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彼女の優しい嘘の理由 7
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窓を開けて天候を確認すると、外は連日の冬晴れだった。こういう場合、絶好の行楽日和と喜ぶべきなのだろうが、気持ちは沈んだままだ。今日は日曜。本来なら彩香と会うはずだった日である。
気を取り直して時刻を確認すると、昨日の電話で待ち合わせた時刻まではまだ時間があるが、早めに家を出ることにする。
それにしても、約束の相手が違うだけで、こうも気持ちが違うのだなと感じる。
昨日の夜、俺が電話した相手は更級さん。電話に出た彼女は、俺の急な誘いにも二つ返事でオーケーしてくれた。
服装は悩んだすえ、パーカーにジーンズというラフな服装を選択した。あまり気合いを入れて行くのも気恥ずかしいと思ったのだ。
待ち合わせ場所はショッピングモール。移動はどんなに長く見積もっても一時間あればこと足りるので、時間を潰すためにいつも立ち寄るコンビニへと足を運んだ。
イートインコーナーで時間を潰そう。そう思い、自動ドアの左側に設置された椅子に腰を落ち着かせた。飲食コーナーには客の姿は見受けられない。休日の午前中から、こんな寂れた場所で時間を潰そうとする奇矯な人間はそういないということだ。
購入したミルクティーを口に含んだ瞬間、ポケットの中の携帯電話が震えだした。開いてみると、液晶画面には新着メール受信の文字。受信相手を確認して、そして驚いた。【枯井戸彩香】と、液晶画面には映し出されている。俺は急いでメールを開いた。
『一昨日は、勝手なこと言ってごめんなさい。今日一緒に出かけようって誘ったのは私の方なのに、こっちから断るなんて最低よね。でも聞いて欲しいの。今日が終われば、きっとすべて上手くいく。もうなんの心配もないわ。今日の夕方には用事も終わるから、もし七季が大丈夫なら会いたいな………なんて、勝手なことばかり言ってごめんなさい。でも、もし会えたなら、そのときに伝えたいことがあるの。返事、待っています』
彩香のメールはそこで終わっていた。
メールの本分に書かれた『伝えたいこと』という一文が気になったが、不意に背後に気配を感じて、俺の意識はそちらに奪われた。すぐさま振り返ると、そこには楽しそうに笑うコンビニ店員、確か名前を笹田といったか、彼女の姿があった。客がいなくて暇なのか、顔なじみの客である俺と世間話に興じたいらしい。今日はどうやら店長と二人きりらしく、同年代の話し相手が欲しかったようだ。
これまで、彼女とはレジを待っている間、世間話を交わす関係になっていた。仕方ないので、彼女の暇潰しに付き合うことにした。
「笹田さんって、大学生ですか?」
「ブッブー、外れ」
「じゃあ高校生なんですね?」
「そうだよ。高校三年生。花も恥じらう十七歳」
一個先輩だった。こんなにふざけた人が自分よりも上級学年だと思うと、なぜだか悔しい。
「どこの高校ですか?」
そう質問するが、「ひ・み・つ」と人差し指を立てて黙秘を敢行される。別にそれほど知りたいわけでもなかったが、隠されると良い気はしない。俺は憮然として押し黙った。
それから少しして、笹田は徐に口を開いた。
「ときに若人。君はどうして、こんなにも麗らかな日曜日の朝っぱらから寂れたコンビニにやってきているの?」
「その寂れたコンビニで働いているのは誰ですか」
半分呆れたふうに言った俺は続けて、「このあとちょっと用事があるんですけど、少し家を早く出過ぎてしまって、時間潰しに寄らせてもらったんです」と答える。
「ふーん。もしかして、デートだったりして」
妙に勘が鋭くて、俺は狼狽してしまった。表情には出さなかったつもりだが、どうやらなにかしらの機微を彼女は見抜いたようだ。
「え、もしかしてマジでデートなの?」
ガタンと体を起こし、椅子から腰を浮かせる笹田。俺がデートすることが、それほど意外なのだろうか。心外だ。
「それって相手はどんな子? 可愛い?」
俺は、これから会う相手の姿を思い浮かべた。康一郎の言葉を借りるなら地味な少女。およそ特徴と言えるものがなく、それでも強いて挙げるなら黒髪の綺麗な子といったところだろうか。これらを総合して言葉に変換するなら、
「普通、ですかね」
俺の答えに、笹田は眉をひそめた。
「なにそれ、酷くない?」
まるで親の仇でも見るような目で俺を睨めつけている―――大袈裟でなく、それくらい鋭い眼光だった。
気後れしながらも、俺は弁解した。
「笹田さんには関係ないでしょう。だいたい、主観なんて人それぞれじゃないですか。可愛いと思うかそうでないかも、やっぱり人それぞれですよ」
「そういうことじゃなくてさぁ」
