月に泣く

宝楓カチカ🌹

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前篇

34.三歩進んで忘れる鶏(1)

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「同封してた面会証を見せたから坊やだってここに入れたんだよ? 全てはフランゲル家の手助けがあってこそだよ、感謝してね?」
「感謝って言われても、ぜんっぜん聞いてねーんだけど……?」

 ねめつけると、アレクシスにぷいっと顔を逸らされた。
 それはまるで、都合の悪い事実を親に告げ口されて、そっぽを向く子どものような逸らし方だ。ふつふつと、怒りが煮えたぎってくる。マティアスの力が緩んだ隙を見計らって素早く押しのけ、アレクシスに詰め寄る。
 それでもアレクシスは、腕を組んだまま頑なにリョウヤと目を合わせようとしない。

「手紙って本当?」
「……だったらなんだ」
「だったらって……あんな意味のない結婚証明書その他諸々よりも、よっぽど大事な手紙だったと思うんだけど?」
「言っただろう、決定権は僕にあると」

 知るか、とばかりに吐き捨てられてぴきっとくる。

「なんだよその言い草はっ、もしも俺がここに来たいって言わなければ会えなかったってことじゃん!」
「ほう、マティアスにか」
「そうだよっ……って、ん?」

 勢いよく頷きかけ、ぴたりと止まる。

「なんで、マティアスが出てくんの?」
「──なんで、だと? は……よくもいけしゃあしゃあと」

 アレクシスは冷笑を浮かべたが、、リョウヤは意味がわからなすぎて勢いが削がれてしまっていた。

「あれだけのことをされたというのに、あいつに尻尾を振ってみっともなくじゃれ付いていただろうが」

 その不愉快そうに歪められた横顔をまじまじと見上げる。

「……本当にじゃれついてるように見えたのなら、あんたの目は腐り落ちるどころか取れてるよ」
「呆れたな。貴様は3歩進んで全てを忘れる鶏か?」
「いや、そもそも俺マティアスが来るなんてぜんっぜん知らなかったんだけど」
「肝に銘じろと注意した矢先に、こうも簡単に尻を振り始めるとは。おまえはチェンバレー家の……僕の妻になったんだぞ」
「あのー」
「だというのになんだその有様は。節度もなにもあったものじゃない」
「あのさ、人の話聞いてる?」

 話を聞かないところが、この男の一番悪い部分だと思う。

「っていうかさ、それをいうんならあんただって節度なく腰振ってんだろ」

 なんだと? と冷えきった声が返ってきたが、相変わらず顔は逸らされたままだ。

「なんだじゃねーよ。さっきあんたのせいで馬鹿三人衆に絡まれたんだけど」
「馬鹿三人衆?」
「ティンティン子爵んとこのボス猿だよ」
「ティ……?」
「あー、バスティンねバスティン。ヴェルナーのことでーす」

 マティアスが後ろから野次馬よろしくフォローを入れてきたが、名前なんぞ正直どうでもいい。あんな知能の低いアホ丸出しの3人に絡まれたせいで、元々体調が芳しくないというのにだいぶ体力を消費してしまった。
 本気で無駄な時間だった。元凶であるこの男に、一言言ってやらねば気が済まない。

「あのな、今から言うこと耳の穴かっぽじってよーく聞けよ? あんたがどこの誰とイチャつこうが愛人何人作ろうがどうでもいいよ。でも、ツケが俺に回ってくんのだけは勘弁して。変に絡まれていい迷惑。こっちに飛び火してこないような遊び方しろよな!」

 きっぱりと言い切るや否や、ばっとこちらを向いたその勢いに、リョウヤまでびっくりした。

「な、に、その顔」

 突然顔を向けられたからではない。アレクシスの顔は、今まで見た仲で一番奇妙だったのだ。
 リョウヤに苦言を申されて、不愉快さを感じているような顔ではない。
 何かものを言いたげな……そう、あえて言葉にするならば、何かを持て余しているような表情だ。
 数秒、どうすることもできない沈黙が互いに降りる。

「アレク?」

 アレクシスがふ、と息を吐き、顎を引いた。

「おまえは」
「うん」
「何とも思わんのか」

 てめえ目ぇ見えてやがんのかこの野郎と言いたい。
 口汚い言葉遣いは(これでも)控えてるので、気持ち半分で抑え込むが。

「だから、めっちゃ怒ってるじゃんっ、あんた見えてないの? キレにキレまくってる俺が!」
 
 しかしやはりと言うべきか、アレクシスはそのままむっつりと押し黙ってしまった。不貞腐れているようにも見える。
 なんなんだ本当に。面と向かって喧嘩をしているのだから、これまで通り「僕の私生活に介入してくるな愚か者」ぐらい言ってくればいいのに。
 やけに殊勝な態度が逆に気持ち悪い。調子が狂う。

「はいはーい、2人とも喧嘩は終わり! 注目の的になってるよ~」

 アレクシスもリョウヤも、がばっと互いの肩にマティアスの腕を乗せられた。
 確かに周囲を見渡せば、老若男女問わず、特に女性たちが扇を口に当ててこそこそとささやき合っている。確かにこれでは、暇を持て余しお茶会を楽しむマダムたちのいいゴシップネタだろう。
 再びアレクシスを見るが、やはり逃げるように目を背けられてしまった。

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