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モロビトコゾリテ
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美果ちゃんを連れて部屋を出ると、そこにはアカサビさんと、児童指導員の中上さんが立っていた。丁度いい。ぼくは、美果ちゃんの外出許可を中上さんに申し出た。だが、快諾してはもらえなかった。それはなにも、ぼくが見るからにロリコン趣味のオタク野郎だからというわけではないらしい。どうやら、クリスマスということで夕方から施設のイベントで子供たちは出かけることになっているらしい。
「その時間までに戻ればいいだろう?」
アカサビさんがそう言って、ぼくの援護をしてくれた。
そのお陰で、渋々ながら中上さんは許可を出してくれた。条件は、昼の三時にライズビルに美果ちゃんを連れて来ることだった。ぼくはその条件を受け入れながら、そういえば昨日、美果ちゃんを発見したのもライズビルだったと思い出していた。あの大きなツリーが一望できる吹き抜けの二階フロアで、美果ちゃんは身を乗り出していたため、ぼくは飛び降りるつもりなのかとヒヤヒヤしたのを覚えている。
約束を取り付けたぼくは、美果ちゃんとアカサビさんの二人を連れて施設を後にした。
さっきから気になっていたことがあって、ぼくは隣を歩くアカサビさんに聞いた。
「良かったんですか? もっと話していても良かったのに」
「変な気遣いはいらねえよ。話したければ、あそこに戻ればいつでも話せるんだ」
だが、いままでアカサビさんは、何年間も自分の育った施設、言うなれば家に帰ろうとしなかった。彼は口にしないが、それは恐らく、以前話してくれた、自分のために命を落とした警察官の事件が関係しているのだと、ぼくは勝手に想像した。彼の中でその事件に一区切りついたから、今日は一緒についてきてくれたのだろうか。流石にそこまでのことはわからなかった。
「そんなことより間久辺。どこに行くつもりなんだ?」
ぼくは頷き、答える。
「でっかいキャンバスがある場所さ」
「ーーー焦ったぜ」
そう言って安堵の息を吐き出したアカサビさん。
「でっかいキャンバスとか言い出したときは、白昼堂々壁に落書きするつもりなのかと思ったじゃねえかよ」
「……アカサビさんは、ぼくがそんな非常識な人間だと思っていたんですか? だとしたらショックですよ」
「過去の自分を振り返ってみろバカ野郎。頭に血が昇ったら無茶ばかりするくせによ」
興奮気味にアカサビさんが言うと、
「ーーーまったくその通りね」
そう答えたのは、与儀さんだ。
アカサビさんと美果ちゃん、そしてぼくの三人は与儀さんの店、『Master peace』にやってきていた。
「っていうか、いきなり店にやってきてなんなのよ。今日はクリスマス当日だし、バイト入れないであげたのに、なんでわざわざ来るわけ? しかも、昨日一緒だった女の子とアカサビまで連れて。どんな異色のトリオよ」
与儀さんに事情だけ簡単に説明した。
美果ちゃんが『喜楽園』という施設で生活している子供であることを。そして、折り合いが悪いのか、施設に馴染めず逃げ出そうとしていたことを。
すると与儀さんは、「そういえば」と思い出したように口を開いた。
「今日の夕方、ライズビルにあるクリスマスツリーがライトアップされるんだけど、そのイベントの一環として子供合唱団がクリスマスソング歌うらしいのよね。その子供たちが、確か『喜楽園』って施設の子供たちだったはずだわ」
ぼくは、驚いて美果ちゃんの方を見た。だが、彼女はなにも語ろうとはしない。次にアカサビさんに目をやると、彼は児童指導員の中上さんから聞いていたのか、「そうだ」と答え、頷いた。
