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彼女の優しい嘘の理由 5
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気付くと眠りに落ちていた。窓から差し込む微かな光が夜の闇の終わりを告げている。覚めきらない眠気の中、手探りで携帯電話を捜した。枕元に無造作に置かれたそれを発見し、片手で開いて液晶画面を覗いた。時刻は七時二〇分と表示されている。
学校までは徒歩で二〇分の距離にある。近隣校へ進学すると前々から決めていた俺は、迷うことなく『旭ノ丘市立・旭ノ丘南高校』へと進学した。偏差値はそれほど高くないが、かといって落ちこぼれと言うほどでもないこの学校は、都合のいい進学先だった。
家を出て通学路を歩いていると、不意に肩を叩かれて俺は振り返った。心なしか心臓が高鳴る。
「おはよう。相変わらず朝から暗いね」
振り返ると、違う高校の制服に身を包んだ女子高生が立っていた。
俺は心臓の高鳴りを気取られないように、敢えて素っ気ない態度で答える。
「余計なお世話だ―――彩香」
再び歩き出すと、枯井戸彩香は真横に駆け寄ってきた。
「幼馴染なんだし、余計なお世話ってことないでしょう?」
そう言って並び合うようにして隣を歩く彩香の顔を、俺はまともに見ることができなかった。きっと少しの緊張と、そして、一握りの罪悪感があったせいだろうと思う。昨日の焼却炉での告白劇が思い起こされる。自分の思いとは裏腹に更級さんと付き合うことになってしまい、それが〝想い人〟に対しての不義理という意味で、俺の心を苛んだのだ。
「どうかした? お腹でも痛い?」
押し黙っていると、彩香は顔を覗き込んでくる。
俺は顔を背け、意図的に歩を速めた。彼女の顔が眼前に迫っては気が動転するのも当然だ。
「もう、なによ」
小走りであとを追ってくる彩香。
俺は、さり気なく歩調を緩め、背後を気遣うようにほんの少し視線を向けた。そのとき、電柱に張り紙がされていることに気付いてその貼り紙に意識を奪われる。等間隔で立ち並んでいる電柱に、なにやら広告のような物が張られていたのだ。濡れないようにビニールで覆われたその紙は、まじまじ見ると広告などではなかった。
隣までやってきた彩香は、「……また」と、ボソリと漏らした。その視線の先には、なんの変哲もない張り紙が一枚。どこにでもあるような、ペットを探しているという知らせの紙だった。
『大切な家族を探しています』と太字で書かれ、愛らしい犬の写真が大きく印刷されているのが物悲しさを際立たせる。
「これが、どうかしたのか?」
「七季は思い出さない? 」
彩香の言葉に、俺は思わず視線を逸らせた。彼女はきっと、中学生の頃に起きた〝あの事件〟のことを言っているのだろう。
「まあ確かに、ペットと聞けば、思い出すけど」
一気に重たくなる空気。どうしたって、笑顔は途絶えた。
「彩香。やっぱり、いまでもあの日のことを―――」
「ねえ七季。今週末予定ある?」
彩香は、故意に俺の言葉を遮った。そうとわかっていて、俺は敢えて言及しようとは思えなかった。
「週末?」
「そう、週末」
「いや、まあ、いまのところ予定はないかな」
「いまのところって、どうせ予定なんて入る当てないんでしょ?」
彩香は意地悪に顔を近づけてきた。ドキッとして、それを悟られないようにあとずさりながら、俺は反論を試みる。
「当てがあったら、それはもう予定と一緒だろ?」
「細かいことはいいじゃない。それより決まりでいいの?」
「いや、せめてなにをするのか教えてくれないか?」
「見たい映画があるの。いま話題のファンタジー大作」
どう? と首を傾げてくる彩香。
「わかったよ、付き合う」
素っ気ない口調で答えたが、内心では彩香からの誘いに胸躍らせていた。更級さんに対しての罪悪感よりも、いまは喜びが先行していた。そんな感情を悟られまいと、
「だけど大丈夫なのか? 少し前に『学校の勉強に着いていけなくてやばいから遊んであげられない』とか超上から目線なこと言ってたじゃないか」
