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前篇
落ちる(7)
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リョウヤ以外の稀人など必要ない。感情など探し出さずとも、初めからここにあったのだから。
無意識のうちに、見ないようにしていただけで。
『目を背けていられて、さぞや楽だろうねぇ』
マティアスの、言った通りだった。
「あんたなんか、顔赤くない? え、あ──もしかして熱? 俺の移っちゃったとか?」
不安げに伸びてきたリョウヤの細い指が、ちょこんと頬を掠めて、きて。
自分でも驚くほどに肩が跳ね、後退った。
「へ?」
しかし場所が悪かった。背後にあったのは低いテーブルだ。ガツンと革靴がテーブルの脚に当たり、一瞬体勢が乱れる。次いでテーブルの硬い側面が、ちょうど膝裏のくぼみに食い込んできて。
一気に両足の力が抜けて、落ちるようにバランスが崩れ。
「な」
「アレク危ない!」
リョウヤが伸ばした手も空しく、後ろから派手に転んだ。しかもテーブルが老朽化していたので、全体重を乗せたアレクシスの重みに耐えきれず、真ん中からバキッと割れた。
慌てて両手を後ろにつくも、時すでに遅し。
まさに、どんがらがっしゃん。
そんな効果音が似合うほど、ドン! と尻をしたたか床に打ち付けた頃には、周囲は凄まじい状態になっていた。
テーブルの上に並べられていた様々な物が、後ろ向きに倒れたアレクシスと共に盛大に床にぶちまけられ、煙のような埃が宙に舞い。運悪くそのテーブルに集められていたよくわからない鳥の羽根が、ふわふわと辺りをさ迷った。
「……つ、ぅ、ぐ」
ずきんと腰に走った痛みのあまり、みっともなさすぎる声が漏れた。
アレクシスは下を向いたまま、やはりこちらもみっともなく開いてしまっている己の下半身を凝視した。
あまりにも哀れな沈黙が、続く。
気まずい、は、もうこれで何度目か。
「あんた、な……に、してんの……?」
上からの視線が痛い。今アレクシスは、見るも無残な姿だろう。一流の職人に特注で作らせた服も、毎日ピカピカに磨かれている革靴も小汚くなって。
初めて人前で、盛大に尻もちをついてしまったのだから。
髪に付着した埃が目に入ってきて、痛む。前髪をくしゃりと掴んで払う。
そのままゆっくりと、顔を上げてみれば。
ぽかんと口を開けたリョウヤの顔があった。
視線が重なる。突然の事態に驚いていたリョウヤの唇の端が、ふるふると震え始める。そしてタイミングも悪く、宙に飛ばされてどこかに引っ掛かっていた謎の破片が、ぽこんっとアレクシスの頭に落ちてきた。
間抜けな音と、意外な重さに首が沈む。
その瞬間、リョウヤが吹き出した。
「あ──、あは、あははっ!」
大爆笑し始めるリョウヤ。
「なに、なんで……ど、どういう? は、はは!」
「……おい」
「だ、だって、だってあ、あんた、ホント、すっごい勢いで、すっころんで……ッ」
「笑うな」
「む、無理だろこんなの、ぶ、ふふ、あは、あはは……ッ!!」
笑っている。あのリョウヤが。肩を震わせ、これ以上耐え切れないとばかりに腹を抱えて。
「嘘だろ? なんで今自分から転びに行ったわけ? バナナの皮でも落ちてたの? へ、変な奴ぅ!」
「うるさい」
「あーあ、テーブル壊れちゃったじゃん!ひっでーの、コレクション全部ばらばら……、ふ、……ふ、ふふ」
ずっと、リョウヤを泣かせてみたかった。服従させたかった、壊してしまいたかった。
壊してしまえば、自分のものになると思ったからだ。従順になると思ったからだ。アレクシスを拒むのではなく、甘え、全てを受け入れるようになると思ったからだ。
アレクシスだけを見るようになると、思ったからだ。
僕を、僕だけを、見てくれると思ったからだ──僕の、ことを。
「あんたって、本当に不器用だったんだな……あ、あは! 頭、埃まみれじゃん、間抜けだなぁ」
リョウヤのことを愚かだと思っていた。けれども。
『最初からってことなんじゃないかな? たぶん』
その言葉通り。
あの闇市で出会った瞬間から、この気持ちを抱いていたのだとすれば。
「もー、なにぼーっとしてんだよ……ほら」
アレクシスの方こそ、とんだ愚か者じゃないか。
やっと気づいたんだねぇと、友の声が聞こえてくるようだ。
「立てるか? 掴まれよ」
なんの躊躇もなく差し伸べられる、リョウヤの手。
あの雨の日、リョウヤに手すら差し伸べなかった自分。
リョウヤはまだ笑っている。緩んだ頬はくちゃっとしていて、全くもって美しくない。不格好で、歯茎だって丸見えで、教養も、上品さの欠片もない。
アレクシスの愛人たちが見れば、なんて汚い笑い方なのかしらと鼻で嗤うだろう。
だというのに、そんなリョウヤの顔からこうして目が離せなくなってしまうのは。
みすぼらしいはずのリョウヤの笑い顔が、こんなにも眩しく……可愛らしく、見えるのは。
唇を噛みしめる。
覚えはない。けれども知らぬほど幼くもない。
眩暈のしそうなほどの熱を頭からひっかぶったような。この体中を掻きむしりたくなるほどの、情動。
手を伸ばす。
恋だった。
────────────────────
落ちました。今日はいい天気だな事件を経て嫉妬深いツンデレ大魔王が爆誕しました。
これにて前編終了です。後編の2話まではupしますが、それ以降の投稿は数カ月後となります。
詳しくは近況ボード欄にて。
