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続、青春×グラフィティ

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走るのは苦手だ。
というか、スポーツ全般苦手なんだが、いまはそんなこと言っている場合じゃない。
走り出した江津の姿はもう見えなくなっている。
ぼくも急いで行動を起こした。
江津の言う、ケジメを付けるというのはつまり、黒煙団との決別を意味しているのだろう。
それはいい。だけど、はいそうですかと許すほど黒煙団というチームが甘いとも思えなかった。
江津一人で行かせるのはあまりにも危険すぎる。そう思ったからアカサビさんの協力を取り付けようと思ったのだが、どうやら間に合わなかったみたいだ。

ぼくはとりあえず駅にやってきた。
隣街のチームである黒煙団が身を隠すのなら、間違いなく東口側に広がる不良たちのたまり場だろう。なんと言っても、黒煙団の連中は黒服で目立つから、あまり好き勝手歩き回って、マッドシティの不良たちを刺激したりはしないだろう。
だが、自分たちの思い通りにならなかったら、なにをするかわからない危険な連中であることは間違いない。
こうなったら、ぼくもなりふり構ってはいられないだろう。
まずは江津をチームに引き込もうとする黒煙団の連中をおびき寄せる必要がある。東口側と言っても広いから、しらみ潰しに探すのも限界があるだろう。
ただまあ、ヤツラの狙いはわかっているんだ。
それはぼくだ。ヤツラにとっては、線引屋という存在が邪魔なんだろう。そうとわかっていればおびき寄せることはそう難しくはない。ぼくがここにいる、と示せば、おそらく向こうの方から勝手にやって来てくれるだろう。

そもそも、走り回って探すなんていうのは、ぼくのやり方じゃない。スポーツマンじゃないからさ、方法なんて一つしか知らないんだ。
自己主張のためのグラフィティ。タグ。自分がここにいるという証。それを発見したら恐らく、ヤツラは線引屋を探して動き出すだろう。
しかし、それだけでは駄目だ。黒煙団の連中をおびき寄せることに成功しても、ぼくでは歯が立たないことは目に見えている。
今回、黒煙団の連中をこの街から遠ざけるためには、アカサビさんの手助けがどうしても必要なんだ。あの人の勇名は不良界では誰もが知るところ。そんなアカサビさんが姿を見せれば、黒煙団の下っ端連中ならホームに逃げ帰り、当面はこの街から手を引くことになるだろう。
だからこそ、アカサビさんにもグラフィティに気付いて、ぼくを追ってきてもらう必要があるんだ。
つまり、黒煙団の連中を誘い込みつつ、アカサビさんがぼくを追いかけるための道しるべとなる、大量のタグを打つ必要があるわけだ。
大量にタグを打つ行為を『キル』というが、まさにこれは、黒煙団を罠にはめ、この街から一掃するための手段。
ただ一つ問題があるとすれば……切りつけられた左腕が痛むということ。
普通にしていてもかなりの痛みを感じるというのに、グラフィティを描くのは無理だろう。利き腕は右だが、数を描く必要があるこの状況では、片腕だけで作業するのは時間が掛かりすぎる。
万全ではない状況で、大量のタグを短時間で残すとなると、やはり方法はこれしかない。
ぼくは鞄の中身をあさった。確か、まだ取り出してはいないはずだが。
あ、やっぱりあった。
鞄の中、ガスマスクやスプレーインクなどと一緒に入っていたのはステッカー。そこには『HELLO my name is 線引屋』の文字が書かれている。与儀さんがデザインしてくれた、一点物だ。
そういえばこれを受け取ったのは、奇しくも江津たちとクラブに行ったときだった。石神さん救出で役に立ってくれたステッカー。
「さあ、もう一度力を貸してくれよ」
そうしてぼくは、街中にやたらと見かける、怪しげな金融の張り紙や風俗看板の上から、ステッカーを手当たり次第に張り付けていく。
これなら人目さえ気にしていれば、一瞬で線引屋の痕跡を残すことができる。
ぼくは駅から東口方面に向けて、ステッカーを道しるべのように残していく。
やがて見えてきたのは、因縁とも言うべき場所、廃工場だ。
石神さんが黒煙団の連中に連れて来られたのが、この場所だ。ここなら、まず誰も近付こうとはしないだろう。
そうしてぼくは、敷地内に無造作に置かれたドラム缶の影に身を隠して時間が経つのを待った。かなりの時間が経過し、辺りも完全に夜の闇に包まれたが、それでも変化は訪れない。
こんなやり方では駄目だったのだろうか。詰めが甘かったのだろうか。
半ば諦めかけていると、事態は思いがけない方向へと動いた。