そしてぼくは、廣瀬と中西の二人と一緒に見たアイドルのミニライブを思い出した。その会場側に書かれていたインフォメーションに、子供合唱団によるクリスマスソングという案内が今日予定されていた。あれはこの子たちが歌う予定になっていたのか。
つまり、中上さんが早く帰って来るようにと言った理由は、そのイベントに遅れないためだったのだ。
「これは、確かに遅れる訳にはいかないな。ぼくの勝手で連れ出したんだしね」
そう一人呟くと、アカサビさんは手にした荷物を掲げて、ぼくに言った。
「衣装なら持って来てあるから、直接ライズビルに向かえるぞ。位置的に、施設に戻っていたら時間の無駄だからな」
なんて用意がいいんだ、と感心していると、すぐ真横に立ったアカサビさんは、ぼくにだけ聞こえる声で事情説明をする。
どうやら、美果ちゃんは今回の合唱に参加したくないらしい。歌が苦手なのかと思ったが、そうではないらしい。彼女は歌がとても上手く、ソロパートまで割り振られていたらしい。
つまり、美果ちゃんは最近まで練習に参加していたようなのだ。少しずつ施設の子供たちに心を開き始めた姿を見て、指導員たちは安心していたのだという。だが、イベントが近付くと、施設にやって来たばかりの頃のように、再び心を閉ざしてしまったようだ。そして、練習にも参加しなくなってしまった。
いくら言っても聞かない美果ちゃんに、施設の職員数人が、半ば強引にライズビルに彼女を連れて行ったらしい。そこで、イベントの準備が進んでいることを見せ、急に止めるなんて言ったら、多くの人が迷惑するのだと説いた。それが昨日のことだった。結果、美果ちゃんは逃げだしたのだ。
指導員たちは、美果ちゃんの扱いに困った。そこに現れたのが、ぼくたちだった。中上さんの目には、どうやらぼくと美果ちゃんが仲良く話しているように見えたらしく、美果ちゃんを合唱に参加させるようにアカサビさんを通して頼んできたのだ。
「……そんな無茶な。出たくないって子を出すなんてぼくにはできませんよ」
「オレだって断ろうとしたさ。だけど、あの施設には世話になったし、断れなかったんだよ。それにほら、合唱のときに着る衣装も渡されちまったし」
袋の中から取り出されたのは、真っ白いタートルネックのセーターに、白いパンツ。クリスマスの雪をイメージしたような、純白の衣装だ。
「あんたたち、子供放っておいてなにやってるのよ!」
与儀さんに怒られ、美果ちゃんを見ると退屈そうに店の中を見ていた。
ぼくは慌てて側に寄り、言った。
「あー、駄目だよ美果ちゃん。この店は子供が見ていいような道具は置いてないんだよ。R指定だから」
「人の店をアダルトグッズの店みたいに言うな!」
与儀さんの怒りに反省した素振りを見せながら、ぼくは美果ちゃんの目の前でしゃがみ込む。
「ここのお姉さんが、いっぱいお絵描きさせてくれるって。良かったね」
そう言ってから、立ち上がり、与儀さんの方を見る。
「そういう訳で、奥の部屋貸して下さい与儀さん」
「相変わらず変なところで図々しいわねあんた」
やれやれと首を振りながら、それでもノーと言わないのは、日本人特有の気質。いや、彼女の優しさだろう。
「好きに使っていいわよ」
そう言われ、通された先はプロのライターである与儀さんがアトリエとして使用している部屋だ。ついこの間、ぼくが掃除したばかりなのに、いつの間にか荷物と作品が無造作に置かれている。
まあいいや。それよりも、いまは美果ちゃんのことだ。
「ねえ美果ちゃん。お絵描きは好き?」
「……別に」
不貞腐れたような態度を取られる。施設の中上さんは、本当に美果ちゃんがぼくになついていると思ったのだろうか。まあ、それでも任されたからにはやれることをやろう。
