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続、青春×グラフィティ
9裏ー1
しおりを挟む俺は足を止め、振り返り廃工場の方を見た。もうかなり離れてしまっているため、どんなやり取りがされているのかわからないが、とにかく助かった。
前を走っていた木下と能田も、俺に釣られて走るのをやめた。
「どうしたんだよ、江津」
木下の問いに、俺は首をひねる。
というのも、さっきから考えているのだが、なにか釈然としない感じがしていた。
このもやもやした気持ちの訳を考える間もなく、能田が口を挟む。
「それにしても助かったな。ストリートジャーナルで有名な線引屋とアカサビがあんな所に偶然あらわれるなんて、ラッキーだ。これも、俺の日頃の行いがいいからかな」
そんな冗談を口にしながら、能田は密かに心の底から安堵の息を吐き出していた。
「……偶然、か」
俺はそう呟いてから、本当に、ただの偶然なのだろうかと考えた。
正直、黒煙団とはもう関わりたくないと伝えることで、先輩たちからリンチを受けるのではないかと、ある程度覚悟していた。実際、話の流れ的にそういう事態になりそうだった。
だが、血相変えて走る俺の姿を偶然見かけた木下と能田が、俺の後を追って助太刀に来てくれた。まあ、こいつらに関しては俺と同じく部活停止処分を受けて、毎日駅前をぶらぶらしていたみたいだから、それほど不思議に思うことではない。
問題はその後。
いきなり現れた喧嘩屋アカサビと線引屋。あれも偶然という言葉で片付けていいのだろうか。先輩たちは、線引屋の足取りを追ってあの廃工場に向かっていると電話で言っていたから、あの場所に線引屋がいること自体は不自然ではないだろう。
だが、それにしても、あまりにタイミングが良すぎではないだろうか。
これではまるで、俺が先輩たちと決別を果たす手助けをしてくれたみたいだ。
それを示すように、線引屋の仲間と噂される喧嘩屋アカサビが、まるで狙いすましていたかのように、俺に向けられたナイフを蹴り飛ばし、助けてくれた。
再び、俺は疑問に首をひねる。
アカサビと線引屋。あの二人が廃工場にいたのは、本当に偶然なのだろうか。
その疑問は、家に帰っても明確な答えを得られないままだった。
翌日、俺は学校に登校した。数日ぶりの登校に、周囲の目が冷ややかに感じるのは、決して自意識過剰ではないだろう。学校に来るという、ただそれだけのことがこれほどまでに憂鬱だと感じたのは、生まれて初めてだ。きっと、みんな俺のことをバカにしている。そんな風に思ったら、足に重りでもついたみたいに歩みが重たくなった。
昨日までの俺だったら、きっと耐えられなかっただろう。
俺は悪くないって被害者面して、他人のせいにして道を踏み外したままだったに違いない。それに気付かせてくれたのは、野球部の仲間や、木下、能田たちだ。
あいつらが居ると思うと、ほんの少しだけど気持ちが楽になった気がした。
教室に入ると、それまでざわついていた室内が一瞬静まり返った。
それはほんの刹那的なことだったが、間違いなく空気が変わったのがわかった。俺を見るなり近付いてきた木下と能田は、クラスの空気を察して気遣うように、不自然なくらい元気に挨拶してきた。
そんな二人に、「昨日はありがとう、助かったよ」
俺がそう返すと、木下と能田は、「当然のことをしただけだ」と言ってくれた。
つくづく俺は、友達に恵まれているな、と感じた。
それでも、二人が気遣ってくれたところで、教室内の空気が変わることはない。普段俺たちがクラスを引っ張っていることを影で面白く思っていない連中からしたら、立場を逆転する絶好の機会とでも思っているのかもしれない。
そのとき、教室の隅で、やたらと甲高いアニメ声の女が歌う着メロが大音量で鳴り響いた。
「あ、マナーモードにするの忘れてた」
そう言いながら、スマホを弄る間久辺を、バカにするようにくすくすと嘲笑がわきあがる。