「おーい線引屋ー、どこだー」

おいおいおいおい!
緊張感なんてものをことごとく粉砕して現れたアカサビさん。御堂が必死に探して見つからなかったレアキャラがすんなり見つかっちゃったよ。
「こっちですこっち」
ぼくは小声でそう言いながら、手招きして急いであのKB(空気ブレイカー)を大人しくすることにした。
ぼくはアカサビさんの腕を引くと、そのままドラム缶の裏に引き寄せて身を隠させる。
「なんだよ、そんなに慌ててどうした?」
あなたこそ、緊張感どこに忘れてきた?って聞きたくなったが、まあ状況が理解できないのも道理だろう。
ここに来てくれただけでも感謝しなくては。
「お前、オレを探してたんだってな。お前のダチ、確か御堂とかいったか? 随分と俺を探し回っていたみたいて、街の連中、片っ端から聞いて回っていたみたいだぜ。お陰で、俺の耳にも入ってきてな、話を聞いたら線引屋が俺を探してるって言うじゃねえかよ。これは行くしかねぇってことで探していたら、線引屋の名前が書かれたシールが目に留まってな。こうしてやって来た訳だ。それで、俺になんの用事なんだ、間久辺」
さっそく本題に入ったアカサビさんに、ぼくは現状置かれている状況をかいつまんで説明した。

「ーーーなるほど、つまり俺は誰をぶっ殺せばいいんだ?」
「剣呑! もうちょっと穏やかに行きましょう」
「わかった、じゃあ俺は誰をぶっ飛ばせばいいんだ?」
「剣呑剣呑! そうやってなんでも暴力で解決しないで下さい」
「うるせぇな。それじゃあ俺になにをさせるつもりなんだよ?」
ようやく話を先に進めることができる。

そして、アカサビさんに今回の作戦について説明すると、「なんか役に立っている気がしねえんだが」とぼやいていた。だが、ぼくから言わせてもらえば、姿を見せるだけで相手が怖じけづくなら、その手を使わない理由がない。
あまり乗り気ではない、というか毒気を抜かれたように静かになったアカサビさんと二人で周囲の様子をうかがっていると、一言「来たな」と言って黙り込む彼。
それから遅れること数十秒、ぼくの耳にもアカサビさんと同じく、足音が聞こえるようになってきた。
つまり、この廃工場に向かって誰かがやって来たということになる。
足音は二つ、いや三つか。
静かな周囲に響いていた足音は、廃工場の門の前で止まると、話し声に変わる。
「本当に線引屋がここにいるのか? この場所って、前に黒煙団の先輩たちが問題起こした場所じゃん。そんな危険な場所にわざわざ線引屋がやって来るか?」
「知らねえよ。だけど、あのシールには線引屋の名前があったじゃねえかよ」
「確かにな。それに、昼間通ったときにはあんなシールなかった。つまり、それ以降に誰かに張られたってことだ」
ぼくは顔だけ覗かせて声の方を見た。三人の男のシルエットだけが辛うじて見える。薄暗くてよく見えないが、話の内容と遠目からでもわかる黒装束は、間違いなく黒煙団だろう。
取り敢えず、誘いに乗ってきたみたいだ。
隣を見ると、アカサビさんの眼光が一気に鋭くなったのがわかった。これが、最強の喧嘩屋の異名で不良たちから恐れられる彼の気迫。さっきまでの、気が抜けたような態度が嘘のように、研ぎ澄まされた刃の切っ先みたいに、鋭く尖っていた。
「……どうする、動くか?」
彼の言葉に、ぼくは待ったをかける。
「あいつらと決別したがっている人がいるんです。彼が、もうすぐケジメを付けにやって来るはずなので、それを待って下さい」
そう。大切なのは、江津本人の口から黒煙団とは関わらないことを口にしなければ、意味がない。いくらアカサビさんが脅して、黒煙団の下っ端連中を街から遠ざけることに成功したとしても、江津というパイプがこの街に存在するとなったら、黒煙団のヤツラ、江津を利用して今後もこの街にちょっかいを掛けてくるかもしれない。
それは絶対に許さない。
この街でぼくは、守りたいものが沢山できたんだ。それを傷つけようとするなら、ぼくはその相手と全力で戦おう。