「よーし、それじゃあお兄ちゃんがとっておきの技を披露するよ! 刮目あれ!!」
そう言ってチラッと背後を盗み見ると………見向きもしてないよ。なにこれ、完全に舐められてるよぼく。
まあいいさ。絵里加にだって、小さい頃からずっと舐められっぱなしだし、そういうのには慣れている。
ふう、と一回息を吐き出し、自分の中でスイッチを切り替える。頭の中でイメージを固定化させ、スプレー缶を手にする。脳内のイメージにどこまで体がついてくるかが勝負だ。
まずは下地となる肌色を太い線の描けるキャップで、壁に立て掛けられているベニヤ板の中心に大きく吹き付けていく。目立つビビッドカラーを用いることが多いグラフィティでは、本来、それぞれ色を塗る箇所を枠線で区別し、色が重ならないようにする。クオリティの高い作品を生み出す与儀さんを含むプロのライターは、マスキングテープなんかを使ってはみ出しても大丈夫な準備をしたりするんだけど、イリーガルなグラフィティになるとそんな暇はないので、弱い色の場所から色を付けていき、段々と濃い色を吹き付けていくという風に、順番を工夫する。そうしなければ、色が重なったときに下の色が自己主張を初めてしまうのだが、そろそろ完成しそうなので細かい話はこの変で終わりにしよう。
「ーーーほらね、出来上がり!」
そこには、鼻の伸びた人形が驚いた表情になりながらも、どこかコミカルな雰囲気を醸している"キャラクター"が完成する。
振り返ると、さっきまで素っ気ない態度でよそ見していた美果ちゃんの姿はなく、慌てて周囲を見渡すと、いつの間にかぼくのすぐ隣に立って、目を輝かせていた。
ぼくと目が合うと、口角をあげ、両手をパンパンと打ち鳴らしながら「すごいすごいっ!」と惜しみ無い称賛の言葉をくれる。
ぼくは安心していた。
自分の絵が認められたことにではない。美果ちゃんにも子供らしい側面がしっかりあるのだということがわかって、安堵したのだ。
なぜぼくが、偶然見かけた少女にここまで固執するのか、アカサビさんは理解できないようだった。
だけど、ぼくから言わせれば、周囲の人の方が理解できない。
小さな女の子が、行く当てもないまま一人で逃げ出そうとしていた。ぼくがあの子を見つけたとき、その短い手足を精一杯使って、二階の手すりから身を乗りだそうとしていた。まるで、なにかにすがり付くように、必死に手を伸ばして……
だから、追っていた男たちが施設の職員だとわかっても気になってしまい、今朝様子を見に行ってみれば、あの子は同年代の子供の輪に入ろうともせず、どこか周囲とは違う雰囲気を放つように孤立していた。
だからぼくは、ほんの少しではあるが、子供らしい部分がこうして見られて、とても安心したんだ。
「さて、ここからは机の上で一緒にお絵描きだ。ねえ美果ちゃん。描いてほしいものとかあったらなんでも言って。描いてあげるから」
ぼくは、色鉛筆とスケッチブックを与儀さんから借り、それを机の上に広げる。美果ちゃんは子供向けアニメのキャラクターを次々にリクエストしてきて、それに応えるように絵を完成させる度に喜んでくれるものだから、ぼくも嬉しくなって絵を描き続けた。
美果ちゃんにも色鉛筆を渡し、一緒になってお絵描きをしていると、時間が経つにつれて段々と乗り気になってきたのか、子供向けアニメのテーマソングを鼻歌で歌い出した。
「ねえ、お絵描き楽しい?」
ぼくの質問に、今度は「うんっ」と弾む声で答えた彼女。
ぼくは続けざまに、こう質問した。
「それじゃあ、歌は嫌いなの?」
そう聞くと、一瞬だけ驚いたような表情になり、すぐに顔を伏せてしまう。せっかく笑顔を見せてくれたのに、再び心を閉ざしたように顔を強ばらせ、動かしていた手も止まる。
せっかく仲良くなりかけたのに、踏み込むべきではなかっただろうか。あるいは、早まっただろうか。
