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モロビトコゾリテ
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時刻は昼間の三時。なんとか間に合った。
ライズビルに到着したぼくらは、それぞれスタンバイにつく。
美果ちゃんを施設の人たちに預けると、彼女はどこか不安そうにだぼだぼのコートの胸元を掴む。彼女に大きいのは当然で、それはぼくが着ていた物を貸してあげているからだ。
別れ際、美果ちゃんの頭を撫でて言う。
「合唱、楽しみにしてるよ。寒くて声が震えたらいけないから、直前まで着ていていいからね。後で、コートは取りに来るから」
そう言って、彼女の頭を二度優しく叩く。
美果ちゃんは、どこか不安そうではあったが、それでも小さな声で「……うん」と答えた。
その間、アカサビさんは施設の中上さんと話していた。
だからぼくは、話しかけるのを諦め移動を始めた。
ライズビル一階。正面入り口を入った先には、巨大なクリスマスツリーが設置されている。そのすぐ横、美果ちゃんたち合唱団が歌うステージでは、現在子供番組のいわゆる"お兄さん"と、着ぐるみたちがダンスを披露している。その関係上、子供連れの親子の姿が目立っていた。だが、それに紛れてこのあと控えているツリーのイルミネーションのライトアップを見ようと場所とりを始めているカップルの姿も目立った。その中に、目的の人物を発見し、ぼくは近寄る。
「与儀さん。それに侭さんも、どうも」
二人は今日のライトアップを見るために、ここに一緒に来る約束をしていたらしい。さっき『Master peace』に与儀さんを迎えに来た侭さんは、集まっていたぼくらを見て驚いていた。
そこでぼくは、あるお願いごとを侭さんにした。
もしもライズビルで知り合いが働いていたら、どうか話を通してほしいことがある、と。
ぼくの真剣な様子になにかを感じたのか、侭さんは昔馴染みに片っ端から連絡を取ってくれて、その結果、かつての部下にライズビルでフロアを管理するスタッフの人間がいることがわかった。
かつて世話になった侭さんの頼みということもあって、結局五分間だけ自由を許してくれることになった。
「侭さん。無理なお願いを聞いてくれて、ありがとうございます」
「礼なら俺じゃなくて、ここのスタッフに言いな。それに、お前には借りがあるからな」
ぼくは返す言葉が見つからず、苦笑いを浮かべながら、逃げ場を求めるように侭さんの隣に立つ与儀さんに目をやった。
すると、与儀さんはデート中に邪魔されたと怒っているのか、どこか固い表情をしている。だからぼくは言った。
「安心して下さい与儀さん。邪魔者はさっさと消えますから」
普段ならそんな軽口に悪態の一つも返してくれる与儀さんが、なにか言いたげにしているだけで、結局言葉を発することはなかった。これからぼくがやろうとしていることを考え、心配してくれているのかもしれない。
舞台で行われている子供向け番組の出張イベントが終わると、いよいよ施設の子供たちによる合唱の準備へと切り替わる。開始は四時で、そこから二十分ほどの合唱が終わると、カップルお待ちかねのツリーのライトアップだ。
ぼくはステージ正面に移動し、準備を待つ。侭さんの友人が、頼んだ通りに動いてくれることを祈ろう。
そしていよいよ、ステージの上に子供たちがスタンバイするために上がり始める。美果ちゃんもぼくが貸した上着を脱いで、階段を上った。子供ということでなかなか統率の取れていない動きではあったが、ようやく定位置につく。その時点で、観客の数人が気付いた。
「あのセンターの女の子だけ、服汚くねぇ?」
センターの女の子、それはソロパートを任されている美果ちゃんだった。彼女が着ている服は、アカサビさんが施設から持って来た衣装で間違いない。だから、ぼくはきっと後でこっぴどく怒られるだろうな。
ーーー『Master peace』でのこと。
美果ちゃんはぼくに、白は嫌いだと言った。
初め、それがなにを意味しているのかまったくわからなかったため、あらためてどういう意味かと聞いた。
すると、真っ白い衣装が嫌なのだと、そう答えたのだ。
そんな理由で?