そのとき、足音が一つ近付いてきたのがわかった。同時に、「お待たせしました、先輩」と、肩で息をする人物が現れる。暗闇にも目が慣れ、それが江津であることがわかった。
「おう、悪かったな江津、こんな場所まで。話があるって電話もらってから、線引屋の手がかり見つけたもんだからよ、移動移動でこんな所にきちまった。それにしてもなんだよ、気合い入ってるな。お前も線引屋殺す気まんまんじゃねえか。いいねぇ、この間のクラブでの失態は許してやるから、今度はしっかりやれよ」
そう言った男は、ぼくの腕をナイフで切りつけた男だ。確か名前は鬼頭といったか。
鬼頭は江津の様子をまじまじ見ると、言った。
「つーかお前、なに? 走って来たのかよ。息あがってるじゃねえか。そこまでしなくったってーーー」
鬼頭の言葉を奪うように、江津は、
「いえ、どうしても早く先輩たちに伝えたいことがあったんです」
そう言って、数回深呼吸を繰り返すと、それで呼吸を整え、次の言葉を口にした。
「俺、先輩たちとはもうつるめません」
黒煙団の三人組は、江津の言葉にそれぞれ反応した。その中でも、一際激しく怒りをあらわにしたのは、鬼頭だった。
「江津。お前、自分がなに言っているのかわかってんのか? やっぱりやめたいですって言われて、はいそうですかって俺たちが言うと思ったのかよ?」
「できればそうして欲しいんですけど、まあ無理でしょうね」
「当たり前だ! 舐めてんのかテメエ!!」
江津は深いため息をつくと、「それじゃあしょうがない」と言って、手を広げて無防備な体勢になった。だが、その目は決してなにかを諦めてはいなかった。
「殴りたければ殴れっ、それがケジメだって言うなら受けてやるさ!」
ぼくは、固唾をのんでその光景を見ていた。
これが、江津の言っていたケジメの付け方なのか。
鬼頭という男の恐ろしさは、ぼく以上に江津の方が理解しているはずだ。
それでも、彼はこういう形でケジメを付けることを選んだ。殴られてもいい、ボロボロにされても、黒煙団に、不良になどなりたくないと考え直したのだ。仲間を、野球部の部員たちを裏切りたくないと思ったから。
そんな江津の力になりたいと、心から思った。
「アカサビさんっ!」
ぼくは言葉と同時に、ガスマスクに手をかける。
黒煙団の連中に、思い知らせてやる。線引屋に関わったらどうなるか、その身に刻みつけるんだ。
そうすれば、連中の怒り、恨み、あるいは恐怖心は線引屋に向かうことになる。そういった負の感情すべてを、このマスクが受け持とう。喧嘩の弱いぼくが、それでも一筋縄ではいかない連中と対峙するための力。いまだって本当は恐ろしいけれど、そんな弱気な自分を隠すためにも、ガスマスクを被り、ぼくは恐怖と対峙する。それで守りたいものが守れるならば、考える余地などない。
そうしてぼくは、勢いよく立ち上がろうとすると、隣で控えていたアカサビさんに「……待てっ」と小さな声で、だけどはっきり止められる。
ぼくはその声に従いながらも、なにを迷うことがあるのか。こうしている間にも江津の身に危険が迫っていることに、懸念を示す。
しかし、すぐにアカサビさんが止めた理由がわかった。