だけど、ついさっきまで無意識とはいえ鼻歌を歌っていた彼女が、合唱に出ることにそれほど嫌悪感を持っているとは思えなかった。では、大勢の人の中で歌うことが嫌だったのだろうか。それなら、話であったように練習自体にも参加していないはずだ。
つまり、どこかのタイミングで本番に出たくない要因が発生したと考えるべきだろう。
だからぼくは、引くことを考えずに問い続けた。
「ねえ。どうして、合唱に出ないの?」
それはつまるところ、核心に迫る質問であった。
美果ちゃんはなぜライズビルで職員たちから逃げ出したのか。考え方を変えると、なぜライズビルから逃げ出さなければならなかったのか、と言い換えられるかもしれない。
『喜楽院』という児童養護施設から逃げ出すことが彼女の目的なのだとしたら、いつでもそれは可能だっただろう。今朝、彼女の暮らす施設を見て思ったが、出入口に鉄の門扉はあるものの、完全に閉鎖され外部と遮断さている訳ではない。それに、彼女が読書をしていた部屋。そこに指導員の姿はあったが、美果ちゃんを特別監視しているようには思えなかったし、それこそトイレなどを理由に部屋を出て、隙をついて建物の外に出ることくらい可能なはずだ。もしも日頃からそういった失踪騒ぎを起こすような児童なら、さっきだって監視は強化されていて然るべきなのに。
だとすると、昨日、ライズビルから失踪した理由には、あの場所自体が大きく関係していることになる。
ライズビルと彼女の関係と言えば、それは今日の夕方に行われるという施設の子供たちによる合唱だろう。
だからぼくは美果ちゃんに聞いたんだ。合唱する舞台を見させられ、逃げ出したくなるほどに歌いたくないのかって。それなら、強要する権利など誰にもないはずだ。ぼくは彼女の気持ちを尊重しよう。
そう決意し、まっすぐに美果ちゃんを見つめる。俯く彼女の頭部を眺めながら、返ってくるともわからない答えをただじっと待ち続けた。
すると、その頭が動いた。ふるふると、力強く横に揺れる。
「……歌は、好き。合唱だって嫌いじゃないもん」
そして美果ちゃんは、顔を上げると、いまにも泣き出しそうな表情でこう言った。
「白は、嫌い!」
「その時間までに戻ればいいだろう?」
アカサビさんがそう言って、ぼくの援護をしてくれた。
そのお陰で、渋々ながら中上さんは許可を出してくれた。条件は、昼の三時にライズビルに美果ちゃんを連れて来ることだった。ぼくはその条件を受け入れながら、そういえば昨日、美果ちゃんを発見したのもライズビルだったと思い出していた。あの大きなツリーが一望できる吹き抜けの二階フロアで、美果ちゃんは身を乗り出していたため、ぼくは飛び降りるつもりなのかとヒヤヒヤしたのを覚えている。
約束を取り付けたぼくは、美果ちゃんとアカサビさんの二人を連れて施設を後にした。
さっきから気になっていたことがあって、ぼくは隣を歩くアカサビさんに聞いた。
「良かったんですか? もっと話していても良かったのに」
「変な気遣いはいらねえよ。話したければ、あそこに戻ればいつでも話せるんだ」
だが、いままでアカサビさんは、何年間も自分の育った施設、言うなれば家に帰ろうとしなかった。彼は口にしないが、それは恐らく、以前話してくれた、自分のために命を落とした警察官の事件が関係しているのだと、ぼくは勝手に想像した。彼の中でその事件に一区切りついたから、今日は一緒についてきてくれたのだろうか。流石にそこまでのことはわからなかった。
「そんなことより間久辺。どこに行くつもりなんだ?」
ぼくは頷き、答える。
「でっかいキャンバスがある場所さ」
「ーーー焦ったぜ」
そう言って安堵の息を吐き出したアカサビさん。
「でっかいキャンバスとか言い出したときは、白昼堂々壁に落書きするつもりなのかと思ったじゃねえかよ」