「遊んであげられなくてごめんねって言ったんだよ。私はちゃんと謝りました」
「論点はそこじゃない。なんで彩香が遊んであげてるっていう上から発言なんだよ」
「わかった。じゃあ、私と遊んでくれる?」
上目遣いに、しかも真っ直ぐそんなことを言ってくる彩香。整った眉目が眼前に迫り、思わず照れて顔を逸らしてしまった俺は、横でくつくつと笑う彼女の声に、してやられたと思った。
俺はそっぽ向いたまま聞く。
「で、大丈夫なのかよ?」
「ん、なにが?」
「だから、今週末」
「それなら大丈夫大丈夫。やるべきことはやったし、果報は寝て待てって言うからね」
「よくわからないけど、それなら安心だな」
俺はそう言って彩香の方を向き、
「楽しみにしてるぜ」
と満面の笑みを浮かべる。
少しは照れた素ぶりでも見せてくれるかと思ったが、柔和な笑みを浮かべ、彼女は深く頷くだけだった。
「あ、私こっちだから」
そう言って、彩香は軽い足取りで離れて行った。かと思うと、急に立ち止まって振り返る。そして指をさして笑った。
「それじゃあ七季、今度の日曜日、忘れないでよ」
手を振って、彩香は大勢のサラリーマンや通学途中の生徒に紛れて駅の方へと消えて行った。彼女が向かう先は、数駅先にある私立高校だ。彩香の両親は、彼女を進学校に通わせることを強く願っていたらしく、彩香もその意思に従う形で有名私立校を受験し、見事に合格を果たした。同じ高校へ進むとばかり思っていた俺は、寝耳に水だった。
近頃は、どんどん彩香との距離が開いていくことに焦りばかり感じる。幼い頃からの付き合いとはいえ、会う機会もめっきり減ってしまった。だからというわけではないが、最近感じることがある。彩香は高校に進学して、とても大人びて見えるようになった。好きな女性がどんどん大人へと変化していく中、自分は相変わらずガキなままだ。どうしたって埋まらない溝が、俺と彩香の間にできつつあるのだと感じていた。その溝を埋める機会があるとすれば、それは今度の日曜日。久々に彩香と出かけるということに、舞い上がってばかりではいけない。俺は自分の気持ちを、しっかりと彩香に伝えることを決意した。
学校までは徒歩で二〇分の距離にある。近隣校へ進学すると前々から決めていた俺は、迷うことなく『旭ノ丘市立・旭ノ丘南高校』へと進学した。偏差値はそれほど高くないが、かといって落ちこぼれと言うほどでもないこの学校は、都合のいい進学先だった。
家を出て通学路を歩いていると、不意に肩を叩かれて俺は振り返った。心なしか心臓が高鳴る。
「おはよう。相変わらず朝から暗いね」
振り返ると、違う高校の制服に身を包んだ女子高生が立っていた。
俺は心臓の高鳴りを気取られないように、敢えて素っ気ない態度で答える。
「余計なお世話だ―――彩香」
再び歩き出すと、枯井戸彩香は真横に駆け寄ってきた。
「幼馴染なんだし、余計なお世話ってことないでしょう?」
そう言って並び合うようにして隣を歩く彩香の顔を、俺はまともに見ることができなかった。きっと少しの緊張と、そして、一握りの罪悪感があったせいだろうと思う。昨日の焼却炉での告白劇が思い起こされる。自分の思いとは裏腹に更級さんと付き合うことになってしまい、それが〝想い人〟に対しての不義理という意味で、俺の心を苛んだのだ。
「どうかした? お腹でも痛い?」
押し黙っていると、彩香は顔を覗き込んでくる。
俺は顔を背け、意図的に歩を速めた。彼女の顔が眼前に迫っては気が動転するのも当然だ。
「もう、なによ」
小走りであとを追ってくる彩香。
俺は、さり気なく歩調を緩め、背後を気遣うようにほんの少し視線を向けた。そのとき、電柱に張り紙がされていることに気付いてその貼り紙に意識を奪われる。等間隔で立ち並んでいる電柱に、なにやら広告のような物が張られていたのだ。濡れないようにビニールで覆われたその紙は、まじまじ見ると広告などではなかった。
