天使が恋を知ったとき

ハコニワ

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一章 羽衣天音の世界 

第10話 羽衣天音

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 空から神様が舞い降りた。
『ふむ。結果がこうなるとはな。だが少年の願いは果たされた。ワシの刺客に狼狽えず、乗り切った。約束を果たそう。少年を元の世界に戻し、そして彼女を人間にしよう』
 老爺の低い声。姿は現れない。はるか上空の、雲の切れ目からこちらを見ている。そんな気がする。神様はこの結果に、軽く受け止め話を続けた。
「待って、待ってくれ神様!」
 神様の話を遮った。
 自分でも情けない声だと分かる。
 天音さんの息がだんだん小さくなっていく。透明になっていく。パキと木材がきしむ音がなった。炎が広がり、学校中に炎が広がってる。僕がいる場所だけ、なぜか燃えていない。
「天音さんが死んだら、意味がない! 天音さんを生き返らせてください!」
 必死に願った。
 必死に祈れば、神様に届く。でも、知ってたはずだ。どんなに祈っても神様は答えてくれないこと。
 天音さんは、炎の中に包まれて死んだ。すぅと消えていった。神様は天音さんが消えてから、いつもの口調でサラッと言った。
『神に果し状をつける人間は、そうそういなかった。楽しめたわい。少年、白崎聖人というのか。また楽しもうぞ・・・・・・・ 
 そう言ったあと、神様からの声は聞こえなくなった。結局、神様は誰一人助けてくれない。目の前に、困っている人間がいても助けない。手を伸ばしてくれない。
 僕は炎の中、泣き叫んだ。彼女はもういない。残っているのは、彼女が僕のために覆い被さって、守ってくれた体温だけ。
 この体温を噛み締めて、僕は誓った。もう一度人間に生き返ったら、絶対必ず守るって。

 タンスが崩れ、パキパキと燃える音がこだました。オレンジの飛沫が飛んでいる。まるで、魂のようにふわふわと。

 そして、僕の意識がとだえた。
 僕も死んだのか。いいや、死なない。僕は今から元の世界に戻るんだ。ふと、目を開けるとそこには、真っ赤な炎が……そんなのはなかった。あるのは、無数に広がる大量の糸。
 上から伸びてて、下になるにつれ、枝葉のように広がっている。ここは、どこだ。僕はこんな場所で彷徨っていた。僕がいた世界でもない。

 周りは大量の糸、真っ白な背景、別世界を見ている気分だ。足が浮いている。これは、夢かもしれない。でも、何処から何処までが夢だったのか分からない。
 学校が炎に包まれて、彼女が死んで、それで――僕の腕に何かある。いつの間にか、何かを握りしめていた。
 恐る恐る開いてみると、赤いバンダナだった。どうしてこんなのが、手の中に。それに、知らないぞ誰のだこれは。

 すると、無数にある一つの糸だけが神々しく光りだした。目を覆うほどの光。僕は顔の前に手を翳した。光に包まれた糸は、空間中を光に包み込むように、輝きだし、そして――再び目を開けると、そこは信じられない光景が広がっていた。 
 
 青々とした青空。雲一つない快晴。遠くの景色がユラユラ揺らめいていた。陽炎が景色を惑わしていた。
 アスファルトの熱が熱い。前から吹く風が熱風のようだ。街歩く人たちが夏服を着ている。額から溢れる汗をタオルで吹いている御婦人もいる。

 知っている場所だ。ここは、僕が生まれ育った街だ。人通りは少ない場所で、坂道がずっと続く場所だ。
 見下ろせば町並みが見渡せる絶景で、見上げれば、道という名の絶壁。家の近所にある坂道だ。

 どうしてこんな所に。僕はさっきまで白い空間にいたはずだ。それなのに、いきなりこの町並みは。ここは七月なのか。
 アスファルトの熱が熱い。初夏か8月辺り。
 どうしてこんな所にいるのかも謎だけど、それ以上にもっと、謎なのがみんな、僕を認識しないことだ。

 車には何台も撥ねられそうになるし、通りすがる人たちは、見向きもしないでスタスタ歩く。まるで、透明人間みたいだ。

 暫く坂道から見下ろす町並みを見下ろしてた。太陽が真上にあって、街も人も活気溢れてるようにみえた。
 すると、背後から気配を感じた。振り向くと驚いた。天音さんが歩んできた。真っ白な肌に着こなすと更に神々しく映える、純潔の、白いワンピース姿。

 髪の毛は真っ白で、帽子も真っ白。純潔の白を強調とした服装。まるで、天使みたいだ。言うまでもなく、彼女は天使だ。

 まだタイムリープを作っていない彼女の前の姿。黒髪の天音さんより、近寄りにくい。きっと話しかけても無視されるだろうな。

 案の定、僕のことを見向きもしないでスタスタと歩んでいた。やっぱりか、とため息をついた。でも、暫く様子をうかがっていると、彼女が少しおかしいと気づく。

 まず、目線だ。
 彼女はいつも、前を向いて凛々しく立っていた。それなのに、キョロキョロと辺りを探っていた。目線は常に足元。何かを探しているのだろうか。

 次に歩き方だ。
 彼女はいつも、背をピシッとして堂々とした歩き方だ。西洋のお嬢様みたいに、これが人間の歩き方のお手本よ、いつも見せられてた。
 それが今や、千鳥足だ。目線は常に足元で、周囲のナニカを目を落としながら進んでいた。