「……アカサビさんは、ぼくがそんな非常識な人間だと思っていたんですか? だとしたらショックですよ」
「過去の自分を振り返ってみろバカ野郎。頭に血が昇ったら無茶ばかりするくせによ」
興奮気味にアカサビさんが言うと、
「ーーーまったくその通りね」
そう答えたのは、与儀さんだ。
アカサビさんと美果ちゃん、そしてぼくの三人は与儀さんの店、『Master peace』にやってきていた。
「っていうか、いきなり店にやってきてなんなのよ。今日はクリスマス当日だし、バイト入れないであげたのに、なんでわざわざ来るわけ? しかも、昨日一緒だった女の子とアカサビまで連れて。どんな異色のトリオよ」
与儀さんに事情だけ簡単に説明した。
美果ちゃんが『喜楽園』という施設で生活している子供であることを。そして、折り合いが悪いのか、施設に馴染めず逃げ出そうとしていたことを。
すると与儀さんは、「そういえば」と思い出したように口を開いた。
「今日の夕方、ライズビルにあるクリスマスツリーがライトアップされるんだけど、そのイベントの一環として子供合唱団がクリスマスソング歌うらしいのよね。その子供たちが、確か『喜楽園』って施設の子供たちだったはずだわ」
ぼくは、驚いて美果ちゃんの方を見た。だが、彼女はなにも語ろうとはしない。次にアカサビさんに目をやると、彼は児童指導員の中上さんから聞いていたのか、「そうだ」と答え、頷いた。
そしてぼくは、廣瀬と中西の二人と一緒に見たアイドルのミニライブを思い出した。その会場側に書かれていたインフォメーションに、子供合唱団によるクリスマスソングという案内が今日予定されていた。あれはこの子たちが歌う予定になっていたのか。
つまり、中上さんが早く帰って来るようにと言った理由は、そのイベントに遅れないためだったのだ。
「これは、確かに遅れる訳にはいかないな。ぼくの勝手で連れ出したんだしね」
そう一人呟くと、アカサビさんは手にした荷物を掲げて、ぼくに言った。
「衣装なら持って来てあるから、直接ライズビルに向かえるぞ。位置的に、施設に戻っていたら時間の無駄だからな」
なんて用意がいいんだ、と感心していると、すぐ真横に立ったアカサビさんは、ぼくにだけ聞こえる声で事情説明をする。
どうやら、美果ちゃんは今回の合唱に参加したくないらしい。歌が苦手なのかと思ったが、そうではないらしい。彼女は歌がとても上手く、ソロパートまで割り振られていたらしい。
つまり、美果ちゃんは最近まで練習に参加していたようなのだ。少しずつ施設の子供たちに心を開き始めた姿を見て、指導員たちは安心していたのだという。だが、イベントが近付くと、施設にやって来たばかりの頃のように、再び心を閉ざしてしまったようだ。そして、練習にも参加しなくなってしまった。
いくら言っても聞かない美果ちゃんに、施設の職員数人が、半ば強引にライズビルに彼女を連れて行ったらしい。そこで、イベントの準備が進んでいることを見せ、急に止めるなんて言ったら、多くの人が迷惑するのだと説いた。それが昨日のことだった。結果、美果ちゃんは逃げだしたのだ。
指導員たちは、美果ちゃんの扱いに困った。そこに現れたのが、ぼくたちだった。中上さんの目には、どうやらぼくと美果ちゃんが仲良く話しているように見えたらしく、美果ちゃんを合唱に参加させるようにアカサビさんを通して頼んできたのだ。
「……そんな無茶な。出たくないって子を出すなんてぼくにはできませんよ」
「オレだって断ろうとしたさ。だけど、あの施設には世話になったし、断れなかったんだよ。それにほら、合唱のときに着る衣装も渡されちまったし」
袋の中から取り出されたのは、真っ白いタートルネックのセーターに、白いパンツ。クリスマスの雪をイメージしたような、純白の衣装だ。