二つの足音と、荒い息づかい。

江津が背中を向けている方向、廃工場の入り口辺りに、二つの影が現れた。
その足音に振り返った江津は、上ずったような声で、言った。
「木下、能田っ!?」
クラスメイトで、江津と仲の良い運動部二人がそこに立っていたのだ。
「なんでお前らがここに!」
驚きのあまり混乱した様子の江津に、二人は息を整える間もなく答える。
「駅前歩いてたら、お、お前が慌てて走ってく姿が見えたからな」
「そうだぜ。……ったく、俺らの連絡無視しやがって、どこでなにやってんのかと思ったら」

そうして、木下と能田は状況を精査して頷き合うと、両者ともに江津を見て一言、

「「助太刀するぜっ」」

二人の淀みない声が、冬空に響いて拡散した。
「なんなんだよ、テメエらっ、部外者はすっこんでろ!」
怒りに満ちた怒声をあげる鬼頭に、江津は背後の二人の姿をしっかりと視線で捉えてから、目の前の敵と対峙する。
そして、木下と能田、二人に負けないくらいはっきりとした口調で、答えた。

「俺の親友たちだっ!」と。

「はん、お寒い友情ごっこは見ててうぜえんだよ。思わずぶっ壊してやりたくなるくらいになっ」
鬼頭の言葉に、黒煙団の仲間二人が便乗して、小馬鹿にしたように笑った。
その嘲笑を、江津は見逃さなかった。
「先輩たち、なにがおかしいんですか? 俺はあんたらと同類だ、笑われたって仕方ない。周囲にこれだけ恵まれていたのに、あんたたちと同じく、道を間違えかけてしまった。だから、笑いたければ笑えばいいさ。だけど、こいつらのことを笑うのだけは許さねえ。木下も能田も、野球部のヤツラもみんな、俺みたいなバカを本気で心配してくれる、最高の仲間だ。ほんと、先輩たちは可哀想な人だよ。あんたたちは、高校やめてからずっと同じ道を歩いてきたはずだろう? それなのに、どうして友情を、ごっこ遊びなんて言って笑えるんだよ。あんたらの絆なんて、その程度ってことだろう?」
「うるせえ! 説教垂れてんじゃねえよ、ぶっ潰してやる!」
鬼頭の言葉を受けた江津は、隣にやって来ていた木下と能田に視線を送ると、その視線を黒煙団の連中に戻し、言った。
「やれるものならやってみろ! あんたら三人に俺たち三人が負ける道理なんて、これっぽっちもないんだよ!!」
その言葉を受け、我慢の限界に達したのか黒煙団の三人組が駆け出した。勢いに任せ、三人がそれぞれ江津、木下、能田の三人に殴りかかった。
どうしよう、助けないと。
そう思い、ぼくは今度こそ立ち上がってヤツラの前に姿を見せようと思った。少しでも気を散らせればいいと思ったのだが、その行動をアカサビさんの右腕が制する。
訳がわからず視線でアカサビさんに抗議を示すと、彼の瞳はまっすぐに乱闘を見定めながら、ぼくに一言こう言った。
「俺たちの出る幕じゃねえよ」と。
その言葉に、ぼくは改めて乱闘に目をやる。
殴りかかった黒煙団のバラバラな攻撃はすべてかわされ、逆に繰り出された反撃のカウンターパンチをそれぞれ受けた。