ふと気付くと、さっきまで居づらい空気だった室内が、俺に対して柔らかくなった気がする。というよりも、嫌な視線を向ける矛先が俺から間久辺に向かったと言った方がいいだろう。
間久辺を見ると、ヤツは意にも介さずスマホを弄っていた。
これまでだったら、俺も一緒になってあいつをバカにしていただろうが、いまはそんな気になれなかった。
いまの着うただって、俺を排斥する空気が漂っているのを察知し、自分に向けるためにわざと鳴らしたんじゃないかと思えてしまう。
考えすぎと言われるかもしれないが、昨日、俺を呼び出したときの間久辺の様子を考えると、一概に俺の考えが間違っているとは思えなかった。
俺は一瞬迷ったが、意を決して間久辺に話しかけてみる。呼び掛けに顔を上げた間久辺に、昨日のことで礼を言った。もしも間久辺に呼び出され、学校に来ていなかったら、野球部の仲間をいつまでも信じられないままだっただろう。
だから俺は、間久辺の前に立ち、頭を下げた。
教室内がざわつき、何事かとこちらに注視しているのを感じた。
俺が頭を下げることがそんなにおかしいことなのだろうか。あるいは、その相手が間久辺だったから、驚かれているのか。
実際こいつ自身も、「そ、そんな、頭をあげてよ」と慌てふためいていた。
以前ならそんな態度一つ取っても、『情けないヤツ』とバカにしていたが、いまの俺の方がずっとダサくて情けない。だから、こんな自分を変えるためにも、スジを通す必要があった。俺なりのケジメの付け方として、頭を下げたまでのことだ。
そしてもう一つ、ケジメを付けなければいけないことがある。
そのために、もう一度俺は、頭を深く下げた。
「なあ、間久辺。もう一度俺に力を貸してくれないか? こんなこと頼むのは筋違いだってことはわかっているんだ。だけど、頼む」
そう。俺はどうしても、通さなければならない筋がもう一つある。
野球部の仲間たちに、このままでは合わせる顔がない。
間久辺は一頻り考えたあと、「ぼくで良ければ力になるよ」と言って、真っ直ぐに俺を見返した。
俺はそのとき、初めてまともに間久辺比佐志という一個人と対等に向き合った気がした。相変わらずオタクはキモいし、こいつのことを理解できるとは思えないが、そのことで相手を否定する権利なんて誰にもない。
野球を奪われ、周囲から遠巻きに見られたことで、俺はほんの少し間久辺の気持ちがわかった気がした。俺たちが虐げてきた日々を、こいつはどんな気持ちで過ごしていたんだろう。何度、教室に入るのを躊躇っただろうか。
考えただけで、申し訳ない気持ちになってくる。
それでも間久辺は、俺を助けようと動いてくれた。
そしていまも、身勝手な俺の頼みを聞き入れてくれようとしている。
どうやって俺が黒煙団に関わっていると知ったのかわからないが、こいつが良いヤツだってことはわかった。
放課後になり、俺は間久辺と一緒に教室を出た。扉を出る間際、ちらと背後を見ると、木下と能田が俺のことを気にかけるようにこっちを見ていたが、干渉はしてこなかった。事前に、「間久辺にしか頼めないことだから」と言っておいたのが利いたのだろう。
それとは別にもう一つ、石神とも目があった。
あいつは俺と目があうと、すぐに逸らして、自分は気にかけてなどいないという風を装っていたが、バレバレだ。
俺は前を歩く間久辺を見た。
こいつの絵のスキルは、文化祭のときに俺が押し付けた看板制作で証明されている。だから、その要領で俺が燃やしてしまった野球部の旗を書き直す手助けをしてもらいたいと思って、頼んだんだ。
間久辺は快く引き受けてくれ、昼休みに美術室に二人で行ってみたところ、
「やっぱりここじゃ道具が足りないか」と小さくもらした。
こいつが言うには、旗と同じような布はあるが、そこに描くためのインクがないのだという。雨風にある程度耐えられるものとなると、インクの種類も限られるようで、美術室に置いてある物では足りないという。
