クラスでバカにされてるオタクなぼくが、気づいたら不良たちから崇拝されててガクブル

諏訪錦

文字の大きさ
上 下
83 / 131
モロビトコゾリテ

10

しおりを挟む
予定されていた合唱団の三曲が終わると、会場には割れんばかりの拍手が起き、すべての明かりが点される。聴覚だけでなく視覚的にも楽しめたと、多くの観客が口にしていた。
「ーーー最後の歌のソロの女の子、すごく良い声してたよね。私、思わず動画撮っちゃった」
「でも、あの歌って別にクリスマスソングじゃないよね」
女性客数人がそんな話をしながら、ツリーの方に移動していく。
『星に願いを』は、確かにクリスマスソングという位置付けではないが、星というワードはイエスの誕生を知らせたベツレヘムの星を意味する非常に重要なアイテムであり、だからこそクリスマスツリーの上には星が飾られる。もちろんこれはマンガから得た知識ではあるけれど、日本人なんてほとんどの人が無宗教な訳だし、クリスマスソングとクリスマスキャロルの違いだって曖昧模糊としていいかげんだ。
そんなことはさておき、ぼくは急いで美果ちゃんの所へ向かうことにする。イベント自体は大盛況に終わったが、彼女一人だけ仲間の子供たちと違う色の服で舞台に立つなど、勝手な真似をさせてしまったので、もしかしたら怒られてしまうかもしれない。そうなったときは庇ってあげないと。
そう思っていたのだが、どうやら必要なさそうだ。
美果ちゃんの周りは施設の仲間の子供たちで溢れ、みんなで凄かったと喜びあっていた。美果ちゃんも、戸惑いの方が強そうではあったけれど、それでも合唱を楽しむことができたのか、ときどき笑顔がこぼれる。
その光景を前にして、彼女を責める指導員などいるはずがない。これで美果ちゃんも、少しずつ施設に馴染んでいくことだろう。あとは、彼女の願いが通じ、母親の病が治ることを祈るだけだ。
ひとまず問題が解決したことで、ぼくはすっかり忘れていたことを思い出す。
今日の五時、駅前のカラオケ集合。石神さんから呼ばれたクラスのクリスマスパーティーまで、時計を確認すると約三十分。距離的には十分間に合うが、それでも指導員の中上さんには謝って筋を通す必要があるだろう。
もたもたしていたら間に合わない。ぼくは急いでアカサビさんに近付き、フォローをお願いしようとした。
だが、ぼくがそれを頼むよりも先に、彼が口を開いた。

「なあ、少し話をしないか?」

喧騒から離れ、遠くにステージが見える壁際までやってきたぼくら。
「ねえアカサビさん。どうしたの?」
あまり時間がなかったぼくは、急かすようにそう聞いた。
すると、アカサビさんは俯き加減に下を向きながら、珍しく歯切れ悪く口を開く。
「これは、話すべきか迷ったんだが、あの子の母親はーーー」
「病気なんでしょう?」
言葉を奪うようにそう言うと、彼は一瞬驚いた表情になって顔をあげたが、またすぐに伏せてしまった。
「そう、間久辺の言う通りだ。病気、なんだそうだよ」
そう言ったアカサビさんは、目を伏せたまま、それでも言葉を止めなかった。
「あの女の子。片山美果に虐待を繰り返す、そういう精神的な病なんだそうだ」
……は?
ぼくは、一瞬なにを言われているんだかわからなくなった。だって、そんなのっておかしい。虐待なんて。
「み、美果ちゃんはそんなこと一言も言ってなかったよ。お母さんは病気だって。だから、約束していたのにクリスマス一緒に過ごせないのが悲しいんだって、そう言っていたんだっ」
ぼくは言葉を発しながら、美果ちゃんの母親がなんの病気であるのか、どれくらい悪いのか、彼女を気遣って聞いていないことを思い出した。
焦るぼくに、アカサビさんは淡々と答える。
「片山美果の家は母子家庭だったそうだ。母親は、こういう言い方をしたらあれだが、世間知らずだったんだよ。それで、男に騙されて身籠って、産まれたのがあの子だった。両親は数年前に他界し、交流のある血縁者はなし。言ってしまえば、孤立無援だったそうだ」
「だからって、虐待なんてそんなっ!」
「間久辺の言いたいことはわかる。だけど、大人だってそこまで強くねえんだ。それが現実なんだよ。俺が施設で生活していた頃だって、親に捨てられたり、虐待で連れて来られた子供が大勢いた。いまもそれは変わっていないんだよ」
ぼくは、自分の暮らす環境とのあまりの乖離に吐き気がしてきた。
その様子を見て、「大丈夫か?」と聞いてきたアカサビさんに、頷いて先を促す。ぼくにショックを受ける権利などないのだから。
「片山美果の母親は、弱い人間だったんだ。この女には、さっき言ったように交流のある親戚はいなかったが、とても仲が良く優しい両親には恵まれていたんだそうだよ」
「そんな人がどうして、自分の子供を虐待できるのさっ!」
「言っただろう? 弱かったって。シングルマザーとして片山美果を育てていた女は、両親が続けて他界したことで、いきなり孤独になったんだ。幸い、保険金も下りたし、シングルマザーの補助が色々出て生活はそれほど苦労していなかったそうだが、母親を側で見ていてくれる存在は誰もいなくなったんだよ」