笹田は呆れたように言い放ち、そしてなにかを考えあぐねるように首を捻った。それから急に顔を上げると、
「もしかして相手の子って同じ高校の生徒だったりする?」
「そうですけど、なにか?」
「なるほど、なるほど」
どこに納得する要素があったのか、俺には理解できなかった。
「なんなんですか、いったい」
「別にぃ。楽しいスクールライフを送ってるならいいんじゃない?」
突き離すような口調で彼女はそう言った。
「俺、なんか悪いこと言いました?」
「強いて言うなら、可愛いとも思えない相手とデートをする君の神経に腹が立つ」
それが答えだと言うように、ぶすっとした表情で笹田は言い放った。その言葉は俺の胸を深く抉った。結局のところ、今日のデートは当て付けみたいなものでしかない。彩香とのデートが頓挫したことへの小さな反逆。まるでそれが言い当てられたみたいで、ドキリとした。
「そろそろ仕事に戻るわ。流石に、店長にやらせきりなのは気が引けるからね」
背を向けた笹田だったが、そのまま立ち去ることはせず、小さな声で呟くように言った。
「でもね、藪坂君。君はこれから真剣に考えなくちゃいけないと思うよ。いまの考え方じゃ誰も幸せにはならないからね。どうしたって不幸になる恋愛があるわ。好き合っても離れても、不幸な結末に終わる恋。でもね、悲恋は物語だから美しいんだよ。現実じゃ悲しいだけだし、誰も笑えない。あたしは、そんな思いをして欲しくないんだよ」
笹田の背中を、俺はジッと見つめた。ウェーブの掛かった茶色い髪が肩で揺れる。
照れ隠しなのか、
「別にあんたのためじゃないんだからね」
と笹田はうそぶく。
そんなこと言って、俺を心配して柄にもないことを言ってくれたのだろう。
「ありがとうございます。肝に銘じておきます」
笹田の姿が見えなくなると、俺は立ち上がってコンビニをあとにした。少し早いが、電車に乗ってショッピングモールに向かう。待ち合わせ場所はショッピングモールの中心に位置する噴水広場だ。そこには沢山の人だかりができており、どうやら同じように待ち人を探す人で溢れているようだ。やはり考えることは皆同じだ。
休日のショッピングモールは、多くの客で賑わっていた。様々な店舗がひしめき合い、軒を連ねていることから考えても客層は幅広い。辺りを見回しても、年齢層のバラつきが窺えた。
俺は人混みから少し離れ、広場をぼんやりと眺めた。ふと人混みに目を向けると、女性がこちらに向かってきていた。目を凝らし、その人物を眺める。当然のことだが、その人物には見覚えがあった。待ち合わせをした相手、更級さんだ。
彩香との約束で開いた穴を埋めるように、俺は更級さんを誘うことにした。これだけ聞くと性質の悪い男に思えるかもしれないが、しかし確固たる意志でこの場所に立っている。
今日ですべてを終わらせる。更級さんに謝って、この関係に終止符を打つ。そのために今日、彼女を誘ったのだ。
それにしても、向こうから近付いてくる女性が、更級さん本人だと気付くのにかなり時間が掛かった。恐らく、学校で会うときとはまるで違う印象を受けたからだろう。学校ではヘアピンでしっかりと止められている黒髪が、今日は下ろされている。服装も学校制服の着こなしから比べると挑発的なもので、ミニスカートから垣間見える足が目のやり場を困らせた。
目の前で立ち止まった更級さんは少し頬を上気させて言った。
「随分、早かったんですね?」
俺は噴水の頂点に取り付けられた時計を見上げる。約束の時間より三〇分も早かった。
「早いのはお互い様だよ。更級さんも十分に早い」
そう言ってぎこちないながらも笑顔で対面を果たし、すぐに間がもたなくなり場所を移動することにした。だが、目的地を決めていないことを思い出し、彼女の意見を聞いてみる。しかし、更級さんは我を通そうとする性格ではないので、俺の行きたい場所でいいと答えるだけだった。仕方なく、ドールハウスのように内装が窺えるモール内を当てもなく歩いた。ショッピングモールは噴水広場を囲むように円状に店が並んでいて、一階は飲食店、食品生鮮品、二階は衣類、雑貨店、三階は娯楽施設、四階はアパレル・ブランド・高級品という風に並んでいる。そして屋上には駐車場スペースが設けられていた。
俺たちは取り敢えず食事を済ませることにした。昼時に当たると込み合ってしまうので、少し時間をずらすことにしたのだ。
店内に入ると、温かい暖房と丁寧な接客にもてなされ、店の奥の四人掛け席に通される。彼女と向かい合う形で俺たちは席に座る。
メニューを見て、ようやくその店が中華料理のチェーン店であることに気付いた。恐らく俺も緊張していたのだと思う。なにを注文したらいいのかわからずなかなか決まらない中、ようやく注文したものが来るまでの間、他愛ない会話に興じる。ふと視線を感じて顔を上げると、彼女は柔和に笑って俺を眺めていた。