隣までやってきた彩香は、「……また」と、ボソリと漏らした。その視線の先には、なんの変哲もない張り紙が一枚。どこにでもあるような、ペットを探しているという知らせの紙だった。
『大切な家族を探しています』と太字で書かれ、愛らしい犬の写真が大きく印刷されているのが物悲しさを際立たせる。
「これが、どうかしたのか?」
「七季は思い出さない? 」
彩香の言葉に、俺は思わず視線を逸らせた。彼女はきっと、中学生の頃に起きた〝あの事件〟のことを言っているのだろう。
「まあ確かに、ペットと聞けば、思い出すけど」
一気に重たくなる空気。どうしたって、笑顔は途絶えた。
「彩香。やっぱり、いまでもあの日のことを―――」
「ねえ七季。今週末予定ある?」
彩香は、故意に俺の言葉を遮った。そうとわかっていて、俺は敢えて言及しようとは思えなかった。
「週末?」
「そう、週末」
「いや、まあ、いまのところ予定はないかな」
「いまのところって、どうせ予定なんて入る当てないんでしょ?」
彩香は意地悪に顔を近づけてきた。ドキッとして、それを悟られないようにあとずさりながら、俺は反論を試みる。
「当てがあったら、それはもう予定と一緒だろ?」
「細かいことはいいじゃない。それより決まりでいいの?」
「いや、せめてなにをするのか教えてくれないか?」
「見たい映画があるの。いま話題のファンタジー大作」
どう? と首を傾げてくる彩香。
「わかったよ、付き合う」
素っ気ない口調で答えたが、内心では彩香からの誘いに胸躍らせていた。更級さんに対しての罪悪感よりも、いまは喜びが先行していた。そんな感情を悟られまいと、
「だけど大丈夫なのか? 少し前に『学校の勉強に着いていけなくてやばいから遊んであげられない』とか超上から目線なこと言ってたじゃないか」
「遊んであげられなくてごめんねって言ったんだよ。私はちゃんと謝りました」
「論点はそこじゃない。なんで彩香が遊んであげてるっていう上から発言なんだよ」
「わかった。じゃあ、私と遊んでくれる?」
上目遣いに、しかも真っ直ぐそんなことを言ってくる彩香。整った眉目が眼前に迫り、思わず照れて顔を逸らしてしまった俺は、横でくつくつと笑う彼女の声に、してやられたと思った。
俺はそっぽ向いたまま聞く。
「で、大丈夫なのかよ?」
「ん、なにが?」
「だから、今週末」
「それなら大丈夫大丈夫。やるべきことはやったし、果報は寝て待てって言うからね」
「よくわからないけど、それなら安心だな」
俺はそう言って彩香の方を向き、
「楽しみにしてるぜ」
と満面の笑みを浮かべる。
少しは照れた素ぶりでも見せてくれるかと思ったが、柔和な笑みを浮かべ、彼女は深く頷くだけだった。
「あ、私こっちだから」
そう言って、彩香は軽い足取りで離れて行った。かと思うと、急に立ち止まって振り返る。そして指をさして笑った。
「それじゃあ七季、今度の日曜日、忘れないでよ」
手を振って、彩香は大勢のサラリーマンや通学途中の生徒に紛れて駅の方へと消えて行った。彼女が向かう先は、数駅先にある私立高校だ。彩香の両親は、彼女を進学校に通わせることを強く願っていたらしく、彩香もその意思に従う形で有名私立校を受験し、見事に合格を果たした。同じ高校へ進むとばかり思っていた俺は、寝耳に水だった。
近頃は、どんどん彩香との距離が開いていくことに焦りばかり感じる。幼い頃からの付き合いとはいえ、会う機会もめっきり減ってしまった。だからというわけではないが、最近感じることがある。彩香は高校に進学して、とても大人びて見えるようになった。好きな女性がどんどん大人へと変化していく中、自分は相変わらずガキなままだ。どうしたって埋まらない溝が、俺と彩香の間にできつつあるのだと感じていた。その溝を埋める機会があるとすれば、それは今度の日曜日。久々に彩香と出かけるということに、舞い上がってばかりではいけない。俺は自分の気持ちを、しっかりと彩香に伝えることを決意した。
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