彼女の優しい理由

諏訪錦

文字の大きさ
上 下
39 / 57

嘘に足はない 4

しおりを挟む
 夜の八時過ぎ。塾の帰り道、昨日の下校中の高槻先輩の態度が気になっていた。あんなに感情的になるほど、ぼくは彼女に好かれるようなことをしてきただろうか。
 そもそも彼女は、どうして新入生のぼくを呼びつけて告白なんてしてきたのだろう。考えても答えは出なかった。
 駅で電車を待っていると、電話が鳴った。また姉からか、と若干辟易しながら携帯電話を取り出すと、そこには珍しい名前が表示されていた。
 碓井好。彼女の名前がそこにはあった。
「もしもし?」
 ぼくは電話に出た。一応は同じ中学出身ということで番号の交換だけはしていたが、今まで彼女からかかってきたことは一度もない。
 何事かと言葉を待っていると、碓井は『落ち着いて聞いてね』と前置きを据え、
『高槻先輩が、昨日から家に帰っていないそうよ』
 ぼくの思考は思わず停止した。
 その間に、碓井はさらに話を先に進めた。
『私のお父さんが警察官なんだけど、お父さんが働く交番に高槻先輩のご両親が相談に来たらしいの。昨日から娘が家に帰ってこないって。話を聞いたら、私と同じ高校だってことで、お父さんがさっき私に話してくれたの』
 ぼくは碓井の言葉をしっかり聞いているはずなのに、頭がうまく働かない。まるで、考えることを拒否しているみたいだ。
 そんな思いなど露知らず、碓井は続けた。
『それで、これは言うべきが迷ったんだけど、昨日学校で話した怪談話、覚えてる?』
「警備員の男が見たっていう、バレリーナの幽霊か?」
『そう。あの話は大きく虚飾されてはいるけど、事実も混じってるのよ』
 そうして、碓井は二ヶ月前に起きたという殺人事件の詳細を語って聞かせた。
 市内某所の体育館で、女性の変死体が発見された。女性は両足を膝から下で切断された状態で、遺体となって発見された。切断された両足は犯人とともにいまだ見付かっておらず、警察は血眼になって犯人を探しているという。
『新聞とかだと報道規制がかかってて詳しい情報は載ってないんだけど、一応は報道されたみたいだよ。街では惨殺魔の事件も起きているから、警察もかなり厳しく動いているみたい。私もお父さんに聞くまで知らなかったけど』
 ぼくは要領を得ない話に、じれったくなって声を荒げた。
「その事件と高槻先輩の失踪が、どう関係するっていうんだよ」
『怒鳴らないで。私だって関係なければいいってホント思うよ』
 それから、碓井は再び事件の詳細について語った。
 警察官であるという父親から聞いた情報のため、報道ではされていない内容もそこには含まれていた。
『足を切断されて亡くなった女性が最後に使っていた鞄から、盗聴器が発見されたらしいの。乾燥材にカムフラージュして、鞄の中敷きの裏にひそませてあったみたい。お父さんが言うには、鞄が購入される以前、お店に並んでいる段階で仕掛けられたんじゃないかって言ってた』
 確かに、それなら労せず盗聴器を鞄に忍ばせることも可能だろう。犯人が特定の人物ではなく、誰でも良くて盗聴器を仕掛けようと思ったのなら、店舗に並ぶ鞄を選ぶふりして、中敷きの裏に乾燥材を模した盗聴器を入れることは容易である。しかも、監視カメラもないような小さな商店ならば、証拠はなにも残らない。
「ちょっと待ってくれ。その小さな商店ってまさか、駅向こうの商店街の一角にある店のことか?」
 そうでなければ良いという僅かな希望を、碓井の言葉が無慈悲に否定する。
『そうだよ。多分想像しているお店。うちの学校の運動部、そこで部活動の鞄買う生徒多いもんね。そして、その殺された子が使っていた鞄と同じ物を、高槻先輩も使ってたみたいよ』
 ぼくは愕然とした。
『私、お父さんにこのこと全部話したの。そうしたら、最悪の事体も考えられるかもしれないって………ねえ、どうしよう』
 狼狽する碓井の声を、ぼくはぴしゃりと跳ね除けた。
「最悪の事体ってなんだよ」
『だって、だって、殺された女の子と状況があまりに似すぎてるから……』
「そんなわけないっ。高槻先輩が殺されるなんて、そんなことあってたまるかよ」
 ぼくは奥歯を噛み締めた。
「約束したんだ。次に会ったら、きちんと話をするって」
 高槻先輩の遠ざかる背中を、ぼくは思い返していた。
「ぼくはもう一度、彼女に会わないといけないんだ」
 そして、自分の気持ちをハッキリと伝える。
 彼女が手の届かない所に行ってしまうかと思うと、居てもたってもいられなくなった。
「碓井。また詳しいことがわかったら教えてくれ」
 そう言って通話を切ると、勢いよく立ちあがる。

 碓井の話を聞いて、ぼくは高槻先輩のことをようやく理解した。いや、思い出したと言う方が正しいだろう。ぼくらは確かに、以前会っている。ほんのすれ違う程度だったが、そのとき彼女と一言二言、言葉を交わした記憶がある。
 そんな些細なことを高槻先輩は覚えていて、入学式でぼくを発見し呼び出したのだ。

 居てもたってもいられなくなり、ぼくは行動を開始する。
 目的地はおおよそ決まっていた。
 前日から高槻先輩は家に戻っておらず、両親に連絡も入っていないという事実から鑑みるに、なにかトラブルに巻き込まれていることは間違いない。それならば、碓井から得た、事件に関する情報を元に推測を立てるのがいまは最善の方法と言えるだろう。
 高槻先輩は昨日、家に帰っていないと両親が警察に話したらしい。だとすると、何か事件に巻き込まれていたのだとして、その直前まで会っていたのはぼくということになる。
 夕日が沈む中、歩き去る高槻先輩の背中がハッキリと網膜に焼き付いて離れない。ぼくは、まず手始めに彼女が向かっていった方角をしらみつぶしに探してみることにした。
 公園、人気のない路地、娯楽施設………通る人に片っ端から声をかけて回った。だが、それらしい人物を見たという証言は得られなかった。
 やがてぼくの足は、町の最北端にある工場地帯に向いた。
 そこは道路がろくに舗装もされておらず、しかも昨日の雨で足下がぬかるんでいて歩きづらかった。
 流石にこんな所まではきていないだろう。そう思って場所を変えようとした瞬間、足下で光る物を発見した。手に取ると、それはアミューズメントパークの開園一五周年を記念して作られたストラップで、現在では手に入らなくなっている貴重な代物である。
 だが、それを持っている人物を一人だけ知っていた。
 高槻先輩である。これと同じ物を、高槻先輩も鞄につけていた。
しおりを挟む

処理中です...