江津が嬉々としながら、「現役運動部舐めんなっ」と言うと、木下と能田が、「最近さぼりがちだけどな」「ファミレス行き過ぎてちょいぶよったわ」と答える。
「ったく、二人とも締まらねえこと言うなよ」
そう言いながら、江津が拳を二つ横に突き出すと、並んで立つ木下と能田がそれぞれ拳をぶつける。
アカサビさんが言いたいことがわかった気がした。
確かに、ここでぼくらが出ていくのは、野暮かもしれない。
ぼくは傲慢に、「彼を助ける」なんていう使命感で勝手に行動していたが、そんな必要はなかったのかもしれない。
江津には力になってくれるクラスメイトや、野球部の仲間が大勢いる。それは間違いなく、彼がこれまでの生活で築き上げたものに違いない。表向き、傲慢で嫌味なクラスメイトとしか考えていなかったが、その裏側で、彼は人知れず努力をしていたのだ。
現役高校生の、しかも運動部だけあって、三人は見事な動きで黒煙団にカウンターを入れると、すぐにもう一撃追加の拳をそれぞれ放った。
たった二発。だが、筋肉質な彼らの攻撃は、確実に黒煙団三人の顔面を捉え、脳を揺さぶられた反動かその場に倒れ込んだ。
そんな中でただ一人、鬼頭だけは崩れ落ちそうになる膝をギリギリで踏ん張らせ、その場になんとか立ちすがる。
意識をはっきりさせるために頭を数回振ってから、鬼頭は自分の膝を殴って踏ん張ってから、懐に手を入れる。
「ふざけやがって、テメエらぶっ殺すっ!!」
そう言って出されたナイフは、ぼくを切りつけたときと同じ物だった。
いきなり刃物を出され、木下、能田、そして江津も怯んだ様子を見せた。
誰だって刃物を出されれば怯えるのは当然だ。特に江津は、鬼頭という男なら本当にそのナイフで人を傷付けかねないことをよく知っている。
足を殴り付けた鬼頭は、それで踏ん張りが利くことを確認したのか、駆け出す一歩を踏み出した。
その動作と同時に、ナイフを握る右手を一番近場にいた江津に突き出した。
鬼頭はなにを仕出かすかわからない、とぼくも江津も理解していたはずなのに、本当の意味での危機意識が欠落していたのだろう。そういう意味では、どんなに不測の事態にも対応できるように構えていたのは、アカサビさんだけだった。
気が付くと、ぼくの隣にいたはずのアカサビさんは、すでに飛び出して鬼頭との距離を一メートルほどにまで詰めていた。恐らく、鬼頭が手を懐から出し、ナイフをちらつかせた時点で動き始めていたのだろう。さらに一歩分距離を詰めたアカサビさんは、右足を蹴り出し靴の底でナイフを持つ手首のあたりを的確に攻撃した。
すると、いきなり現れたアカサビさんと、その蹴りに虚をつかれた鬼頭は、簡単にナイフを手放し、銀色の凶器が地面に落ちる音が響いた。
そしてすぐに江津たちの方を見たアカサビさんは、「お前ら邪魔だ、振り返らず消えろ」と言った。
いきなり現れて助けられたことに戸惑っている様子の江津だったが、すぐに現れたガスマスク姿のぼくを見て、事態をなんとなく理解したようだ。
クラブで受けた襲撃。その報復のために線引屋がやって来たと思ったのだろう。
明らかに怯えた表情に変わる江津。正確には、ぼくというよりも、いきなり現れたアカサビさんの、見る者を圧倒する威圧感に怯んだ様子だった。