 困っているような感じだ。無表情だけど分かるよ。そういえば、炎の中で天音さんが言ってたな。
『大事なものを取りに行ってたの』
 その大事なものとやらを、探しているのかもしれない。
「天音さん、僕も協力するから――」
 彼女に掴もうとしたけど、するりと風のように通り過ぎた。彼女に触ろうとしたけど、掴めない。なるほど。どうりでみんな、僕の存在が認識できないのか。
 僕はここに元いない人間なんだ。
 僕は未来の人間だ。ここは、天音さんが堕天する前、恐らく一年前の世界だ。つまり僕は、過去にいる。
 過去の人が未来の人を見えないのは、当然かもしれない。
 
 天使の天音さんなら、僕を認識することができるけど、堕天する前の天音さんにとって僕は、人の子の一人しか変わらない。たくさんある小石と同じだ。
 天使と人間は、そんな線だ。
 決して交わらない。交わることはできない。天音さんと僕の間に、亀裂が生じた。

 その時だった。
 天音さんとぶつかった人間がいた。そりゃ、足元ばかり見ていたら誰かとぶつかるよな。でも、天使とぶつかった人間は哀れだよな。あの世じゃん。
 その人間をひと目みたとき、びっくりした。それは、僕だったからだ。そんな、僕は知らぬ間に天使の天音さんと会っていたのか。
『うわっ、ごめん! よく前を見てなかったです!』
 そんな謝り方じゃないだろ、僕。もっと頭を下げて言いな。
 天音さんは、帽子を深く被ってすぐに立ち去ろうとしていた。でも、そんな彼女を引き止めたのは、過去の僕。 
『待って。少し顔色悪いよ? 大丈夫?』
 お前が大丈夫か。顔色悪いのは、天使だからだ。真っ白な肌が真っ青に見えたのだろう。そういえば、一年前の初夏といえば、妹が亡くなったばかりだ。僕の顔色も悪い。あんな真っ青で街歩いてたのかよ。
『なんでもないです』
『そうなの? でも、さっき何か探してたようだし、僕、手伝うよ?』
『なんでもないから』
 彼女はスタスタと歩んでいった。でも、ここの坂、すごい急で、そんなに猛スピードで歩くと転ぶぞ。
『あ、その靴で走ると転ぶよ』
 と忠告をしたけど、とき遅し。ハイヒールをカツカツいわせて、ズルリと転んだ。忠告するならもっと早く言え、過去の僕よ。

 公園のベンチで休む僕ら。ちょうど日陰がベンチに差し掛かってあって、助かった。僕は濡れたタオルで彼女の怪我した所を拭った。
 ビクッと足を震わせた。
『ごめん。冷たいよね? 僕がもっと早く忠告すれば良かったのに』
 雪のように真っ白な肌に、鮮血な血が滴り落ちる。赤くなっているところを、拭っていた。あれ、この光景見覚えがある。まっ昼間の公園で、女の子の怪我を治療した記憶、どうして忘れてたんだ。
 
 朧げだった記憶に、彼女の存在が当てはまる。彼女だったんだ。顔も声も思い出せない。けど、懐かしい記憶。
 過去の僕は、天音さんと会話していた。天使ということも知らずに。何処から来たのか、何を探してたのか。会話するにつれ、彼女も気を許したのか喋ってくれた。

 彼女が天から落としたのは、母の形見のバンダナという。いつも首に巻いていたけど、風で吹き飛ばされたらしい。それを探していると。そのバンダナは、僕が持っている。
『形見かぁ。それじゃあ、絶対に見つけないとね! あ、もう痛いところはない? 痛いなら痛いて言ってね』
『大丈夫』
 僕らはそれから、天音さんの〝大事〟なものを探した。木の上とか、溝の下とか、ゴミ収集のところとか、でも見つからない。でもやっと、見つけたんだ。
 坂の上の電信柱にくくり付けていた。僕が早速登って取った。警察の厄介になったけど。それでも彼女は、母の形見を手に取ると、うるっとした瞳で、安堵した表情を浮かべた。
『ありがとう』
『ううん。こんなのお安い御用だよ。もうこの街を去るの?』
『うん。見つかったから。ありがとう。絶対忘れない』
 そう言って、彼女は笑った。僕はその光景を最後に、再び白い空間に戻された。死んだはずの天音さんが存在していた。
「人間界に降りたとき、怖かった。でも、あなただけは優しかった。優しくて、だから、惹かれたの」
 見たことない安堵した表情。
 手にしているバンダナを、僕の腕に巻いた。
「次の世界ではきっと、私は人間。だからお願い。私を見つけて」
 口づけをした。
 優しく触れる口づけ。柔らかくて甘い香りがした。
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