わたしとあなたの夏。

ハコニワ

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一 大倉麻耶 

第26話 矢田亜希子

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 7月31日(火)

 矢田家が釈放され、帰ってきたという報せを聞いたわたしは飛び上がりました。白蔵先生が朝から作ってくれた朝食を食べずに外に飛び出しました。
 亜希子がいなくなってから通わない道路、いつも見慣れた景色がキラキラと輝いてみえた。亜希子のお家はどこの民家よりも建物が大きくて幅が広い。
 あの村でたった一つだけ、村全体の景色を眺められる建物だ。
 大きな建物に見えてきた。もうそろそろだ。久しぶり亜希子に会える。どんな会話をしよう、悩んだけどやっぱり宿題の話しとか面白い話しをしよう。
 亜希子のお家に辿り着いた。庭には鶏小屋なんか置いていない。きれいな水面を貯めた大きな池がある。
 誰も管理していなかったから、このときは少し濁っていた。曇り空のせいでどんよりとした感じだ。
「亜希子っ!」
 玄関の戸を叩いた。返事がない。物音すらも微かに聞こえない。人の気配が感じられない家。まだ、帰って来ていないのかな。がっかりして、肩を竦めた。
 帰ろうとくるりと踵を返した途端、誰かが図ったように、家の中から物音がした。大きいものが棚の下に落ちたような鈍った音。
「亜希子? いるの?」
 今度は聞き耳をたてて話しかけた。
 それ以上、なにも聞こえなかった。話し声も、床を歩く音も、襖を開ける音も全然聞こえない。
 玄関の戸に手をかけると鍵がかかっていなかった。不用心だな、て思いつつ目が入れる隙間まで開けてみた。真っ暗だ。
 扉から漏れる光が一本の筋となって明るく光っている。勝手に入るなんていけないことだって分かっている。けど、この家の中に、確実に、誰かがいると判断した。
 亜希子にひと目会いたい思いで、わたしはゆっくり戸を開けてみた。一歩、その足を踏み出した瞬間、その足先から鳥肌がたった。
 まるで、怪物でも潜んでいるかのような暗さに、耳がおかしくなるほど静寂。
 息を呑んで、勇気を振り絞り一歩一歩を動かした。
「亜希子……わたしだよ。麻耶だよ」
 返事がない。
 壁にかけてある時計の針だけが音を出し、時刻を刻んでいる。不意に、嫌な予感がした。それは、死の予感。
 心中の中で黒く禍々しくなり、それはついに確信へと変わった。明かりをつけるみたいにそれは、パッと〝確信〟へと変わった。

 玄関先にある長い廊下をちょっと歩いた先には、リビングルームがある。そのリビングルームの先から扉まで異様な臭いが漂ってきた。体を綺麗に洗っても振り払えない嫌な臭い。
 ふちからネチャとした液体が飛び出していた。何だろう、そう思って顔を覗くと広いリビングルームの壁や天井まで真っ赤に染まっていた。
 どうやってあそこまで血が届くんだ、と考える高さまで血がべっとり付いていた。血みどろの室内で驚くのはそれだけじゃなかった。
 机の下やテレビの下に大きな物体が横たわっていた。それは容易に想像がつく。こんなに室内を真っ赤に染めた主は、死体だ。しかも、三~四人の。
 暗くて死体の顔はよく分からない。けど、わたしから一番近い場所で無造作に横たわっていた少女は誰なのか分かった。
「あき……こ……うっぷ!」
 臓器がやられた腐敗臭と真っ赤な血を見て、わたしは後方の壁にもつれズルズルとしゃがみ、胃酸を吐いた。
 お腹の中からなにかがムクムクと膨れ上がって上昇し、食道から喉に伝う。朝、なにも食べてないのに。
 涙が出るほど吐くと、思考が急に冷静になる。
「誰か……呼びに行かなきゃ」
 壁に手を置きなんとか腰を浮かせ、フラフラと歩いた。勇気を振り絞って歩いた道のりを今度は、違う想いで帰っていく。
 足を止めてもう一度振り向くと、亜希子しか見えなかった。この方向ではね。亜希子は、扉からあと数センチ行けば頭が出ていた。
 それはまるで、生前、彼女が死にたくない、助けて、と懇願したけど最後には力尽きてしまったみたい。
 あのとき、亜希子はうつ伏せで倒れていた。顔は反対のほうを向いている。その亜希子に対し、わたしは投げかけるように言葉を言った。
「待ってて、すぐ人を呼んでくるから。わたしを信じて」

 わたしは走った。親友の死を報せに。
 農作業をやっているおじいちゃんおばあちゃん、白蔵先生、篤さん、誰でも良い。早く知らせなきゃ、信じてって言ってしまったもの。
 曲がり角を曲がろうとした瞬間、誰かとぶつかった。厚い胸板にわたしは跳ね返され、思いっきり尻もちついた。
「いっ!……ごめんなさい」
 恐る恐る相手を見下ろすと、篤さんだった。
「麻耶ちゃん、こんなところにいた!」
 篤さんは声をあげて、わたしの前に手を差し伸べた。わたしは小さく首を傾げながらその手をすくった。グンと腰が浮き、立ち上がる。
「わたし、なにかした?」
「麻耶ちゃん知らないの? とりあえずみんな待ってるよ!」
 知ってる? まさか、わたしの前に亜希子の家に来た人がいたのかな。それはそれでわたし恥ずかしいな。でも、それならなんでわたしを待ってるんだろう。
 篤さんが焦ったように、くるりと後ろを向き、前を走ろうとした足をわたしは止めた。
「待って!」
 その一言で篤さんは振り向いた。わたしは、また、吐きそうになる衝動を抑えるために奥歯を噛み締めた。
「知ってるの? 亜希子の……亜希子のお家の人が死んでるのを?」
「え?」
 篤さんはキョトンとした顔をした。わたしのことをまるで、意味不明な人間を見ているかのような目つきになった。
 やっぱり知らない。知らないはずだ。わたしは篤さんの手を取り、もう一度来た道を戻った。
「来て!」
 今度は違う想いで。勇気とたくさんの希望が混じった想い。
「え、えぇ!? でも、今」
「早く!」
 何かを語りかけてくる篤さんを無視して、我先に前を走った。小脇に咲く木の隙間から大きな屋根が見えてきた。矢田家だ。
 篤さんなら、なんとかしてくれる。そう思った矢先……。

「お待ちな。お嬢ちゃん」

 ふと、わたしの前に、腰がだいぶ曲がったおばあちゃんが立ちはだかった。
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