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前篇
落ちる(4)
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「あれ、これってなんかの絵?」
そこそこの広さの室内を、物珍しそうに歩き回っていたリョウヤが、ふいにしゃがみ込んだ。壁際に寄せたテーブルの上に、隠すように立てかけていたのは一枚の額縁だった。
赤い布がかけられたそれは、端の方しか見えていない。
しまったと窓際から腰が上がる。すっかりそれの存在が頭から抜け落ちていた。
「あ、端っこにサインがある。えっと、アレク、シス、チェン、バ……って、あんたじゃん」
目敏く読まれてしまったので、もう誤魔化しようがない。
「……僕が描いた絵だ。子どもの頃に」
「へえ、あんたって絵も描くんだな」
「見るな。やめておけ、夢に出るぞ」
「え? なにそれ、どういう意味──」
流れるように、ぱさりと赤い布を落としたリョウヤは。
「え゛」
がちっと、石像の如く固まった。
「え……え? は?」
目は口程に物を言うとは、言うが。
リョウヤは自分から布を剥いでしまったため引くに引けなくなったのだろう。見たいような見たくないような……みたいな感じで視線を泳がせたり恐る恐る目を細めたりしている。
露骨だ。
「ほ、本当にこれ、あんたが描いたのか……?」
「……嘘を付く理由がどこにある」
気まずい、という覚えたての感情をじっくりと味わいながら、ちっと舌打ちを零す。
だからやめろと言ったんだ。
「こ、この生命体は、なに? えっと、動物? アレク……あんた馬……亀……いやキリンが好きだったの?」
「馬でも亀でもキリンでもない。男と女を描いたんだそれは」
「……」
沈黙は、答えである。そういう態度を取られるであろうということは予想していたが、こうまでしてわかりやすい態度を取られると。
「そ、うなんだ。あーっと……どっちが男でどっちが女、なの?」
「……当ててみろ」
腹が立つものは腹が立つ。もはや自棄もあり、随分と冷ややかな声が出た。今までで一番冷たい声色だったかもしれない。
アレクシスの冷気に晒されて、リョウヤはいろんな意味で死にそうな顔になっていた。
「い……いやぁ、それは流石に危険なミッションすぎるだろ」
「なにか言ったか?」
「いや何も。えっとこっちが、女の……いや男? いや、あー……女の人、だよな?」
「男だ」
アレクシスの表情をちらちらと伺いながらも、間違えられた。
「あー……うん、なるほど、なるほどね、男の人ね……そうそう、わかるわかる」
と、本来であればズバッと物申してくるリョウヤが心なしか気遣っている風なのも、不快である。
「じゃ、じゃあさ、これは植物のつる?」
「……」
「じゃないよな! いや触……手ぅでもないよな、流石に。うんわかるわかる。じゃあ首?」
「……」
「にも、見えなくもないし……手ぇ、でもあるような……ないような?」
「……」
「気もしたけど違うよな。うーん……あ、わかった! 髪だな?」
「足だ」
「うそ……」
しんと、静まりかえる空気。ついにリョウヤが言語を忘れた。
そもそも、専属で雇った美術の教師たちからも控え目に、『坊ちゃんの絵は誰よりも独創的かつ芸術的かつ創造的であらせられますが絵以外の学問も秀でておいでなので絵以外のものにより一層力を注がれた方がいいように思われますはい絵以外のもので……』と一息でまくしたてられたぐらいなのだから、己の絵心のなさは自覚済みである。
なにしろ頼みのクレマンですら、アレクシス絵を見せられた日の夜は恐ろしい悪夢に魘されたらしい。
曰く、アレクシスの描いた邪神(クレマンの似顔絵のつもりだったのだが)に追いかけ回され、魔界へと連れていかれた夢だったようだ。
問い詰めたら白状した。
アレクシスは、子どもらしい幼少時代というものを送ったことがない。勉学、教養、社交界における人脈づくり。息の詰まりそうな日々の中、絵を描く作業というのは唯一無心になれる時間だった。
しかし上記の理由から、とっくの昔に描くのはやめていた。
周囲の平穏のためにも、封印すべきだと思ったからだ。
そして何より、チェンバレー家の長男がこのような絵を描くだなんてことが知れ渡れば、チェンバレー家の権威は失墜する。
セントラススクール在学中も美術は頑なに専攻しなかった。
その絵だとて、破り捨てようと思ったのだがクレマンに隠されたのだ。「いけませんよ坊ちゃん。取っておきましょう。強盗が入った時などにこれを発見すれば、きっと一目散に……」と。一目散になんだ、とは思わなくもなかったが、とりあえずここに放置していたのだ。
リョウヤは、じっとアレクシスの絵を見つめ、黙ったままだ。
再発する、本日三度目の気まずさ。
「──おい、何か言え」
「でも、正直に言ったらあんた傷付くんじゃない?」
それはもはや、言っているようなものである。
「おまえが正直でなかったことがあるか」
「あ、それもそっか」
リョウヤが額縁を持ち上げ、まじまじと顔を近づけた。
「なんかあれだな、こういうのって確か画伯っていうんだろ? あんた絵心、爪の欠片もねーのな! びっくりした」
少しは遠慮というものを覚えろと言ってやりたい。だがプライドが許さない。
「うわ、どっからどう見てもやっばいなこれ。不気味だし禍々しさ極まりないし、夢に出てきそう。子ども見たらギャン泣きされてんな!」
そこまで言うかとばかりに追い打ちをかけられた。クレマンですらもう少しオブラートに包んだものを。
絵というものは、己の価値を高めるためのものだ。反対に価値が下がるようなものであれば、捨てなければならない。
アレクシスの絵は、後世へと残る恥だ。これもいい機会だと、つかつかと近づいて絵を奪おうとする。しかし素早くよけられた。左手だけではうまく奪えない。
「おい、返せ」
「嫌だ。もうちょっと見せてよ。うーん、これは……なんだろ、雲?」
すばしっこいリョウヤは捕まらない。隔てるように間に挟まれるテーブルも邪魔だ。
「やめろ。ちなみにそれは雲ではなく髪だ」
「マジで? 本気? 空半分覆い隠してるよ!?」
「もういいだろう」
「よくないって」
「さっさと放せ、それは捨てる」
「え、捨てる!? ちょっと待って、やめてってば。本当にもっと見たいんだよ! あんたの絵、確かに持ってるだけで邪神とか召喚できそうなくらいヤバい代物だけど、でも……っ」
「ふざけるなよ貴様」
「ふざけてねーよ! 捨てるなんて駄目だってば! 聞けよ、だって俺、この絵のこと」
「いいから返せ──おい、リョウ!」
逃げまどっていたリョウヤが、ぴたりと足を止めた。
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