ。でも、来なかったら迎えに行くから」
そう言って笑った。
さも、当たり前といった表情で、優しい声で。私はどういう表情でどういう態度で、応えなければならないのか。
「うん。待ってる」
火照るような炎天下の下、今でも笑ったら幼さを残す少年とともに私は、電車までの長くて短い距離を共に歩いた。
8月3日(金)
ほんのり、薄暗い時刻。まだ、夜かと思う時間帯に無理やり起こされた。行きは慌てて身支度していたものが帰りになると、慣れたように手つきが早い。起きて、まず、遺骨に手を添える。
仏壇がないので、仏壇を催した形状で位牌を置く。その横に遺骨。大事そうに白い布に覆われたおばあちゃんの骨。それのちょっと前方に二本の蝋燭。
帰る前に母方の兄弟が遺骨を持って帰るらしい。その骨を田村の家計が住まうお墓にいれる。
最初、お父さんがマッチで蝋燭に炎を灯した。細長い線香をその炎に翳す。無事、線香に火がついたら、鉢のような箱に置く。まだ、ジュウジュウいいそうな線香に、白い灰が宥めるように盛っている。
すん、と線香の匂いが。
先端から徐々に灰になり、それに逃げるように朱色になった炎が線香を燃やす。最初は、頭にこびりつくような匂いだ、しかし、徐々に慣れて、心地よい匂いになる。
手を合わせ、何分もずっと、目を閉じていた。それは、私だけじゃない。隣にいる両親だって同じだった。
この家は、取り壊されないで新たな住居者のために貸したそうだ。とりあえず、取り壊されないで良かった。でも、この家はもう私たちの家じゃない。
今度は、笑顔が飛び交い、本当に必要だ、と言ってくれる住居者がこの家の持ち主なんだ。
「来年の夏も、ここに来てよ」
誰かが言った。
うん。そうだね。来年の夏もその夏も、ここに来たい。
手を合わせ終えると、早速、母方の兄弟がやってきた。早朝なのに、しっかりとした服装で。呼び鈴がないので、扉をドンドンと荒く叩かれる。
最初は何事かと思ったけど、客人だと分かると異様に安堵する。おばあちゃんはこれをずっと感じていたのか。はたまた、慣れて接客していたのか、おばあちゃんって本当に強い。
お母さんが持っていこうと、腰をあげた。まだ歳でもないのに、おばあちゃんみたいにどっこいしょ、と言って。私はいち早く立ち上がって遺骨を両手に抱えた。
「私が届ける」
「あら、そう」
スタスタと、私は玄関に向かった。重くない。でも、軽いわけでもない。これを渡せば、もうおばあちゃんとはさよならなんだ。ううん。さよならじゃない。おばあちゃんは、まだここにいる。
私の手元にはあのノートがあるのだから。燃やしてくださいって書かれていた。けど、私には燃やせる勇気と行動力がなかった。このノートは、大切なもの、に気づかせてくれた。燃やせるわけがない。
私には、大切なものの応えは一生かかっても分からないと思っていた。そう、凡人であれば凡人であるほどにね。でも、分かってしまった。気づいてしまった。
なによりもかけがえのない、二人の少年との思い出。
母方の兄弟の手に渡し、私は潔く身支度を整えた。
外に捨てられた何重ものの腐れた畳、隙間から生える雑草、幾度も見た田んぼと山の風景。私は、絶対に忘れない。この夏を。二人と過ごした夏を。
車にのって、発進する。おばあちゃんと過ごした家から遠く離れた。すると、辺り田んぼしかない風景から二人の声が聞こえた。窓を全開に開け、耳を澄ますと、車が走っている道より遠く離れた田んぼの轍道に人影を発見。
修斗くんとつーちゃんだ。二人は、私に向かって大きく手を振る。時折、両手だったり。
私は窓から顔をだした。そして、二人に負けないぐらい手を振った。
私の大切なもの、おばあちゃんに似ている。それは――二人の〝想い〟と〝絆〟。
「修斗くん、つーちゃんっ!! また来年!!」
私は太陽に負けないぐらいの笑顔を向けた。二人に手をいつまでも、いつまで振る。
―完―
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