ーーー虚偽性障害。

「それが、片山美果の母親の精神疾患だ。その中でもかなり重度の代理ミュンヒハウゼン症候群に、症状が酷似しているらしい」
テレビかなにかで聞いたことのある名前だ。
「確か、自分を傷付けて周囲の注目を集めようとするんですよね?」
「それはミュンヒハウゼン症候群。代理ミュンヒハウゼン症候群は、傷付ける対象が自分ではなく他者に向かうんだ。今回はまさにその最たる例だったんだよ」
アカサビさんの話は、ぼくにとってあまりにもショッキングであった。
美果ちゃんの母親は、それまで愛情を注いでくれていた両親が亡くなり、誰も自分を見てくれていないことに寂しさを感じていた。それに、子育てのストレスもあったのかもしれない。あるとき、美果ちゃんが高熱を出し、慌てて病院に連れて行って診てもらうと、看護師から『一人で子育てなんて大変でしょう?』と同情する言葉をかけられたらしい。それが、母親にとってはひどく快感だったのだ。
長らく、誰からも相手にされない日々が続いた。頑張っていても、誉めてくれる人なんていない。そんなときにかけられた気遣いの一言が、彼女を狂わせてしまったのだ。
風邪が治っても、ことあるごとに美果ちゃんを病院に診せに行くようになった母親。だが、実際は体調不良など引き起こしていないため気にしすぎだと、むしろ注意を受けるようになってしまう。
母親は、そこで踏みとどまることができなかった。娘に対する肉体的な暴力ーーー虐待が始まった。
通常の虐待のケースと異なるのは、そこに苛立ちや八つ当たりといった感情がほとんどないということだった。
母親が求めたのは、子供が怪我をして、それを一生懸命看病する自分という構図だけ。そのためだけの理由で、美果ちゃんは二年半もの間、虐待を受け続けてきたのだという。
「……アカサビさん。ぼくにはわかりません。どうして美果ちゃんは、そんな母親とクリスマスを過ごしたいなんて願ったんでしょう?」
「幼い子供にとって、親は絶対だ。それに、片山美果の母親は、愛情を持って子育てをしていたそうだ。本心から娘を愛していたんだよ。愛しながら、傷付けていたんだ。だから、残酷なんだよ」
そう、なのか。美果ちゃんにとって虐待されることこそが日常になってしまったんだ。そして、普段は優しい母親に懐疑的な目を向けることはない。まだ小学生の美果ちゃんにとって、母親こそが世界のすべてだったから。
あの子も、壊れてしまっているのだろうか。
ライズビルの二階から身を乗り出すなんて、落ちてしまう可能性だってあった。
指導員から追いかけられ、アカサビさんが止めなければ車道に飛び込んでいただろう。
あの子にとっては、それでも構わなかったんだ。怪我を負えば、母親が喜んでくれていたから。母親が笑ってくれるから……そんな歪な愛情、ぼくには理解できないっ。
「だから、オレは最初に言ったはずだ」
この場になって、アカサビさんの表情から感情が消えた。まるで意図的に想いを遮断したかのように。
「よく知りもしないのに関わるべきじゃなかったんだ。お前は神様じゃない。なんてことはない、ただの人間だ」
「……そんなの、わかってます。なんだって出来ると思っているわけじゃないっ」
「本当にそうか? お前は、自分なら苦しんでいる女の子を救うことができるって、そんな思い上がりをしていたんじゃないのか?」
ぼくは、その言葉にぐうの音も出なかった。
救いたいと思った。力になりたいって。だけど、前提としてぼくならやれるとも思っていたんだ。いままで上手く立ち回ってきたから。
だけど、そんなものは偶然上手くいっていたに過ぎなかったんだ。ぼくに救われたと言ってくれた人たちの言葉を真に受け、勝手に自分自身が強くなった気になっていたけれど、ぼくはいつだって他人の力を借りなければなにもできなかった。
