月に泣く

宝楓カチカ🌹

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前篇

  見えなかったもの(2)

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「始めは、担当の者が清掃の回数を増やしているのだとばかり思っておりました。しかし、違いました。こっそり、奥様がなさっていたようです。そのおかげで毎朝の掃除が随分と楽になったようで」

 チェンバレー家は、広い厩舎で馬を多頭飼いしている。
 これは祖父が始めたことだ。チェンバレー家の名を知らしめる手段の1つとして馬を飼い、育った駿馬を競馬の乗り役へと貸し出していたのだ。
 昔は、チェンバレー家の広大な敷地で競技の練習もさせていたらしい。
 故に、敷地内には馬が走れる小道も整備されている。祖父自身も乗馬が好きで、よくその道を通って森の奥の湖畔へと向かい、祖母とピクニックに行っていたようだ。
 現在、貸し出しは行っていないが、父の代になってからもその伝統とも呼べないような伝統は守られていた。
 したがって所有している馬の数はかなり多く、掃除に手が回らない日もままある。

「奥様は人気のない時間帯をお選びになって、厩舎にお見えになっておりました。てっきりご自分に時間がある時に、馬にちょっかいをかけに行かれているとばかり思っておりましたが、どうやら馬の遊び相手になってくださっていたようです。頻繁に、馬の体も洗ってくださっていました。道理で、馬が奥様に懐いているはずです」

 ぐうの音もでないとはこのことだった。泥と藁まみれになっていた理由が今、わかった。癒しを求めに、ちょっかいをかけに行っていたわけではなかったらしい。

「ああ、そういえばこの前、メイドが重い石炭の入ったバケツを持って階段を上っていたのですが、運んでいる途中に奥様が現れて、最上階まで運んでくださったと話しておりました」

『いーよ、よたよたのぼってられると邪魔だし。俺の方がまだ早いから貸して。で、何階?』

 その発言があまりにもリョウヤらしいと思って、「らしい」と思った自分自身に、唇が重くなる。
 本当に邪魔だと思っているのなら、普通は悪態をついて無視をする。けれどもリョウヤはそうはしない。きっと厩舎の件をリョウヤに尋ねても、特別なことでもなんでもないとばかりに言い返してくるに違いない。

『え? 別に気になったから洗っただけだけど……いや、いちいち誰かに報告する義務ねーだろ』

 だなんて、しれっと。目に浮かぶようだった。

「他にも、似たようなことがいくつか。全部お話いたしましょうか?」
「……いい」

 いちいち言われずとも全て想像がつく。口の中が苦くなってきた。前々から喉奥に居座っていた苦虫が、口内にまで這い出してくるような苦味だ。
 トントントンと、控えめに扉を叩かれた。クレマンが相手を確認し、「どういたしますか」と耳打ちしてくる。この状況でこの場に来るということは、アレクシスによっぽど伝えたいことがあるのだろう。

「入れ」
「……失礼、致します」

 声だけで促せば、大して珍しくもない栗毛色の髪と、分厚い眼鏡のメイドがしずしずと入ってきた。その青ざめた顔には見覚えがある。
 リョウヤが何かと気にかけている、キャシーとかいう名前のメイドだ。
 こうやって直に話すのは初めてだ。雇ってまだ日も浅い使用人たちとは基本的に最低限の話しかしない。この屋敷の調度品を割ったことを黙っていたのは、メイドとして失格だ。
 しかし、あれだけのことを仕出かしても、クレマンと話し合った家政婦長が残すことを決めたのなら、こう見えても見込みのあるメイドなのだろう。
 ただ、暫くリョウヤの側から外されていたと聞いていたが。
 キャシーはおずおずと一礼した。

「だ、旦那様。わ、私は……キャシー・モーガンと申します。こ、このたびは、旦那様が愛用なさっていた花器を」
「その件についてはもういい。クレマンに一任している」

 それに、別に愛用なさっていたわけでもない。ただ放置していただけだ。

「僕に何か言いたいことがあるんだろう。手短に話せ」

 顎でしゃくる。気難しいアレクシスを怒らせるとろくなことにならないとわかっているようだ。キャシーはごくりと唾を飲み、ベッドに横たわるリョウヤをちらちらと気にしながらも決意を固め、きゅっと顔を上げた。


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