思わず呆れ、実際にそう言ってしまったぼくは、しかし次に美果ちゃんが言ったことを聞いて、ひどく後悔した。
「白は嫌い。お母さんを連れて行ったから。だって、約束したもん。クリスマスは一緒だよって。それなのに、病気のせいでいまは一緒にいられない。だから、白は嫌いっ」
美果ちゃんは涙声でそう訴えた。
ぼくは、知らなかったんだ。どうして美果ちゃんが施設で生活しているのかということを。
美果ちゃんのたった一人の家族であるお母さんは病気で、一緒に暮らすことができない状態にある。だから、現在は施設暮らしを余儀なくされたのだ。
子供とは感覚で生きるものだ。色の持つイメージも同じ。
白が嫌いと言った美果ちゃんが、その色に抱いたイメージ。それは恐らく、病院。母親が入院することになった病院を連想させる色だから嫌いなのだろう。母親と約束していたクリスマスを過ごせなくなったにも関わらず、母の病気を思い出す白い衣装を着てクリスマスにステージに立たなければならないことを考え、美果ちゃんは我慢できなくなって逃げ出したのだろう。
だが、歌うことは本来は好きなんだ。合唱だって、本当はやりたい。それでも、白は着たくない。その思いに耳を傾けようとせず、頭でっかちに孤立しているだけだと決めつけてかかった施設の職員たちがいた。そのせいで美果ちゃんは、ライズビルから逃げる道を選んだんだ。
「だったら、そんなイメージは塗り替えるしかない」
ぼくは決心を固めていた。誰かに怒られ、非難されることなど、まるで気にならない。
困惑したように首をひねる美果ちゃんに、ぼくは言った。
「美果ちゃん。あの真っ白い衣装を一緒に塗り替えよう!」
ーーーそして、現在に至る。
ステージ上に立つ美果ちゃんの衣装は、形こそ周りの子供たちと同じタートルネックのシャツにパンツルックだが、その色は漆黒に染まっていた。
その姿を見た施設の指導員たちは血相変えて舞台に上がろうとする。だが、それを止めたのは中上さんだった。
ショウ・マスト・ゴー・オンというやつだろうか。すでにステージの上では歌い手である子供たちが、観客の前に姿を見せてしまった。どのような問題が起きたって、やり通すしかない。
それでいい。
スピーカーから一曲目の曲が流れ、ざわつく会場をよそにクリスマスソングの『もろびとこぞりて』が流れた。スローな曲が多いクリスマスキャロルの中では、比較的アップテンポな曲で知られるこの歌だが、その一曲目が終わっても、人々のざわめきは収まらなかった。行われる合唱曲は全部で三曲。残りは二曲だ。次に流れてきたのは『きよしこの夜』。一曲目同様にタイトルとなっている歌詞から始まるこの曲は、スローな調子で歌い上げられる。子供たちの練習の成果か、聞いていてとても心の癒される歌声だ。この頃になると、美果ちゃんの服の色があまり気にならなくなってきたようだ。観客も純粋に子供たちの歌声に聞き入っていた。
そして、いよいよ三曲目というところで、いよいよ動き出す。
それまで店内の明かりに加え、ステージを照らすスポットライトまでたかれていた会場が、一気に明かりを落とし暗闇に包まれる。といっても、一寸先すら見えないような暗闇ではなく、足元が見える程度にはライトが点灯していた。会場は驚き混乱に包まれるかと思われたが、ツリーのライトアップイベントの際に、ツリーの周辺の明かりが消されることは事前に知らされていたことなので、大きな騒ぎにはならなかった。それでも、予定ではまだ子供たちの合唱の時間。戸惑いの声と、ステージ上ではトラブルにはしゃぐ子供たちの声がした。
そんな中、伴奏もない状態で歌い出す、一人の少女の歌声が聞こえてきた。その歌声は、周りで騒ぐ子供たちを黙らせ、会場の喧騒すらかきけした。
