27 / 57
一 大倉麻耶
第26話 矢田亜希子
しおりを挟む7月31日(火)
矢田家が釈放され、帰ってきたという報せを聞いたわたしは飛び上がりました。白蔵先生が朝から作ってくれた朝食を食べずに外に飛び出しました。
亜希子がいなくなってから通わない道路、いつも見慣れた景色がキラキラと輝いてみえた。亜希子のお家はどこの民家よりも建物が大きくて幅が広い。
あの村でたった一つだけ、村全体の景色を眺められる建物だ。
大きな建物に見えてきた。もうそろそろだ。久しぶり亜希子に会える。どんな会話をしよう、悩んだけどやっぱり宿題の話しとか面白い話しをしよう。
亜希子のお家に辿り着いた。庭には鶏小屋なんか置いていない。きれいな水面を貯めた大きな池がある。
誰も管理していなかったから、このときは少し濁っていた。曇り空のせいでどんよりとした感じだ。
「亜希子っ!」
玄関の戸を叩いた。返事がない。物音すらも微かに聞こえない。人の気配が感じられない家。まだ、帰って来ていないのかな。がっかりして、肩を竦めた。
帰ろうとくるりと踵を返した途端、誰かが図ったように、家の中から物音がした。大きいものが棚の下に落ちたような鈍った音。
「亜希子? いるの?」
今度は聞き耳をたてて話しかけた。
それ以上、なにも聞こえなかった。話し声も、床を歩く音も、襖を開ける音も全然聞こえない。
玄関の戸に手をかけると鍵がかかっていなかった。不用心だな、て思いつつ目が入れる隙間まで開けてみた。真っ暗だ。
扉から漏れる光が一本の筋となって明るく光っている。勝手に入るなんていけないことだって分かっている。けど、この家の中に、確実に、誰かがいると判断した。
亜希子にひと目会いたい思いで、わたしはゆっくり戸を開けてみた。一歩、その足を踏み出した瞬間、その足先から鳥肌がたった。
まるで、怪物でも潜んでいるかのような暗さに、耳がおかしくなるほど静寂。
息を呑んで、勇気を振り絞り一歩一歩を動かした。
「亜希子……わたしだよ。麻耶だよ」
返事がない。
壁にかけてある時計の針だけが音を出し、時刻を刻んでいる。不意に、嫌な予感がした。それは、死の予感。
心中の中で黒く禍々しくなり、それはついに確信へと変わった。明かりをつけるみたいにそれは、パッと〝確信〟へと変わった。
玄関先にある長い廊下をちょっと歩いた先には、リビングルームがある。そのリビングルームの先から扉まで異様な臭いが漂ってきた。体を綺麗に洗っても振り払えない嫌な臭い。
ふちからネチャとした液体が飛び出していた。何だろう、そう思って顔を覗くと広いリビングルームの壁や天井まで真っ赤に染まっていた。
どうやってあそこまで血が届くんだ、と考える高さまで血がべっとり付いていた。血みどろの室内で驚くのはそれだけじゃなかった。
机の下やテレビの下に大きな物体が横たわっていた。それは容易に想像がつく。こんなに室内を真っ赤に染めた主は、死体だ。しかも、三~四人の。
暗くて死体の顔はよく分からない。けど、わたしから一番近い場所で無造作に横たわっていた少女は誰なのか分かった。
「あき……こ……うっぷ!」
臓器がやられた腐敗臭と真っ赤な血を見て、わたしは後方の壁にもつれズルズルとしゃがみ、胃酸を吐いた。
お腹の中からなにかがムクムクと膨れ上がって上昇し、食道から喉に伝う。朝、なにも食べてないのに。
涙が出るほど吐くと、思考が急に冷静になる。
「誰か……呼びに行かなきゃ」
壁に手を置きなんとか腰を浮かせ、フラフラと歩いた。勇気を振り絞って歩いた道のりを今度は、違う想いで帰っていく。
足を止めてもう一度振り向くと、亜希子しか見えなかった。この方向ではね。亜希子は、扉からあと数センチ行けば頭が出ていた。
それはまるで、生前、彼女が死にたくない、助けて、と懇願したけど最後には力尽きてしまったみたい。
あのとき、亜希子はうつ伏せで倒れていた。顔は反対のほうを向いている。その亜希子に対し、わたしは投げかけるように言葉を言った。
「待ってて、すぐ人を呼んでくるから。わたしを信じて」
わたしは走った。親友の死を報せに。
農作業をやっているおじいちゃんおばあちゃん、白蔵先生、篤さん、誰でも良い。早く知らせなきゃ、信じてって言ってしまったもの。
曲がり角を曲がろうとした瞬間、誰かとぶつかった。厚い胸板にわたしは跳ね返され、思いっきり尻もちついた。
「いっ!……ごめんなさい」
恐る恐る相手を見下ろすと、篤さんだった。
「麻耶ちゃん、こんなところにいた!」
篤さんは声をあげて、わたしの前に手を差し伸べた。わたしは小さく首を傾げながらその手をすくった。グンと腰が浮き、立ち上がる。
「わたし、なにかした?」
「麻耶ちゃん知らないの? とりあえずみんな待ってるよ!」
知ってる? まさか、わたしの前に亜希子の家に来た人がいたのかな。それはそれでわたし恥ずかしいな。でも、それならなんでわたしを待ってるんだろう。
篤さんが焦ったように、くるりと後ろを向き、前を走ろうとした足をわたしは止めた。
「待って!」
その一言で篤さんは振り向いた。わたしは、また、吐きそうになる衝動を抑えるために奥歯を噛み締めた。
「知ってるの? 亜希子の……亜希子のお家の人が死んでるのを?」
「え?」
篤さんはキョトンとした顔をした。わたしのことをまるで、意味不明な人間を見ているかのような目つきになった。
やっぱり知らない。知らないはずだ。わたしは篤さんの手を取り、もう一度来た道を戻った。
「来て!」
今度は違う想いで。勇気とたくさんの希望が混じった想い。