ぼくは顎をしゃくって、出口の方を示すことで、アカサビさんが言ったように「この場から立ち去れ」という意味を伝える。
どうやらその意図は曲解されることなく伝わったのか、見逃してもらえると理解した江津は、「木下、能田、逃げるぞっ」と言って、三人はその場を全速力で立ち去った。
残されたのはぼくとアカサビさん、そして黒煙団の三人組だ。
ぼくはそして、意図的に声を低くして、「アカサビ、こいつらが黒煙団だ」と言う。
アカサビさん相手にこんな口調、なんだか恐縮してしまうが、事前に説明しておいた通り、アカサビさんはその演技に乗ってくれる。
パンと右の拳を左の掌で受け止めると、「わかった。俺はこいつらを殺せばいいんだな?」
そう言って鋭い睨みを利かせた。
その迫力は、とても演技とは思えないほどのリアリティーを孕んでいる。
黒煙団の一人が、「アカサビって、あの喧嘩屋の……無理だ、勝てる訳ねえ」と、顔をひきつらせながら言った。
「おい怯むな。喧嘩屋がなんだってんだ! そんなもん噂が独り歩きしてるだけに決まってるっ!!」
そう言いながら、鬼頭は近くに落としたナイフに手を伸ばした。
その動きを見逃さず、アカサビさんは、鬼頭の腕を靴底で容赦なく踏み潰した。
静かな廃工場の敷地に響き渡る悲鳴。
苦悶に満ちた表情を見ても、アカサビさんはその足をどかそうとはしなかった。
「クソがっ! クソがっ! テメエ汚ねえ足どかしやがれっ!!」
口汚い鬼頭の言葉とは裏腹に、その口調はまるで余裕がなかった。よほど本気で踏み潰しているのだろう。
アカサビさんは、ぼくでもゾッとような冷淡な口調で、こう言い放った。
「ガキ同士の喧嘩に刃物持ち出してんじゃねえよ」
そうして見下す視線は、相手を完全に敵と認識したときの表情そのものだった。
そしてアカサビさんは、男の腕を右足で踏みつけたまま、髪の毛を鷲掴みし、自分の左膝に顔面を打ち付けさせる。
成す術なく膝蹴りを顔面に受け続けた鬼頭は、最初こそ強気な口調で抗議していたが、抜け出せない恐怖と圧倒的な痛みから、後半は顔をくしゃくしゃにしながら、命乞いをしていた。
鼻血や、口内を切って出た血で顔中を赤く染めながら泣きじゃくる鬼頭を見ても、アカサビさんの攻撃は止まらない。
これは、いくらなんでもやり過ぎだと思った。
ぼくは止めに入ろうとしたが、アカサビさんの鋭い眼光がこちらに向けられ、居竦められる。
「そこで見ていろ、線引屋」
アカサビさんのその言葉を、これからさらに暴力がエスカレートすると捉えたのか、鬼頭は精神的に限界に達した様子で絶叫した。
すると、ようやく攻撃の手を止めたアカサビさんは、鬼頭の眼前に顔を持って行く。
恐怖のあまりひきつった悲鳴をあげた鬼頭を睨み付けたまま、アカサビさんは低い声で言った。
「わかったか? この街に……線引屋に手を出したらどうなるのか。まだ理解できないほど、頭の出来が悪いようなら仕方ねえーーー」
そして、足元に落ちていたナイフを拾ったアカサビさんは、それを男の目の前にちらつかせながら、