ーーー本当に、澄みきった歌声だ。
彼女が歌い出した歌は、あの嘘を吐くと鼻が伸びる人形のアニメーション映画に出てくる、指南役のコオロギが歌い上げた名曲。
(輝く星に、心の夢)をという歌詞から始まるその歌の名は、『星に願いを』。
なんの光源もない暗闇に包まれたステージ上で歌い続ける少女は、いったいなにを願おうとしていたのだろうか。
ぼくは、初めて少女を見かけたときのことを、いまでもはっきりと覚えている。彼女はこのライズビルの二階の手すりから身を乗りだそうとして、必死に手を伸ばしていた。届くはずもないクリスマスツリーのその先端ーーー輝く星に。
ぼくは、ステージを照らすために用意されている六つのスポットライトの内、正面のライトの脇に立った。そこでスタンバイしていた、侭さんの友人であるライズビルのスタッフさんに、あらかじめ説明していた通りに動いてもらう。用意してきた物を取り出すと、それを手渡した。
「ーーー君。最終確認だけど、これで照らせばいいんだね?」
「ええ、お願いします。勝手言ってすみません」
「いいよ。観客盛り上がってるみたいだし。それに、俺もなんだか、昔に戻ったみたいでわくわくする」
流石は侭さんの知り合い。昔は色々な悪事……悪戯を行ってきたのだろう。
それにしても、侭さんには後であらためてお礼を言わないといけないな。今回の一件、ぼくの無茶な要求を通そうとしてくれたのは、美果ちゃんの母親が病気だと聞いて、見過ごせないと感じたからだろう。本当にありがたい。
そして歌は進み、(光り照らしてくれるでしょう)という歌詞を美果ちゃんが口にしたところで、正面のスポットライトだけ明かりを点けてもらう。
すると、次の瞬間、会場からは思わずこぼれたようなため息がこぼれる。それは、マイナスの感情からくるものではなく、その光景の美しさに見とれたために、こぼれたため息だった。
美香ちゃんの胸元、真っ黒い服の上に、小さな星の形をした光が照らされていた。彼女がどれだけ腕を伸ばしても、ツリーの星には手が届かない。それなら、星を彼女の下に届けてやればいい。そう思い、ぼくが使ったのはステンシルアートで使用する板。本来は切り抜いた紙を壁などに貼り付け、その上からインクを吹き付けることで手軽に絵を描き出すことができるステンシルアート。今回は、それをインクではなくスポットライトから放たれる光を通すことに使ったのだ。
ステンシルアートを得意とする与儀さんの店には、プレートの材料の紙が沢山ある。その紙に美果ちゃんの服同様に、黒いスプレーインクを吹き付けることで、光を遮断する効果が発生する。そして、その紙の中心部に子供の手のひらほどの星形の切り抜きをすることで、完成。それをスポットライトの光源の部分に貼り付ければ、光は切り抜かれた箇所だけを通り、星形になって照らす。美果ちゃんの服を黒く塗ったことで、その星の形をした光がとても綺麗に映り、幻想的に見えた。
他の子供たちも、美果ちゃんに倣うように歌い始め、合唱の体を取り戻す。すると、この盛り上がりを見逃さずに、歌の途中でツリーのライトアップも行われる。薄暗い会場にそびえ立つツリーが下方向から四ヶ所ライトアップされる。そのツリーの先端にある、薄透明な黄色ガラス製の星が、光を捉えて乱反射することで、会場に光の粒が降り注ぐ。この一つ一つの星の光が、ここに集まった大勢の人の願いを叶えればいいのに。もちろん、美果ちゃんの願いも含めて。
ーーーいや、きっと叶うはずだ。だって、(祈ればいつか叶うでしょう)って、歌っていたから。
ライズビルに到着したぼくらは、それぞれスタンバイにつく。
美果ちゃんを施設の人たちに預けると、彼女はどこか不安そうにだぼだぼのコートの胸元を掴む。彼女に大きいのは当然で、それはぼくが着ていた物を貸してあげているからだ。