「仮に、今回のやり方で片山美果の問題が解決したとして、新たな問題が起きるとは思わなかったのか? お前は今回の合唱を、あの少女一人のために利用したが、他の子供たちはどう感じると思う? 主役はあの子だけじゃないし、問題を抱えているのもそうだ。そういう子供たちの気持ちを考えたのか?」
アカサビさんの言う通りだ。施設で生活している子供たちだって、美果ちゃんと同じように苦しんでいる子供は大勢いるだろう。だから、せめてイベントのときくらいそれを忘れて楽しみたいと思っている子供だって、きっといたに違いない。それを、ぼくの勝手なエゴで台無しにしてしまった。
「これでわかっただろう、間久辺。お前が関わることで問題が大きくなることだってあるんだ。俺が言ってる意味、わかるよな? もう線引屋なんて名前は捨てちまえ。壁にお絵描きしたけりゃ、別の名前でいくらでもしたらいい。ただ、少なくとも他人の問題に首を突っ込むな。それがお前のためでもある」
そう言い捨てると、アカサビさんは目の前から姿を消した。
ぼくは、まるで実際に前が見えなくなったみたいに視界が真っ暗になった。自分のやってきたことの正統性が、もはや見出だせそうにない。
すると、服の裾が誰かに引かれ、意識を呼び戻されると、そこに歌い終えたばかりの美果ちゃんが立っていた。ぼくが貸したコートを手に、心配そうに顔を曇らせていた。
「体、悪いの?」
ぼくは首を横に振った。自分が情けなくて、声も出ない。
「そうだ。お兄ちゃん、上着ありがと」
そう言って、ぼくに上着を突き出す美果ちゃん。
「それから、この衣装、色塗ってくれてありがと。きれいなお星さまもありがと。合唱、みんなと出られて良かった。さっきお絵描きしたお店の、きれいなお姉さんの言ってた通りだった」
お姉さんって、それ与儀さんのことか?
彼女、なにを言っていたんだろう。
「お兄ちゃんのこと、情けないって。弱くてダサくて、ときどきキモいって言ってた」
……与儀さん。
「だけど、強いところもあるって言ってたよ。お兄ちゃんは、ドクロのお面着けると強くなるって。変身ヒーローみたいに。だから、これあげる」
そう言って、手渡してきたのは、紙で切り取られたドクロのお面。ぼくが準備をしている間に作っていたのだろうか。耳の部分には輪ゴムが付いていて、それを耳にかければかぶることもできる。
「お兄ちゃん、なんだか辛そう。だから、そのお面着けて元気になって」
ぼくは、言われた通り、その拙いながら一生懸命作ってくれたお面を顔に付けた。少女の頭を撫でながら、あらためて見ると首もとなどに微かに傷の痕や痣が見られた。気にしなければ衣服に隠れて見えないが……ああ、そうか。そういうことか。
どうして与儀さんがドクロのマスクの話なんてしたのか。『Master peace』で美果ちゃんの着替えを手伝ったのは、与儀さんだった。そこで、美果ちゃんの抱えた問題の一端を目の当たりにしたからだ。だから、勇気づけるためにそう言ったに違いない。ぼくなら、なんとかできると信じて。
いや、そうじゃないか。誰にも、この問題を解決することなんてできない。だから、イベントが始まる直前、顔を合わせた与儀さんの表情は暗かったんだ。ドクロのお面を着けると強くなると美果ちゃんに教えたのは、お面を作らせ、ぼくに渡すことで、せめて暗い顔を見せないようにするためだろう。
だからぼくは、無理やりにでも口角をつり上げ、口元だけでも笑みを浮かべる。この子の前では、弱みを見せるのはやめよう。
病はいずれ治るものだ。それがたとえ精神的なものであっても。だから、いずれこの子とその母親が二人で幸せなクリスマスを祝える日が来ることを、あのツリーの先端に取り付けられた星に、願った。無力なぼくには、それくらいしか出来ることがなかったんだ。
しおりを挟む
感想 210