感想など頂けると嬉しいです。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
無意識のうちに、見ないようにしていただけで。
『目を背けていられて、さぞや楽だろうねぇ』
マティアスの、言った通りだった。
「あんたなんか、顔赤くない? え、あ──もしかして熱? 俺の移っちゃったとか?」
不安げに伸びてきたリョウヤの細い指が、ちょこんと頬を掠めて、きて。
自分でも驚くほどに肩が跳ね、後退った。
「へ?」
しかし場所が悪かった。背後にあったのは低いテーブルだ。ガツンと革靴がテーブルの脚に当たり、一瞬体勢が乱れる。次いでテーブルの硬い側面が、ちょうど膝裏のくぼみに食い込んできて。
一気に両足の力が抜けて、落ちるようにバランスが崩れ。
「な」
「アレク危ない!」
リョウヤが伸ばした手も空しく、後ろから派手に転んだ。しかもテーブルが老朽化していたので、全体重を乗せたアレクシスの重みに耐えきれず、真ん中からバキッと割れた。
慌てて両手を後ろにつくも、時すでに遅し。
まさに、どんがらがっしゃん。
そんな効果音が似合うほど、ドン! と尻をしたたか床に打ち付けた頃には、周囲は凄まじい状態になっていた。
テーブルの上に並べられていた様々な物が、後ろ向きに倒れたアレクシスと共に盛大に床にぶちまけられ、煙のような埃が宙に舞い。運悪くそのテーブルに集められていたよくわからない鳥の羽根が、ふわふわと辺りをさ迷った。
「……つ、ぅ、ぐ」
ずきんと腰に走った痛みのあまり、みっともなさすぎる声が漏れた。
アレクシスは下を向いたまま、やはりこちらもみっともなく開いてしまっている己の下半身を凝視した。
あまりにも哀れな沈黙が、続く。
気まずい、は、もうこれで何度目か。
「あんた、な……に、してんの……?」
上からの視線が痛い。今アレクシスは、見るも無残な姿だろう。一流の職人に特注で作らせた服も、毎日ピカピカに磨かれている革靴も小汚くなって。
初めて人前で、盛大に尻もちをついてしまったのだから。
髪に付着した埃が目に入ってきて、痛む。前髪をくしゃりと掴んで払う。
そのままゆっくりと、顔を上げてみれば。
ぽかんと口を開けたリョウヤの顔があった。
視線が重なる。突然の事態に驚いていたリョウヤの唇の端が、ふるふると震え始める。そしてタイミングも悪く、宙に飛ばされてどこかに引っ掛かっていた謎の破片が、ぽこんっとアレクシスの頭に落ちてきた。
間抜けな音と、意外な重さに首が沈む。
その瞬間、リョウヤが吹き出した。
「あ──、あは、あははっ!」
大爆笑し始めるリョウヤ。
「なに、なんで……ど、どういう? は、はは!」
「……おい」
「だ、だって、だってあ、あんた、ホント、すっごい勢いで、すっころんで……ッ」
「笑うな」
「む、無理だろこんなの、ぶ、ふふ、あは、あはは……ッ!!」
笑っている。あのリョウヤが。肩を震わせ、これ以上耐え切れないとばかりに腹を抱えて。
「嘘だろ? なんで今自分から転びに行ったわけ? バナナの皮でも落ちてたの? へ、変な奴ぅ!」
「うるさい」
「あーあ、テーブル壊れちゃったじゃん!ひっでーの、コレクション全部ばらばら……、ふ、……ふ、ふふ」
ずっと、リョウヤを泣かせてみたかった。服従させたかった、壊してしまいたかった。
壊してしまえば、自分のものになると思ったからだ。従順になると思ったからだ。アレクシスを拒むのではなく、甘え、全てを受け入れるようになると思ったからだ。
アレクシスだけを見るようになると、思ったからだ。
僕を、僕だけを、見てくれると思ったからだ──僕の、ことを。
「あんたって、本当に不器用だったんだな……あ、あは! 頭、埃まみれじゃん、間抜けだなぁ」
リョウヤのことを愚かだと思っていた。けれども。
『最初からってことなんじゃないかな? たぶん』
その言葉通り。
あの闇市で出会った瞬間から、この気持ちを抱いていたのだとすれば。
「もー、なにぼーっとしてんだよ……ほら」
アレクシスの方こそ、とんだ愚か者じゃないか。
やっと気づいたんだねぇと、友の声が聞こえてくるようだ。
「立てるか? 掴まれよ」
なんの躊躇もなく差し伸べられる、リョウヤの手。
あの雨の日、リョウヤに手すら差し伸べなかった自分。
リョウヤはまだ笑っている。緩んだ頬はくちゃっとしていて、全くもって美しくない。不格好で、歯茎だって丸見えで、教養も、上品さの欠片もない。
アレクシスの愛人たちが見れば、なんて汚い笑い方なのかしらと鼻で嗤うだろう。
だというのに、そんなリョウヤの顔からこうして目が離せなくなってしまうのは。
みすぼらしいはずのリョウヤの笑い顔が、こんなにも眩しく……可愛らしく、見えるのは。
唇を噛みしめる。
覚えはない。けれども知らぬほど幼くもない。
眩暈のしそうなほどの熱を頭からひっかぶったような。この体中を掻きむしりたくなるほどの、情動。
手を伸ばす。
恋だった。
────────────────────
落ちました。今日はいい天気だな事件を経て嫉妬深いツンデレ大魔王が爆誕しました。
これにて前編終了です。後編の2話まではupしますが、それ以降の投稿は数カ月後となります。
詳しくは近況ボード欄にて。
感想など頂けると嬉しいです。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
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