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前篇
真実(2)
しおりを挟むマティアスの口からその珍妙な言語を聞くことになるとは思っていなかったからだ。つまり、日本語である。
しかも『シュウ』とは、あまりいい印象を抱いていない、あの稀人の名前だ。
「おまえたちが帰った後に薬をもらったんだよ、熱が出てるだろうからってね。使い方は紙に書いておいた。その袋の中に入れておいたから読みなよ」
「いらん。捨ておけこんなもの」
考える前に吐き捨てれば、マティアスに諫められる。
「まあまあ、いいから。認めるのは癪だけどシュウの薬は……ヤバいよ。たぶんかなり効くと思う。さっさと飲ませてやった方がいいんじゃない? 坊やまだ、顔真っ赤なんだから」
マティアスに指さされたリョウヤは、彼の言う通りまだ顔が赤い。しぶしぶと中を開けてみると、メモにマティアスの字が殴り書きされていた。なんというか、彼らしくない乱れた文字だ。
赤い瓶の薬は、熱冷まし用の飲み薬。青い瓶は腕の傷に塗るように、と。
「腕の、傷……」
「腕、赤かったって言ってたけどホント?」
腕の怪我とは、ベッドの上に投げ出されたリョウヤの腕についている、この奇妙なひっかき傷のことだろう。怪我、というほどのものではないものの、真新しい赤い線に医者も首を捻っていた。
「気付いていたのか、あの男……」
「うっわ、声低っ、あんまり怖い顔してると坊やが起きちゃうよ?」
正直、忌々しいことこの上なかった。医者からは寝ている最中にでも引っ掻いてしまったのだろうと説明は受けたものの、アレクシスは気付かなかった。それをあの稀人はたった29分という短時間で気付いたというわけか。目敏すぎる。不思議な医術を操る医者だかなんだか知らないが、それはつまり、よくリョウヤを観察し、リョウヤの手にじっくりと触れていたということに他ならない。
弱さを見せないリョウヤの弱さに、初めて気づいた男。
忘れかけていた底冷えするような憤怒が、湧き上がってくる。怒りのまま目の前のベッドを蹴り上げそうになったが、寝込んでいる病人がいるため堪えた。
この傷は、一体いつできたものなのだろうか。
シュウイチが気付いたとなると、2日以上前であることは確定だ。そう、2日……
「おい」
「なんだい?」
「なぜ今これを持ってたきたんだ。2日も経っているぞ」
「だぁかぁらぁ、私も色々大変だったんだよ。これを見ればわかるだろう? 熱だって今朝までホント~~に引かなかったんだから。歩くのだって正直しんどいくらいだし。ケーコーホスイエキを飲んでもね」
やれやれと困ったように肩を落としたマティアスに、ますます眉間にしわが寄った。聞き覚えの無い単語を自在に操る姿は、3日前に会ったマティアスとは明らかに違っている。
目に見えない何かに毒されている、とでも言えばいいのか。とにかく変だ……マティアスの変人っぷりは昔からだが。
「あの医者を、名前で呼ぶようになったのか、マティアス」
「え? ああ、まあね……それより、坊やってば酷い有様だねぇ。むちゃくちゃやっちゃったのかな?」
「……していない、とは、言い切れんな」
おや、とマティアスがベッドの足元に腰かけ、足を組んだ。
「いやに素直じゃないか。思い切りいたぶってスッキリした、って顔じゃあないね……」
リョウヤがもぞもぞと身じろぎをするたび、細い首につけてしまった赤い吸い痕と、アレクシスの歯型が目に痛む。
ずっとリョウヤを泣かせてみたかった。徹底的に痛めつけて壊してしまいたかった。けれどもそれは、穏やかに、柔らかにリョウヤに触れた自分とは、あまりにも解離している。
この2日間、眠るリョウヤの側でその理由について考えてみたのだが、未だに答えが見えてこない。
自分はリョウヤのことを、愛らしい愛玩動物か何かだと思うようになったのだろうか──今は熱で大人しくはなっているものの、生意気で、いつだってシャーシャー牙を剥いてくるような全く懐いてこないリョウヤを?
笑った顔は……まあ、それなりだとは思うが。やはりそれも違うような気がする。
なにしろリョウヤは特別、目に留まるような容姿を持っているわけでもない。
「ふぅん。なんだか煮詰まってるみたいだから、ヒントをあげようか」
「ヒント、だと?」
「そ、ヒント。そもそもさ、なんで坊やのことをいたぶるのかな?」
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