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前篇
シュウとマティアス(3)
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強張った背筋を悟られぬように、マティアスは口角を吊り上げた。
「……あは、やっぱり面白いねぇ、君」
「お褒めに預かり光栄です。冷めないうちに飲んでくださってありがとうございました。貴方に言われた通り、あっつーいのを淹れておいたので──冷めちゃったら味がバレちゃいますし」
「まさか、コーヒーに何か入れたとか言わないよね?」
「だとしたらどうします?」
窮地を脱するために適当なことでも言って脅しをかけてきているのだろうか。
しかしそれにしては余裕がある。
「うーん、それを私が信じるとでも? そうであれば君だって危ないよねぇ、さっき君に、私が、あっつーいキスをしたこともう忘れてるのかな?」
「随分とお花畑ですね、その頭」
その優し気な風貌からは想像もできぬほどの辛辣な言葉に、口を閉じる。
「すみません、実はちょっと騙しちゃいました。僕の唇が甘かったのは本当なんです。なにしろ僕のには、経口タイプの解毒薬を混ぜておきましたので。ちなみに、貴方が飲んだのは毒入りです。苦みが強かったでしょう? あっ、ちなみに作り置きの解毒薬はもう残っていません。今頃、下水管を通ってあの汚いライラ川に向かって流れています。僕がさっき零しちゃいましたので」
視線のみを陶器の台へと向ける。
稀人が流したコーヒーは全て流れてしまっていた。そういえば、やけに勢いよく飲み干していたような。
「わざと、コップを落としたとか、言う?」
「まさか。貴方に押し倒された時にびっくりしてぜんぶ流しちゃっただけです。不可抗力ですよ」
マティアスは今初めて、稀人が自分のことを「貴方」と呼んでいることに気が付いた。偶然か、わざとか。それとも──呼ぶ価値もないということか。
首裏に回されていた稀人の腕が、ゆっくりと解かれた。
「ちょっとだけ、昔話をしてもいいですか?」
「……別に、構わないよ」
余裕があるのはこちらだと見せつけるために、頷いてやる。ただし、じっと見上げられる視線に、背後からじわじわと冷水に浸されていくような感覚に陥っていた。
「実は僕、この世界に来てから3人の男に犯されてしまったんです」
稀人が眉を下げた。
何故だろう、心の底から悲しんでいるように見えるのに、それ以上に、わざとらしく見えてしまうのは。
「最初の1年目に忌人狩りに捕らえられまして、貴族の男に買われました。年齢は違えど仲のいいお三方で、1週間置きに僕を回して共有していたんです。酷い話だとは思いませんか?」
「そうだねぇ、お可愛そうに」
「そうなんですよ、僕可哀想なんです。で、そのお三方、今どこでどうしているのかご存知ですか?」
「……さあ。私は君じゃないからねぇ」
「では教えて差し上げましょうか」
下から伸びてくる、形のいい爪先。目の前の青年が黒い瞳をうっそりと細めた。それはもう、妖艶さの滲む微笑みで。突然の変貌に、喉の奥に溜まっていた唾がどっと流れ落ちてくる。稀人から目が離せない。
「全員、棺の中です」
つん、と、やわく唇を突かれた。
「新聞にも掲載されたんですよ? フォースター子爵とリヴェルタ侯爵のご長男、そしてフォルトゥナート伯爵です。お気の毒なことに、いまだに死因は不明だそうで」
その3人の名前は覚えている。立て続けに不審な死に方をしたので、当時はかなり衝撃的な事件として騒がれていた。
遺体の状況は、文字を読むだけでもぞっとするものだった。時間をかけて体中が爛れ、膿み、腐っていたというのだ。特に下半身は酷いものだったらしい。
結局、彼らを生きながらに死に至らしめた原因は解明できず、捜査は打ち切られた。もう5年も前のことだ。
5年、前のことだ。
この稀人が、この世界に来たと言っていたのは、いつ頃だったか。
「僕がここに閉じ込められている理由が、役に立つからという理由だけであるはずが、ないじゃないですか……」
まるで、空気を含んだ睦言のような、ささやき。
「君が、やったっていうのかい?」
「さあ。僕がやったという証拠は何一つありませんので。ただ、僕は一度、貴方に忠告しましたよ? 僕はやめておいた方がいいですよと。僕を選ぶなんて趣味が悪すぎますよ、と」
「……そっちこそ趣味の悪い冗談は、よせよ」
「ああ、そうそう思い出しました。リヴェルタ侯爵のご長男は、確かまだ18歳でしたね。常に自信に満ち溢れていた前途ある若者でしたのに、不憫でなりません。お可愛そうに……驕っていたばっかりに」
どこまでも柔らかな声が、まるで毒のようにじわじわと、皮膚に浸透してくる。
「この3人の貴族を襲った悲劇からは、1つの教訓が導き出せると思います。毒に触れていいのは、毒に侵される覚悟を持った人間だけだと──貴方にその覚悟はありますか?」
稀人がにっこりと、口角を吊り上げた。
「ないのなら今すぐにどきなさい。痛い目をみますよ」
「どかないと、言ったら……?」
「簡単なことです。リョウヤさんは本当にお優しい方だと思います」
なぜここで、その名前が出てくるのかがわからない。
「だってお2人のお話を聞く限りでは、酷い扱いばかり受けているのでしょう? 特にあの典型的なDV野郎からはかなり手酷く扱われているようですし……泣き言1つ言わず相手をしているだなんて信じられません」
稀人がすうと息を吸い込んだ。
「だって僕なら、殺しちゃってます」
足払いをかけられたことに気付いたのは、腹ばいに床に叩きつけられた後だった。