「薮坂君、A型じゃないですか?」
「血液型のこと? そうだけど、どうして」
「やっぱり。A型は優柔不断だってよく言いますからね」
そう言ってくすくす笑う更級さんに、俺はむすっとした顔で答える。
「血液型と性格がどう関係するんだよ」
「でもよく言いませんか? A型は几帳面だとか、O型はおおらかだとか」
確かに聞く。だが、俺はA型だけどまるで几帳面とは言えない。しかし不思議なもので、B型の人間だけは血液型を聞いて納得してしまうことが多い。なにを隠そう俺の大嫌いな父親も、B型だ。
「そう言う更級さんの血液型は?」
「私はO型です」
「じゃあ変人だ」
「それは偏見です」
「自分だって偏見で俺を優柔不断だって言ったじゃないか」
「外れていますか?」
「悲しいことにそこはばっちり当たってる」
そう答えると、更級さんは再びくすくす笑った。
「藪坂君って、思っていたより面白いですね。もっと怖い感じの人だと思っていました、私」
「俺が怖い?」
「はい。もちろん良い意味で、ですけど」
「怖いって言葉に良い意味とかあるの?」
「時と場合によりますかね」
更級さんは明らかに誤魔化すように笑った。
俺は反論する意味も込めて、
「そんなこと言ったら、更級さんも大分印象が違って見えるけど」
「そうですか?」
「そうだよ。学校とのギャップが半端じゃない」
「ああ。私、学校では猫被ってますから」
出し抜けにそう言うと、フッと笑って流し目を送ってくる。
「そういう藪坂君はどうなんです?」
「どうって、なにが?」
「いまの藪坂君が、本当の自分なんですか?」
唐突に問われ、答えに困ってしまう。本当の自分とはいったいなんだろう。本当の自分とはどこにいるのだろう。胸を張って、これが本当の自分なのだと誇れるものがなにも思い浮かばなかった。
「どうかしましたか?」
気付くと、更級さんは心配そうに顔を覗き込んでいた。
「ちょっと、ごめん」
そう言い置いて、俺は逃げるように席を立った。お手洗いに飛び込むと、鏡で自分の顔を確認し、まだ大丈夫であることを確認する。
こんな言い方が正しいのかわからないが、俺はある時期、自分を見失っていたことがある。抜け殻と言ってもいいのかもしれない。両親の離婚を切っ掛けに、自らの殻に閉じこもった時期があったのだ。
読字理解能力に問題が生じたのもその時期だった。両親の離婚届けや、その後の養育問題が記された書類に目を通している内に、強烈な吐き気に襲われた。つまり読字障害は心因性のもので、まるで身体が両親の離婚を拒否しているかのように感じられた。それでも、俺の異常に気付く者は誰もいなかった。両親の離婚が原因で中学二年生の半ばから、学期末にかけて不登校が続き、教師が何度も自宅に訪れていたようだが、あまり覚えていない。ただ実際のところ、俺の心からの言葉など誰も聞こうとはしなかったのは確かだ。
そんな日々が永劫に続くかに思われたとき、俺を支えてくれたのが幼馴染の彩香だった。不登校の俺を毎朝起こしにやってきて、放課後にはその日あった出来事を語って聞かせてくれた。また明日ね、という一言があの時期どれだけ救いになったかわからない。
少しでも彩香と一緒の時間を過ごせるならと、それから少しずつ中学にも行くようになった。リハビリにと言って沢山の本を彼女が持ってくるようになったのもこの頃だ。感想が聞きたいと彩香は言っていたが、実際は俺が授業で困らないように考えて本を選んでくれていたことを知っている。そのことに気付けないほど俺も愚かではない。だけど俺には、活字を眺めることはできても、長文を読み進め、理解することができなかった。
彩香はそのことを知ると、ひどくショックを受けていた。
『ごめんなさい。私、なにも知らなくて……』
目を伏せながらそう言った彼女の姿がいまでも忘れられない。
顔を洗い席に戻ると、更級さんは心配そうに見つめてきた。俺は無理やりに笑顔を繕い、彼女を不安にさせまいと務めた。
それから店を出て、三階の娯楽施設へと向かった。時刻は一三時を回ったところで、ショッピングモールの人の入りは最高潮となっている。娯楽施設も大勢の人で溢れ、俺は正直ストレスを感じていた。人混みがあまり得意でないこともあり、なぜ貴重な休日に自ら人混みの中に入らなければならないのかと憤った。
チラと横を歩く更級さんに目を向けると、興味深そうに辺りを見回していた。映画館やカラオケが並ぶ中、更級さんが最も食いついていたゲームセンターを案内することにした。更級さんは初めてするというゲームに興奮を隠せない様子だった。
俺の中で次々と崩れていく彼女の印象に、しかし不快感はない。優等生で取っつきにくい側面もあるが、それが彼女のすべてというわけではないようだ。それがこの数時間でわかったことだった。