あなたにおすすめの小説

ナースコール

wawabubu
青春
腹膜炎で緊急手術になったおれ。若い看護師さんに剃毛されるが…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

かつて僕を振った幼馴染に、お月見をしながら「月が綺麗ですね」と言われた件。それって告白?

久野真一
青春
 2021年5月26日。「スーパームーン」と呼ばれる、満月としては1年で最も地球に近づく日。  同時に皆既月食が重なった稀有な日でもある。  社会人一年目の僕、荒木遊真(あらきゆうま)は、  実家のマンションの屋上で物思いにふけっていた。  それもそのはず。かつて、僕を振った、一生の親友を、お月見に誘ってみたのだ。  「せっかくの夜だし、マンションの屋上で、思い出話でもしない?」って。  僕を振った一生の親友の名前は、矢崎久遠(やざきくおん)。  亡くなった彼女のお母さんが、つけた大切な名前。  あの時の告白は応えてもらえなかったけど、今なら、あるいは。  そんな思いを抱えつつ、久遠と共に、かつての僕らについて語りあうことに。  そして、皆既月食の中で、僕は彼女から言われた。「月が綺麗だね」と。  夏目漱石が、I love youの和訳として「月が綺麗ですね」と言ったという逸話は有名だ。  とにかく、月が見えないその中で彼女は僕にそう言ったのだった。  これは、家族愛が強すぎて、恋愛を諦めざるを得なかった、「一生の親友」な久遠。  そして、彼女と一緒に生きてきた僕の一夜の物語。

大好きな幼なじみが超イケメンの彼女になったので諦めたって話

家紋武範
青春
大好きな幼なじみの奈都(なつ)。 高校に入ったら告白してラブラブカップルになる予定だったのに、超イケメンのサッカー部の柊斗(シュート)の彼女になっちまった。 全く勝ち目がないこの恋。 潔く諦めることにした。

プール終わり、自分のバッグにクラスメイトのパンツが入っていたらどうする?

九拾七
青春
プールの授業が午前中のときは水着を着こんでいく。 で、パンツを持っていくのを忘れる。 というのはよくある笑い話。

隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)

チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。 主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。 ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。 しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。 その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。 「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」 これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。

どうしてもモテない俺に天使が降りてきた件について

塀流 通留
青春
ラブコメな青春に憧れる高校生――茂手太陽(もて たいよう)。 好きな女の子と過ごす楽しい青春を送るため、彼はひたすら努力を繰り返したのだが――モテなかった。 それはもうモテなかった。 何をどうやってもモテなかった。 呪われてるんじゃないかというくらいモテなかった。 そんな青春負け組説濃厚な彼の元に、ボクッ娘美少女天使が現れて―― モテない高校生とボクッ娘天使が送る青春ラブコメ……に見せかけた何か!? 最後の最後のどんでん返しであなたは知るだろう。 これはラブコメじゃない!――と <追記> 本作品は私がデビュー前に書いた新人賞投稿策を改訂したものです。

将棋部の眼鏡美少女を抱いた

junk
青春
将棋部の青春恋愛ストーリーです

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。