「あんたたち、子供放っておいてなにやってるのよ!」
与儀さんに怒られ、美果ちゃんを見ると退屈そうに店の中を見ていた。
ぼくは慌てて側に寄り、言った。
「あー、駄目だよ美果ちゃん。この店は子供が見ていいような道具は置いてないんだよ。R指定だから」
「人の店をアダルトグッズの店みたいに言うな!」
与儀さんの怒りに反省した素振りを見せながら、ぼくは美果ちゃんの目の前でしゃがみ込む。
「ここのお姉さんが、いっぱいお絵描きさせてくれるって。良かったね」
そう言ってから、立ち上がり、与儀さんの方を見る。
「そういう訳で、奥の部屋貸して下さい与儀さん」
「相変わらず変なところで図々しいわねあんた」
やれやれと首を振りながら、それでもノーと言わないのは、日本人特有の気質。いや、彼女の優しさだろう。
「好きに使っていいわよ」
そう言われ、通された先はプロのライターである与儀さんがアトリエとして使用している部屋だ。ついこの間、ぼくが掃除したばかりなのに、いつの間にか荷物と作品が無造作に置かれている。
まあいいや。それよりも、いまは美果ちゃんのことだ。
「ねえ美果ちゃん。お絵描きは好き?」
「……別に」
不貞腐れたような態度を取られる。施設の中上さんは、本当に美果ちゃんがぼくになついていると思ったのだろうか。まあ、それでも任されたからにはやれることをやろう。
「よーし、それじゃあお兄ちゃんがとっておきの技を披露するよ! 刮目あれ!!」
そう言ってチラッと背後を盗み見ると………見向きもしてないよ。なにこれ、完全に舐められてるよぼく。
まあいいさ。絵里加にだって、小さい頃からずっと舐められっぱなしだし、そういうのには慣れている。
ふう、と一回息を吐き出し、自分の中でスイッチを切り替える。頭の中でイメージを固定化させ、スプレー缶を手にする。脳内のイメージにどこまで体がついてくるかが勝負だ。
まずは下地となる肌色を太い線の描けるキャップで、壁に立て掛けられているベニヤ板の中心に大きく吹き付けていく。目立つビビッドカラーを用いることが多いグラフィティでは、本来、それぞれ色を塗る箇所を枠線で区別し、色が重ならないようにする。クオリティの高い作品を生み出す与儀さんを含むプロのライターは、マスキングテープなんかを使ってはみ出しても大丈夫な準備をしたりするんだけど、イリーガルなグラフィティになるとそんな暇はないので、弱い色の場所から色を付けていき、段々と濃い色を吹き付けていくという風に、順番を工夫する。そうしなければ、色が重なったときに下の色が自己主張を初めてしまうのだが、そろそろ完成しそうなので細かい話はこの変で終わりにしよう。
「ーーーほらね、出来上がり!」
そこには、鼻の伸びた人形が驚いた表情になりながらも、どこかコミカルな雰囲気を醸している"キャラクター"が完成する。
振り返ると、さっきまで素っ気ない態度でよそ見していた美果ちゃんの姿はなく、慌てて周囲を見渡すと、いつの間にかぼくのすぐ隣に立って、目を輝かせていた。
ぼくと目が合うと、口角をあげ、両手をパンパンと打ち鳴らしながら「すごいすごいっ!」と惜しみ無い称賛の言葉をくれる。
ぼくは安心していた。
自分の絵が認められたことにではない。美果ちゃんにも子供らしい側面がしっかりあるのだということがわかって、安堵したのだ。
なぜぼくが、偶然見かけた少女にここまで固執するのか、アカサビさんは理解できないようだった。
だけど、ぼくから言わせれば、周囲の人の方が理解できない。
小さな女の子が、行く当てもないまま一人で逃げ出そうとしていた。ぼくがあの子を見つけたとき、その短い手足を精一杯使って、二階の手すりから身を乗りだそうとしていた。まるで、なにかにすがり付くように、必死に手を伸ばして……