結局、三時間以上もコインゲームに没頭し、疲労感でギブアップしたのは俺の方だった。大量のコインが、カゴの中にまだ余っていて、受付に目をやると余ったメダルが預けられると書かれている。預けてもどうせ使う機会は二度とないだろうと考えた俺だったが、更級さんは笑顔でこう言った。
「また、来ましょうね」
そのあまりの屈託ない笑顔に、俺は思わず頷いてしまった。本当は、もう二度と彼女とこの場所にくるつもりなどないというのに。
ゲームセンターの騒音から解放され、噴水広場のベンチに腰を下ろして時刻を確認すると、既に一六時を過ぎていた。待ち合わせ場所としての役目を終えた噴水広場は、それでも大勢の恋人たちで溢れ返っている。もちろん、はたから見れば俺たちも同じくカップルに見えるのだろうが、その心境は実に複雑だ。
今日一日を終えれば、あと腐れなく別れることができると思っていたが、そんな根拠のない楽観はやはり的外れでしかなかった。面倒くさいだけだと思っていたデートも、振り返ってみれば楽しい時間に思える。更級さんに対して、なんの不満もないのだ。
それなのに、俺は決別の言葉を告げなくてはならない。俺にとって、それくらい彩香は特別な存在なのだ。だからこそタイミングを図っていた。すべてを話して、謝罪するタイミングを。それで彼女がどういった反応を示すのか想像もできない。怒りか、悲しみか、あるいは両方の念を俺に抱くようになるだろう。悪いのはすべて俺なのだから、それは甘んじて受け入れなくてはならない。だけど、できることなら彼女には涙してほしくないと思った。怒ってくれればいいし、罵ってくれても一向に構わない。それでも気持ちが収まらないなら殴ってくれればいい。それくらいしか、責任の取り方がわからなかった。
更級さんを見ると、俺の隣に座って噴水を眺めている。噴水は一定の間隔で水しぶきを上げる単調なものだが、その機械的動作に真剣に見入っていた。
俺も、つられて噴水に目を向けるが、そこから口を開く切っ掛けを得ることはできなかった。
悠長にしている間に、更級さんが口火を切った。
「今日は、本当に楽しかったです。私、ずっと不安でした。藪坂君と上手くやれるのかどうか、自信がなかったんです。だけど、今日一日一緒に過ごしてみて、ほんの少しだけど藪坂君に近づけた気がします」
俺は黙って彼女の話を聞く。
「男の人に好きだなんて言ってもらったの、生まれて初めてだったんですよ。私、可愛くないですから」
そんなことはない、と言いそうになって口を噤む。決別の言葉を口にしようとしている自分が、どうして彼女を擁護するような言葉を口にできるだろう。
「それでも、藪坂君は私を好きだと言ってくれました。可愛くもない私を、それでも見てくれている人がいるんだって、そう思ったら嬉しくて仕方ありませんでした」
堪りかねた俺は、そこでようやく口を開くことができた。
「そんな。俺は更級さんが思っているような人間じゃないよ」
しかし彼女は首を横に振ると、「そんなの関係ないんですよ」と言って微笑んだ。
「ホントに関係ないんです。藪坂君がどんな人だったとしても、私を見てくれるなら、私を守ってくれるなら、それだけで十分なんですよ」
言葉が出てこなかった。悪ふざけで行った罰ゲームに過ぎない告白を、更級さんは心から喜んでしまっている。言えるはずない。すべて嘘だなどと、そんな残酷なことを告げられるはずがなかった。
「藪坂君は、私のことを好きだと言ってくれました。だからそれだけで十分なんです。それ以外はいらない。それ以上は、なにも求めませんから、だから……」
更級さんの必死な瞳を見ているのが辛くて、俺は視線を逸らす。必然的に視界を支配したのは噴水だった。
「藪坂君。大好きですよ」
そう言って、彼女は俺の手をきつく握った。普通のカップルなら、その言葉、その行動は喜ぶべきものなのだろうが、俺にとっては苦痛でしかなかった。彼女から送られる優しさ、愛情が心に重たく圧し掛かって息もできなくなりそうになる。彼女を知れば知るほど、傷付けることに躊躇が生まれてしまう。だからだろうか、更級さんの手を振りほどくことがどうしてもできなかった。あるいは、大好きですと言った彼女の心意が、読み取れてしまったからなのかもしれない。
更級さんはきっと、こう言いたかったに違いない。
『藪坂君、私を捨てないで』と。
それに気付いてしまうと、もうなにも返す言葉が見付からなかった。ただ黙って、彼女が手を離すのを待つしかない。強く握った彼女の手は、まるで死人のように冷たく冷え切っていた。
それから結局、別れを告げられぬまま帰路につくこととなった。
あれだけ物静かだった更級さんが、帰りの電車で、まるで追い立てられるみたいに必死に話題を探している姿を見て、どうしようもない罪悪感に襲われた。俺の口から、別れたいという言葉を聞かないために必死になっているように見えたからだ。