────────────
やっとこの2人が書けました。
「……あは、やっぱり面白いねぇ、君」
「お褒めに預かり光栄です。冷めないうちに飲んでくださってありがとうございました。貴方に言われた通り、あっつーいのを淹れておいたので──冷めちゃったら味がバレちゃいますし」
「まさか、コーヒーに何か入れたとか言わないよね?」
「だとしたらどうします?」
窮地を脱するために適当なことでも言って脅しをかけてきているのだろうか。
しかしそれにしては余裕がある。
「うーん、それを私が信じるとでも? そうであれば君だって危ないよねぇ、さっき君に、私が、あっつーいキスをしたこともう忘れてるのかな?」
「随分とお花畑ですね、その頭」
その優し気な風貌からは想像もできぬほどの辛辣な言葉に、口を閉じる。
「すみません、実はちょっと騙しちゃいました。僕の唇が甘かったのは本当なんです。なにしろ僕のには、経口タイプの解毒薬を混ぜておきましたので。ちなみに、貴方が飲んだのは毒入りです。苦みが強かったでしょう? あっ、ちなみに作り置きの解毒薬はもう残っていません。今頃、下水管を通ってあの汚いライラ川に向かって流れています。僕がさっき零しちゃいましたので」
視線のみを陶器の台へと向ける。
稀人が流したコーヒーは全て流れてしまっていた。そういえば、やけに勢いよく飲み干していたような。
「わざと、コップを落としたとか、言う?」
「まさか。貴方に押し倒された時にびっくりしてぜんぶ流しちゃっただけです。不可抗力ですよ」
マティアスは今初めて、稀人が自分のことを「貴方」と呼んでいることに気が付いた。偶然か、わざとか。それとも──呼ぶ価値もないということか。
首裏に回されていた稀人の腕が、ゆっくりと解かれた。
「ちょっとだけ、昔話をしてもいいですか?」
「……別に、構わないよ」
余裕があるのはこちらだと見せつけるために、頷いてやる。ただし、じっと見上げられる視線に、背後からじわじわと冷水に浸されていくような感覚に陥っていた。
「実は僕、この世界に来てから3人の男に犯されてしまったんです」
稀人が眉を下げた。
何故だろう、心の底から悲しんでいるように見えるのに、それ以上に、わざとらしく見えてしまうのは。
「最初の1年目に忌人狩りに捕らえられまして、貴族の男に買われました。年齢は違えど仲のいいお三方で、1週間置きに僕を回して共有していたんです。酷い話だとは思いませんか?」
「そうだねぇ、お可愛そうに」
「そうなんですよ、僕可哀想なんです。で、そのお三方、今どこでどうしているのかご存知ですか?」
「……さあ。私は君じゃないからねぇ」
「では教えて差し上げましょうか」
下から伸びてくる、形のいい爪先。目の前の青年が黒い瞳をうっそりと細めた。それはもう、妖艶さの滲む微笑みで。突然の変貌に、喉の奥に溜まっていた唾がどっと流れ落ちてくる。稀人から目が離せない。
「全員、棺の中です」
つん、と、やわく唇を突かれた。
「新聞にも掲載されたんですよ? フォースター子爵とリヴェルタ侯爵のご長男、そしてフォルトゥナート伯爵です。お気の毒なことに、いまだに死因は不明だそうで」
その3人の名前は覚えている。立て続けに不審な死に方をしたので、当時はかなり衝撃的な事件として騒がれていた。
遺体の状況は、文字を読むだけでもぞっとするものだった。時間をかけて体中が爛れ、膿み、腐っていたというのだ。特に下半身は酷いものだったらしい。
結局、彼らを生きながらに死に至らしめた原因は解明できず、捜査は打ち切られた。もう5年も前のことだ。
5年、前のことだ。
この稀人が、この世界に来たと言っていたのは、いつ頃だったか。
「僕がここに閉じ込められている理由が、役に立つからという理由だけであるはずが、ないじゃないですか……」
まるで、空気を含んだ睦言のような、ささやき。
「君が、やったっていうのかい?」
「さあ。僕がやったという証拠は何一つありませんので。ただ、僕は一度、貴方に忠告しましたよ? 僕はやめておいた方がいいですよと。僕を選ぶなんて趣味が悪すぎますよ、と」
「……そっちこそ趣味の悪い冗談は、よせよ」
「ああ、そうそう思い出しました。リヴェルタ侯爵のご長男は、確かまだ18歳でしたね。常に自信に満ち溢れていた前途ある若者でしたのに、不憫でなりません。お可愛そうに……驕っていたばっかりに」
どこまでも柔らかな声が、まるで毒のようにじわじわと、皮膚に浸透してくる。
「この3人の貴族を襲った悲劇からは、1つの教訓が導き出せると思います。毒に触れていいのは、毒に侵される覚悟を持った人間だけだと──貴方にその覚悟はありますか?」
稀人がにっこりと、口角を吊り上げた。
「ないのなら今すぐにどきなさい。痛い目をみますよ」
「どかないと、言ったら……?」
「簡単なことです。リョウヤさんは本当にお優しい方だと思います」
なぜここで、その名前が出てくるのかがわからない。
「だってお2人のお話を聞く限りでは、酷い扱いばかり受けているのでしょう? 特にあの典型的なDV野郎からはかなり手酷く扱われているようですし……泣き言1つ言わず相手をしているだなんて信じられません」
稀人がすうと息を吸い込んだ。
「だって僕なら、殺しちゃってます」
足払いをかけられたことに気付いたのは、腹ばいに床に叩きつけられた後だった。
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やっとこの2人が書けました。
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