彼女の優しい理由

諏訪錦

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彼女の優しい嘘の理由 2

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 そして、現在に至る。康一郎の用意した呼び出しの手紙を握り締めながら、更級紗良は頬を上気させている。
 告白の返事は未だもらえていなかった。その間も、俺は念仏のように「ごめんなさいと言え」と、内心で願い続けている。
 長い長い沈黙がいつまでも続くのではないかと思われたそのとき、更級さんは目を伏せながらも、ゆっくりと呟いた。
「なにかの、間違いじゃないんですか?」
「間違いって、この告白が?」
 彼女は頷くと、恥ずかしそうに、モジモジとスカートを弄んだ。そして、やっとの様子で口を開く。
「私で、その、本当にいいんですか?」
 探り探りな言葉。だが、言いたいことはおよそ伝わった。
 要するに、更級さんは自分に自信がないのだろう。だから、呼び出しを受けても半信半疑で、俄かには信じられなかった。自分なんかが告白を受けるわけがないと、そう思っているのかもしれない。だけど、手紙を受け取ってしまったからには無視をするわけにもいかず、嫌々ながらこの場所に訪れた、といったところか。
 俺は、ドギマギしている自分が馬鹿らしく思えてきた。さっさとこんな茶番劇を終わらせて、この気まずい空気から脱したい。そして、そうすることが更級さんのためにもなると思った。
 本当は嫌だろうに、律儀に呼び出しに応じる彼女は、きっと心優しい人なのだろうと想像できる。顔を真っ赤に染めながら、手はぶるぶると震えていた。見るからに緊張している様子。それでも、こうして会いにきてくれたのだ。
 彼女のお陰で、俺は冷静さを取り戻すことができた。相手がここまで緊張していると、嫌が応にも落ち着きを取り戻せるものだ。そして、こんなにも緊張している更級さんを、早く解放してあげたいと思った。
「間違いじゃないよ。こうして話してみて、あらためて更級さんの良い所を見つけることができた」
 真っ直ぐに彼女を見据えた。それは、不安げに顔を曇らせていた更級さんへの、ささやかな嘘だった。
 それにしても、自分の軽薄さに呆れてしまう。昨日の夕方まで名前も知らなかった相手に、よくもまあこんな嘘が吐けるものだ。
 だが、これですべて終わる。俺は内心で安堵の息を吐いた。ようやくこの気まずい緊張感ともおさらばだ。
 残るは、更級さんの「ごめんなさい」を聞くのみ。彼女の口からその言葉が聞けるのを心待ちにした。一秒でも早くこの場を立ち去りたい。これ以上、彼女の姿を見ているのは辛かった。更級さんを騙すような、この罰ゲーム自体に嫌悪感を抱かずにはいられない。
「……ごめんなさい」
 唐突にそう言って、彼女は顔を伏せた。その言葉を聞いて、俺は安心したと同時に心がざわつくのを感じた。予行練習とはいえ、相手に振られるというのは思いのほか心に響く。これが本番、つまり思い人からの言葉だったらどうなってしまうのだろう。きっとショックで立ち直れないに違いない。
 ただまぁ、なんにしてもこれで終われる。当たり障りのない言葉を残して立ち去ろうと考えていると、意外にも先に口を開いたのは、赤面していた更級さんの方だった。
「藪坂君の告白に、その、答えるのが遅れて、ごめんなさい」
「はい?」
 思わず聞き返した俺に、更級さんは狼狽した様子で言葉を続けた。
「あの、わた、私………藪坂君と、お付き合いしたいです」
 予想だにしない返答に、俺は耳を疑った。許容量を遥かに超える事態に、思考は的確な答えを出せずにいた。
「あの、えと、宜しくお願いします」
 更級さんは、そう言って恭しく頭を下げた。俺も釣られて頭を下げ、彼女の照れ笑いに思わず笑い返していた。その笑顔の裏側で、不味いことになったなと内心舌打ちをした。