俺は、デートしてしまったことをひどく後悔した。それは退屈だったからではない。むしろ楽しかったからこそ問題なのだ。
気を取り直して時刻を確認すると、昨日の電話で待ち合わせた時刻まではまだ時間があるが、早めに家を出ることにする。
それにしても、約束の相手が違うだけで、こうも気持ちが違うのだなと感じる。
昨日の夜、俺が電話した相手は更級さん。電話に出た彼女は、俺の急な誘いにも二つ返事でオーケーしてくれた。
服装は悩んだすえ、パーカーにジーンズというラフな服装を選択した。あまり気合いを入れて行くのも気恥ずかしいと思ったのだ。
待ち合わせ場所はショッピングモール。移動はどんなに長く見積もっても一時間あればこと足りるので、時間を潰すためにいつも立ち寄るコンビニへと足を運んだ。
イートインコーナーで時間を潰そう。そう思い、自動ドアの左側に設置された椅子に腰を落ち着かせた。飲食コーナーには客の姿は見受けられない。休日の午前中から、こんな寂れた場所で時間を潰そうとする奇矯な人間はそういないということだ。
購入したミルクティーを口に含んだ瞬間、ポケットの中の携帯電話が震えだした。開いてみると、液晶画面には新着メール受信の文字。受信相手を確認して、そして驚いた。【枯井戸彩香】と、液晶画面には映し出されている。俺は急いでメールを開いた。
『一昨日は、勝手なこと言ってごめんなさい。今日一緒に出かけようって誘ったのは私の方なのに、こっちから断るなんて最低よね。でも聞いて欲しいの。今日が終われば、きっとすべて上手くいく。もうなんの心配もないわ。今日の夕方には用事も終わるから、もし七季が大丈夫なら会いたいな………なんて、勝手なことばかり言ってごめんなさい。でも、もし会えたなら、そのときに伝えたいことがあるの。返事、待っています』
彩香のメールはそこで終わっていた。
メールの本分に書かれた『伝えたいこと』という一文が気になったが、不意に背後に気配を感じて、俺の意識はそちらに奪われた。すぐさま振り返ると、そこには楽しそうに笑うコンビニ店員、確か名前を笹田といったか、彼女の姿があった。客がいなくて暇なのか、顔なじみの客である俺と世間話に興じたいらしい。今日はどうやら店長と二人きりらしく、同年代の話し相手が欲しかったようだ。
これまで、彼女とはレジを待っている間、世間話を交わす関係になっていた。仕方ないので、彼女の暇潰しに付き合うことにした。
「笹田さんって、大学生ですか?」
「ブッブー、外れ」
「じゃあ高校生なんですね?」
「そうだよ。高校三年生。花も恥じらう十七歳」
一個先輩だった。こんなにふざけた人が自分よりも上級学年だと思うと、なぜだか悔しい。
「どこの高校ですか?」
そう質問するが、「ひ・み・つ」と人差し指を立てて黙秘を敢行される。別にそれほど知りたいわけでもなかったが、隠されると良い気はしない。俺は憮然として押し黙った。
それから少しして、笹田は徐に口を開いた。
「ときに若人。君はどうして、こんなにも麗らかな日曜日の朝っぱらから寂れたコンビニにやってきているの?」
「その寂れたコンビニで働いているのは誰ですか」
半分呆れたふうに言った俺は続けて、「このあとちょっと用事があるんですけど、少し家を早く出過ぎてしまって、時間潰しに寄らせてもらったんです」と答える。
「ふーん。もしかして、デートだったりして」
妙に勘が鋭くて、俺は狼狽してしまった。表情には出さなかったつもりだが、どうやらなにかしらの機微を彼女は見抜いたようだ。
「え、もしかしてマジでデートなの?」
ガタンと体を起こし、椅子から腰を浮かせる笹田。俺がデートすることが、それほど意外なのだろうか。心外だ。
「それって相手はどんな子? 可愛い?」
俺は、これから会う相手の姿を思い浮かべた。康一郎の言葉を借りるなら地味な少女。およそ特徴と言えるものがなく、それでも強いて挙げるなら黒髪の綺麗な子といったところだろうか。これらを総合して言葉に変換するなら、
「普通、ですかね」
俺の答えに、笹田は眉をひそめた。
「なにそれ、酷くない?」
まるで親の仇でも見るような目で俺を睨めつけている―――大袈裟でなく、それくらい鋭い眼光だった。
気後れしながらも、俺は弁解した。
「笹田さんには関係ないでしょう。だいたい、主観なんて人それぞれじゃないですか。可愛いと思うかそうでないかも、やっぱり人それぞれですよ」
「そういうことじゃなくてさぁ」
笹田は呆れたように言い放ち、そしてなにかを考えあぐねるように首を捻った。それから急に顔を上げると、
「もしかして相手の子って同じ高校の生徒だったりする?」
「そうですけど、なにか?」
「なるほど、なるほど」
どこに納得する要素があったのか、俺には理解できなかった。