「ーーーどぎつい恐怖ってやつを、その体にきざみつけるしかねえな」

あれほど狂気に満ちていた鬼頭が、アカサビさんを前に命乞いしながら、二度とこの街に姿を見せないことを誓う。
背後の二人は、そもそも鬼頭ほど江津にもこの街にも執着はないのか、アカサビさんが一睨みするだけで引き下がった。
鷲掴みにした鬼頭の髪を放るようにして解放したアカサビさんは、それ以降は一切手を出さなかった。
二人の男が、ボロボロの鬼頭を支えながら立ち去って行く。
背後でぼくが身動ぎしたことで、砂利がこすれる音がすると、背中を向けている鬼頭が恐怖で小さな悲鳴をあげる。
立ち去る黒煙団三人組みを眺めながら、ぼくは、これがアカサビさんの言う「どぎつい恐怖」だと理解した。
これは、いくらなんでもやりすぎだ。
ぼくは黙っていられず、言った。
「アカサビさん。協力を頼んだのはぼくですけど、あそこまでやってくれなんて言ってない。そもそも、軽く脅してくれるだけで良かったんです。実際に暴力を振るう必要なんてなかったんじゃないですか?」
詰め寄るぼくを軽くあしらう動作を見せたアカサビさんは、自分の両手を眺め、「あの野郎、ワックス付けまくってやがった。手がベタベタする」、なんてことを気にしていた。
ぼくはなぜだか、無性に頭にきて声を荒げた。
「聞けよっ!」
その言葉に反応したアカサビさんは、視線を真っ直ぐこちらに向け、ぼくの瞳をその目で捉えた。
「間久辺。お前、脅すくらいであいつらが引き下がると本気で思っていたのか? だとしたら考えが甘えよ。人を平気で傷つけられるヤツってのはな、他人の痛みに鈍感なんだ。だから、その身に刻みつけてやらねえとわからねぇんだ。躾の出来てない動物と一緒さ」
「っ!」
ぼくは反論しようとして、言葉に詰まった。
人間を動物と一緒にするな! と言おうとしたが、確かに、人を平気でナイフで切りつけるようなやつを人間扱いしろというのは難しい。もしもアカサビさんが機転を利かせて動いてくれていなかったら、今頃、江津はどうなっていたかわからない。
だが、それでもショックだった。
アカサビさんは、ぼくの中で正義そのものなんだ。
だから、綺麗事だったとしても、彼にはぼくの理想の正義の味方であって欲しいと、そんな勝手な理想を押し付けてしまう。
ぼくのその言葉を聞いたアカサビさんは、どこか力なく笑った。それはまるで、自らを嘲るような笑い方だった。
「確かにおれは『正義の味方』だ。だけど勘違いしてる。俺はお前の思うような超人的な男じゃない。ただの人間だ。正しい者の味方でありたい。そう思う姿が正義の味方であって、そこに力なんてものは関係ない。お前の言うような、『正義を全うする』存在ってのは、世間的には『ヒーロー』って呼ばれる存在だ。俺はそれとは違う。正しい人間が損をする姿を見たくないから、どんなことをしてでもその人を助けたいと思う。そのためだったら、俺は手段を選ばない。仮にそれが、悪事と呼ばれることだったとしてもな」
ぼくは、アカサビさんという人間を勘違いしていたのだろうか?
彼に理想を押し付け、裏切られたと言うのは身勝手なのだろうか?
するとアカサビさんは、ぼくを真っ直ぐ見ながら、再び口を開いた。
「前にも言ったはずだが、俺はお前みたいな一般人がアンダーグラウンドに関わるべきじゃないと思ってる。しかも今回、お前が助けようとしていたクラスメイト、自分の意思で黒煙団に身を置こうとしていたんだろう? 本来ならそんなヤツを救うために力を貸したりしない」
「だったら、どうして?」
「聞いたからだよ。お前が黒煙団の連中にナイフで切りつけられたってな。正直、肝を冷やしたぜ」
そして、息をついたアカサビさんは言った。
「オレはもう御免なんだよ。ダチが傷つけられるのは。だから間久辺、お前が無事で本当に安心した」
ぼくは、言葉が出て来なかった。
アカサビさんの危うさは、知っているはずだった。彼が正義の味方を名乗る所以を、ぼくは知っていたはずなのに、彼の優しさに甘えてしまった。
今回の一件で、また、アカサビさんは敵を増やすことになるだろう。全部、ぼくの軽率な判断が招いたことだ。
ぼくは自分の無力さを改めて痛感することになった。
いつまで経ってもぼくは、自分の力では誰一人満足に救うことができない。
結局のところ、江津を救ったのは野球部の仲間と、クラスメイトの木下、能田、そしてアカサビさんだ。ぼくはなんの力にもなれなかった。
うなだれるぼくを見て、アカサビさんは言う。
「間久辺。あんまり無茶すんな。お前はオレとは違う。まだ戻れるんだから、陽の当たるまともな世界で生きろ」
それがアカサビさんなりの気遣いの言葉だということくらい、ぼくにもわかる。それでもやっぱり、悔しい。

ーーーお前はオレとは違う。

その言葉が、まるで分かり合えないと言われているみたいで、寂しかった。
アカサビさんは住む世界が違うと言っていたが、それならぼくの住む世界とはいったいどこなのだろう。
江津を救うことで、ぼくも必要とされる、彼らの住む世界の末端でも、ぼくは存在していいのだと思いたかった。だけど結局、ぼくはなんの役にも立たなかった。
アンダーグラウンドにも、日常生活にも、ぼくの居場所なんてない。そう言われているみたいで、心がくさくさした。
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