「え、えぇ!? でも、今」
「早く!」
何かを語りかけてくる篤さんを無視して、我先に前を走った。小脇に咲く木の隙間から大きな屋根が見えてきた。矢田家だ。
篤さんなら、なんとかしてくれる。そう思った矢先……。
「お待ちな。お嬢ちゃん」
ふと、わたしの前に、腰がだいぶ曲がったおばあちゃんが立ちはだかった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
すぐ終わる、何かが起こる物語
モリバト
現代文学
Twitterの1ツイートで綴った物語の作品集です。
1作紹介します。
---『ご主人様』---
ご主人様が池に落ちた。こんな寒い日に。急いで池に飛び込み、ご主人様を岸まで引っ張る。「なんでもっと早く助けないんだ!ダメ犬が!」ご主人様は何かを叫んで僕を叩く。その拍子にもう一度池に落ちてしまった。きっと泳ぎたくて、わざと落ちているんだ。何か叫んでいるけど、僕には理解できない。
---
字数は少ないですが、起伏があり、心が動き、考えを巡らせたくなる、そんな物語を目指して書きました。
すぐ終わるけど、何かが起こる。そんな物語をお楽しみください。
※Twitterには空白を詰めて投稿しています。
※他サイトにも投稿しています。
【完結】限界離婚
仲 奈華 (nakanaka)
大衆娯楽
もう限界だ。
「離婚してください」
丸田広一は妻にそう告げた。妻は激怒し、言い争いになる。広一は頭に鈍器で殴られたような衝撃を受け床に倒れ伏せた。振り返るとそこには妻がいた。広一はそのまま意識を失った。
丸田広一の息子の嫁、鈴奈はもう耐える事ができなかった。体調を崩し病院へ行く。医師に告げられた言葉にショックを受け、夫に連絡しようとするが、SNSが既読にならず、電話も繋がらない。もう諦め離婚届だけを置いて実家に帰った。
丸田広一の妻、京香は手足の違和感を感じていた。自分が家族から嫌われている事は知っている。高齢な姑、離婚を仄めかす夫、可愛くない嫁、誰かが私を害そうとしている気がする。渡されていた離婚届に署名をして役所に提出した。もう私は自由の身だ。あの人の所へ向かった。
広一の母、文は途方にくれた。大事な物が無くなっていく。今日は通帳が無くなった。いくら探しても見つからない。まさかとは思うが最近様子が可笑しいあの女が盗んだのかもしれない。衰えた体を動かして、家の中を探し回った。
出張からかえってきた広一の息子、良は家につき愕然とした。信じていた安心できる場所がガラガラと崩れ落ちる。後始末に追われ、いなくなった妻の元へ向かう。妻に頭を下げて別れたくないと懇願した。
平和だった丸田家に襲い掛かる不幸。どんどん倒れる家族。
信じていた家族の形が崩れていく。
倒されたのは誰のせい?
倒れた達磨は再び起き上がる。
丸田家の危機と、それを克服するまでの物語。
丸田 広一…65歳。定年退職したばかり。
丸田 京香…66歳。半年前に退職した。
丸田 良…38歳。営業職。出張が多い。
丸田 鈴奈…33歳。
丸田 勇太…3歳。
丸田 文…82歳。専業主婦。
麗奈…広一が定期的に会っている女。
※7月13日初回完結
※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。
※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。
※7月22日第2章完結。
※カクヨムにも投稿しています。
【完結!】『山陰クライシス!202X年、出雲国独立~2024リライト版~』 【こども食堂応援企画参加作品】
のーの
現代文学
RBFCの「のーの」です。
この度、年末に向けての地元ボランティアの「こども食堂応援企画」に当作品で参加させていただきこととなりました!
まあ、「鳥取出身」の「総理大臣」が誕生したこともあり、「プチタイムリーなネタ」です(笑)。
投稿インセンティブは「こども食堂」に寄付しますので、「こども食堂応援企画」に賛同いただける読者様は「エール」で応援いただけると嬉しいです!
当作の「原案」、「チャプター」は「赤井翼」先生によるものです。
ストーリーは。「島根県」が日本国中央政権から、「生産性の低い過疎の県」扱いを受け、国会議員一人当たりの有権者数等で議員定数変更で県からの独自の国会議員枠は削られ、蔑(ないがし)ろにされます。
じり貧の状況で「島根県」が選んだのは「議員定数の維持してもらえないなら、「出雲国」として日本から「独立」するという宣言でした。
「人口比シェア0.5%の島根県にいったい何ができるんだ?」と鼻で笑う中央政府に対し、島根県が反旗を挙げる。「神無月」に島根県が中央政府に突き付けた作戦とは?
「九州、四国を巻き込んだ日本からの独立計画」を阻止しようとする中央政府の非合法作戦に、出雲の国に残った八百万の神の鉄槌が下される。
69万4千人の島根県民と八百万柱の神々が出雲国を独立させるまでの物語です。
まあ、大げさに言うなら、「大阪独立」をテーマに映画化された「プリンセス・トヨトミ」や「さらば愛しの大統領」の「島根県版」です(笑)。
ゆるーくお読みいただければ幸いです。
それでは「面白かった」と思ってくださった読者さんで「こども食堂応援」に賛同下さる方からの「エール」も心待ちにしていまーす!
よろしくお願いしまーす!
°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる