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前篇
15.稀稀人
しおりを挟む「この惨状はなんだ」
「惨状って?」
「帰って来て早々メイドたちに泣きつかれた。随分と好き勝手やってくれたようだな」
「ああ……いらないやつとか廊下に置いておいたけど、あとでちゃんと別室に移しておくから放置してていーよ」
「勝手な行動はするな。ここにいる全員がおまえの行動に迷惑を被っている」
は? と稀人が口を開けた。これは本気でわかっていない顔だ。
「何が迷惑なの? でかい音立てないようにこっそりやってたんだけど。別に逃げようともしてないし」
「……クローゼットで、扉を塞ぐ必要がどこにある」
「掃除の邪魔されたくなかったから。いちいちわーわー騒がれたら集中できないだろ」
「部屋の掃除は、毎朝メイドたちが行っているだろう」
「あれを掃除って言うんだったら、自分でやった方がよっぽど綺麗になるっての」
確かにこれの待遇はあまりよろしくはない。なにしろ本来であれば稀人というのは、名目上は召使いだが、奴隷だ。つまり館内の使用人たちよりも立場が下なのだ。
だからこそ使用人たちもこれを無下に扱っている。
一応孕み腹という役割を担っているので冷遇……とまではいかないが、これが話しかけてもまともに相手をする者などいないだろう。本人の前では「奥様」と呼んでいても、裏ではあからさまな侮蔑の対象だ。
そもそも、この部屋の清掃は必要はないと命じてあったので、毎朝の掃除などもおざなりのはずだ。
それらの事情も鑑みて、ついに孤独に耐えかねて何かよからぬことを考えているのではと、使用人一同気が気じゃなかっただろう。だが、その線は薄いとアレクシスは確信していた。
望み通りあんたの子を産んでやる、だから自由をよこせ──あの挑むような眼差しは、自死を望む者の目ではなかった。
だが、ここまで好き勝手に振舞われることになるのは流石に予想外だ。確かに好きに動いていいとは言ったが、これの行動は全てが目に余る。
「確かに勝手に動かしたのは悪かったと思ってるよ。でもこの屋敷って全体的にすっげー暗いんだもん、落ち着かないしなーんかじめっとしてるしさ……模様替えしなきゃ無理、このままじゃ俺カビ生えてキノコになっちゃう」
カビでもコケでも勝手に生えてろと言ってやりたい。
「あんただってキノコとセックスすんの嫌だろ?」
……こいつは情緒が発達していないのか、頭が弱いのか、はたまたその両方か。
「あっ、そうだ言い忘れてた。部屋にあったすっげーでかいガラスの花瓶? ほらあの、ステンドグラスみたいで綺麗な蔓柄のやつ。あれ廊下に置いた時ちょっとガチャンっていっちゃったんだよね」
「……なに?」
「割れてたらごめん。弁償はどう考えても無理だから体で払うよ。今晩はあんたのお好きな体位でズコバコどーぞ」
……両方だ。全く悪びれる素振りさえも見せないとは。
「じゃあ、俺まだ掃除途中だから」
「待て」
「いやだから悪かったって言ってんじゃん! 俺、一応あんたのオクサマになるんだから多少の失敗ぐらいは大目に見てよ。心狭いとモテないよ?」
言うだけ言って扉を閉められそうになった扉の隙間に、がっと足を引っかける。
「なんだよ」
「……」
冷え冷えと見降ろしても、稀人は怖がるでもなく迷惑そうに片眉を上げるだけだ。
「あのさ、引き留めておいて黙るのやめてくんない? 言いたいことあんならはっきり言えよ」
「──どうやら、僕に逆らわないと誓ったことをもう忘れているらしいな」
こんな些細なことにいちいちめくじらを立てていれば、相手のペースに呑まれるだけだということはわかっているが、この自由奔放な稀人にありとあらゆる罵詈雑言を浴びせたくなる気持ちは増すばかりだ。
「あんたこそ忘れてない? 俺はあんたが望む時に足を開くって言ったんだ。反論しないとは一言も言ってないね」
ひくりと頬が引き攣る。勢いに任せて扉を押し開き、「ちょっと!」と静止されるのも聞かず、入る気はなかった部屋にギシっと足を踏み入れた。
その瞬間。
ぶわりと、吹いてもいない風が通り抜けていった。
部屋に残されていたのはベッドと椅子と既存の暖炉と、サイドテーブルが1つ。それだけだった。広さは変わらないはずなのに、閉め切られていたぶ厚いカーテンと、足にまとわりつくような絨毯が無くなったことで、窓から差し込む日の光が、木目の鮮やかな床に伸びて光り輝いている。
昼間でさえも曇天に覆われていたような部屋は、目を見張るほどの開放的な空間へと様変わりしていた。
それ以上進むことも下がることもできず、暫し言葉を無くして、優しい光を浴びる。
「な? だいぶ広くなっただろ」
声をかけられてはっとした。きゅっと箒を握った稀人がこちらを見ていた。
「──広くなった、だと?これではまるで物乞いの部屋だ。殺風景にもほどがある」
不覚にも立ち尽くしていたバツの悪さを隠すため、眉間に殊更しわを寄せ、嫌味を込めて吐き捨てた。
「はは。やっぱりあんたもそう思う?」
それなのに稀人は怒るどころか、まるで日だまりを見つめるかのように目を細めた。稀人の、いつもの勝気さとはまるで違う穏やかな表情に、どういうわけだか視線を引かれた。
「……うん、俺ね、そういう部屋にしたかったんだ。眠れる場所さえあればいい。地に足つけてる気になれないから、絨毯もいらない。カーテンだって必要ないよ、月が見れなくなるから。今までずっと物乞いみたいな生活してたんだ、これで、俺にぴったりの部屋になった」
真摯な瞳には、アレクシスに対する当てつけなどは込められていないように見えた。
「あんたの子を産むのは正直嫌だけど……この部屋を与えてくれたことには感謝してる、ありがと。ずっと前に、ナギサにいちゃんともこんな風に何もない廃墟で暮らしたんだ。懐かしいなぁ……」
それは好みの部屋にできて満足しているというよりは、はるか遠く、愛おしい記憶に想いを馳せているような声色だった。柔らかく伏せられたまぶたになんとも言えない苛立ちが湧き上がる。
そんな顔をさせるために、このカビ臭い部屋を与えたわけではない。
「何が目的だ」
「ん?」
「心無い感謝に、僕が絆されるとでも?」
稀人がみるみるうちに渋面顔となり、はあ~と深いため息を吐かれる。
「いや、あんた性格ひねくれすぎ。ありがとうの言葉も素直に受け止めらんないの?」
猫みたいに吊り上がった目をしている稀人に、そんなことを言われたくはない。稀人の瞳は真っ黒で、月の無い夜空をイメージさせる。視線を合わせていると、何か得体のしれないざわざわとした不快感が腹の奥にたまっていくような気がした。
これを嫌悪感と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
「もう部屋も確認しただろ? さっさと出てってよ、それともまだなんか言いたりないことあんの?」
「……」
「えっ、まさか……おかえりのチューが欲しいとか言わねーよな……?」
おぞましいものを見るような目を向けられて、ついに舌打ちする。
「痴れ者が」
「ドン引きなんだけど」
「それはこちらのセリフだ」
「頼まれたって嫌だからね」
とにかく今は、この生き物と同じ空間にいること自体、耐えがたかった。
「……勝手にしろ」
さっさと背を向けて部屋を出れば、振り返る前にばたんと扉を閉じられた。主人を見送ることもしないとは。
まとわりついてくる使用人の視線を振り切り、廊下に投げ出されている物を全て移動するよう命じ、その場を離れる。カツカツと階段を下っても、あのわけのわからない生き物のことで頭がいっぱいだった。無体を強いてくる主人に怯えるどころか、はきはきと物を申してくる稀人なんて聞いたことがない。これなら忌人の方がまだマシだった。
あれでは「稀人」ではなく、稀人の中でも特に稀な「稀稀人」じゃないか。
結局、稀人の言っていた蔓柄の花器は、持ち上げた瞬間パカリと割れた。
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