「なんなんですか、いったい」
「別にぃ。楽しいスクールライフを送ってるならいいんじゃない?」
突き離すような口調で彼女はそう言った。
「俺、なんか悪いこと言いました?」
「強いて言うなら、可愛いとも思えない相手とデートをする君の神経に腹が立つ」
それが答えだと言うように、ぶすっとした表情で笹田は言い放った。その言葉は俺の胸を深く抉った。結局のところ、今日のデートは当て付けみたいなものでしかない。彩香とのデートが頓挫したことへの小さな反逆。まるでそれが言い当てられたみたいで、ドキリとした。
「そろそろ仕事に戻るわ。流石に、店長にやらせきりなのは気が引けるからね」
背を向けた笹田だったが、そのまま立ち去ることはせず、小さな声で呟くように言った。
「でもね、藪坂君。君はこれから真剣に考えなくちゃいけないと思うよ。いまの考え方じゃ誰も幸せにはならないからね。どうしたって不幸になる恋愛があるわ。好き合っても離れても、不幸な結末に終わる恋。でもね、悲恋は物語だから美しいんだよ。現実じゃ悲しいだけだし、誰も笑えない。あたしは、そんな思いをして欲しくないんだよ」
笹田の背中を、俺はジッと見つめた。ウェーブの掛かった茶色い髪が肩で揺れる。
照れ隠しなのか、
「別にあんたのためじゃないんだからね」
と笹田はうそぶく。
そんなこと言って、俺を心配して柄にもないことを言ってくれたのだろう。
「ありがとうございます。肝に銘じておきます」
笹田の姿が見えなくなると、俺は立ち上がってコンビニをあとにした。少し早いが、電車に乗ってショッピングモールに向かう。待ち合わせ場所はショッピングモールの中心に位置する噴水広場だ。そこには沢山の人だかりができており、どうやら同じように待ち人を探す人で溢れているようだ。やはり考えることは皆同じだ。
休日のショッピングモールは、多くの客で賑わっていた。様々な店舗がひしめき合い、軒を連ねていることから考えても客層は幅広い。辺りを見回しても、年齢層のバラつきが窺えた。
俺は人混みから少し離れ、広場をぼんやりと眺めた。ふと人混みに目を向けると、女性がこちらに向かってきていた。目を凝らし、その人物を眺める。当然のことだが、その人物には見覚えがあった。待ち合わせをした相手、更級さんだ。
彩香との約束で開いた穴を埋めるように、俺は更級さんを誘うことにした。これだけ聞くと性質の悪い男に思えるかもしれないが、しかし確固たる意志でこの場所に立っている。
今日ですべてを終わらせる。更級さんに謝って、この関係に終止符を打つ。そのために今日、彼女を誘ったのだ。
それにしても、向こうから近付いてくる女性が、更級さん本人だと気付くのにかなり時間が掛かった。恐らく、学校で会うときとはまるで違う印象を受けたからだろう。学校ではヘアピンでしっかりと止められている黒髪が、今日は下ろされている。服装も学校制服の着こなしから比べると挑発的なもので、ミニスカートから垣間見える足が目のやり場を困らせた。
目の前で立ち止まった更級さんは少し頬を上気させて言った。
「随分、早かったんですね?」
俺は噴水の頂点に取り付けられた時計を見上げる。約束の時間より三〇分も早かった。
「早いのはお互い様だよ。更級さんも十分に早い」
そう言ってぎこちないながらも笑顔で対面を果たし、すぐに間がもたなくなり場所を移動することにした。だが、目的地を決めていないことを思い出し、彼女の意見を聞いてみる。しかし、更級さんは我を通そうとする性格ではないので、俺の行きたい場所でいいと答えるだけだった。仕方なく、ドールハウスのように内装が窺えるモール内を当てもなく歩いた。ショッピングモールは噴水広場を囲むように円状に店が並んでいて、一階は飲食店、食品生鮮品、二階は衣類、雑貨店、三階は娯楽施設、四階はアパレル・ブランド・高級品という風に並んでいる。そして屋上には駐車場スペースが設けられていた。
俺たちは取り敢えず食事を済ませることにした。昼時に当たると込み合ってしまうので、少し時間をずらすことにしたのだ。
店内に入ると、温かい暖房と丁寧な接客にもてなされ、店の奥の四人掛け席に通される。彼女と向かい合う形で俺たちは席に座る。
メニューを見て、ようやくその店が中華料理のチェーン店であることに気付いた。恐らく俺も緊張していたのだと思う。なにを注文したらいいのかわからずなかなか決まらない中、ようやく注文したものが来るまでの間、他愛ない会話に興じる。ふと視線を感じて顔を上げると、彼女は柔和に笑って俺を眺めていた。
「薮坂君、A型じゃないですか?」
「血液型のこと? そうだけど、どうして」
「やっぱり。A型は優柔不断だってよく言いますからね」
そう言ってくすくす笑う更級さんに、俺はむすっとした顔で答える。
「血液型と性格がどう関係するんだよ」