別れ際、美果ちゃんの頭を撫でて言う。
「合唱、楽しみにしてるよ。寒くて声が震えたらいけないから、直前まで着ていていいからね。後で、コートは取りに来るから」
そう言って、彼女の頭を二度優しく叩く。
美果ちゃんは、どこか不安そうではあったが、それでも小さな声で「……うん」と答えた。
その間、アカサビさんは施設の中上さんと話していた。
だからぼくは、話しかけるのを諦め移動を始めた。
ライズビル一階。正面入り口を入った先には、巨大なクリスマスツリーが設置されている。そのすぐ横、美果ちゃんたち合唱団が歌うステージでは、現在子供番組のいわゆる"お兄さん"と、着ぐるみたちがダンスを披露している。その関係上、子供連れの親子の姿が目立っていた。だが、それに紛れてこのあと控えているツリーのイルミネーションのライトアップを見ようと場所とりを始めているカップルの姿も目立った。その中に、目的の人物を発見し、ぼくは近寄る。
「与儀さん。それに侭さんも、どうも」
二人は今日のライトアップを見るために、ここに一緒に来る約束をしていたらしい。さっき『Master peace』に与儀さんを迎えに来た侭さんは、集まっていたぼくらを見て驚いていた。
そこでぼくは、あるお願いごとを侭さんにした。
もしもライズビルで知り合いが働いていたら、どうか話を通してほしいことがある、と。
ぼくの真剣な様子になにかを感じたのか、侭さんは昔馴染みに片っ端から連絡を取ってくれて、その結果、かつての部下にライズビルでフロアを管理するスタッフの人間がいることがわかった。
かつて世話になった侭さんの頼みということもあって、結局五分間だけ自由を許してくれることになった。
「侭さん。無理なお願いを聞いてくれて、ありがとうございます」
「礼なら俺じゃなくて、ここのスタッフに言いな。それに、お前には借りがあるからな」
ぼくは返す言葉が見つからず、苦笑いを浮かべながら、逃げ場を求めるように侭さんの隣に立つ与儀さんに目をやった。
すると、与儀さんはデート中に邪魔されたと怒っているのか、どこか固い表情をしている。だからぼくは言った。
「安心して下さい与儀さん。邪魔者はさっさと消えますから」
普段ならそんな軽口に悪態の一つも返してくれる与儀さんが、なにか言いたげにしているだけで、結局言葉を発することはなかった。これからぼくがやろうとしていることを考え、心配してくれているのかもしれない。
舞台で行われている子供向け番組の出張イベントが終わると、いよいよ施設の子供たちによる合唱の準備へと切り替わる。開始は四時で、そこから二十分ほどの合唱が終わると、カップルお待ちかねのツリーのライトアップだ。
ぼくはステージ正面に移動し、準備を待つ。侭さんの友人が、頼んだ通りに動いてくれることを祈ろう。
そしていよいよ、ステージの上に子供たちがスタンバイするために上がり始める。美果ちゃんもぼくが貸した上着を脱いで、階段を上った。子供ということでなかなか統率の取れていない動きではあったが、ようやく定位置につく。その時点で、観客の数人が気付いた。
「あのセンターの女の子だけ、服汚くねぇ?」
センターの女の子、それはソロパートを任されている美果ちゃんだった。彼女が着ている服は、アカサビさんが施設から持って来た衣装で間違いない。だから、ぼくはきっと後でこっぴどく怒られるだろうな。
ーーー『Master peace』でのこと。
美果ちゃんはぼくに、白は嫌いだと言った。
初め、それがなにを意味しているのかまったくわからなかったため、あらためてどういう意味かと聞いた。
すると、真っ白い衣装が嫌なのだと、そう答えたのだ。
そんな理由で?