だから、追っていた男たちが施設の職員だとわかっても気になってしまい、今朝様子を見に行ってみれば、あの子は同年代の子供の輪に入ろうともせず、どこか周囲とは違う雰囲気を放つように孤立していた。
だからぼくは、ほんの少しではあるが、子供らしい部分がこうして見られて、とても安心したんだ。
「さて、ここからは机の上で一緒にお絵描きだ。ねえ美果ちゃん。描いてほしいものとかあったらなんでも言って。描いてあげるから」
ぼくは、色鉛筆とスケッチブックを与儀さんから借り、それを机の上に広げる。美果ちゃんは子供向けアニメのキャラクターを次々にリクエストしてきて、それに応えるように絵を完成させる度に喜んでくれるものだから、ぼくも嬉しくなって絵を描き続けた。
美果ちゃんにも色鉛筆を渡し、一緒になってお絵描きをしていると、時間が経つにつれて段々と乗り気になってきたのか、子供向けアニメのテーマソングを鼻歌で歌い出した。
「ねえ、お絵描き楽しい?」
ぼくの質問に、今度は「うんっ」と弾む声で答えた彼女。
ぼくは続けざまに、こう質問した。
「それじゃあ、歌は嫌いなの?」
そう聞くと、一瞬だけ驚いたような表情になり、すぐに顔を伏せてしまう。せっかく笑顔を見せてくれたのに、再び心を閉ざしたように顔を強ばらせ、動かしていた手も止まる。
せっかく仲良くなりかけたのに、踏み込むべきではなかっただろうか。あるいは、早まっただろうか。
だけど、ついさっきまで無意識とはいえ鼻歌を歌っていた彼女が、合唱に出ることにそれほど嫌悪感を持っているとは思えなかった。では、大勢の人の中で歌うことが嫌だったのだろうか。それなら、話であったように練習自体にも参加していないはずだ。
つまり、どこかのタイミングで本番に出たくない要因が発生したと考えるべきだろう。
だからぼくは、引くことを考えずに問い続けた。
「ねえ。どうして、合唱に出ないの?」
それはつまるところ、核心に迫る質問であった。
美果ちゃんはなぜライズビルで職員たちから逃げ出したのか。考え方を変えると、なぜライズビルから逃げ出さなければならなかったのか、と言い換えられるかもしれない。
『喜楽院』という児童養護施設から逃げ出すことが彼女の目的なのだとしたら、いつでもそれは可能だっただろう。今朝、彼女の暮らす施設を見て思ったが、出入口に鉄の門扉はあるものの、完全に閉鎖され外部と遮断さている訳ではない。それに、彼女が読書をしていた部屋。そこに指導員の姿はあったが、美果ちゃんを特別監視しているようには思えなかったし、それこそトイレなどを理由に部屋を出て、隙をついて建物の外に出ることくらい可能なはずだ。もしも日頃からそういった失踪騒ぎを起こすような児童なら、さっきだって監視は強化されていて然るべきなのに。
だとすると、昨日、ライズビルから失踪した理由には、あの場所自体が大きく関係していることになる。
ライズビルと彼女の関係と言えば、それは今日の夕方に行われるという施設の子供たちによる合唱だろう。
だからぼくは美果ちゃんに聞いたんだ。合唱する舞台を見させられ、逃げ出したくなるほどに歌いたくないのかって。それなら、強要する権利など誰にもないはずだ。ぼくは彼女の気持ちを尊重しよう。
そう決意し、まっすぐに美果ちゃんを見つめる。俯く彼女の頭部を眺めながら、返ってくるともわからない答えをただじっと待ち続けた。
すると、その頭が動いた。ふるふると、力強く横に揺れる。
「……歌は、好き。合唱だって嫌いじゃないもん」
そして美果ちゃんは、顔を上げると、いまにも泣き出しそうな表情でこう言った。
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