そして、間久辺に言われるままついてきた先は、駅の東口を出てすぐのアーティスト通りを抜けた先、歓楽街に通じる場所にひっそり佇む、『Master peace』という店名のアングラショップだった。
てっきりホームセンターにでも連れて来られるものだと思っていた俺は、このオタクからかけ離れた店内の雰囲気に圧倒される。
迷いなく店の奥へと進む間久辺に置いて行かれないように、後をついて歩くと、カウンターにほど近い売場には数多くのインク類が取り揃えられていた。スプレーインクなんかが多く見られる中で、間久辺は極太のマーカーと、顔くらいの大きさがある缶のペンキを選んでいた。
専門的なことはよくわからないため、俺は手持ちぶさたに店内をうろついていると、たばこをくわえた若い女性が店の奥から出てくるのが見えた。黒い前掛けをしていることから、店の店員であることは間違いないだろうが、それにしても店内で普通に喫煙するとか、何者なんだこの人は。
俺から遅れること数秒、しゃがみ込んでペンキを選んでいた間久辺は立ち上がると、その店員を見て言った。
「こんにちは、与儀さん」
「間久辺じゃない。どうしたのよ、今日は」
「買い物です。これとこれと、あとこれも」
そう言いながらカウンターにペンキとマーカー、そして太い絵筆のような物を置いた。
どうやら間久辺はこの人と知り合いみたいだ。
親しげに話していると、与儀と呼ばれた女性が俺の存在に気付いた。
思わず狼狽しながら、「あ、えと、俺、江津っていいます」と自己紹介をする。畜生、間久辺の野郎、こんな美人が出てくるなら事前に言っとけよ、緊張するじゃねえか。
間久辺はしどろもどろになる俺をフォローするように、「クラスメイトなんです」と補足した。
「それと与儀さん。お願いがあるんですけど、いまから、奥の部屋ってお借りできます?」
指差した先は、与儀という女性が出てきた店の奥だった。
普通に無理だろう、と思ったが、女性はあっさりオッケーした。
「あんたが連れてくるってことは、信用できる人間なんでしょう」
そう言って、俺を見る女性。思わず視線を逸らしてしまったのは、なにも彼女が美人だからという理由だけではない。
俺は少なくとも、間久辺に信じてもらえるような人間では決してない。
自分ではそう思っていたから、女性の問いかけに迷いなく「はい」と答えたのを聞いて、俺は思わずハッとして顔をあげる。
「それならいいよ。好きに使いな」
そう言って部屋の奥に通されても、俺は間久辺の言葉が頭の中で反芻していた。
どうしてだよ間久辺。
俺はお前をさんざんいじめてきた男じゃないか。
信用できるなんて、どうして言えるんだよ。
部屋の奥には数多くの絵が飾られていて、ペンキかなにかが飛び散ったような跡が数多く見られ、そこがアトリエかなにかだとわかる。
間久辺はブレザーを脱ぐと、ワイシャツ姿になって、腕捲りした。
なあ、どうしてなんだよ。
いまだって、俺がやらかした過ちの尻拭いをさせようとしてる。
そんな俺を、なんで信じられるんだよ。
内心では、燃やしてしまったこと自体を無かったことにしたいと思っていた。燃やしてしまった旗と遜色ない物を仕上げさせて、監督の所に持って行けば、罪は軽くなり、燃やしてしまったことを謝るよりも、許してもらえる確率が高いんじゃないかって、そんな最低なことを考えていたんだ。
そして、間久辺ならそれだけの物を仕上げられるのではないかとも思っていた。
昨夜から感じていた違和感。
俺にとって都合良く助けに現れた、喧嘩屋アカサビ。その側に立っていたのは線引屋だった。
そして、俺が黒煙団の先輩たちと一緒にクラブで襲撃した相手も、線引屋だ。
俺が抱いていた、二つの疑問。
なぜ、あんなにタイミング良くアカサビと線引屋は現れたのか。
そして、なぜ間久辺は、俺が黒煙団に入ろうとしていることがわかったのか。
その二つを結びつけた結果、俺は一つの仮説を立ててみた。
線引屋の正体。それが、間久辺であるという仮説だ。
もしも間久辺が線引屋なのだとしたら、直前まで俺と一緒にいたわけだから、あの廃工場に先輩たちをおびき寄せ、俺を助けるためにアカサビを呼び寄せることもできるだろう。
