月に泣く

宝楓カチカ🌹

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  居場所(2)

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 今は何時だ、昼か、夜か、それとも朝か。朝だったら、時間が来たら起きなければいけない。忌人狩りの連中はどこにでもいる。しつこく、どこまでも追ってくる。
 同じところに定住するのも危険だ。
 だから起きないと。起きてしっかり食べないと。どんなに吐いてしまってもとにかく詰め込まないと。食欲が湧かなくともおかわりはちゃんとして、何としてでも胃に食い物を流し込んで体力をつけないと。
 いざという時に動けなくなってしまったら、これまでの努力が全ておじゃんだ。
 それが、ひとりで生きていくための、術だ。
 この男の人の、大きな手のひらに羨ましさを覚える。
 もしも俺が長い腕を持っていれば、弱ったナギサを支えてあげることだってできていたかもしれないのに。
 足ももっともっと長ければ、ナギサを背負って月まで飛んで、元の世界までひとっ飛びできていたかもしれないのに。
 忌人は、見た目にはわからないが意外と筋力がある。重い木材だってたぶんひょいっと持ち上げられるし、体力が続く限り遠くの場所へだって走っていける。
 一日中、ぶっ続けで足を動かすことだって。
 腹を満たし、手足に、重い重いを枷を嵌められてさえいなければ。
 既存の力だけでは補えないことがあまりにも多すぎる。
 だからせめて、やれることはやらなければ。いつだって強く在らなければ。だって俺は人間で、ナギサの良夜で、弟なんだから。
 もっともっと頑張って、いつかナギサが話してくれた、幸福な世界に行くんだ。
 差別もない。奴隷もいない。
 殴られたり犯されたり、搾取されたりもしない。
 生きているだけで、酷いことをされたりもしない。
 みんなが笑顔で、互いに助け合って暮らしている、あの優しい世界に──あれ、幸福な世界ってどこだっけ?


 俺の帰る場所って、どこだっけ。


 唐突に不安になる。熱を持っているはずの体が、一瞬にして氷漬けにされたように寒くなった。駄目だ、ここにいちゃ駄目だ。こんな風に頬を包み込まれていたら、膝枕をされていたら。
 縋ってしまったら、もう二度と、ひとりで起ち上がれなくなる。

「起きる……だいじょ、ぶ、おれ、だいじょーぶ、だから」
「この強情っぱり」

 心底呆れたとばかりの声に、むっとする。

「その有様でどこが大丈夫なんだ。馬鹿か? 寝言は寝て言え、愚か者」

 なんだこの男、酷いことばっかり言ってくるな。
 強情だって? 馬鹿だって? 愚か者だって?
 しかもだ。死に物狂いで持ち上げようとしていた上体をぼすんと戻されたではないか。あの硬い膝上に。
 腹がたって唯一まともに動く頭をゴリゴリしてやった。「ぅ」とか言ってた、ざまーみろだ。

「貴様……」
「だ、って、寝たら、あぶな、い、もん」

 邪魔をしないでほしい。俺はもっともっと、頑張らなきゃいけないんだから。

「僕の馬車のどこが危ないというんだ。まあ、あの時は転倒したが、あれは雨が降っていたからであって……おい、だから暴れるなと」
「でも、俺、がんば、れ……る」
「頑張るな」

 驚きすぎて、起き上がろうとしていた体が、止まった。

「なん、で?」
「なんでなんでと、そればかりだなおまえは」

 また呆れられた。でも、だって、頑張れだなんて。そんなの誰にも言われたことなかったから。

「がんばらなくて、いーの……?」
「さっさと寝ろ。少し休め」
「ねてて、いいの……?」
「くどいぞ。いいから館に着くまで寝ていろ。無理はするな。今のおまえがするべきことはそれだ」

 つっけんどんな、声。だけど、その一言は胸にじんわりと沁み込んできた。
 頑張らなくていいって、本当に?

「館って、なに」
「頭が回っていないのか?家だ」
「家、あるの?」
「……あるだろう」
「すごい……な、おれ、家、ないから」

 本当は、他のみんなと一緒に暮らしたかったけど、俺は忌人で、髪と目が黒い稀人だから。
 黒い生き物がいたなんて噂は、たちまちあちこちに広がってしまう。
 一緒に住んでることがバレたら、きっとみんなを巻き込んでしまう。だから、いつも生い茂った木の上や、石橋の下のかび臭い隅っこで、息を殺しながら眠っていた。
 遠巻きに、みんなを見ていた。
 声をかけてくれた子もいたけれど、慣れ合ったら危険だと思って極力避けていたし、突き放したこともあった。
 裏切られたことだって、普通にあったし。
 毎日毎日、寒くて、ひもじくて、誰に襲われるのかもわからなくて、体を強張らせて。
 死ぬことよりも生きることの方がずっとずっと、大変だった。

「おまえは、さっきから何を言ってるんだ?」
「ぇ……?」
「僕とおまえの家だぞ。他はどこにも寄らん、真っ直ぐ帰る」

 目が開いていたら、きっと点になっていたことだろう。

「おれの、いえ?」
「ああ」
「ど、こ?」

 泥のように重かった手が、上がった。それほど驚いたのだ。けれども相変わらず暗いまぶたの裏しか見えなくて、ふらふらと掴めるものを探していたら。

「何を奇怪な動きをしている」

 ぱしりと、手を掴まれた。

「ここだ」

 


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