わたしとあなたの夏。

ハコニワ

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一 大倉麻耶 

第27話 悪夢の夜

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 わたしの胸くらいの高さの身長で手には杖を持っている小柄なおばあちゃん。黄瀬 不二子きせ ふじこさん。
「おばあちゃん、そこ退いて。大変なんだよ亜希子が……――」

「だまらしゃああいっ!!」

 びっくりして、耳を押さえる余裕なんてなかった。足が案山子のように棒になった。不二子さんは温厚で、いつも農作業をしているときにわたしにお菓子やら野菜とかをくれる優しいおばあちゃんなのに、荒らげるなんて見たことない。
 不二子さんはニッコリと怪しげな笑みをした。いつの間にか、二~三人の村人が不二子さんを筆頭に横に立っていた。
 不気味に思い、緩やかに語り掛けてみた。
「不二子さん、わたし、いけないって分かってても亜希子の家に勝手に入ったの。そしたら、部屋中が真っ赤でその中に亜希子と、それと、暗くて誰だかよく分かんなかったけど人が死んでたの。早く行かないと」
 不二子さんはゆっくりと首を上下に頷いた。
「そうかいそうかい」
 穏やかな口調にホッと胸を撫で下ろした。刹那、不二子さんはカッと目を光らせた。小さい目の奥に、異様な銀の光が放っている。
 いつも手にしている杖を小槌のように土を叩いた。ダンと大きな音。しわくちゃで細い腕から一体どんな力があったら出るんだよ、と言えるほど。
 不二子さんは明らかに日常で見る不二子さんじゃなかった。誰かに取り憑かれた、あるいはこれが本当の正体なのかもしれない。どちらでもないかもしれない。
 わたしは何故、不二子さんがこんな豹変しきったのかさっぱり分かりませんでした。
「今から言うことは絶対だ。そこの男! 付いてくるな」
 わたしの後ろにいる篤さんをきつい目で睨みつけ、酷く低いトーンで喋った。篤さんは少し威勢を張る姿勢を見せたが、わたしを見てなにを勘づいたのか、肩を縮こまった。
「それより亜希子の家が」
 地団駄踏んで言うと、不二子さんは舌打ちをした。隣にいる村人に顔を向け、耳打ちをする。小さな声。
 その村人は小さくペコリと挨拶すると、周りにいた村人がこの場を去っていった。
 方向は矢田家。誰かに向かわせてそれに応えるなんて、不二子さん、そんな権力持ってたかな。
 不二子さんは改めてわたしに顔を向けると、冷たく言い放った。
「今、人を向かわせている。満足したなら集会場に行け」
 圧倒的な威圧感になにも言えず、仕方なく従うことにした。


 7月31日午前五時前。明朝をあけ、明け方の時間帯。田村佳代子さんが神社の社で首を吊っていたのを祖母と近隣住民が気づいたらしい。
 その事実を知ったとき、わたしはショックを抱けなかった。佳代子さんはお祭りのときとか道を歩いているときとか、わたしにいつも接してくれる人。わたしを、からかったりするけどそれでも根は優しい人。その人が死んでしまったことに悲しみはあった。
 けど、涙は溢れてこなかった。集会場で洋介の家の人とみんながシクシク悲しみに波打っているとき、わたしは冷静だった。
 人の死に触れすぎて感情が麻痺してしまった自分に呆れと悲哀を感じつつ、それぞれ住民の話し合いが始まった。
 村を出たほうが良い、がごく一部。もう一度刑事さんを連れ戻す、が少数。そして大半の数を占めていた意見はこちら。
 ヤミヨミサマをもっと信仰する。
 この村はこんな状態であっても尚、信仰心を緩めなかった。当然だよね。これしか縋るものないんだから。
 でも、ここでも不気味に思った景色があった。その話し合いの中心に不二子さんが立っていたこと。複数の意見に耳を傾け、結局はヤミヨミサマを推した人物。
 普通は話し合いのとき村長が中心なのに、何故、不二子さんなのだろう。村長がもし、まだこのことを知らないのなら、何故知らせないのか。それとも、村長がもし、来ているのに何故待たないのか。
 
 それとも……待っても来ないて分かっているから?

 不二子さんの取り巻きが一人、外から帰ってきた。顔色が悪い。明らかに、あの血みどろ部屋を見て嗚咽を吐いた証拠だ。
 不二子さんに慌てて駆け寄って耳打ちする。内容は分からないけど、かわりに不二子さんの表情が物語っていた。眉間に皺を寄せていた表情がニヤリと笑った。
 傲慢に満ちた笑み。権力に欲す大人の汚い笑み。不二子さんは取り巻きの人を退かすと、わたしたちに顔を向けた。
 手のひらを胸の前に合わせ
「皆さん、たった今分かりました。矢田家と村長がお亡くなりになったのです」
 歳のわりに凛とした声。
 
 あの家で死んでいたのは、やっぱり亜希子の家の人。予想外なのは村長。全員、腸がひっくり返って死んでいた。
 そして、ようやく不二子さんが村長のポジションにいるのが分かった。不二子さんは村長と並ぶこの村のご長寿さん。矢田家、村長、その次にこの村の決定権を担っている人。
 今、二人が死んだってことは不二子さんが完全に権力を持っている。
 大人の世界は分からないけど、ずっと長年抑えられていた欲がどう変貌し、どう人を豹変させるのか、この状況で最も恐ろしいものでした。
 すると、いきなり肩を叩かれた。びっくりして思わず振り向くと、景子が傍らに座っていた。白い肌が近い。吐息が近いほど、距離を詰めている。
「まっちゃん……よく聞いて」
 うん。しっかり聞くよ。なんたって顔が近いからね。
 景子の大きな瞳がキョロキョロと辺りを窺った。警戒するように声を潜めて喋る。
「さっき、まっちゃんがいなかったときこんな話しがでたの」
 景子が眉をハチの字にさげ、口を閉じた。ためてためて、深呼吸してからこう告げた。
「こうなったのは信仰が浅い村人がいるせいだ、信仰しない村人を生贄にしようって」
「は?」
 景子は話しを続けた。
「この村に信仰しない人はいらない、つまり、研究者さんたちも排除するって」
「ちょっと話し飛躍すぎじゃない!?」
 そういえば、確かにここに集まっている人数は少なかった。瞬ちゃん家みたいに家柄とかで入らない理由があるお家を含め、本当に宗教に入ってないお宅がニ~三軒、ここに集まっていなかった。
 そうだ。この場で集まっていたのは信仰心が篤い人たち。どうりで入った瞬間、背筋が凍るほど戦慄を覚えたんだ。


 ただ、この村を救おうとしている篤さんまで排除するなんて言語道断。わたしはある覚悟を決めました。
「景子、今夜篤さんと一緒に村を出よう。この村から脱出だ!」
 それはこの事件最後の夜の名称「悪夢の夜」の開幕の音でした。
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