「でもよく言いませんか? A型は几帳面だとか、O型はおおらかだとか」
確かに聞く。だが、俺はA型だけどまるで几帳面とは言えない。しかし不思議なもので、B型の人間だけは血液型を聞いて納得してしまうことが多い。なにを隠そう俺の大嫌いな父親も、B型だ。
「そう言う更級さんの血液型は?」
「私はO型です」
「じゃあ変人だ」
「それは偏見です」
「自分だって偏見で俺を優柔不断だって言ったじゃないか」
「外れていますか?」
「悲しいことにそこはばっちり当たってる」
そう答えると、更級さんは再びくすくす笑った。
「藪坂君って、思っていたより面白いですね。もっと怖い感じの人だと思っていました、私」
「俺が怖い?」
「はい。もちろん良い意味で、ですけど」
「怖いって言葉に良い意味とかあるの?」
「時と場合によりますかね」
更級さんは明らかに誤魔化すように笑った。
俺は反論する意味も込めて、
「そんなこと言ったら、更級さんも大分印象が違って見えるけど」
「そうですか?」
「そうだよ。学校とのギャップが半端じゃない」
「ああ。私、学校では猫被ってますから」
出し抜けにそう言うと、フッと笑って流し目を送ってくる。
「そういう藪坂君はどうなんです?」
「どうって、なにが?」
「いまの藪坂君が、本当の自分なんですか?」
唐突に問われ、答えに困ってしまう。本当の自分とはいったいなんだろう。本当の自分とはどこにいるのだろう。胸を張って、これが本当の自分なのだと誇れるものがなにも思い浮かばなかった。
「どうかしましたか?」
気付くと、更級さんは心配そうに顔を覗き込んでいた。
「ちょっと、ごめん」
そう言い置いて、俺は逃げるように席を立った。お手洗いに飛び込むと、鏡で自分の顔を確認し、まだ大丈夫であることを確認する。
こんな言い方が正しいのかわからないが、俺はある時期、自分を見失っていたことがある。抜け殻と言ってもいいのかもしれない。両親の離婚を切っ掛けに、自らの殻に閉じこもった時期があったのだ。
読字理解能力に問題が生じたのもその時期だった。両親の離婚届けや、その後の養育問題が記された書類に目を通している内に、強烈な吐き気に襲われた。つまり読字障害は心因性のもので、まるで身体が両親の離婚を拒否しているかのように感じられた。それでも、俺の異常に気付く者は誰もいなかった。両親の離婚が原因で中学二年生の半ばから、学期末にかけて不登校が続き、教師が何度も自宅に訪れていたようだが、あまり覚えていない。ただ実際のところ、俺の心からの言葉など誰も聞こうとはしなかったのは確かだ。
そんな日々が永劫に続くかに思われたとき、俺を支えてくれたのが幼馴染の彩香だった。不登校の俺を毎朝起こしにやってきて、放課後にはその日あった出来事を語って聞かせてくれた。また明日ね、という一言があの時期どれだけ救いになったかわからない。
少しでも彩香と一緒の時間を過ごせるならと、それから少しずつ中学にも行くようになった。リハビリにと言って沢山の本を彼女が持ってくるようになったのもこの頃だ。感想が聞きたいと彩香は言っていたが、実際は俺が授業で困らないように考えて本を選んでくれていたことを知っている。そのことに気付けないほど俺も愚かではない。だけど俺には、活字を眺めることはできても、長文を読み進め、理解することができなかった。
彩香はそのことを知ると、ひどくショックを受けていた。
『ごめんなさい。私、なにも知らなくて……』
目を伏せながらそう言った彼女の姿がいまでも忘れられない。
顔を洗い席に戻ると、更級さんは心配そうに見つめてきた。俺は無理やりに笑顔を繕い、彼女を不安にさせまいと務めた。
それから店を出て、三階の娯楽施設へと向かった。時刻は一三時を回ったところで、ショッピングモールの人の入りは最高潮となっている。娯楽施設も大勢の人で溢れ、俺は正直ストレスを感じていた。人混みがあまり得意でないこともあり、なぜ貴重な休日に自ら人混みの中に入らなければならないのかと憤った。
チラと横を歩く更級さんに目を向けると、興味深そうに辺りを見回していた。映画館やカラオケが並ぶ中、更級さんが最も食いついていたゲームセンターを案内することにした。更級さんは初めてするというゲームに興奮を隠せない様子だった。
俺の中で次々と崩れていく彼女の印象に、しかし不快感はない。優等生で取っつきにくい側面もあるが、それが彼女のすべてというわけではないようだ。それがこの数時間でわかったことだった。
結局、三時間以上もコインゲームに没頭し、疲労感でギブアップしたのは俺の方だった。大量のコインが、カゴの中にまだ余っていて、受付に目をやると余ったメダルが預けられると書かれている。預けてもどうせ使う機会は二度とないだろうと考えた俺だったが、更級さんは笑顔でこう言った。
「また、来ましょうね」