思わず呆れ、実際にそう言ってしまったぼくは、しかし次に美果ちゃんが言ったことを聞いて、ひどく後悔した。
「白は嫌い。お母さんを連れて行ったから。だって、約束したもん。クリスマスは一緒だよって。それなのに、病気のせいでいまは一緒にいられない。だから、白は嫌いっ」
美果ちゃんは涙声でそう訴えた。
ぼくは、知らなかったんだ。どうして美果ちゃんが施設で生活しているのかということを。
美果ちゃんのたった一人の家族であるお母さんは病気で、一緒に暮らすことができない状態にある。だから、現在は施設暮らしを余儀なくされたのだ。
子供とは感覚で生きるものだ。色の持つイメージも同じ。
白が嫌いと言った美果ちゃんが、その色に抱いたイメージ。それは恐らく、病院。母親が入院することになった病院を連想させる色だから嫌いなのだろう。母親と約束していたクリスマスを過ごせなくなったにも関わらず、母の病気を思い出す白い衣装を着てクリスマスにステージに立たなければならないことを考え、美果ちゃんは我慢できなくなって逃げ出したのだろう。
だが、歌うことは本来は好きなんだ。合唱だって、本当はやりたい。それでも、白は着たくない。その思いに耳を傾けようとせず、頭でっかちに孤立しているだけだと決めつけてかかった施設の職員たちがいた。そのせいで美果ちゃんは、ライズビルから逃げる道を選んだんだ。
「だったら、そんなイメージは塗り替えるしかない」
ぼくは決心を固めていた。誰かに怒られ、非難されることなど、まるで気にならない。
困惑したように首をひねる美果ちゃんに、ぼくは言った。
「美果ちゃん。あの真っ白い衣装を一緒に塗り替えよう!」
ーーーそして、現在に至る。
ステージ上に立つ美果ちゃんの衣装は、形こそ周りの子供たちと同じタートルネックのシャツにパンツルックだが、その色は漆黒に染まっていた。
その姿を見た施設の指導員たちは血相変えて舞台に上がろうとする。だが、それを止めたのは中上さんだった。
ショウ・マスト・ゴー・オンというやつだろうか。すでにステージの上では歌い手である子供たちが、観客の前に姿を見せてしまった。どのような問題が起きたって、やり通すしかない。
それでいい。
スピーカーから一曲目の曲が流れ、ざわつく会場をよそにクリスマスソングの『もろびとこぞりて』が流れた。スローな曲が多いクリスマスキャロルの中では、比較的アップテンポな曲で知られるこの歌だが、その一曲目が終わっても、人々のざわめきは収まらなかった。行われる合唱曲は全部で三曲。残りは二曲だ。次に流れてきたのは『きよしこの夜』。一曲目同様にタイトルとなっている歌詞から始まるこの曲は、スローな調子で歌い上げられる。子供たちの練習の成果か、聞いていてとても心の癒される歌声だ。この頃になると、美果ちゃんの服の色があまり気にならなくなってきたようだ。観客も純粋に子供たちの歌声に聞き入っていた。
そして、いよいよ三曲目というところで、いよいよ動き出す。
それまで店内の明かりに加え、ステージを照らすスポットライトまでたかれていた会場が、一気に明かりを落とし暗闇に包まれる。といっても、一寸先すら見えないような暗闇ではなく、足元が見える程度にはライトが点灯していた。会場は驚き混乱に包まれるかと思われたが、ツリーのライトアップイベントの際に、ツリーの周辺の明かりが消されることは事前に知らされていたことなので、大きな騒ぎにはならなかった。それでも、予定ではまだ子供たちの合唱の時間。戸惑いの声と、ステージ上ではトラブルにはしゃぐ子供たちの声がした。
そんな中、伴奏もない状態で歌い出す、一人の少女の歌声が聞こえてきた。その歌声は、周りで騒ぐ子供たちを黙らせ、会場の喧騒すらかきけした。
