月に泣く

宝楓カチカ🌹

文字の大きさ
上 下
69 / 142
前篇

  掴めない感情(2)

しおりを挟む




 正直、この数日間でいつ言われるのかと思っていた。なにしろアレクシスが館を歩くたびに、全員ではないが、使用人たちの非難めいた視線がちくちくと突き刺さってくるのだ。
 原因は十中八九、リョウヤだろう。
 だが解せない。何故、使用人たちがリョウヤのことをこれほどまでに心配するのか。
 
「どういう風の吹き回しだ? おまえも、あれの突飛な行動には随分と辟易していたじゃないか」

 リョウヤは特別、行儀よくしていたわけではない。
 食事中にテーブルクロスにソースは零すわ肘は立てるわで、マナーも何もあったものではなかった。肉に勢いよく被りついて、頬がぱんぱんになるほどに詰め込む姿は、飢えた乞食そのものだ。
 使用人たちも関わりたくないとばかりに避けていたではないか、特別リョウヤを好いていたとは言い難い。

「メイドたちも率先して冷遇していただろうに……なんだ、あれがおまえらに媚びでも売っていたのか」
「そのようなことは一切ございません」
「なら何故。ますますわからん」
「確かに始めの頃は、みな奥様から距離を取っておりました。なにしろ初めて見る稀人でしたので。良い感情も抱いておりませんでした。卑しく、汚らわしい生き物だと。けれども、奥様は……」

 一度言葉を区切ったクレマンを目で促す。じっと目を見られて居心地が悪くなった。

「なんだ、言え」
「とても、お優しい方ですので」
「……優しい?」

 隣に立つ老紳士をまじまじと見あげる。伸びた背筋やオールバックにされた白髪と、口ひげを生やした彫りの深い顔立ちは一見すると優しそうに見えるが、その実この男の本質は厳しい。
 
「あれが?」
「はい」

 そんなクレマンが、こうもはっきりと断言してくるとは。
 アレクシスのやること全てに是を唱える男ではないものの、珍しい。

「……優しいという単語ほど、あれに似合わないものはない」
「そうでしょうか」
「おまえらだって、散々あれには手を焼かされて来たじゃないか。見ろ、あいつはいまだに癒しだなんだのと言って馬にちょっかいをかけ、厩舎を藁と泥だらけにする。一言もなく狭い場所で寝こけて行方をくらます」

 この間はクローゼットの中で丸まっていたと聞く。本当に行動の全てがとんでもない。野生児だ。

「奴隷の分際で、メイドを手伝う素振りすら見せん。しかも好き勝手に部屋を改装した挙句、花瓶をカチ割ったんだぞ。あれの命をいくつ差し出させても足らんほどの価値だというのに、全く悪びれる様子もない」

 何様のつもりだと、リョウヤに対する鬱憤がどんどんと溢れ出てくる。一度区切るためにウィスキーをあおった。冷たいアルコホルが喉を通っていっても、胸の奥にある重苦しさは残ったままだ。
 これほどまでに、並々ならぬ負の感情を抱いたのはあれが初めてだ。

「あれは僕の子を生むという大役に胡坐をかきすぎだ。反抗はする、口も悪い、睨みつけてくる、ガサツ……あれほど、貞淑な妻に程遠い存在はない」

 アレクシスが完璧だと認めたルディアナの足元にも及ばない。比べることすらもおこがましい。

「旦那様は、誤解なさっています」
「何が誤解だ。あれは……あれは、僕を見て笑いもしない」

 アレクシスを淡々と一瞥するだけで、愛想笑いの1つもだ。何もしていない時でさえ眦が鋭く見える。いつも顎を引いているので、横顔だってキツめだ。
 少しはニコリとすればいいのに。そうすれば少しは可愛く……可愛い?
 自分で自分自身に驚いた。今、何を考えた。
 
「奥様の優しさが見えないのは、どうしてだと思いますか?」

 身の内で吹き荒れた一瞬の動揺を噛み殺し、クレマンにじとりとした視線を送る。もはや意地だった。

「知るか」
「理由は、とても簡単ですよ」
「嫌味か? あいつの優しさとやらに気付かない僕が悪いとでも?」
「そのようなことは申しておりませんが」
「……いいからもったいぶっていないでさっさと話せ。僕は気が短い」

 それは存じておりますが、としれっと返された。幼少期は行き過ぎた行動をとるとこのような諭され方をした。ただし小さい頃ならまだしも、跡目を継いでからこうした言い回しをされるのは初めてだった。
 それほど、目に余るということなのだろう。
 確かに……今回ばかりはやり過ぎたと、自分でも思ってはいた。

「奥様が見せようとしていないからです」
「見せようと、しない?」

 それは、あまりにも予想外の言葉だった。
しおりを挟む
感想 41

あなたにおすすめの小説

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

上司と俺のSM関係

雫@3日更新予定あり
BL
タイトルの通りです。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

ヤンデレBL作品集

みるきぃ
BL
主にヤンデレ攻めを中心としたBL作品集となっています。

モルモットの生活

麒麟
BL
ある施設でモルモットとして飼われている僕。 日々あらゆる実験が行われている僕の生活の話です。 痛い実験から気持ち良くなる実験、いろんな実験をしています。

後輩が二人がかりで、俺をどんどん責めてくるー快楽地獄だー

天知 カナイ
BL
イケメン後輩二人があやしく先輩に迫って、おいしくいただいちゃう話です。

処理中です...