 それから、ことの顛末を話すと、達夫は大袈裟なくらい驚いた。俺が告白を終えて戻ってくるのを、友人三人は教室で待っていた。こんなときばかり結束力を見せやがって、憎らしい限りだ。
 俺は声を荒げて言った。
「話が違うじゃないか。どうして更級さんと付き合うことになるんだよ!」
 怒りの矛先を康一郎に向けると、相手は考える素振りを見せた。
「一つ考えられるとすれば、更級さんは実は七季のことが好きだったという可能性だな」
「そんなはずないだろう。彼女とは話したこともないんだから」
「一目惚れって言葉を、お前は知らないのか?」
 馬鹿にするな、と俺は憤った。一目惚れされるような容姿をしていないことなど、誰よりも自認しているつもりだ。
 どうやら康一郎は、よく調べもしないで相手を決めたらしい。謝るでもなく、それどころか悪びれた様子も見せない康一郎に腹が立ったが、しかし同時に諦めにも似た感情が湧いてきた。
 康一郎との付き合いは中学の頃からだが、出会ったときからいつも振り回されてきた。それが俺にとっても面白かったり、刺激的だったりするので文句も言えず、いままでずるずると関係が続いているのだ。康一郎になにを言っても無駄か。そう思い諦めるようにため息を吐いた瞬間、教室の扉が勢いよく開かれ、俺たち四人は身を固くした。
「お前ら、いつまで残ってんだっ!」
 怒鳴り声とともに教室に入ってきたのは、ガラの悪い中年男性。唖然として言葉に困っていると、康一郎が立ち上がった。
「すみません、江頭えとう先生。すぐに帰りますから」
 康一郎にそう呼ばれた教師は、声の主を見て驚いた。
「なんだ、中上じゃないか」
 どうやら、教師陣にも康一郎の存在は有名なようだ。この高校で生徒会長の仕事を恙無くこなしている優等生の代名詞として、職員室でも噂の種なのだろう。腕を組みながら、俺たちに近付いてきた江藤先生は言った。
「早く帰れよ。あと、窓の戸締りしておけ」
 康一郎が代表して返事をする。俺たちは、江藤先生のあまりの剣幕に怯え、ろくすっぽ声が出せなかった。
 康一郎の返事に納得したのか、江藤先生はすぐに教室をあとにした。それを見届け、一様に安堵の溜息を吐く。
「康一郎、お前、怖くないのかよ?」
 俺の言葉に続くように、
「そうだよ。江藤先生って滅茶苦茶柄悪いじゃん」
 そう言った艮の声は、若干震えていた。
 俺の隣に座っていた達夫は興が削がれたのか、不愉快そうに顔を歪ませながら言った。
「あの教師、悪い噂しか聞かないぜ。言うこと聞かない生徒を病院送りにしたとか、女子生徒に援助交際持ちかけているとか、それから美術の朝倉先生っていたじゃん。あの人が転任早々学校辞めたのも、江藤にセクハラされたからって噂だぜ」
「マジでっ! 朝倉先生美人だったもんなぁー」
 艮が感慨深げに言った言葉に、康一郎がすぐに割って入った。
「おいおい。江藤先生はそんな人じゃない。俺が生徒会の仕事で困っているときにも助けてくれたくらいだ」
 意外だな。あの柄の悪い教諭にそんな気遣いができるとは思いもしなかった。伊達に教師を名乗ってはいないということか。
「そんなわけだから、江藤先生のことをあまり悪く言わないでくれ」
 俺たちは康一郎の言葉に窘められ、頷く他なかった。
 その後、教室の窓の戸締りをし、校門の前で艮と達夫の両名と別れた俺は、普段生徒会の仕事でなかなか一緒にならない康一郎と二人で帰ることになった。夕日を背に並び合うようにして歩きながら、俺は康一郎の横顔に声を掛ける。
「ずっと、黙ってたことがあるんだけどさ。俺、好きな人がいるんだ」
 康一郎の足音が止み、立ち止まったのがわかった。
 振り返ると、その表情は驚愕に歪みながら、ゆっくりと口を開く。
「………まさか、俺か?」
「なに言ってんだテメェ自意識過剰にもほどがあるだろバカ野郎!」
「おい七季、そこまで全力で否定されると逆にそうなんじゃないかって怖くなる」
「俺は根っからの女好きだ」
「その言い方もどうかと思うが、なんだ違うのか」
「ちょっと残念そうな言い方するんじゃねえよ、途端にこっちが怖くなる」
 冗談を言い合い、お互いひとしきり笑ったあと、
「で、相手は誰なんだ。その口ぶりだと俺の知っている女性か?」
 康一郎の言葉に俺は頷いて答えた。
「覚えてるか? 同じ中学に、枯井戸彩香かれいどさやかっていただろう」
「ああ、覚えてるよ。確か、七季の幼馴染の」
 康一郎の言う通り、彩香は家が近所の幼馴染だ。同じ中学ということもあって、俺を介して康一郎と彩香は何度か会ったことがある。康一郎はそのときのことを覚えていたようだ。
「俺さ、彩香のことが好きなんだよ」
 それなのに、俺は更級さんと付き合うことになってしまった。
 ことの重大さに気付いたのか、康一郎はバツが悪そうに呟いた。
「知らなかったとはいえ、悪いことをしたな」
「いや、別に康一郎だけの所為じゃないさ。罰ゲームをやる前、好きな人はいないのかって聞かれたときに、恥ずかしがったりしないで正直に答えていればよかった。そうしたら、お前だって無理に更級さんに告白させたりはしなかっただろう?」
 康一郎はなにも言わない。言い訳をしないのも、彼の長所だと俺は思っている。だから、そんな沈んだ顔をしないでほしい。
「あまり気にすんなよ。別に彩香との関係が終わったわけじゃないんだ。早い段階で、更級さんに謝って別れてもらうからさ」
 そう言って、俺は無理やりに笑顔を見せた。
「俺、今回のことで決心が付いたよ。近い内に彩香に告白する。それで、すべてを終わりにするんだ。もう後悔はしたくないからさ」
「そうか。応援してるよ。上手くいくと良いな」
 そう言って康一郎も笑う。久しぶりに腹を割って話せたことが嬉しくて、俺たちは笑い合いながら歩を進めた。
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