そして、線引屋が間久辺なのだとしたら、俺が黒煙団の先輩たちと一緒にいるところを、その目で確認したことになる。
そしていま、間久辺を見て、その仮説が確信に変わった。
本人は気付いていないだろうし、意識しなければ俺だって気付かなかっただろうが、間久辺の左腕に包帯が巻かれているのがワイシャツから辛うじて透けて見えていた。
それと全く同じ所を、線引屋がナイフで切りつけられる瞬間を俺は目の当たりにしている。
このB系の店と、店内に設置されたスプレーインクのコーナー。
そこに似つかわしくない間久辺の存在。一つ一つは結びつかないものだが、線引屋というキーワードを当てはめると、それらがすべて結びつく。
間久辺は過去の野球部の集合写真を見ながら、そこに写る旗を参考にして早速作業に取りかかる。美術室から持ってきた白い布を木の作業板に安全ピンで固定すると、極太マーカーで一文字目の枠線を引いていく。するとあっという間に『一球入魂』の『一』の文字が、枠組みだけ出来上がった。
すごい。
決心してから作業に入るまでが、恐ろしく早く感じた。
下書きもなにもしていないのに、写真を見ただけで全体のバランスや、そこから計算される文字の大きさまで正確に整っている。
旗なんて、そんなにじっくり見る物ではない。だから、こいつに任せれば、本当に監督にも気付かれないくらいの完成度が望めるかもしれない。
そうして感心している間に、次の文字に取りかかろうとする間久辺を見て、俺は思わず待ったをかけた。
振り返り、困惑したような顔を向けてくる間久辺。
「なにかおかしかった?」
そう言って自分の描いた線を不安そうに眺める。
「違うんだ。そうじゃない。そうじゃないんだ」
待ったをかけたのは、俺の方に問題があったからだ。
今回の一件、すべての始まりは、俺が石神に良いところを見せようと思って、調子に乗ってクラブになんて誘ったことがすべての元凶になっている。
そうだ、全部俺の身勝手が招いたことなんだ。
俺が尻込みして出来なかった石神救出も、野球部の仲間たちの思いも、黒煙団の先輩たちから締められそうになったときも、すべて力になってくれていたのが間久辺ーーー線引屋だった。
その上俺は、自分が燃やしてしまった旗までこいつに描かせようとして、自分のした罪から逃れることばかり考えている。そんなもの、ケジメを付けたなんて言わない。だから俺は、間久辺の隣に膝をつくと、言った。
「なあ、描き方、俺に教えてくれないか?」
その言葉に迷った様子を見せる間久辺。まあ、当然だろう。俺みたいなド素人に教えるよりも、自分で描いた方が簡単だし、完成度だって高い物が出来あがるだろう。だけど、それでもこれは、俺が描かないといけない物だ。下手くそでもなんでも、俺の手で描かないといけない。
「頼むっ、卑劣な俺に、せめてケジメを付けさせてくれっ!」
恥も外聞なく、俺は頭を下げた。
ここで罪から逃げ出したら、俺は一生このままだろう。
そんなのは嫌だと思った。
自分の愚かさとか不甲斐なさとか、周囲の人間の優しさが目まぐるしく頭の中を過って、俺は込み上げてきた涙を、必死で拭った。
涙を流す資格なんて、俺にはきっとない。
これまでしてきたことは、きっとこの程度のことで許されていいものではないはずだから。
だけど、間久辺はペンを俺に握らせると、言った。
「君が言っていることは正しいことだとぼくも思うよ。間違いを犯したとしても、それを償わないことの方が、ずっと卑劣だ。だから江津は、卑劣なんかじゃない。少なくともいまからやろうとしていることは、正しい行いなんだから。ぼくは、正しい人間が報われないのは嫌だ。だから、力になるよ」
俺は涙をこぼしながら、言葉にならない言葉で、何度も謝った。
そして、何度も何度も、「ありがとう」を口にする。
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