ーーー本当に、澄みきった歌声だ。
彼女が歌い出した歌は、あの嘘を吐くと鼻が伸びる人形のアニメーション映画に出てくる、指南役のコオロギが歌い上げた名曲。
(輝く星に、心の夢)をという歌詞から始まるその歌の名は、『星に願いを』。
なんの光源もない暗闇に包まれたステージ上で歌い続ける少女は、いったいなにを願おうとしていたのだろうか。
ぼくは、初めて少女を見かけたときのことを、いまでもはっきりと覚えている。彼女はこのライズビルの二階の手すりから身を乗りだそうとして、必死に手を伸ばしていた。届くはずもないクリスマスツリーのその先端ーーー輝く星に。
ぼくは、ステージを照らすために用意されている六つのスポットライトの内、正面のライトの脇に立った。そこでスタンバイしていた、侭さんの友人であるライズビルのスタッフさんに、あらかじめ説明していた通りに動いてもらう。用意してきた物を取り出すと、それを手渡した。
「ーーー君。最終確認だけど、これで照らせばいいんだね?」
「ええ、お願いします。勝手言ってすみません」
「いいよ。観客盛り上がってるみたいだし。それに、俺もなんだか、昔に戻ったみたいでわくわくする」
流石は侭さんの知り合い。昔は色々な悪事……悪戯を行ってきたのだろう。
それにしても、侭さんには後であらためてお礼を言わないといけないな。今回の一件、ぼくの無茶な要求を通そうとしてくれたのは、美果ちゃんの母親が病気だと聞いて、見過ごせないと感じたからだろう。本当にありがたい。
そして歌は進み、(光り照らしてくれるでしょう)という歌詞を美果ちゃんが口にしたところで、正面のスポットライトだけ明かりを点けてもらう。
すると、次の瞬間、会場からは思わずこぼれたようなため息がこぼれる。それは、マイナスの感情からくるものではなく、その光景の美しさに見とれたために、こぼれたため息だった。
美香ちゃんの胸元、真っ黒い服の上に、小さな星の形をした光が照らされていた。彼女がどれだけ腕を伸ばしても、ツリーの星には手が届かない。それなら、星を彼女の下に届けてやればいい。そう思い、ぼくが使ったのはステンシルアートで使用する板。本来は切り抜いた紙を壁などに貼り付け、その上からインクを吹き付けることで手軽に絵を描き出すことができるステンシルアート。今回は、それをインクではなくスポットライトから放たれる光を通すことに使ったのだ。
ステンシルアートを得意とする与儀さんの店には、プレートの材料の紙が沢山ある。その紙に美果ちゃんの服同様に、黒いスプレーインクを吹き付けることで、光を遮断する効果が発生する。そして、その紙の中心部に子供の手のひらほどの星形の切り抜きをすることで、完成。それをスポットライトの光源の部分に貼り付ければ、光は切り抜かれた箇所だけを通り、星形になって照らす。美果ちゃんの服を黒く塗ったことで、その星の形をした光がとても綺麗に映り、幻想的に見えた。
他の子供たちも、美果ちゃんに倣うように歌い始め、合唱の体を取り戻す。すると、この盛り上がりを見逃さずに、歌の途中でツリーのライトアップも行われる。薄暗い会場にそびえ立つツリーが下方向から四ヶ所ライトアップされる。そのツリーの先端にある、薄透明な黄色ガラス製の星が、光を捉えて乱反射することで、会場に光の粒が降り注ぐ。この一つ一つの星の光が、ここに集まった大勢の人の願いを叶えればいいのに。もちろん、美果ちゃんの願いも含めて。
ーーーいや、きっと叶うはずだ。だって、(祈ればいつか叶うでしょう)って、歌っていたから。
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