そのあまりの屈託ない笑顔に、俺は思わず頷いてしまった。本当は、もう二度と彼女とこの場所にくるつもりなどないというのに。
ゲームセンターの騒音から解放され、噴水広場のベンチに腰を下ろして時刻を確認すると、既に一六時を過ぎていた。待ち合わせ場所としての役目を終えた噴水広場は、それでも大勢の恋人たちで溢れ返っている。もちろん、はたから見れば俺たちも同じくカップルに見えるのだろうが、その心境は実に複雑だ。
今日一日を終えれば、あと腐れなく別れることができると思っていたが、そんな根拠のない楽観はやはり的外れでしかなかった。面倒くさいだけだと思っていたデートも、振り返ってみれば楽しい時間に思える。更級さんに対して、なんの不満もないのだ。
それなのに、俺は決別の言葉を告げなくてはならない。俺にとって、それくらい彩香は特別な存在なのだ。だからこそタイミングを図っていた。すべてを話して、謝罪するタイミングを。それで彼女がどういった反応を示すのか想像もできない。怒りか、悲しみか、あるいは両方の念を俺に抱くようになるだろう。悪いのはすべて俺なのだから、それは甘んじて受け入れなくてはならない。だけど、できることなら彼女には涙してほしくないと思った。怒ってくれればいいし、罵ってくれても一向に構わない。それでも気持ちが収まらないなら殴ってくれればいい。それくらいしか、責任の取り方がわからなかった。
更級さんを見ると、俺の隣に座って噴水を眺めている。噴水は一定の間隔で水しぶきを上げる単調なものだが、その機械的動作に真剣に見入っていた。
俺も、つられて噴水に目を向けるが、そこから口を開く切っ掛けを得ることはできなかった。
悠長にしている間に、更級さんが口火を切った。
「今日は、本当に楽しかったです。私、ずっと不安でした。藪坂君と上手くやれるのかどうか、自信がなかったんです。だけど、今日一日一緒に過ごしてみて、ほんの少しだけど藪坂君に近づけた気がします」
俺は黙って彼女の話を聞く。
「男の人に好きだなんて言ってもらったの、生まれて初めてだったんですよ。私、可愛くないですから」
そんなことはない、と言いそうになって口を噤む。決別の言葉を口にしようとしている自分が、どうして彼女を擁護するような言葉を口にできるだろう。
「それでも、藪坂君は私を好きだと言ってくれました。可愛くもない私を、それでも見てくれている人がいるんだって、そう思ったら嬉しくて仕方ありませんでした」
堪りかねた俺は、そこでようやく口を開くことができた。
「そんな。俺は更級さんが思っているような人間じゃないよ」
しかし彼女は首を横に振ると、「そんなの関係ないんですよ」と言って微笑んだ。
「ホントに関係ないんです。藪坂君がどんな人だったとしても、私を見てくれるなら、私を守ってくれるなら、それだけで十分なんですよ」
言葉が出てこなかった。悪ふざけで行った罰ゲームに過ぎない告白を、更級さんは心から喜んでしまっている。言えるはずない。すべて嘘だなどと、そんな残酷なことを告げられるはずがなかった。
「藪坂君は、私のことを好きだと言ってくれました。だからそれだけで十分なんです。それ以外はいらない。それ以上は、なにも求めませんから、だから……」
更級さんの必死な瞳を見ているのが辛くて、俺は視線を逸らす。必然的に視界を支配したのは噴水だった。
「藪坂君。大好きですよ」
そう言って、彼女は俺の手をきつく握った。普通のカップルなら、その言葉、その行動は喜ぶべきものなのだろうが、俺にとっては苦痛でしかなかった。彼女から送られる優しさ、愛情が心に重たく圧し掛かって息もできなくなりそうになる。彼女を知れば知るほど、傷付けることに躊躇が生まれてしまう。だからだろうか、更級さんの手を振りほどくことがどうしてもできなかった。あるいは、大好きですと言った彼女の心意が、読み取れてしまったからなのかもしれない。
更級さんはきっと、こう言いたかったに違いない。
『藪坂君、私を捨てないで』と。
それに気付いてしまうと、もうなにも返す言葉が見付からなかった。ただ黙って、彼女が手を離すのを待つしかない。強く握った彼女の手は、まるで死人のように冷たく冷え切っていた。
それから結局、別れを告げられぬまま帰路につくこととなった。
あれだけ物静かだった更級さんが、帰りの電車で、まるで追い立てられるみたいに必死に話題を探している姿を見て、どうしようもない罪悪感に襲われた。俺の口から、別れたいという言葉を聞かないために必死になっているように見えたからだ。
俺は、デートしてしまったことをひどく後悔した。それは退屈だったからではない。むしろ楽しかったからこそ問題なのだ。
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